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第七章 友哉の成り立ちとあきらの生い立ち
7-(2) けもの道
しおりを挟むがくがくと体を揺さぶられた。
「あきら、起きろ、あきらっ」
雪華が焦ったような声を出している。
「なに? ん、ふあぁ」
俺があくびをして伸ばした手を、雪華がガシッとつかんでくる。
「あきら、友哉君は」
「え」
俺は腕をつかまれたままで隣を見た。
友哉がいない。
「あれ、トイレかな」
ハルが個室備え付けのトイレのドアを、がばっと開く。
「トイレにもいないぞ」
「え、だってついさっきまでここに」
隣のスペースの手をやると、シーツはまだ温かい。
「ほら、まだ温かいし、そこらへんに」
言いかけて愕然とする。目の見えない友哉が、病院内をひとりで歩き回るはずがない。
「友哉……? 友哉!」
病室の引き戸をがらりと開けて廊下へ出ると、ちょうどこちらへ歩いて来る男女と目が合った。
「あきら君!」
「あきら君。友哉の容態は?」
友哉の両親だった。着替えの入っているらしい大きなバッグと、果物の籠を持っている。
「おじちゃん、おばちゃん、友哉を見た?」
「いいえ、その病室の中ではないの?」
ぞわっと嫌な予感がする。
「大雅、翆玉、琥珀」
見張りをさせていた3匹を呼ぶと、それぞれが違う方角から走り寄って来た。そして命令を待つように俺の前でちょこんと前足を揃える。
「おい、友哉は? どこへ行った?」
3匹は何の異変も感じていなかったかのように、きょとんとして俺を見上げてくる。
「3匹そろって何も見ていないのか?」
俺が睨むと、狼達はシッポを丸めて縮みあがった。
「あきら君、どうしたの?」
「友哉がどこかへ行ったのか?」
「まさか病室にいないの?」
「何があったんだ? 友哉は?」
「うるさい、だまれ!」
友哉の両親がびくんと硬直して、白目をむいたかと思うとその場にずるずると崩れた。
「久豆葉あきら! 何をしている!」
ハルが駆け寄ってきて、気絶した二人の前に屈みこむ。
「ショック状態じゃないか。普通の人間にそんな強い力を向けるな!」
怒っているハルを無視して病室に戻る。
ベッドの上には俺と友哉のスマートフォンがある。
備え付けのクローゼットには、友哉の服も靴も財布も残っている。
「友哉はあのペラペラの患者服を羽織っているだけだし、裸足のままだし……そんな格好で外へ出て行くはずがない……。そもそも俺に何も言わずに、友哉がどっか行っちゃうはずがないんだ。……じゃぁ連れ去られた……? なんで友哉を? 狼に気付かれずに連れ出せるものなのか?」
思考がそのまま声に出る。その声が震えてしまう。
「全員、出てきて」
小声で言うと、大雅たちのほかの狼もずらりと出てきて、18匹の狼が一斉に揃った。数が多すぎて病室には入りきらずに廊下と隣の部屋にも広がっているけれど、雪華とハル以外には見えないし何の問題も無い。
「友哉を探して」
短く命じると同時に、全頭が全方位に全力で散っていった。
ベッドに手をつく。当たり前だがさっきより温度が冷めていた。友哉がさらに遠くへ行ってしまった気がして、とくとくと鼓動が速くなってくる
「後は、どうする……どうしよう……何をすればいい? 警察を乗っ取って全署員に探させる? またネットを使って人海戦術で友哉を探させる?」
「落ち着け、あきら」
「うるさい!」
声がした方を睨むと、雪華もぐらりと眩暈がしたようによろめいた。
「あきら……力を抑えろ」
「うるさいうるさい、友哉がいないんだ、友哉が俺の友哉が……」
「この馬鹿者!」
バシリと後ろから頭を叩かれた。
