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序章 友哉とあきらの異常な日常
(1) 友哉の目に見えるもの
しおりを挟む幽霊、魔物、あやかし、妖怪……呼び方はどうあれ、俺にとっての怪異というものは、大まかにふたつに分けられる。
友哉の目に見える怪異と、友哉の目に見えない怪異だ。
「友哉、どう、いる?」
目的のアパートの駐車場に車を停めて、助手席の友哉に聞く。
「うん……」
友哉はゆっくりと首を巡らせていく。その動きに合わせて、ゆるく伸びた髪の間からちぎれた右耳が、ポロシャツの襟の奥には皮膚がひきつれた傷跡がちらりと見えた。
友哉の目は俺の前を素通りして、ある一点で止まる。アパートの一階の右端の角部屋だ。
「いるな」
「何人いるか、分かる?」
「ええ……と……」
友哉は眉をしかめた。
「6人、だけど……」
「だけど?」
「なんだろ、時々ちらちらして5人になったり6人になったり。あ、でもやっぱり6人だ」
俺の目には今、6人どころかパーティーでも開くのかというくらいにごちゃごちゃとした影がひしめいているのが見えている。
友哉に見えている霊は6人、見えていない霊が十数人……いや人間ではないような形の奴もいるから十数体か。
これは、なかなかに厄介な状態みたいだ。
アパートの名前は『コーポ・サンフラワー』、築3年とまだ新しく、レンガ調の壁にレトロなランプ型の玄関灯という洒落た外観の建物で、一階と二階に2LDKの部屋が4室ずつある。今のところ誰の死体も見つかっていないのでまだ事故物件ではないが、これまでに6人の行方不明者が出ているという。
「その6人ってやっぱり」
「ああ、行方不明者全員なんだろうな……」
友哉が悲しそうに沈んだ声を出すのは、自分の目に見えるものが生者ではないと知っているからだ。
「……遺体の場所を探してあげないと」
あの怪異わちゃわちゃパーティー状態の中から6人もの幽霊を助け出して、さらに死体まで探し出すとなるとかなり面倒くさい作業になるな。
そう思ったけれど、優しい友哉の前ではもちろん口には出さなかった。
「うん、そうだよね」
ハルはどういうつもりで、俺達にこの話を持ってきたんだろう。教団の信者を何十人も使って派手に除霊するハルの方が、じっくりと霊と対話する友哉よりもこのケースには向いている気がするのに。
「6人はどんな様子? 俺達のこと気付いてる?」
「気付いてはいないみたいだ。こっちを見ていない」
「そっか……」
仮に遺体がどこかに埋められていたりする場合、6人も掘り出すのには相当な人手がいる。ハルに文句を言おうかとポケットのスマートフォンに手を伸ばした時、友哉が右手をこちらに差し出してきた。
「大丈夫だ、あきら。一緒なら怖くないだろ」
胸がきゅっとなる。
怖くて、ではなくて、嬉しくて。
俺は怖がるふりをしてその手を両手で握った。
「うん、ありがと。こうすると安心する」
怖がりで、甘えん坊で、手のかかる子供。
友哉は今でも、俺をそう思ってくれている。どれだけ背が伸びようと、いくら力をつけようと、何匹もの式狼を使いこなそうと、友哉にとっての俺はいつまでも臆病なガキのままだ。だから友哉は俺を守ろうとしてくれるし、実際に俺は友哉に守られていた。
握った手にギュッと力を入れる。
「俺から離れないでね、友哉」
視線は合っているようで微妙に合わない。黒い眼球にはちゃんと俺の顔が映っているのに、友哉は俺の姿を見ることが出来ない。
「安心しろ、ちゃんとそばにいるから」
友哉が俺に微笑んだ。
うっすら発光しているような輪郭と、同じ空間にいるだけで浄化されそうな澄んだ空気。
友哉は誰よりきれいだけれど、その事実を本人だけが知らなかった。
友哉を助手席に乗せるために、18歳になってすぐに免許を取った。父親の遺産の一部を使って、大きめのワゴン車を即金で買った。色とか形にこだわりはないので、乗り心地が悪くなくて、荷物がたくさん載せられて、車中泊のしやすいものを選んだ。
良い買い物をしたなと思う。
電車での移動も旅気分で悪くないけど、車だと友哉が安心してウトウトと眠ってくれる。数ヶ月ごとの引っ越しも以前よりずっと楽になった。
「待ち合わせ時間は12時だったよな」
