ミドくんの奇妙な異世界旅行記

作者不明

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竜がいた国『パプリカ王国編』

ついに母と対面!? 「――お母さん……ですか?」

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「ぶえっくしょんッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」

 一人の少女がくしゃみをすると、その音は渓谷の中で響き渡った。すると少女は言った。

「マルちゃ~ん、まだ迷宮に着かないっスかぁ? 風邪ひいちゃうっスよ……」
「ごめんなさいフィオさん……ボクもあとどれくらいかは分からないんです……」

 マルちゃんと呼ばれた少年マルコは、フィオに申し訳なさそうに言う。

 現在、四人の旅人が渓谷の川の中をバシャバシャと歩いて奥に入っていた。最初の入口付近では、川の両端に人一人が通れるくらいの幅の道があったのだが、途中から狭くなり、気づけば川の中を歩かなければならないほど狭くなっていった。
 ミドは水が好きなようで川に入ることに躊躇いはない。マルコは水に濡れるのを嫌がっていた様子だが、すぐに気持ちを切り替えると川の中に足を入れた。
 フィオだけは最後まで嫌だとゴネていたのだが、キールに後ろから突っつかれて渋々川の中に足を入れた。

 渓谷の中は奥に進むほど暗くなっていく。川の温度は非常に低温で入っているだけで体温が下がり、体力を奪われていく。
 すると金髪でくせ毛の旅人が言う。

「無理するなよフィオ、限界だったらすぐに言えよ。マルコもだぞ」
「キールぅ、もう限界っス……。おんぶしてほしいっス!」
「ミドに頼めよ」
「ミドくんは密着してるのをいいことに、お尻とか触ってきそうだからイヤっスぅ」
「お前……、ミドを性獣ケダモノかなんかと勘違いしてねぇか?」
「むっつりスケベなのは知ってるっス」

 フィオが冷えた体をガクガク震えながら言う。
 キールは吸血鬼だけあって人間とは比べ物にならない体力があるし、ミドは水があれば元気一〇〇倍といったところである。しかしフィオは二人と違って体力の限界があるし、マルコはまだ子どもだ。早いところ川から上がらないといけないだろう。

 するとミドも言う。

「なんかひどい言われような気がするんだけど、気のせいかな~?」
「どうせミドくんのことだから、おんぶにかこつけて、あーしの体をもてあそぶに決まってるっス!」
「いくらボクでも、おんぶしたままじゃ無理だよ~」
「……それもそうっスね」
「それにマルコも見てるんだから、そういうのは控えないとね~」
「それなら大丈夫っスね……ミドくんにおんぶしてもらうっス」
「仰せのままに、お姫様」

 そう言ってミドがしゃがむと、フィオは嬉しそうにミドの背中に飛び乗る。フィオがミドの首回りに両腕を回して抱きつくと、ミドはフィオの膝の裏に両手をかけて持ち上げた。

「よいしょ……っと」
「超楽になったっス~。ミドくんの背中あったかいっス~」
「冷えた体温を上げるには、人肌で温め合うのが一番なんだよ~」
「あぁ~、極楽ぅ~」
「なんか温泉に浸かってる人みたいだね~。よかったらボクと裸で抱き合って温め合う?」
「キール! やっぱり交代っス! このままじゃミドくんに痴漢されるっスううううううううう!」
「暴れるとケガするよ~」

 フィオが足をジタバタさせて暴れるが、ミドの両腕にしっかりホールドされて身動きが取れなくなっていた。ミドはフィオを押さえつけながら平気な顔で笑っている。

 キールがマルコに言う。

「マルコ、もう一度言うが無理はするなよ。お前を無事に帰すのがオレ等の仕事なんだからな。なんなら、フィオじゃなくお前の方が――」
「いえ大丈夫です。自分の足で歩きたいんです」

 マルコはそう言うと、前かがみぎみになって歩いて行く。キールがマルコの様子を観察すると、マルコは顔を赤らめて俯いていた。
 先ほどのミドたちの会話は、彼にとって刺激が強かったのだろうか。あるいは想像を膨らませてしまったのかもしれない。マルコは隠そうとしていたがキールの目は誤魔化せない。キールは誰にも聞こえない程度でつぶやいた。

