曙花町男娼夜鷹坂

み馬下諒

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〘125〙安全地帯

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 なぜ、そんな話をしたのか。キリコの思いを(もうひと息で)読み取れそうな気がしたハルチカは、仏間の花瓶に水を差すあにの姿を発見するなり、「おれにキスして!」と、詰め寄った。

「なんでだよ。」

 アカラギのぞんざいな口ぶりは、むしろ爽快でさえある。ハルチカは負けずに首をのばしたが、あっさり避けられた。

にいさん、人助けだと思って、おれにキスしてみてよ。」

「なにが人助けだ。それこそ、断る。」

「ちょっとだけでいいから、」

「お断りだ。」

「なんでさ? 前は、頼んだらしてくれたのに……、じゃあ、こっちからするもんね!」

 気は関係ない。キリコの心情を理解するためにも、アカラギの協力は必須である。強引に迫ってくるハルチカの顔を片手で押し返すアカラギは、「いいかげんにしろ、」といって、仏間から廊下にでた。そこへ、いちばん鉢合わせたくないタカムラがやってきて、アカラギに書類のたばを手渡した。

「目を通しておけ。午后ごごには出かけるぞ。」

「承知しました。」

 楼主は二号店の工事現場へ、アカラギと下見にいく予定を告げると、ハルチカには目も呉れず立ち去った。仕事のじゃまはしたくないハルチカだが、ほんじつは休業日である。アカラギの手許てもとをのぞき込むと、新規雇用契約書という文字が見えた。

「哥さんは、いつも忙しそうだね。」

 キスしてもらえなかったハルチカは、わざと厭味っぽく口走ると、フイッと顔をそむけた。水差しと書類を持つアカラギの手は、ふさがっている。キスを強行するならば今が好機チャンスだが、ハルチカは見逃してしまった。

「まぬけ。」というアカラギのことばさえ、耳には届かぬようすで、階段をのぼっていく。「おまえら、もっとふつうの会話ができないのか?」ヒシクラが口をはさむ。休業日でも、作務衣を着て帳場に坐る。仏間でのやりとりを見ていたわけではないが、知ったふうな顔をして、アカラギとハルチカの関係を茶化した。

「ハルチカは、確信をほしがっている。云うべきことばがなければ、抱きとめたり、髪を撫でたり、いくらでもこたえる方法があるだろうに、」

 ヒシクラにも、水差しと書類を持ち歩くアカラギの姿が、ぼやけて見えるらしい。手をあけるという選択肢は、アカラギの頭にはない。託されたものは、手放すまえに責任を果たす。対象は問わない。じぶんの甘さに腹を立てるハルチカと異なり、アカラギは無駄をはぶいて立ちまわる性分である。何事も安全確保が最優先で、ハルチカのいう人助けは、思わぬ事故をまねく危険があると直感した。

「ところで、」

 お節介は要らない。アカラギは無言だが、そんな心の声が聞こえた気がするヒシクラは、話題を変えた。

「午后になったら、タカムラと出かけるんだろう? そのあいだ、おれがハルチカの部屋をたずねてもいいか? ……あいつとふたりきりになる場合、おまえさんの許可を得ていたほうが、いろいろと無難だろうからな。」

 ヒシクラの手癖は、アカラギも承知していた。これまで、帳場でしごかれるハルチカの姿を幾度となく見かけてきたアカラギは、今さら許可を求めるヒシクラの態度に、変化を認めた。とはいえ、細かいことは気にしない。楼主とじぶんが留守となったあと、夜鷹坂を任せることができる人物は、目の前の男しかいなかった。ヒシクラは、信用できる数少ない人間である。

「ラギよ、どうだ? 嫌なら、そう云えばいい。簡単なことだろう?」

「なにがです? ハルチカは、俺の所有物ではありませんよ。その質問には返事をしようがない。」

 口車をかわされたヒシクラは「そりゃ、そうだな。」と笑い声になった。


✓つづく
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