群青のしくみ

渚紗みかげ

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8.光也と結人

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「よく、」
 汗かかないな、と話しかけようとしたのに、それよりも先に、光也みつやはふっと、急に視界から消えてしまった。彼を視線の先で追う。少し離れた所にもう一度彼を見つけた。光の加減で金色に光る薄い色の髪、その髪の色とは裏腹に、たった一つ、一番上のボタンだけを開けた、まっさらな紙のようにぱきりとした白い制服のシャツ。赤いネクタイ、裾はスラックスの内側。ベルトは皮、靴は茶色のウイングチップ。育ちが良いのだろうと、制服を着ていてもすぐにわかる所作。ただ、どこか少しだけ――。
「何か言った?」
 驚いて、いつの間にか近づいていた声に、結人ゆいとは思わず声を上げた。そんなに驚かなくても、と光也が笑う。
「いや……、特に、……なんでも」
「気になるでしょ。なに。言いかけたならいいなよ」
「……汗、」
「汗?」
「かかないんだな、と、……思って」
 今度は光也の方が驚いた顔をした。「そうだね」と、涼しい顔をして、僅かに首を傾げる。それが何、と不思議そうな顔をして。「汗腺? っていうのかな。少ないっていうのは、聞いたかな。でも、暑いものは暑いよ。炎天下にずっといると倒れるし」
「そりゃ、……誰でもそうだろ」
「汗、あんまりかかないからさ。なりやすいんだよ、熱中症。熱、上がったらなかなか下がらないんだよ」
「そうなのか。……大変だな、そういうのも」
「自分がいいと思うものが本当にそういう性質かどうかは、見た目だけじゃ判断できないものだもの。……びっくりした」
「何が、」
「お前がそんなこと聞いてきて。……確かめてみる、って、聞こうとしちゃったじゃないか」
「確かめる?」
「アトリエで僕が何て呼ばれているか知っている?」
「知らない、」
「そうか。同じ場所にいるのに、知らないのは多分ユイくらいのものじゃないかい? 人の噂に興味がないのはいいね。そんなものを気にしていたって、絵がうまくなるわけではないもの。――『夜毎の春』だよ。この意味がわかる?」
「…………?」
 どういう意味だ、とキョトンしていると、光也はふ、っと目を僅かに細め、ふふ、と口元に笑みを浮かべた。さら、と細い髪が光に揺れる。眩しかった。結人も目を細め、少しだけ眉を顰める。
「いつか確かめて」
「…………? 何を」
「いつかと言ったろ。そのうちわかるさ。きれいに見えるものが、本当にきれいじゃないこと」
 お前のことを言っているのか、と、結人は聞けなかった。ふっと、またいつのまにか光也が遠ざかってしまっていたので。それじゃあ、と光也は駅に向かって歩いていく。結人は彼と別れ、ずっと引いていた自転車のペダルへようやく乗り上げた。ふと、駅の方を振り返る。光也がこちらをじっと見つめているのに気づいた。首を傾げ、電車行くぞ、と声を上げようとする。光也の口がへいき、と動いた。気がした。くちびるは読めない。汗一つ滲まない背中が駅の中へ入り、見えなくなるまで、結人はその場に立ったままでいた。
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