「なるほど……そんな状態でおんぶなんてされたら、そりゃイヤか」
「………………/////」

 キールは気づかないふりをしてマルコから目線を外した。マルコの股間は、勃起していたようだ。

「うわっ?!」「――っス??!!」

 その時、先頭を歩くミドとフィオが小さな悲鳴と共に消える。先ほどまで顔を赤らめていたマルコが慌ててミドとフィオを追った。

「どうしました? ミドさん! フィオさん!」

 マルコは大慌てで助けに向かったのだが、突然足場が無くなって真っ逆さまに転落してしまった。

 バシャーーーーーーン。

「おーい、お前ら無事かー?」

 すると、上の方からキールの声が聞こえる。キールの目線の下には、亀のように重なる三人の姿が見えた。ミド、フィオ、マルコの順番で重なっており、マルコはフィオの無事を確認している様子だ。
 マルコは自分の下に押しつぶされているフィオを抱き上げて言う。

「大丈夫ですかフィオさん!」
「だ、大丈夫っス」
「良かった……。ミドさんと一緒に消えちゃうからびっくりしましたよ!」
「もう最悪っスよ~、全身びしょ濡れっスぅ……マルちゃんは大丈夫っスか?」
「ボクは平気です。それよりミドさんは……」
「あれ、ミドくんはどこ行ったっスか???」

 マルコとフィオは周りをキョロキョロを見渡すがミドの姿を見つけられずにいる。すると、キールがゆっくり上から下りてきて二人に冷静に言った。

「足元見て見ろよ」
「足元?」「っス?」

 ブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブクブク……。

 マルコとフィオの二人が自分たちの足元を見る。ミドはマルコとフィオの二人に踏まれたまま、足元の水の中でブクブク泡を吹いていた。

「うわあああああああああああ! ミドさん! ごめんなさいいいいい!」
「お、おお、落ち着くっスよ、マルちゃん! こういうときは人工呼吸っス!」
「人工呼吸???」
「ミドくんの口から直接空気を送り込むっス!」 
「わ、分かりました!」

 マルコはミドを水からあげて横にする。そして意を決して自分の唇をミドの唇に近づけていった。すると寸前でミドは目を開けてヒョイっと起きあがり、普通に喋りはじめたのだ。

「ふぅ~、危なかった。助かったよマルコ~」
「ミドさん!? 大丈夫なんですか??!」
「ん? 大丈夫大丈夫~、全っ然平気だよ~」

 ミドはさっきまでとは違って何事もなかったかのように立ち上がった。そして言う。

「でもちょっと残念かな~。もう少しでフィオと人工呼吸チューできるかな~って思ってたのに」
「な!? もしかしてミドくん、演技してたっスか! エッチ! スケベ! 最低っス! 心配して損したっス!」
「まさかマルコにさせようとするとは、フィオも悪い女だね~。もしかして男同士の展開でも期待したの? おねショタならぬ、おにショタってヤツ?」
「男同士!? ち、違うっスよマルちゃん! ミドくんの言うことは信じちゃいけないっス!!」

 ミドはプンスカ怒っているフィオにヘラヘラ笑って言った。するとマルコが言う。

「あ、いえ。気にしてないですから、フィオさんがどんな趣味を持ってても、ボクは全然気にしませんから……」
「誤解っスうううううううううううううううううううう!! ミドくん! マルちゃんの誤解を解いてほしいっスよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 フィオはミドとマルコを交互に見て慌てている。
 キールは最初からミドが意識があったことに気付いていたようだ。キールは三人を無視して別の方向を見つめていた。

「いつまでやってんだお前ら……見て見ろよ」

 するとキールが三人に向かって叫んだ。ミド、マルコ、フィオの三人はキールが見上げている目線の方向に顔を向けた。するとミドが先に言う。

「へぇ~……これがドラゴ・シムティエール迷宮の入口かぁ~。大きいね~……」


 ――ミドは目の前の『巨大な顔』を見てつぶやいた。


 目の前には金属で造られた巨大な顔がそびえ立っている。全長は五〇メートルくらいはあるだろうか。巨大な金属の顔を隠すように、上から手前に水が薄いカーテンのように流れ落ちてきている。それが川の水として溜まり、坂を登っているようだ。
 キールが巨大な顔を見上げて言う。