友哉がズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、画面に触れる。
『8月7日 11時37分』
音声読み上げ機能が、画面に表示されている文字を早口で読み上げた。
友哉の左手首にはこの前俺が贈った触読式時計がはまっているけれど、スマートフォンの方が使い慣れているのでついそっちを触ってしまうらしい。
「ちょっと早く着いちゃったよね。何か飲む? 色々買ってあるよ、ぬるいけど」
「水あるか?」
「あるよー」
俺は後部座席に置いてあるエコバッグから天然水とメロンソーダを取った。
「はい」
「サンキュ」
友哉に水を渡して、俺はメロンソーダのふたをひねった。小さくプシュッと音が鳴って、友哉が目を見開く。
「え、炭酸?」
「うん、メロンソーダ」
「ぬるい炭酸?」
「だいじょーぶ。甘いものはぬるくても美味しいんだよー」
「まじか」
「まじだよ。飲む?」
「はは、いやそんなの飲まないって」
友哉は苦笑しつつ自分のペットボトルのふたをひねった。でも、ふたは開かない。友哉は困った風に首を傾げ、もう一度力を込めてチャレンジする。プチ、チ、チ、とかすかな音と共に、やっとふたが開いた。
俺も見ているだけで妙に緊張してしまったけれど、友哉の握力がまた落ちていることについてはわざわざ口には出さなかった。
「あきら、あの人達の名前をもう一回確認したいんだけど」
友哉が水を少し飲んでから、アパートの方へ顔を向ける。
「りょーかーい」
俺は自分のスマートフォンを操作して、リンリンでのハルとのトーク画面を開いた。
「ええとまず一人目はね、3年前の8月、工事業者のアルバイトだった横山玲音さん当時19歳」
「ヨコヤマレオンさん、字は?」
「ええとね、横山は普通の横の山で、レオンは王編に今みたいな字の玲と音っていう字で玲音」
「横山玲音さん」
友哉が確認するように名前を呟く。
「俺らとタメだね」
「3つ上だろ」
「生きていればそうだけど」
「ああ……そうか……そうだよな」
会ったことも無い奴が死んで、どうして友哉は同情できるんだろう。
理解できないけれど、理解できていないことを知られたくはない。
俺は同情しているふりをして声のトーンを少し低めにする。
「アパートの建物はほぼ完成していて、内装の仕上げをしているところだったんだけど、昼休憩から戻ると横山さんだけいなくなっていたんだって。でも、もともとサボりがちだったから、仕事が嫌でバックレたのかと思われて、真剣に探す人はいなかったみたい」
「親は?」
「両親とも早くに亡くなっていて親戚とも付き合いはなし。天涯孤独ってやつ? 俺と同じだ」
「あきらには雪彦さんがいるだろ」
「んー……まぁね」
大賀見雪彦は俺の父親の従弟で、現在の大賀見家当主だ。形式的には俺の後見人だが、実際は主従のような関係だった。だから肉親という気持ちはほとんどない。俺にとって家族は友哉だけだ。
スマートフォンから顔を上げて、隣の友哉をそっと見る。まるで見られている事に気付いたみたいに、友哉は優しい顔で俺の方を向いた。
「あきらには俺もいる。血はつながってなくても兄弟だろ」
俺が言って欲しいことを照れもなく言い切り、友哉はこぶしを握って軽く突き出してきた。
「うんっ」
俺もこぶしを握って、そこにコツンとぶつける。すかさず指同士をぐいっと握り合って、手を開いてパチンと合わせる。
コツン、グッ、パチン。
子供の頃からやっている友情の合図。
込み上げてくるものを我慢して、俺は裏がった声を出した。
「ともやおにいちゃんっ、だいすきっ」
「あははは、なにその裏声」
「ともやおにいちゃんのかわゆいおとうとだよっ」
「あーはいはい、かわゆいかわゆい」
「わー、ぼうよみー、ひどいよおにいちゃんっ」
「いいからもう普通の声に戻して」
「はーい」
「はい伸ばし過ぎ」
「はーーーーーーーい」
「あきら」
「はいはーい」
「続き」
友哉の声が少しだけ怖くなったので、俺は悪ふざけをやめた。
