ミュージシャンとファンの百合短編集

霜月このは

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河川敷にて

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 陽差しがだいぶ穏やかになった。髪を撫でる風は少しだけひんやりしているけれど、日向ではまだ、上着を羽織るかどうか迷う、そんな秋のある日のこと。

 今日は急なシフト変更で仕事がお休みになったから、午前中は家でネットの動画を観ながらゆっくりしていたのだけれど、ずっとそれじゃあ退屈だし、ちょっと外に出てみることにしたのだ。

 昨日までは結構気温が高くて、半袖でもいいくらいだったけど、この時期の天候は変わりやすいから、念のためカーディガンを羽織って家を出た。うん、大正解。

 近所の商店街を抜けて駅へ向かう。そのまま繁華街の方へ出て、お買い物でもしようかと思っていたのだけど、なんとなくいつもと違うことがしたくなって、逆方向の電車に乗った。

 下り方面の電車に乗ると、思い出すのは悠さんのこと。悠さんはつい最近、都心から離れて、東京の西側のエリアに引っ越した。今までよりは、わたしの家に近いけれど、路線が違うから、気軽に家まで行けるというほどでもない。

 どうしてそこに引っ越したのか訊いてみたら、ちょうど部屋の更新のタイミングで、楽器OKの安い物件が見つかったから、ということだった。

 やはり悠さんの生活の中心には音楽があるんだな、って思って、それはミュージシャンなんだから当たり前のことではあるんだけれど、ちょっとだけ、胸がきゅっとなってしまうわたしがいた。どうせなら、もうちょっとだけでも、わたしの家に近いところに来てくれたらよかったのに、なんて思ってしまって。

 ああ、嫌だ。そんな面倒くさい女になんかなりたくないのに。

 電車から外の景色を見ながら、頭の中に浮かんでしまった気持ちを打ち消すのだけど、なんとなくモヤモヤが晴れなくて。そんなことばかり考えていたら、気づけばわたしは、悠さんの家の最寄り駅まで来てしまっていた。

 もう恋人なんだから、会いたいなら会いたいって素直に言えばよかったのに、なんとなく連絡を取るのを遠慮してしまうのは、今が平日の昼間で、きっと悠さんも会社に行っている頃だと思うから。

 実は悠さんが昼間どんなお仕事をしているのか、わたしは具体的には知らないのだけれど、勤務時間中にメッセージを送ってもすぐに返ってくることはないと思うし、いきなり今夜会いたいと言われても困るだろうし。


 電車を降りて、駅前通りを抜けてしばらく歩くと、住宅街に入る。公園で遊ぶ子供たちを横目に見ながら進んでいくと、だんだんと視界がひらけていく。

 わたしが向かった先は河川敷。
 いつぞや悠さんが、家の近所に川があるって言っていたのを思い出したのだ。今日みたいな天気のいい日に川沿いを散歩するのは気持ちいいだろうなって思ったから、とりあえず行ってみることにしたのだった。

 行ってみればやはりそこにはさわやかな景色が広がっていた。
 小さな子供が駆け回っていたり、手をつないでお散歩をしている老夫婦の姿もあった。

 遠くに見える、高架の上を走る電車を眺めながら、ゆっくり川沿いを進む。ここから一駅ぶんの距離くらいは歩いてみようかな、なんて思いながら。

 しばらく歩いていると、なにやら音が聴こえてきた。
 誰かが、ギターを弾きながら歌っている。

 胸が、とくん、となった。

 見覚えのあるその姿は、愛しい愛しいその人で。
 わたしが、今、一番会いたかった人だ。

「悠さん!!」

 思わず大きな声で呼びながら、走り寄る。

「……え? 春香? なんでここに!?」

 振り向いた悠さんも、とても驚いているようだった。

「えっと……たまたま、通りかかって」

 つい恥ずかしくて、そう答えてしまう。たまたま、こんなところになんか、来るわけがないのに。

「悠さんはここで……練習?」
「あ、うん。家でもできるけど、たまには外で歌ってみるのも気持ちいいかなって」
「確かに、今日、いい天気だし。気持ちよさそう」

 わたしのその言葉を聞いて、悠さんは笑って言う。

「じゃあ、春香も歌ってみる?」
「ええっ……無理、そんな……わたし、音痴だし」

 思わぬ展開に、つい慌ててしまう。

「大丈夫だよ、そんな。ライブとかじゃないんだから。……春香の好きな曲、弾くよ?」

 悠さんはそんなことを言ってくる。
 そんな、悠さんの伴奏で歌うなんて、畏れ多い、と思うんだけど。
 でも、興味がないと言ったら嘘になる。
 悠さんと一緒に歌いたい気持ちと、なんだか恥ずかしい気持ちのあいだで揺れる。