「これが迷宮の玄関だろうな……」
「なんスかこれ!? 気持ち悪っ! でっかい顔っス! 巨人の生首みたいっス!」
「多分、あの口の中に入るんだろうな」
「口の中に入るなんて気分悪いっスよ……横に勝手口とかないんスか?」
「どう見てもねぇよ!」

 よく見ると顔は口を大きく開いている。マルコも歴史の勉強で少し読んだことがあるくらいで詳しくは知らないらしいが、迷宮の入り口は普段は閉じているらしい。端的に言うと『口を閉じている状態』だそうだ。その口が開いているということは、考えられるのは一つしかない。先に迷宮に入って行った者たちがいるのは明白ということだ。

「マルコ、君のお兄さんたちが先に入ってるみたいだね」
「そうですね……」
「一応聞くけど、どうする?」

 ミドがマルコに確認を取る。
 マルコは巨大な顔の口の奥を見た。すると、虹色の光がぐるぐると螺旋状に動いているのが見える。その光は暗く、ねっとりとした鈍い動きをしていた。
 マルコはひとつ深呼吸をしてから言った。

「――行きましょう」
「了解~」

 ミドは笑顔で答えた。すると後ろのキールとフィオも頷いている。

「あの~……誰から先に入りますか?」

 マルコが言うとフィオが身を乗り出して言った。

「あーしが一番乗りするっス! 自然にレディファーストをできるのが大人の嗜みっスよ! ね、ミドくん!」
「知ってるフィオ? レディファーストの起源は弾避けとか毒見役だったらしいよ。先に女性を歩かせて、敵の奇襲攻撃を避けるために肉の盾にしてたんだって~」
「気が変わったっスぅ!! ミドくんが先に行って欲しいっス! 男女平等っス! レディファーストなんかクソくらえっス!!!」

 フィオはミドの余計な情報提供によって先に行くのを躊躇ってしまったため、ミドが最初に突入することに決まった。

「おぉ……」

 ミドが片手を虹色の光の中心に入れて悶えている。それを見てマルコが訊ねる。

「だ、大丈夫ですか、ミドさん? 痛くないっスか??」
「ん~ん、な~んにも感じな――のわっ!?」
「ミドさん!!」

 ミドは口の中に引き込まれて行ってしまった。それを見て驚いたマルコがミドの腕を掴むが、あまりの吸い込む力にマルコも道連れになってしまう。

「う、うわああああ! 助けて、フィオさん! キールさああん!」
「マルちゃあああああああああああああああああん!! 今助けるっスーーーーー!」

 フィオがマルコの両足を掴んで引っ張る。マルコは上半身を呑み込まれており、両足だけが外に出ていた。あっという間にフィオの腕まで吸い込まれ、フィオは焦りだす。
 キールは鬼紅線を四方八方の壁に張り巡らせ、自身とフィオにも絡ませる。これは迷宮から脱出する際のキールの命綱『運命の赤い糸』である。
 キールは鬼紅線きこうせんの張り具合を確認し、頷いて言った。

「行くぞ、フィオ。覚悟決めろ」
「ちょ、ちょっとキール!? 違うっス! 押すんじゃなくて引っ張――」

 キールはフィオの体を押えて、虹色の螺旋の中に飛び込んで行った。
 こうしてミド一行は、自殺の名所『ドラゴ・シムティエール迷宮』に足を踏み入れて行く――。

                   *

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 ぐるぐるぐるぐる目がまわる。ぐるぐるぐるぐる目がまわる。
 全身にピリピリと静電気のような感覚が走る。視界に入る光景は暗く、光すら吸い込んでしまうような暗黒が広がっている。
 入口から入ったはずなのだが、気づけば真っ逆さまに落ちている。だんだん落下していることを忘れていくような感覚になり、空中に浮遊しているような心地よいものに変わっていった。