「えっとね、次は2年前の8月、104号室に入居した親子3人だね。近田信夫さん当時43歳、妻の尚美さん当時40歳、娘の花梨さん当時16歳。信夫さんが連絡なしに会社に来なくなって、電話も出ないということで同僚が心配して見に来たらしい。インターフォンを押しても応答が無いから、裏側に回って見ると窓にいくつもお札が貼られているのが見えて、これはおかしいと思って警察に通報したらしいよ。夜逃げじゃないかとか言われたらしいけど、借金も無いし失踪の理由が分からなかったみたい。漢字はね、近いに田んぼで近田で……」
友哉は目を凝らすように104号室の方向を見ている。その扉とか壁とかアパートの建物はその目に映らないから、友哉はダイレクトに霊だけを見ているのだ。
「近田信夫さん、尚美さん、花梨さん……。近田さん夫婦は見た目で分かるけど、若い女の子はあそこに三人もいて、どの子がどの子か分からないな」
「ハルからのメッセージには写真も添付されているんだけど……」
もちろん、友哉の目に画像は見えない。
「どんな感じだ?」
俺は画面をスワイプしながらひとりひとりの顔を見ていく。
「うーん、三人ともふつーにかわいいよー」
「容姿の美醜じゃなくて、特徴」
「これといった特徴はないかなぁ。髪の長さもみんな肩ぐらいだし、ああ、遠野芽衣って子は左目の下にほくろがあるよ」
「トオノメイさん。この距離だとほくろまでは分からないけど、近づけば見えるかな」
俺の目にはもちろんアパートの外観がしっかり映っているから、建物の中で蠢くものは頑張って集中しないとよく見えない。
女の生首を頬杖をつくように支えてトコトコと器用に歩いている二本の腕とか、縮尺を間違えたみたいにやたら細長い黒尽くめの男とか、関節という間接をおかしな方向に動かしてくねくねと踊っている白い影とか。
見るからに人間ではないやつらは除外するとして、友哉の言っている6人がどの6人を指しているのか俺には判別できなかった。
「近田さん親子の失踪の後から、このアパートには出るっていう噂が立つようになっちゃって、一部の学生たちの間でお化けアパートって呼ばれるようになったみたい。去年の8月、近田花梨さんの元クラスメイト5人がよせばいいのにここで肝試しをしちゃって、で、案の定、その5人の中の2人と連絡が取れなくなった。それが遠野芽衣さんと中沢瑠衣さん、二人とも17歳」
「最後のひとりはナカザワルイさんか」
「うん」
「二人の名前の漢字も教えてくれ」
「トオノは遠いに野原で……」
友哉がわざわざ幽霊の名前を覚えるのは、名前で呼んだ方が反応してもらえるからだ。「おじさん」とか「お姉さん」とか「おい」とか「お前」とか呼ぶよりも、個人名の方が相手に届きやすいのは生きている者と同じだ。
だが、友哉の目には見えているのに、いくら呼びかけても意思疎通がとれない幽霊も、ごくわずかにいる。今までの経験から、そういう霊は死んでからの時間が相当長く経っているものだと分かった。よほどの怨念でもない限りは、年月が経つ内に少しずつ動かなくなって少しずつ思考しなくなっていくものらしい。
一度、落ち武者のようなものを見たことがあるけれど、動かないし喋らないし、染みのような影になってただ佇んでいるだけだった。
「遠野芽衣さん、中沢瑠衣さんか……」
「あ、大家さん来たみたいだよ」
一台の軽自動車が駐車場に入って来て、いきなりガクンと急停車した。駐車スペースの線からはみ出して思いきり斜めになっているのに、切り返しもしないし、エンジンがかかったままで車から出ても来ない。
「あれ、何やってんだろ?」
「違ったのか?」
「分かんない。二台分のスペースに斜めに停めたまま動かないんだけど」
「まさか急病か」
「ちょっと見てくるね」
運転席のドアを開けた途端に、熱い空気がむわっと襲ってきて暴力的なほどのミンミン蝉の鳴き声が頭に響いて来た。
「ぐわっ、あっつー」
顔をしかめて俺が一歩外に出ると、同時に軽自動車のドアも開いて30代くらいの背広の男が泣きそうな顔で駆け寄って来る。
「あ、あ、あれ! あれ!」
すがるように俺の腕をつかみ、男は隣との敷地の境にある2メートルほどのコンクリート塀を指差した。
「あれ?」
「あれです!」
男の視線を追って目をやると、塀の向こう側をゆっくりと白い帽子が動いていくのが見えた。
「ああ、あれ……?」
塀の高さから考えると、帽子の人物はものすごくでかい。
「あれってなんだ?」
開けっ放しのドアから男の声が聞こえたらしく、車の中から友哉が聞いてくる。