いつの間にか、ハルが戻って来ていて俺を睨んでいた。
「よく考えろ。狼の見張りをかいくぐって、倉橋友哉をむりやり連れ去るなど人間には不可能だろうが」
「だから?」
「だから人間を何百人使っても探し出せない可能性がある。三乃峰病院での騒ぎを再現しても無駄だぞ」
「じゃぁ、じゃぁどうしたらいい?」
「狼にもお前にも、そして同じ敷地内にいた私や大賀見雪彦にも気付かれなかったのだから、むりやり連れ去ったわけではあるまい。おそらく倉橋友哉本人が自分でここを出ていくように仕向けた者がいるのだ」
「友哉は目が見えないんだよ! 自分で出て行くなんて」
「だが、見えるものもあるのだろう?」
「え……」
友哉の目に見えるもの……それは霊やあやかしだ。
「この世ならざるものが、倉橋友哉を導いて行ったのかもしれないぞ」
「でも、友哉は危険な魔物を見ることはできないし」
「それはあきらの憶測だろう。まだ友哉君に何が見えて何が見えないか、はっきりと解明できたわけじゃない」
「でも……」
雪華に言われ、急に息が浅くなってくる。
「でも、俺は隣にいたんだよ。あやかしが近付けば俺が気付いたはずだろ……!」
「では、連れ出したのは私のような拝み屋か術者かもしれないな」
「どうして? 術者がなんで友哉をさらうんだよ!」
「可能性を言っただけだ。ガキみたいに取り乱すな、久豆葉あきら」
「は……ガキって」
カッとして怒鳴ろうとしたけど、声がうまく出なかった。
おかしい。
なんだか視界がかすむ気がする。
「友哉がいないんだ。友哉が、俺の友哉が」
「あきら、まずは冷静になろう」
雪華が俺の肩を押さえてきて、驚いたように顔を覗き込んでくる。
「どうした、あきら。震えているのか」
「え……俺……震えてる……?」
雪華が痛ましいものでも見るような顔をして、まるで温めるようにごしごしと俺の腕や背中をさすってきた。
「な、なにして……」
「すっかり忘れていたが、お前もまだ15歳の子供だったな」
「はぁ?」
喉の奥からひっくり返った声が出た。
雪華が俺の肩を抱き寄せる。
「あきら、大丈夫だ、大丈夫。ほら、深呼吸して」
「う、うるさい」
突き放そうとしたが体に力が入らない。
「大丈夫だ、あきら。私も蓮杖さんもいる。まずは落ち着いて、友哉君を連れて行ったものの痕跡をみつけるんだ」
「その通り。ここに魔物がいたのならその気配の残滓が必ず残っているはずだぞ」
ハルがベッドの上に指を滑らせ、耳を澄ませ、目を凝らしてゆっくりとその周りを歩き始めた。
「ハル……?」
「静かに」
集中する時の癖なのか、ハルは人差し指と中指を刀剣の形に立てて顔の前に持っていく。
「この部屋には狐の気配が充満しているな」
「そりゃ、俺がいるから」
「もちろん久豆葉あきらも獣臭いのだが、朝ここを出た時よりずっと臭気が濃くなっている」
「それって、どういう……?」
「久豆葉あきら以外の『狐』が、ついさっきまでここにいたということだ」
「待って。『狐』がいたなら、いくらなんでも俺が気付くはず」
「久豆葉あきらは寝ていただろう」
「ほんの数分ウトウトしただけだよ」
「数分あれば可能だろうな。なんせ相手は一晩で14人を殺せる狐だ」
「いや15人だ。典孝叔父もさっき死んだ」
「えっ」
俺は驚いたが、ハルは予想通りという顔でうなずいた。
「あやつがここへ来た時には、すでに体中が穢れに侵食されていたからな」
「ああ……。三乃峰の自宅で襲われた叔父は、すぐに近くの病院へ向かわずに、わざわざ私の居場所を探してここへ来ている。あきらを止めてくれと頼むために」
「娘や孫まで殺されると思って必死だったのであろうな」