「おい、ミド」
「ん~? な~に、キール」
「おかしいと思わねぇか?」
「と言うと?」
「いつになったら地面があるんだ?」

 キールが落下しながらミドに言った。ミドは逆さで胡坐をかきながら腕を組んでキールの話に耳を傾けた。
 キールは両手で鬼紅線きこうせんをミド、フィオ、マルコの三人に伸ばしており、いざとなればいつでも鬼紅線で蜘蛛の巣状のクッションを広げ、地面に落ちる衝撃を吸収して無事に降りれるようにしている。いつ地面が近づいて来てもいいように集中していたようだが、あまりに落下時間が長いため、奇妙に感じたらしい。

「オレたち……本当に落ちてるのか?」
「………………」
「これ、見て見ろよ」

 そう言うとキールは、片手から真上に伸びている一本の赤い鋼線を見せた。迷いやすい洞窟や迷宮などから脱出するための命綱である。その鋼線がキールの手からピンと張ったまま動かない。

「鋼線が……止まっている」
「オレも、さっき気づいた」
「確かに変だね……」

 落下しているということは、鋼線は落ちていく距離に比例してキールの袖から伸び続けるはずなのだが、全く動いていなかった。キールの鬼紅線はかなりの長さがあり、ちょっとやそっとの距離では尽きることはない。仮に尽きているのだとしたらキールとミドたちはあっという間に引き離されているだろう。

 さらに奇妙なことに全身には落下しているかのような風が当たっている。落下が止まっているなら風など当たる感覚があるはずがない。

「キール、ちょっと命綱で上に登ってみてよ」
「ああ、わかった」

 キールは片手の鬼紅線を勢いよく引っ張って上昇しようとする。しかし身体が持ち上がるどころか、逆に真上の暗闇から鋼線が伸び出てきた。そして一瞬たわんだ鬼紅線が、まるでその暗闇に吸い込まれるように引っ張られ、すぐにピンと張られて元通りになる。

「くそ……ダメだ」
「なるほど……こりゃ参ったね~」

 ミドは周りの状況を観察する。キールは片手の命綱をもう一度引っ張って確認している。フィオはミドとキールから少し離れた場所にいる。まだ落下していると思っているようで、叫びながら両手両足をジタバタさせている。

 ミドがキールに、マルコとフィオに巻きつけてる鬼紅線を引っ張ってこちらに引き寄せるように頼んだ。キールは命綱とは逆の手の人差し指をくいっと動かす。するとフィオの腰が引っ張られて、みるみるうちにミドの近くに引き寄せられていく。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「マルコ、フィオ!」
「ああああああああああああああああああああああああああ! あ、ミドくん?!」
「大丈夫そうだね~」
「大丈夫じゃないっスよ!! このままじゃ地面に激突して、あーし等、潰れたトマトになるっス!!!」
「それがね~、ちょっと変なんだよね~」
「変?! 何呑気なこと言ってるっスか!?」

 ミドはフィオとマルコに状況を説明した。フィオをマルコは奇妙な状況に言葉を失い、しばらくの間、理解が追い付いていない様子だった。最初に言葉を発したのはフィオである。

「ちょっとおおおおおおおおおお! それって無限ループってことじゃないっスかぁ!」
「ああ、そうだよ」
「どうやって抜け出すっスか?!」
「それを今考えてんだよ」

 フィオは再びジタバタと両手足を動かしてキールに叫び散らす。キールはため息をついてミドに助けを求めた。ミドも苦笑いをしている。
 その時、マルコの頭に再び声が響いてきた。

「マルコ……マルコ……」
「――!?」
「マルコ……落ち着いて聞きなさい。そこは無限奈落という場所よ」
「無限……奈落?」
「そう、邪悪な魂が地上に出られないように落ちる以外の選択肢が与えられない地獄よ」
「じゃあ、ボクたちは……ここから出られないの?!」
「命綱を切りなさい……」
「えっ!? でも、そんなことしたら……」
「大丈夫、お母さんを信じて……」

 なんと母の声はマルコに、キールの命綱を切れと言ってきたのだ。マルコは困惑し、迷いながら、キールに言う。

「キールさん、お願いがあります……」
「願い? こんな時になんだマルコ?」
「その命綱を、切ってください」
「はぁ!? 何バカ言ってんだ!」
「お願いです! ボクを信じてください!」
「ふざけんなッ! これがねぇと、オレたち全員脱出できなくなったらどうすんだ!」