「あれですよ、あれ! 見れば分かるでしょ! 八尺様ですよ!」
悲鳴みたいなキンキン声が蝉の声より大きく響く。
「はっしゃくさま?」
運転席の方へ身を乗り出した友哉がきょとんとする。
「こっちじゃなくて、あっちですって!」
「あっちって?」
男は塀を指で示したが、もちろん友哉には伝わらない。
「向こうの塀のところです! 大きな、すごく大きな女の人が、八尺様が……!」
ここからは帽子が見えるだけで、あれが男か女かも分からない。子供が虫取り網か何かに帽子を引っ掛けているだけかもしれないのに、男はそれを怪異だと信じ切っている。
「はっしゃく様って女の人なのか?」
「知らないんですか! すごく有名な……ひぃ! こっちに来る!」
帽子はゆっくりと塀沿いに動いていく。もうすぐ塀が途切れる。すぐにその姿が見える。あと5m……4m……3m……。
「ひゃぁ! ひぃやぁ! いやぁ!」
塀の途切れたところで白い帽子の主が姿を見せた。
「おお……」
つい感心するような声を出してしまった。
それは見上げるほどに大きな、白いワンピースの女だった。帽子のつばで顔はよく見えないが、とにかく驚くほど背が高い。バスケやバレーの男子選手よりも、ずっとはるかに大きく見える。
「た、た、たすけて、たすけて」
男は力いっぱいに俺の腕をつかんで、ガタガタと震え出した。
よほどあの女が怖いらしい。
「ね、友哉、360度見まわしてみてくれる? あの6人のほかに何か見える?」
「…………いいや、何も見えないぞ?」
「だよねー、やっぱり」
あれが友哉に見えない怪異なら、何の遠慮もいらない。
「はぁ? 何言ってるんですか! あ、あんなにはっきり、あんなにはっきり見えて、ああ! く、来る! こっち来ちゃう!」
騒ぐ男を無視して、俺は式狼の名前を呟いた。
「大雅、朧」
銀色の狼が二匹、するりと空間に現れ大女に突進していく。
大雅が高く跳躍する。
朧が足元へ突っ込んでいく。
二匹は牙をむいて帽子の女に飛びかかる。
ぱさり。
だが、大雅がたった一口噛みついただけで帽子の女は砂のように崩れて消えてしまった。
大雅も朧もあまりの噛み応えの無さに、途惑ったような顔で俺を振り返った。
「き、消えた……?」
男がその場にずるずるとへたり込む。
「あれま、何もしない内に終わっちゃった」
「あきら? どうした、何があったんだ?」
「大丈夫、何にもないよー」
「な、何にもないって、そんな! あなたもあれを見たでしょう?」
蒼ざめた顔で見上げてくる男の肩を俺はポンポンと叩いた。
「落ち着いて、お兄さん」
「だって、だって、今見ましたよね! 確かにそこに八尺様が」
俺はクスッと笑ってみせた。
「それってネットの作り話でしょ?」
「で、でも、確かに私はこの目で」
「あー、うんうん。幻覚見ちゃったんだねぇ」
「幻覚……? そんなはずは……」
二匹の狼がトットットッと軽やかな足取りで戻ってくる。
「大雅、朧、こっちにおいで」
友哉が嬉しそうな声を出して、助手席のドアを開けようとする。
「友哉、下は砂利でデコボコだから気を付けて」
「分かった」
片足を出して地面の感触を確かめ、ドアの上部に手を添えながら友哉が車を降りた。
俺は車のエンジンを切り、運転席のドアを閉めて友哉のそばに駆け寄った。
「ま、待って下さい! 置いてかないで!」
男がへっぴり腰で俺の後を追いかけてくる。
「うわ、今日は日差しすごいな。ピリピリ来る」
腕をさする友哉に大雅と朧が体を擦り寄せていく。
「お、涼しい。お前らはいつでもひんやりしていていいな」
「はは、夏はクーラー代わりになるよねー」
「ひんやりって、な、何がですか?」
男は、撫でるように動く友哉の手元を不思議そうに見た。
「あれ、お兄さん、八尺様は見えるのにこの子達は見えないんだ?」
「え?」
俺が手で合図すると、朧がからかうように男のまわりをまわる。
「うひゃぁ! な、なに? なんか冷たい!」
「こら、あきら」
笑いをこらえるように友哉が注意する。
朧はすぐに男から離れたが、男は蒼白になってがくがくと震え始めた。
「な、何ですか今の……呪い? 八尺様の呪い……?」
「あの、さっきから言っているはっしゃく様って何ですか?」
