さよなら、ありがとう

笹椰かな

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 僕は鷹野たかの博隆ひろたか。現在、二十五歳。親戚のコネで入社した食品加工会社で毎日パソコンのキーボードを叩いている。
 仕事にやり甲斐は感じていない。ただただ、退屈なルーチンワークをこなしているだけ。

 そんな僕は最近まで無趣味だった。テレビは見ないし、ネットもあまり見ない。小説もマンガも読まない。歌もあまり聴かない。映画館には、生まれてから一度しか行ったことがない。スポーツにも興味がない。
 そんな僕だったけれど、今は「推し」がいる。地下アイドルの夢川ゆめかわユメちゃん。年齢は十八歳。背が低くてべビィフェイスで、瞳がビー玉みたいに大きい美少女だ。

 僕がユメちゃんを知ったのは、本当にたまたまだった。
 さかのぼること三か月前。仕事を終えて家に帰る最中さなか、ユメちゃんが所属する三人組のアイドルグループ「夢色ガールズ」のライブ告知のビラが道に落ちており、気まぐれでそれを拾ったんだ。
 拾い上げたそのビラに載っていたユメちゃんの写真を見た瞬間、僕は文字通り目を奪われた。脳みそがスパークするような感覚に襲われたのを、今でもはっきりと覚えている。
 そして、無意識に呟いていた。「かわいい……」
 この子をじかに見てみたい、そう思った。

 それから僕は、ユメちゃんのファンになった。
 今までほとんど見ていなかったネット積極的に見るようになり、Twitter(今はXだけど)もInstagramもフォローした。ライブが開催される度に会場へ足を運んだ。ファンミに参加して握手もしてもらえたし、色紙にサインももらった。毎日が楽しくて幸せだった。

 けれど今日の夕食後に突然、腹部に激痛が走り、母が呼んでくれた救急車で運ばれた。
 そして検査を受け、鎮痛剤が効いてきて落ち着いた頃、医師から非情な言葉を聞かされた。

「非常にお伝えしにくいのですが……あなたの病状は大変深刻です。余命は十日。そうお考えください」

 僕は頭の中が、医師が着ている白衣と同じ色に染まっていく。その後のことは何も覚えていない。
 気づいた時には自宅にいて、スマホでユメちゃんのXアカウントを眺めていた。 

「ユメちゃん……」

 大好きな推しの名前をつぶやきながら、僕は涙を流した。本当に十日後に死んでしまうなら、せめてまたユメちゃんに会いたい。握手をしてもらって、直接声をかけてもらいたい。
 そう思った直後、ユメちゃんが事務所のアカウントを引用リポストした。

『めっちゃ突然ですが来週ファンミやります!会いに来てくださいね!』

 僕はすぐにファンミの抽選に申し込んだ。夢色ガールズは悲しいことにあまり人気がないから、抽選で外れることはまずない。だから、当落の心配はしなかった。

 後日。案の定、当選した僕はファンミが行われる貸しホールに向かった。余命はあと二日に迫っていた。
 ファンミは無事開催され、その終盤に恒例の握手会が始まった。ほどなく番が回ってきて、僕はピンク色の爪で彩られた華奢な手を優しく握った。

「僕、ユメちゃんに会えてよかったです。ユメちゃんに会えなかったら……僕、死ぬまで何にも無中になれないままだった」

 握手中につい、今の気持ちを口走ってしまった。ユメちゃんはキョトンとして首をかしげている。

「まるでこれから死んじゃうかのような口ぶりですね?」
「あ……はは。そうですね。すみません、変なこと言って」
「いいえ! わたし、お兄さんがいつもライブやファンミに来てくださってるの知ってますから、病気しないで長生きしてほしいです。また会いに来てくださいね!」

 そう言って、ユメちゃんは僕の手をぎゅっと握ってくれた。
 ユメちゃん、僕のこと覚えてくれていたんだ。僕のことを認知してくれているんだ。
 そう思ったら、さっきまで重くて仕方がなかった身体からだが見る見るうちに軽くなってしまった。

 ふわふわとした気分のままで帰宅した。死ぬ前にユメちゃんとまた握手ができてよかった。言葉を交わせてよかった。
 そう思って涙した後、僕の身体は立て掛けられている傘が倒れるかのように玄関の床に伏していた。
 僕の余命は残り二日分残っていたはずだけど、どうやら医師の言葉と現実は噛み合っていないらしい。

 冷たい床に体温を奪われていく。段々と意識が離れていくのを感じながら、僕は必死に思った。
 さよなら。ありがとう、ユメちゃん。僕に夢を見させてくれて、ありがとう。本当にありがとう……。
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