 キールはマルコの願いを聞き入れない。当然と言えば当然だ、命綱がなければ迷宮から脱出できなくなる。それを聞いていたフィオが慌ててマルコに叫ぶ。

「マルちゃん! 早まっちゃダメっス!! 命綱切ったら、紐なしバンジーになるっス! あーしまだ死にたくないっスよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 マルコは自分の身体に巻き付いているキールの鬼紅線を外そうと試みる。しかし人間の、ましてや子どもの手で解けるほどキールの鋼線は甘くない。マルコの指が鬼紅線で切れて、赤く染まっていく。

「バカ、よせ! お前の指が切れてなくなっちまうぞ!!!」
「解けて……お願い……!!」
「くっ……!」

 マルコはそれを聞かず、両手指を血まみれにしながら、もがいている。見かねたキールが、思わずマルコの鬼紅線を解いてしまった。するとマルコの体が徐々に下に降りていき、まるで地面をすり抜けるように暗闇の中に沈んでいった。
 ミドがキールに言う。

「キール!」
「ああ、もう分かったよ!」

 キールは全員に結びつけていた鬼紅線の命綱をすべて解除した。するとミド、キール、フィオもみるみるうちに落下方向の暗黒に吸い込まれていった――。



 ――苦しい、息が詰まる。

 マルコの肌にねっとりと暗黒がこびり付いてくる。重たく粘り気があり、もがいても、もがいても、それは全身にまとわりついて取れなかった。

 ボクは一体どうなってしまったのだろう。命綱が解けたと思ったら、ゆっくりと体に当たる風がおさまっていったのは覚えている。
 その真っ暗なナニカに沈む時、思わず息を止めてしまった。どのくらい呼吸を止めていたのだろうか。子どもの頃にやった息止めでは、最長でも一分が限界だったのを覚えているが、今はそれ以上息を止めている気がする。
 このまま呼吸を止めていれば、いずれ死ぬのだろうか。それでもいいか、元々自殺しようと思っていたんだし、ここで死ぬとしても本望じゃないか。
 あれ、ボク、ここに何しに来たんだっけ? 確か……お母さんの声が聞こえて――

「――ぶはぁ!」

 その時、マルコは猛烈な吐き気を催して咳き込んだ。

「おい、生きてるか? マルコ」
「ぶえ……はぁ、はぁ、キール、さん?」
「ったく、もう無茶すんじゃねぇぞ」

 そう言ってキールはマルコの手を指差した。
 マルコはキールに促されるまま両手を見ると、白い包帯でグルグル巻きにされていた。少し力を入れると指の関節と手の平に痛みが走る。

「消毒もしてあるし、傷薬もぬってあるから安心しろ」

 そう言うキールを見ると、残ったであろう小さくなった包帯を胸ポケットにしまっていた。傷薬は塗り薬のようで、マルコの手の平にハンドクリームを塗るように全体に薄く塗られているのが、なんとなくだが指と指の間のベタベタ感で分かる。
 マルコはキールに言う。

「……すみません、でした」
「………………」

 マルコが勝手な行動をして、皆に迷惑をかけたことを謝罪する。しかしキールは何も言わず、顔を背けた。するとフィオが横から出てきて言う。

「マルちゃん、そういう時は謝るんじゃなくて『ありがとう』っていうっスよ!」
「え……」

 マルコはキールに再び顔を向けて言った。

「あ、ありがとう、ございます。キールさん」
「別に……感謝されることじゃねぇよ」

 キールは顔を背けたままぶっきらぼうに言った。

「な~に照れてるっスか~、キールが一番マルちゃんのこと心配してたくせに~」
「てめッ!? フィオ!」

 キールは少し顔を赤くしてフィオを睨む。
 マルコの手が切れた原因はキールの得物『鬼紅線』によるものだ。キールが意図的に傷つけた訳ではないが、気持ち的にモヤモヤしていたようである。

 ミドはその光景を眺めながら、
「うん、うん。仲良きことは、美しきかな~」
 と、ひとりで頷いていた。

 こうしてミド一行はとりあえずその場で状況の確認をする。落ちた底は真っ暗な空間が広がっており、どこまでも続いているかのような広い空間だと感じる。声を発すると数秒後に反響が返ってくるため、無限に続いているわけではないようだ。足には固い床の感触が確かにある。幻のような世界でもなさそうだ。