よく分かっていない友哉に、男が噛みつくように叫ぶ。
「知らないんですか? この世で一番怖くて一番トラウマな話なのに!」
「話? フィクションだと分かっているのに怖いんですか?」
「違います、あれはほんとにあった話をもとにしている話なんです!」
「ほんとにあった?」
「いやぁ、ネットで流行った都市伝説だよ。ちょーでっかい女の人で、魅入られると呪い殺されちゃうとかって」
「へぇ……」
この世には音声読み上げソフトという便利なものがあるので、目が見えない人でもスマートフォンやパソコンは使える。でも、友哉は起きていられる時間が人より短いからほとんど暇潰しをしない。ネットの掲示板などはアクセスしたことすら無いかも知れない。
「大きいっていう情報と『はっしゃくさま』っていう響きで、俺は一瞬お坊さんみたいなのを想像したんだけど」
「ああ、見越し入道みたいな?」
「そうそれ。見上げれば見上げるだけ大きくなっていく僧侶姿の妖怪」
ひぃっと男が喉の奥で変な声を出す。
よほど大きいものが苦手らしい。
振り向くと、男は見る見るうちに蒼ざめて悲鳴を上げた。
「あ、あぁ、うわぁ! 巨、巨人が! 僧侶の巨人が!」
男が尻もちをついて空を指差す。
「あちゃー」
俺は男の指さすものを見て声を上げた。
駐車場に覆いかぶさるようにして、巨大な入道が男を見下ろしている。
「ひ、ひぃー! た、たすけて、たすけてぇ!」
男の絶叫に友哉が瞬きする。
「え、どうした?」
「この人、また幻覚を見てるみたい」
「俺が余計なことを言ったからか」
「はは、そうかも」
俺は腰を抜かしている男の肩に手を置いた。
「お兄さん、幻覚、あれも幻覚。いないって思えば消えるよ」
「う、うそだ! だって、ここにいる! 目の前にいる!」
「ん-と、じゃぁ、いるってことでもいいよ。お兄さん、見越し入道は視線を下げていくとそれにつられて小っちゃくなるから、ゆっくり視線を下げてみたら?」
男は、上を見上げたまま、この猛暑の中で歯をカチカチいわせて震えている。
「む、むむむむり。視線を動かせない……」
俺はため息を吐いて朧に合図を送った。朧が見越し入道に飛び掛かり牙を立てると、さっきの八尺様同様にぱさりと砂のように崩れて消えた。
「消え、た……」
はぁはぁと汗びっしょりになって、男はまだ空を見上げている。
「うん、消えるよ。だって幻覚だもん。ほら、お兄さん深呼吸してみて。すー、はー、すー、はー」
男は俺の声に合わせて素直に深呼吸を始める。
「ほーら、もう顔色が良くなってきた。怖い怖いと思っているから、そんなものを見ちゃうんだよ」
「でも、あんなにリアルに……」
「お兄さんはさ、ああいうものをよく見るの?」
「いえ、まさか! あんなの……あんなのは初めてです」
「そっかぁ。じゃぁ、もしかしてこの場所とお兄さんの相性がいいのかな」
「相性、ですか?」
「すいません。俺が怖がらせるようなことを言ったからですよね」
友哉が大雅の背中に片手を添えて、そろそろと近づいて来る。
式狼の姿が見えない男からは、ゆっくりだがひとりで歩いているように見えるだろう。
「初めまして、便利屋をしている倉橋友哉です。ええと、大家さんですか」
「え、いえ、あの」
男は、やっと自分が何をしに来たのかを思い出したかのように立ち上がろうとした。だが、腰が抜けたようで、またぺたりとへたり込むので、仕方なく腕をつかんで起こしてやった。
「あ、ありがとうございます」
男はぺこりと頭を下げてから友哉に向き直った。
「大家の柴田さんはご高齢なので、代理で来ました。ひまわり不動産の山川と申します」
礼儀正しく名刺を差し出したが、友哉には見えていないので俺が横から受け取った。
「友哉、名刺もらったよ」
「こっちにくれるか」
「うん」
友哉は名刺を受け取ると、スマートフォンを出して操作し始める。見えなくても画面に顔を向けるのは、音をちゃんと聞きとろうとしているからだ。
『リンリン、カメラ、オーディオブック、メモ、カレンダー、お天気情報……』
友哉の細い指が画面をすべり、指で触れたところのアプリが早口の音声で読み上げられる。友哉は『マイスキャン』というアプリの所で画面をタタッと叩いた。
『対象を撮影してください』
