7 / 7
⑦
しおりを挟む
ハルタくんが会社に退職願を提出したのはそれからすぐ後のことだった。
人員不足を理由に無理矢理引き留められそうにもなったらしいが、幾ばくもしないうちにその必要もなくなった。会社の運営する飲食店の売り上げが、前期とは比較にならない程に下がってしまったからだ。
味が落ちたから。優秀な人材が辞めたから。理由はいくつか考えられるだろうが、その結末は藤乃にとっては容易に予見できることだった。
あれから一年。会社は倒産し、ハルタくんは故郷の岩手に帰った。
「富をもたらす座敷童のお主が会社から去ったんじゃ。倒産は当然の帰結じゃろうて」
古い家屋の屋根の上。
桜色がちらほらと顔を見せる山景を見渡すぬらりひょんの隣に、藤乃は腰かけている。
黒いおかっぱ頭に、赤い小袖の着物。やはり、リクルートスーツを着ているより、この格好でいる方が身体にしっくりと馴染む。
「……豊かな富が招くのが幸福だけじゃないってこと、分かっているつもりだった」
座敷童である藤乃がいるところには、もれなく富がついてまわる。
幼いハルタ君とは、長く住み着いていた旧家のお座敷で出会った。
周りの大人に見つからないように二人で桜餅を食べたり、ままごとをしたり。
それは、藤乃にとっては忘れられない思い出となった。
けれど、人間の子供はどうしても成長につれて藤乃のことを忘れていく。その姿が見えなくなっていく。
それでもどうしてもハルタ君と一緒に居たかった藤乃が、彼について上京していったせいで、入社した企業に意図せず過剰な儲けをもたらすことになってしまった。
「お主がうっかり労働契約書などにサインをするから、儂がああして連れ戻す事態になったんじゃぞ、分かっておるのか?」
「……うう、ごめんなさい。だって、人間のつくった契約書にあんな効力があるなんて、思ってもいなかったんだもの」
「約束事を侮るからじゃ、戯けもの」
厳しめに叱られ、藤乃はシュンとする。
あの時は、たくさんの妖怪仲間にも世話をかけてしまった。
みんなは「久々に人を驚かせて楽しかった」と喜んでくれたが、ぬらりひょんはそんなに甘くない。
藤乃は今年「お花見参加禁止」の罰を言い渡されている。
妖怪仲間が人間たちの花宴にこっそりと紛れて楽しむのを、こうやってひっそりと遠くから眺めているわけだ。
そもそも花見なんて好きじゃないし、悔しくなんかない。
その筈だったが、やっぱり少し寂しかった。
「……ハルタくん、大人になっても優しかったな」
座敷童である藤乃の姿は、大人になった人間の目には見えない。
あの日ハルタくんと話せたのは、舞い散る桜の妖力と、会社と交わした労働契約書の効力が相まってのことだ。二度とない奇跡と言える。
「そうしょんぼりとするな。来年の春には、お主にも花宴に出る許可を出す」
「別にしょんぼりなんてしてないし……。あっ」
屋根の上からぼんやりと桜を眺めていた藤乃の視界に、ハルタくんの姿があった。
田舎に帰ってきても世話焼きな性分は変わっていないようだ。桜を眺める大勢の人に飲み物や食べ物を手渡している。
「……変わらないなぁ」
ひと段落したのか、ハルタくんは一人、シートの上に腰を下ろした。自分の紙コップにお茶を注ぎ、次に別のコップにオレンジジュースを注ぐ。
誰かに手渡すのかと思って見ていたら、何故だか人が座っていない空間の前にぽつんとそのコップを置いた。
傍らには、菓子が添えてある。
桜餅。
藤乃が大好きだったものだ。
二人で食べた、思い出の味。
桜の花を眺めるハルタくんの表情は穏やかで、昔と同じように優しかった。
何もない空間に向けて小さく紙コップを掲げたハルタくんの仕草を見て、藤乃はハッと目を見開いた。
「……ん、どうしたお主。顔が赤いぞ」
ぬらりひょんが問う。
藤乃はぷいっと顔を背け、何も聞こえていないふりをした。
来年の花見が待ちきれなくなったのは、藤乃だけのヒミツた。
人員不足を理由に無理矢理引き留められそうにもなったらしいが、幾ばくもしないうちにその必要もなくなった。会社の運営する飲食店の売り上げが、前期とは比較にならない程に下がってしまったからだ。
味が落ちたから。優秀な人材が辞めたから。理由はいくつか考えられるだろうが、その結末は藤乃にとっては容易に予見できることだった。
あれから一年。会社は倒産し、ハルタくんは故郷の岩手に帰った。
「富をもたらす座敷童のお主が会社から去ったんじゃ。倒産は当然の帰結じゃろうて」
古い家屋の屋根の上。