「ココは……迷宮の、奈落の底でしょうか?」
「さぁね……でも、マルコのお目当ての人がいるかもしれないよ……」
「え……!?」

 マルコが驚いてミドを見る。
 ミドはマルコに顔を向けることなく、とある方向を真っ直ぐ見据えたまま動かない。マルコもミドが見ている方向に目を向けた。

「――!」

 マルコもミドが見ているものが見えたようだ。それは、すべてが暗黒に包まれた空間に輝く小さな灯のようである。距離は、およそ一〇〇メートルはあるだろうか。マルコは目を凝らしているがよく見えず、ミドに訊ねる。

「あれは、出口の隙間から流れてる光か何かでしょうか?」
「……いや。あれは『人』だね」
「え、人!? 誰かいるんですか?!」
「誰かまでは、ボクにも分からないけどね~」

 その光はその場から微動だにせず、揺らぎもしていない。マルコが「行ってみましょう」といってその光に向かって歩き始めた。
 ミドはマルコの後ろから歩き始めた。するとキールとフィオもついて行く。

「『飛んで火にいる夏の虫』にならなきゃいいけどな」
「女は度胸! ここまできたら行くしかないっス!」

 キールは警戒を怠らず、フィオは覚悟を決めた。そしてミドたちはマルコの後をついて行くように移動を始めた。

 床には薄っすらだが水のようなものがあり、歩くと波紋が生まれる。
 ミドたちはどんどん光に近づいていく。光はミドたちが近づいても動く気配がない。徐々に光が大きくなっていく、そしてついにミドたちは光の正体を認識した。



 ――それは……女性だった。



 その女性は暗闇の中にポツンと一人たたずんでいた。こちらに背中を向けているため、顔は分からないが、美人だというのは分かった。
 肩にかからない程度の金色こんじきの髪の毛、とても薄い肌着のような純白のワンピースは無地で肩が広めに露出している。体に密着するほどタイトで、長さは足首まであり、足元には何も履いておらず裸足なのが分かった。
 肩から見える肌は傷一つない白い肌をしている。腰のくびれ、お尻がとても女性的で、美しい曲線を描いている。
 微かにだが、全身からほんのり光を放っていた。

 ミドは女と分かるや否や、真っ先に言った。

「へぇ……希望の光の正体は、美人さんだったんだね~」
「ミドくん、後ろ姿だけで判断しちゃダメっス! 振り返ったら骸骨って可能性もあるっス!」

 フィオは、ミドが緊張と警戒を解きかけているのを察して背中を叩いて言った。すると、

「ん~……変だな」

 ミドは首を傾げて言った。いつものミドなら、女を見たら必ず反応する部位があるのだが、今回に限ってそれがなく、まったくの無反応である。それに匂いもない。ミドは女のフェロモンの匂いに敏感なのだが、目の前の美しい女性からは興奮するような匂いが皆無だった。

 すると一番先頭を歩いていたマルコが立ち止まった。それと同時にミド、フィオ、キールも立ち止まる。
 マルコの様子が明らかにおかしかった。動揺しているのか、恐れているのか分からないが、まるで死者にでも会ったかのような反応をしている。そしてマルコは微かにつぶやいた。



「――お母さん……ですか?」



 マルコの目の前には綺麗な絹の衣に身を包んだ美しい女性の後ろ姿がある。その女性にマルコはお母さんと呼んだ。
 なぜそう思ったのかは分からない。だが、マルコの本能というか、体の中に流れる血のようなものが、目の前の女性が母だと訴えかけていたのかもしれない。

「………………………………………………………………………………………………」

 その女性はマルコの問いかけに沈黙で答えた。

「お母さんでしょ?! お母さんなんだよね!??」
「………………」
「ボク、お母さんに言われた通り、助けに来たよ!」
「………………」
「いつもボクを助けてくれたよね? 今度はボクが助ける番だ」
「………………」
「ねぇ! 何でもいいから、何か言ってよ! お母さん!!」

 マルコは振り向きすらしない女性に何度も、何度も声をかけた。すると女性は言った。

「………………………………帰りなさい」
「……え?」
「私はあなたの母ではありません」

 その返答はとても冷たく、突き放すものだった――。
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