という音声の後にピーピーと小さな電子音が鳴り始める。名刺をスマートフォンの前にかざすとピーピー音が高くなり、友哉は画面に触れて器用に撮影した。
『読み上げ……保存……保存して読み上げ』
友哉が画面上を指でなぞり、最後の項目でダブルタップする。
『保存して読み上げます』
とスマートフォンが名刺を読み上げ始めた。
『ひまわり不動産、営業・管理・お客様対応係、山川進、電話090……』
山川は感心したように友哉の顔と指先を見つめていたが、何かに驚いたようにハッとして、さらに食い入るように友哉の全身に視線を巡らせ始めた。
歪な形の右耳や首元の目立つ傷のほかにも、手の甲や白い腕にいくつも薄い傷跡が見える。その痩せた体の痛々しさに山川も気付いたようだった。
「あ、あの、上司から聞いても半信半疑だったんですけど、ほんとにこんな怖いことがあるんですね。俺……あ、私はまだちょっと手が震えていて」
「上司の方もここで何かを見たんですか」
「はい。八尺様らしきものを見たって……」
「ああ、なるほど」
「上司だけじゃないんです。ここでおかしなものを見たっていう人がすごく多くて。どうしてなんでしょう? ここは事故物件じゃないし、過去に大きな事件や事故があったわけでも無い。田んぼばっかりのただの田舎なのに」
「ここは、田んぼに囲まれているんですか」
友哉は周囲を示すように手を動かす。友哉は今、アパートの前の駐車場にいるということしか分かっていない。
「いえ、ここは少し高台なので囲まれてはいないですけど、アパートの窓から見えるのは田んぼとその向こうの山だけで変わったものは何も……」
「そうですか」
「まぁ、のどかな田舎の方がえげつない化け物がいたりするよねー」
「え、えげつない化け物……」
「はいはい、想像しない想像しない」
これ以上面倒なものを生み出されては困る。
俺が苦笑すると、山川はぶるぶると首を振った。
「で、でも、ここから車で30分くらいのところに大規模なショッピングモールが出来て、この付近にも少しずつ住宅が増えているんですよ! ここは確かに田舎ですけど、怖い風習とか祟りとか、そういうのは別に無いですから!」
「じゃぁ、ここを建てるのに何かの塚とかお墓とか壊しちゃったりしたとか?」
「まさか、そんな話はありませんよ」
「ふーん。でもこうしておかしなことが起こっているんだから、何かしらのタブーを犯しちゃった可能性はあるよね。土地に古くから棲み付いているものは強い力を持っていたりするし」
「そういう古いものについてはハルさんの方が詳しいよな」
友哉は俺の方へ顔を向けた。声が聞こえてくる方向で誰がどこにいるかだいたい把握できるのだ。
「俺も思ったー。なんで俺達なんだろ。ハルは別の仕事で忙しいのかな」
「倉橋さん」
山川に呼ばれ、友哉がそちらを向く。
「倉橋さんは、その、目が見えないんですよね」
「はい、そうです」
友哉は声のする方に穏やかな顔を向ける。つまり、まっすぐに山川の方へ、友哉のきれいな目が向けられる。
「あの、本当に何にも見えないんですよね」
友哉は少し首を傾げた。
「ええ、あなたの見えているものは何も見えませんけど」
山川は息を呑んだように少し黙り、呟くように声を出した。
「あ、ああ……そうですよね……そういうことですよね」
「はい、そういうこと、ですけど?」
きょとんとする友哉を山川がじぃっと見つめる。
大雅と朧が警戒するように山川を睨んだ。
「あの……倉橋さんって……」
はぁっと感極まったように山川が息を吐いた。
「はぁ……なんだか……すごく……」
「山川さん?」
「あ、いえ、こんなに若い祓い屋さんが来ると思わなかったので……」
「俺達は祓い屋じゃありません。ただの便利屋ですよ」
「あっ、そうですよね。祓うのが専門ではないと聞いています。ええと」
山川は魅入られたように友哉をうっとりと見つめた。
「倉橋さんってきれいですね」
「え? 俺?」
「なんか……後光が差しているみたいで」
「後光? そんなこと初めて言われたな。平凡顔の俺より、あきらの方がイケメンだって女性にすごくモテるけど」
「イケメン……」
山川は俺を振り返り、少し瞬きした。
「ああ、確かにこちらはモデルさんみたいですけど、でも、倉橋さんはちょっと次元が違うというか……」