「そんなの見当違いじゃん。俺は誰も殺していないのに」
「狼の気配の強いこの土地に、あきら以外にも妖狐が現れるとは誰も思っていなかったんだ」
「ここにいたのはホントにその狐なの? そうだとしたら、その狐は大賀見家に恨みがあるんだろ? なんで俺じゃなくて友哉を連れて行くんだよ?」
「大賀見典孝を追って来て、たまたま倉橋友哉を見かけたのではないか? 倉橋友哉は特異な存在だ。あやかしにとっては暗闇の中で光り輝いているかのように見えるだろうよ」
「友哉が誰よりもきれいなのは分かっているよ。けど、あやかしが友哉を連れて行って何をするんだよ」
「食べるのではないか?」
「は……?」
「妖狐になった時に久豆葉あきらもそう言っていたではないか。頭からバリバリ食べると」
一瞬くらりと視界が暗くなって、気付くと雪華に支えられていた。
「あきら! あきら……!」
「……食べる……?」
「大丈夫だ。そうと決まったわけじゃない!」
「友哉……友哉が……食べられる……?」
ハルが少し驚いたように瞬きをした。
「何だ、久豆葉あきら。妖狐の姿の時は威風堂々としていたのに、さっきから小さな子供のようにおろおろとしおって。思ったよりずっとメンタルが弱いのだな」
カーッと全身が熱くなった。
「う、うるさい! 友哉が死んだらお前も殺すぞ! 全部、全部殺してやる。友哉を殺した奴も、関係ない奴も、全部、目についたもの全部殺してやるからな!」
ハルがふいにかくんと膝をついた。
「蓮杖さん!」
雪華は俺から手を離して、倒れそうになるハルを抱きとめる。
「だめだ、あきら。力を抑えてくれ。叢雲、碧空、前へ」
雪華の式狼が出てきて、壁のようにハルと俺の間に立った。
「うう……不意打ちを食らったな」
ハルは頭痛を抑えるようにこめかみをこすり、二匹の狼の間からじろりと睨んできた。
「癇癪で力を使うな、ばかもの」
「だって……だって友哉を食べるとか、言うから」
ハルは大きく息を吐いた。
「執着に独占欲、それに依存か。ほんとにろくでもないな、久豆葉あきら。力と心のバランスが悪すぎて、幼児に拳銃を持たせているようなものだな」
辛辣な言葉が刺さってきて、とっさに言い返せない。
「力のぶつける相手を間違うな。私だって心から倉橋友哉の無事を願っているのだ」
ハルはよろよろと立ち上がり、また指を立てて集中し始めた。
俺は深呼吸して、必死に震えを抑えた。友哉がいないというだけで、俺の存在までなくなってしまいそうだ。焦燥、苛立ち、切迫……そして不安がどんどん大きくなっていく。
ハルが急にハッと息を吸い込み、何もない空間に両手をかざした。
「分かるか、二人とも。ここに妙な歪みがある」
俺と雪華はハルに言われて、そこへ意識を向けた。
「本当だ。何かあるな」
雪華がうなずく。
ベッド近くの床の上に人の背丈ほどの歪みを感じる。
「何だろうか。違和感を覚えるが、はっきりとは……」
雪華が難しい顔で首を傾げる。
俺はそれをじっと見る内に、中に入れそうな気がしてきた。
「あ……もしかして、出入口かも?」
「そうか、久豆葉あきらにはそう感じるか」
「あ、ああ、なんとなくだけど」
ハルは促すような手振りをするので、俺はその歪みへ手を差し伸べてみた。
「うん……やっぱり、なんとなく入れそうな感じが……」
空間の歪みから、かすかに何かが匂った。英司の死体から感じた匂いと同じで、どことなく懐かしい感じがした。
俺がもう一歩前へ踏み出すと、ふいに引き寄せられるようにするりとそこへ入っていた。
「うわっ」
いきなり視界が暗転し、まっすぐに伸びた夜道の真ん中に立っていた。どこまでも続くような長い道の両側に、青白い人魂みたいな光が一定の間隔をあけてずらーっと並んでいる。