 わたしがごにょごにょ言っているうちに、悠さんは曲を弾き始めた。
 ……あ、これ。

 それは悠さんのオリジナル曲だった。
 普段は別のボーカルの女の子が歌っている曲。わたしが悠さんのライブに初めて行った日に聴いた、わたしの大好きな曲。

 思わず小さな声で口ずさむ。
 これでも、わたしは悠さんのファンだ。
 この曲の歌詞もメロディも、頭の中にはしっかり入っている。……ただ、技術が伴わないだけで。

 曲のサビの、すごく重要な部分、長く音を伸ばすフレーズがあるのだけど、わたしの肺活量ではどうしても無理で、息が苦しい。
 いっぱいいっぱいになりながも歌い終わった。

「……はぁ。やっぱりこの曲、難しい。悠さん、どんだけ鬼畜なんですか」
「やっぱり、難しいよねえ、この曲。大変かなあって思ったけどついね、出来心で」

 そんなことを言って笑い合う。
 難しかったけど、たぶん音も外しまくっていただろうけど、外で歌うのは、すごく気持ちがいいんだとわかった。
 ううん、それはきっと、悠さんの伴奏だからなのだと思う。

「わたし、やっぱり、この曲好き。歌詞が特に」
「ありがとう。嬉しい」
「悠さんはすごいなぁ、なんでもできて。曲が作れて、歌詞も書けちゃうなんて」
「なんでもはできないけど……。そうだ、春香も、今度歌詞書いてみたら?」
「ええっ……わたしにはそんなのできないよ……」

 せっかくの提案だけど、わたしにはそんな才能ないと思うし。

「そっかぁ……。じゃあまたいつか、気が向いた時にでも」

 悠さんはちょっとだけ残念そうにそう言うと、また曲を弾いて歌い始めた。
 わたしはそれを黙って聴く。

 相変わらず空はきれいに晴れてポカポカとしていて、風も気持ちが良くて。
 思いきり歌って、すごく気持ちよかったはずなのだけど、なんなんだろう、このモヤモヤは。
 わたしは思わず、練習中の悠さんの背中をツン、と突いてみる。
 ああ、こんな邪魔をして、わたしって面倒な女だなあって思ったけれど、悠さんはそんなわたしのことなんて気にも止めず、演奏を続けていた。

 一曲歌い終わると、悠さんはすぐにわたしの方を振り返る。

「春香。……ごめんね。どうした?」
「ごめんなさい、邪魔して。なんでもな……」

 そう言いかけた途端、だった。
 三角座りをしていたわたしの視界が塞がれた。唇に柔らかい感触が乗る。

「寂しかった?」

 草の上に、押し倒されるようなかたちになった。

「……えっと」

 わたしの頭は混乱状態になって。

「ゆ、悠さんっ……! だめ、服が汚れちゃう……」

 思わず出てきたのはそんな言葉だった。 

「ご、ごめん……ついっ」

 悠さんはパッと身体を起こすと、わたしの手をとって、立ち上がらせてくれる。
 服の背中には芝生の草がついてしまっていたから、悠さんはひとつひとつそれを取ってくれた。

「春香が可愛かったから……その、いきなりごめん」
「ううん……それは、別に……」

 恥ずかしそうにそう言う悠さんのほうがよほど可愛いと思うのだけど、それは言わないでおこう。

「今日はもう、練習おわり。……ちょっと、歩こうか」

 悠さんは楽器を片付けながらそう言う。ギターケースを背中に背負って、カバンを片方の肩にかけて。そして空いたほうの手で、わたしの手を握る。

 荷物がたくさんあるのに。
 でもそんなことが、なんだか嬉しい。

 悠さんはカバンを右肩に背負うから、わたしは悠さんの左手を握る。
 恋人になってから、もうずいぶん経つような気もするけど、まだまだ全然知らないことも多くて。
 ずっとステージの上の悠さんを見つめてきたから、こうして肩を並べて歩いていることがまだ信じられない。わたしはそう思ってしまうのだけれど。

「すっかり、春香の定位置になったね」
「……えっ?」

 何を言われているのかわからなくて混乱していると、悠さんは言った。

「私の、左側」

 そしてわたしの目を見て、にっこり笑う。
 思わず恥ずかしくなって、わたしも笑う。

「ここの河川敷、さ。春になると、桜がいっぱい咲いて、すごく綺麗なんだって」

 そう言って、悠さんは上を向く。
 そうか、このいっぱいある木は桜なんだ、って、言われて初めて気がついた。

「また、来ようね。春になったら、一緒にお花見しよう?」

 つないだ右手が、すごく熱くて。
 ひとりモヤモヤしていた自分が、急に恥ずかしくなって。
 わたしは、ただ、うなずくことしかできなかった。

「……うん」
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