「じげん?」
友哉はまったく意味が分からないというように、首を傾げる。
さっきの幻覚騒ぎからして、ここは特別に色々と見えやすい場所なんだろう。
ほとんど霊力の無い人間のくせに、山川は友哉の特異な清浄さを感じ取ってしまったらしい。
「あの、倉橋さん。もしよかったら手を握っても?」
「え?」
「えっと、私と、あ、握手をしていただいても……」
「はぁ、別にかまいませんけど」
友哉が右手を出す前に、俺は二人の間に割って入ってぐいっと山川の手を握った。
「どうも。便利屋の相棒をしている久豆葉あきらです。よろしくー」
俺は自分の体で友哉を隠し、山川の目をまっすぐに見つめた。口角を引き上げて、瞳に力を込め、魅力的に見える角度で魅力的に見える形に微笑んで見せる。
山川は俺の顔を見上げ、突然ポカンと口を開いた。
一瞬前まで友哉に興味を持っていたことなど忘れたように、ぽうっとのぼせたような目になって俺を見つめてくる。
「……久豆葉あきらさん」
「うん、なに? 俺の顔に何かついてる?」
「はい……い、いいえ……とても綺麗な方だと思って」
俺はニッと笑った。
「よく言われるー。でも、もう暑いからさっさと始めようよ。アパートの鍵持ってきたんでしょ」
山川はがしっと両手で俺の肩をつかんできた。
「あきらさん恋人はいますか」
「……は?」
「良かったら今日、お食事でも」
「え、ちょっと」
「私はこんなに美しい人を初めて見ました」
「はは、それもよく言われるけども」
「せめて連絡先を教えてもらえませんか」
この炎天下で頭がイカレちゃったわけではない。
この山川という男、こういう『力』との相性が良すぎるんだ。
友哉から意識をそらすだけで良かったのに、俺の力の影響を予想外に強く受けてしまったらしい。
「あきら、大丈夫か」
俺達の会話を聞いていて、友哉が心配そうに手を伸ばしてきた。
俺が望まない相手に言い寄られるのは日常茶飯事なんだけど、友哉はそのたびに心配してくれる。
友哉の指先が山川の腕に触れ、山川が俺の肩をつかんでいることが分かると友哉の目がつりあがる。
「山川さん? あきらから手を離してください」
「え、なに」
「いいから離してください!」
非力な友哉がいくら力を込めても成人男性の腕を引き剥がすことは出来ない。でも、山川はその迫力に押されるように手を離して一歩下がった。
友哉が俺の前に出て、庇うように後ろ手で押さえてくる。
客観的に見ると、身長178センチの俺と163センチの友哉を見比べて、華奢な友哉が長身の俺を庇おうとするのは不思議に思えるかもしれない。でも、5歳の頃からずっと友哉は俺を守ってきたし、今でも俺は友哉に守られている。
「ねぇ、山川さん」
友哉の頭越しに呼びかける。
「はい、あきらさん……」
山川はうっとりと返事する。
俺はアパートの方を見て確認した。やっぱりたくさんの影が動いて見える。つまり、あれらはさっきの八尺様のように、誰かの幻覚が具現化したものなのかも知れない。
「例の104号室に入ったことある?」
「いいえ。実は他の社員がここの担当だったのですが、体調を崩して急遽私に代わったんです」
「ああ、やっぱり」
「やっぱりとは?」
「だから無事だったんだなと思って」
「だから、無事?」
「山川さんみたいな人はね、あそこへ入っちゃいけない。幻覚の世界から戻れなくなっちゃうから」
「え……」
「7人目になりたくなかったら、今日はもう帰ろうねってこと」
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「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
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主人公 いじめられっ子
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小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
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