曙花町男娼夜鷹坂

み馬下諒

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〘86〙予測不能

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 休業日の午后ごご、二階の茶室でぼんやりしていたハルチカは、窓ガラス越しに背後にあらわれた人物と目が合った。

「ダンナさま……、」

「雨が吹きこんでいるな。少し閉めたらどうだ。」

 窓の向こう側が雨でぼやけている。外のようすに気を留めなかったハルチカは、「す、すみません!」といって、あわてて窓辺へ立ってゆく。楼主ろうしゅは、急須を手にとり、濃いめの緑茶を湯呑みに注いだ。ふたつある。タカムラのれた緑茶をいただく流れに、緊張感が漂った。二階の茶室は、芸者がくつろぐ場所に使用されていたが、本日の夜鷹坂は休業日につき、館内は静まり返っている。帳場のヒシクラも、あにも、朝から姿を消していた。

 ハルチカは坐布団ざぶとんにかしこまってすわると、休業日でもスーツを着こなすタカムラを見つめた。四十すぎで、おちつきはらった表情は、ハルチカの微妙な心の動きを容易たやすく読んでくる。

「云われる前に、脱げるようになっただろうな? ……じき、判定をくだす。」

 つまり、アカラギの性教育を終了するという意味だ。楼主の口ぶりでは、再試験もあるようだ。タカムラとの性交渉は、いつも厳しい状況下で執り行われるため、ハルチカは、ゴクッと唾を呑んだ。事前に知ることができたぶん、驚かなくてすむ。

「……し、承知しました。よろしくお願いします。」

 膝のまえに手を添え、深々と頭をさげると、タカムラは湯呑みを差しだした。両手で受け、ひと口のむ。にがみが強く、思わず咳き込んだ。会話が途絶えると、中庭の樹々が風雨にゆらぐ音が聞こえ、ハルチカの胸もざわついた。

 
「おまえ、いくつだ。」
「……十七だけど、」
「ならば、当面のは下働きだな。十八歳になったら、もっと稼げる方法をその身にそなわせてやる。っておくが、おれが仕込むわけじゃない。素人しろうとは、色々と面倒でな。さいわい、性教育そういうのに、うってつけの男がいる。覚悟はあるか、」
「……なんの覚悟、」
「貧弱なからだを、商売道具にきたえる覚悟だよ。おまえの尻穴ケツは、いれもの、、、、になる。」
「い、いれるって、なにを……、」
玉茎たまぐきだ。」


 タカムラに拾われたハルチカは、路上生活を抜けだし、アカラギと出逢う。二年あまり昔の出来事が、遠い過去の記憶のように脳裏をよぎってゆく。アッという間に上級男娼となったが、楼主とふたりきりで話せる機会は少なかった。沈黙を保つことが気詰まりに感じたハルチカは、いきなり切り出した。

「ダンナは、にいさんみたいな人材ひとを、どこで見つけたんですか。」

 アカラギの過去は、誰も語らない。本人にたずねたところで、はぐらかされてしまうだろう。雇い主のタカムラは、アカラギの経歴をどこまで知っているのか気になった。むろん、個人情報につき、第三者が楼主に訊ねることではない。だが、ハルチカは挑むような表情で、タカムラを見据えた。……こわくない。今は、こわくない。おれは、この人の口から、哥さんの話が聞きたいんだ。

 アカラギほどの人物が、なぜ、夜鷹坂の事業に関与しているのか。行動の原点を知ることで、アカラギの考えが見えてくるような気がしたハルチカは、タカムラと正面から見つめ合った。ザァッという雨の音が、激しさを増してゆく。タカムラは上着のポケットから煙草を取りだすと、くわえて火を点けた。腰をあげて灰皿を探すハルチカは、タカムラの脇に目を留めた。茶道具のなかに陶器の灰皿がある。近づいて腕をのばすと、手頸を引き寄せられた。


✓つづく
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