「久豆葉あきら? どこへ行った?」
ハルの慌てた声が後ろから聞こえてきて、俺も慌ててそちらへ足を戻す。たった一歩後ろへ戻っただけで、俺はまた病室の中に立っていた。
「おわ、明るい」
「何と! 一瞬消えたように見えたぞ」
雪華とハルが口を開けて俺を見ている。多分、俺も同じような間抜け面をしているはずだ。
「な、なにこれ」
「何が見えた?」
「この歪みの先に、道があった」
「道?」
「うん、夜みたいに暗い道で、ゆらゆらした青い人魂みたいなものがこう、ずらーっと並んで照らしていた」
ほうっとハルが息を吐いて、目を輝かせる。
「それは狐火だ」
「いや、火っていうか青っぽかったけど」
「それこそ狐火だ。狐火に照らされていたのなら、これは狐のけもの道だぞ! おお……まさかこの目で拝める日が来るとは」
ハルは興奮したように叫んで前へと足を踏み出したが、そのまま通り過ぎて病室の端に行っただけだった。すぐにもとの位置に駆け戻って再チャレンジしたけれど、ハルは道に入ることは出来なかった。
「もしや狐しか通れないのか? 試してみてもらえるか?」
ハルの視線に促されて雪華も試したが、やはり道には入れなかった。
「叢雲、碧空、入れるか?」
雪華の指さす方へ二匹が走り出し、そのまま通り過ぎて廊下へ出てしまう。
「戻っておいで」
苦笑しながら、雪華は二匹を自分の中へ戻した。
「やはり、狐の道は狐しか通れないものらしいな」
「でも、連れ出されたってことは友哉もここを通ったんだろ?」
「友哉君はあきらの眷属だからじゃないか」
「そっか、分かった、じゃ行ってくる」
俺はまたすぐ道へ入ろうとしたところで、ハルにぐいっと腕をつかまれた。
「痛って! なんだよ!」
「いきなり突っ込んでいくやつがあるか!」
「友哉が連れて行かれたんだ。俺もすぐ行かないとっ」
「待ちなさい!」
行こうとすると、ハルの手からビリビリと痺れが来る。
「いたた、おい手を離せよ」
「一瞬待て、10秒でいいから」
ハルはぷちっと自分の髪を一本抜いて、俺の手首に結び付けてきた。
「何これ、気持ち悪い」
「乙女の髪を気持ち悪いとか言うな」
「おとめって」
「私はれっきとした乙女だぞ」
「その乙女の髪をなんで俺に結ぶんだよ」
「これは目印だ。このけもの道がどこへ通じているか分からないが、目印があれば我らも追っていける」
俺は自分の手首を見下ろした。髪の毛で結ばれたところに痛みは無いが、ハルの気配が濃厚で、なんだか飼い主からリードをつけられたみたいだ。
「うえ、嫌な感じする」
「嫌でも何でも、それははずすなよ。私達が追いつくまで決してひとりで戦うな」
「蓮杖さんの言う通りだ。約束を覚えているか? 私は二人とも助ける。どちらか一方ではなく、あきらと友哉君の二人とも助ける」
「私は倉橋友哉を優先するが」
「蓮杖さん」
「冗談だ。妖力だけ大きくても、久豆葉あきらの心は幼すぎる。相手は一晩で15人も殺せる化け物なのだ。お前などあっという間にひねり潰されるぞ」
ハルの言いたいことは分かったけど、友哉がどんな目にあっているかも知れないのに、大人しく待ってなんていたくない。
俺は返事をせずに、空間の歪みから道へと飛び込んだ。
「あきら!」
「久豆葉あきら!」
背中から、雪華とハルの声が追いかけてくる。
「お前は自分が思うよりずっと弱い! 絶対に無茶をするなよ!」
叫ぶ声を聞きながら、俺は狐火に照らされた常夜の道を走り出した。
応援ありがとうございます!
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