桜色がちらほらと顔を見せる山景を見渡すぬらりひょんの隣に、藤乃は腰かけている。
黒いおかっぱ頭に、赤い小袖の着物。やはり、リクルートスーツを着ているより、この格好でいる方が身体にしっくりと馴染む。
「……豊かな富が招くのが幸福だけじゃないってこと、分かっているつもりだった」
座敷童である藤乃がいるところには、もれなく富がついてまわる。
幼いハルタ君とは、長く住み着いていた旧家のお座敷で出会った。
周りの大人に見つからないように二人で桜餅を食べたり、ままごとをしたり。
それは、藤乃にとっては忘れられない思い出となった。
けれど、人間の子供はどうしても成長につれて藤乃のことを忘れていく。その姿が見えなくなっていく。
それでもどうしてもハルタ君と一緒に居たかった藤乃が、彼について上京していったせいで、入社した企業に意図せず過剰な儲けをもたらすことになってしまった。
「お主がうっかり労働契約書などにサインをするから、儂がああして連れ戻す事態になったんじゃぞ、分かっておるのか?」
「……うう、ごめんなさい。だって、人間のつくった契約書にあんな効力があるなんて、思ってもいなかったんだもの」
「約束事を侮るからじゃ、戯けもの」
厳しめに叱られ、藤乃はシュンとする。
あの時は、たくさんの妖怪仲間にも世話をかけてしまった。
みんなは「久々に人を驚かせて楽しかった」と喜んでくれたが、ぬらりひょんはそんなに甘くない。
藤乃は今年「お花見参加禁止」の罰を言い渡されている。
妖怪仲間が人間たちの花宴にこっそりと紛れて楽しむのを、こうやってひっそりと遠くから眺めているわけだ。
そもそも花見なんて好きじゃないし、悔しくなんかない。
その筈だったが、やっぱり少し寂しかった。
「……ハルタくん、大人になっても優しかったな」
座敷童である藤乃の姿は、大人になった人間の目には見えない。
あの日ハルタくんと話せたのは、舞い散る桜の妖力と、会社と交わした労働契約書の効力が相まってのことだ。二度とない奇跡と言える。
「そうしょんぼりとするな。来年の春には、お主にも花宴に出る許可を出す」
「別にしょんぼりなんてしてないし……。あっ」
屋根の上からぼんやりと桜を眺めていた藤乃の視界に、ハルタくんの姿があった。
田舎に帰ってきても世話焼きな性分は変わっていないようだ。桜を眺める大勢の人に飲み物や食べ物を手渡している。
「……変わらないなぁ」
ひと段落したのか、ハルタくんは一人、シートの上に腰を下ろした。自分の紙コップにお茶を注ぎ、次に別のコップにオレンジジュースを注ぐ。
誰かに手渡すのかと思って見ていたら、何故だか人が座っていない空間の前にぽつんとそのコップを置いた。
傍らには、菓子が添えてある。
桜餅。
藤乃が大好きだったものだ。
二人で食べた、思い出の味。
桜の花を眺めるハルタくんの表情は穏やかで、昔と同じように優しかった。
何もない空間に向けて小さく紙コップを掲げたハルタくんの仕草を見て、藤乃はハッと目を見開いた。
「……ん、どうしたお主。顔が赤いぞ」
ぬらりひょんが問う。
藤乃はぷいっと顔を背け、何も聞こえていないふりをした。
来年の花見が待ちきれなくなったのは、藤乃だけのヒミツた。
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
神は激怒した
まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。
めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。
ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m
世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。
✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども
神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」
と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。
大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。
文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる