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閑話 じゃじゃ馬令嬢はある日、森で熊さんと出会った
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現在、子爵という低い家格に甘んじているティボー家だが、家祖はベルトラン・ティボー。
帝国を建国した英雄王スレイマンに仕え、その類稀な知略と魔法の才を持って、創業と治政を援けた功臣である。
ベルトランは軍人・政治家として、優れた功績を残した人物である。
しかし、お世辞にも人格者とは言い難い性質の持ち主だったことは確かなようだ。
死に際して、子孫にも不吉な予言を残したと伝えられている。
「国の為、友の為と心に蓋をして、随分と後ろめたいことをしてきたものだ。それは道義に反することだった。お前らに傍迷惑な火の粉として、降りかかるだろう」
それは予言だったのか、それとも定められた未来だったのか。
創業の功臣として、公爵に昇爵されていたティボー家が四代目にして、爵位を失い、離散することになろうとは誰が予想しただろうか。
そんな先祖を教訓としたのか、一族の結束を強め、才を磨くことに道を見出したティボー家の名が歴史に再び登場することになる。
罪により、爵位を失ったティボー家は官僚として、国に貢献し、目立たないように影での仕事に徹していた。
その忠勤を評価され、再び、叙爵の名誉に預かることになる。
それでも子爵に叙任されるのが関の山であり、それ以上は望まないというのが家訓でもあった。
そして、時は流れ、奸賊がはびこり、皇帝が蔑ろにされる乱世において、家祖ベルトランの風格を有する者が生まれた。
その名はアデライド・ティボー。
「はぁ、馬鹿らしい。淑女教育なんて、こんな時代に何の役に立つのよ」
チュニックとパンツに身を包み、瞳と同じ色のエメラルドがあしらわれた長剣を腰に佩いた少年が既に慣れ親しんだ山道を目的の場所を目指して、進んでいた。
良く見れば、そのチュニックが高級なベルベット生地であることに気付くだろう。
不満も露わに山道を行くアデライドだが、意外なことにその足取りは軽い。
その場所に行けば、そんな思いは消える。
だから、もう少しだけ我慢すればいいと思っているからだ。
「何だか、静かすぎるわ。おかしい」
風に吹かれた木々がザワザワと騒めく様子はまるで何かに怯えているように聞こえてくる。
アデライドは思わず、身を竦めた。
「気のせいよね?」
疑心暗鬼を生ずとはこういうことだろうと一人、勝手に納得したアデライドは言い知れぬ不安に押し潰されそうになりながらも山頂を目指す。
お気に入りの場所は山頂付近にある見晴らしがいいところなのだ。
そこから、眼下の景色を目にすれば、こんな不安は吹き飛ぶに違いないと信じて、彼女は歩みを進める。
妙な胸騒ぎと言い知れぬ不安はこれだったのだ。
あの時、変に意地を張って、来なければ良かった。
そう後悔しても既に時が戻らないことくらい、アデライドも分かっている。
「キラーベアが何でこんなところにいるのよ」
低い唸り声で威嚇しながら、ジリジリと近寄ってくる巨大な獣は赤味がかった茶色の被毛に全身を覆われており、強靭な前足には鋭く長い爪が備わっていた。
その爪や口の周りには生々しい血痕がこびりついていた。
血生臭いことに不慣れなアデライドはそれだけでも心が折れ、今にも走って逃げだしたくなるのをどうにか、我慢していた。
知識として、獣は逃げるものを追う習性にあると知っていたからだ。
では戦うのか?
それも無理だと分かっていた。
男装して、少年に化けているものの正式に剣術を習ったことがなかったのだ。
もし、習っていたとしても化け物のような殺人熊を目にしたら、勝てると思わなかっただろう。
「どうしよう……このまま、無抵抗でやられるのは性に合わないんだけど」
無駄であろうとも少しくらいは抵抗してやろうと剣に手を伸ばそうとしたが、震えて、言うことを聞いてくれないようだ。
「もう逃げだしたりしないから、誰か助けて」
アデライドは幼い頃から、負けん気が強く、勝気な性格の少女だった。
決して、泣かない。
泣き言を言わない。
あまりにもしっかりし過ぎて、同い年の子から、気味悪がられてしまうほどに……。
そんな彼女が初めて、助けを求めたのを神様が聞き届けてくれたのだろうか。
「何、今の? 熊が二匹に増えたの?」
今まさにアデライドに襲い掛からんと二本足でのっそりと立ちあがり、その太い右腕を彼女の頭上に振り下ろそうとしたキラーベアが突然、茂みの中から、現れた何かによって、体当たりを喰らい、吹き飛ばされていた。
「熊……じゃない?」
アデライドが一瞬、熊と見間違えたのは大柄な男の姿だった。
大きなキラーベアを相手にその横っ腹に体当たりを喰らわしたというのに平然とした顔をしている。
「やっぱり、熊?」
熊男は片手で持つのには大きすぎると思われる剣を軽々と片手で扱い、吹き飛ばしたキラーベアに向けて、駆け出して行った。
既に体勢を立て直していたキラーベアは迎え撃とうと左のベアクローを繰り出す。
熊男は見た目に似合わない俊敏さを見せると、身を捩ってそれを躱し、カウンターで剣を一閃し、左腕を肘の辺りで切断した。
「す、すごい……あの熊さん」
アデライドはいつしか、男の一挙手一投足に見入っていた。
熊男は左腕を切り落とすとそれ以上、深追いはせず、逆に熊の胴体に蹴りを入れた反動で後方に飛び退るという曲芸のような真似までしていた。
そこからは一方的なワンサイドゲームだった。
右腕も斬り飛ばされ、足まで失ったキラーベアは身動きが出来なくなったところを首を飛ばされ、止めを刺された。
鮮血が飛び散る凄惨な場面であるのにアデライドはそれを熱にでもうなされたようにじっと見つめていた。
アデライドが我に返ると熊男が自分の頭に手を置いて、撫でていた。
どことなく、不慣れな感じだが自分を元気づけようとして、そうしてくれているのだろう。
アデライドはそうされているとなぜか、嬉しいと感じている。
なぜ、そう感じるのかは分からない。
自分のことなのに自分のことが分からなくて、アデライドは不思議に思っていた。
「坊主、怖かったろ? ありゃ、はぐれ熊でな」
熊男は仲間とともに近隣の村を襲ったキラーベアを追っていたらしい。
この山で見失い、途方に暮れていたところ、助けを求める声が聞こえたので駆け付けたのだとぶっきらぼうな言い方で説明した。
「おじ……いえ、お兄さんはどちらの方なのですか? いずれ、お礼をしたいのですが……」
「あ? お礼とかいらんぞ。元はと言えば、俺がもっと早くにあいつを退治してれば、よかっただけだからな。むしろ、怖がらせて、すまん」
心底、申し訳なさそうに大きな体でペコペコと謝る熊男の姿が何だか、かわいく見えてきたアデライドは何とか、男の素性を知りたいと尋ねるのに全て、はぐらかされてしまった。
「坊主、家まで送らんでもいいのか? 遠慮はいらんぞ」
「ありがとうございます。いえ、大丈夫です。ここまででもう、家に帰れますから」
「そうか? 気を付けて、帰れよ」
「ごきげんよう、熊さん」
「あ? ああ、じゃあな」
のそのそと山に帰っていく様子が本当に熊みたい。
それすらもかわいく見えてくるなんて、私はおかしくなったんだろうか? とアデライドはひとりごちた。
「そう。そういうことね」
ティボー家には呪われたように受け継がれる性質があった。
求めよ、さらば奪わん。
好きになったら、とことん執着する。
絶対に自分の物にするまで諦めないほどの狂おしい執着。
アデライドはそれを見つけてしまったのだ。
それまで逃げてばかりいた淑女教育に熱心に取り組むようになったアデライドは二年後、デビュタントを迎え、社交界に現れた華麗なる令嬢として知られるようになるが、それはまた、別の話である。
三年後、探し当てた熊に罠を張り巡らすのもまた、別の話である。
帝国を建国した英雄王スレイマンに仕え、その類稀な知略と魔法の才を持って、創業と治政を援けた功臣である。
ベルトランは軍人・政治家として、優れた功績を残した人物である。
しかし、お世辞にも人格者とは言い難い性質の持ち主だったことは確かなようだ。
死に際して、子孫にも不吉な予言を残したと伝えられている。
「国の為、友の為と心に蓋をして、随分と後ろめたいことをしてきたものだ。それは道義に反することだった。お前らに傍迷惑な火の粉として、降りかかるだろう」
それは予言だったのか、それとも定められた未来だったのか。
創業の功臣として、公爵に昇爵されていたティボー家が四代目にして、爵位を失い、離散することになろうとは誰が予想しただろうか。
そんな先祖を教訓としたのか、一族の結束を強め、才を磨くことに道を見出したティボー家の名が歴史に再び登場することになる。
罪により、爵位を失ったティボー家は官僚として、国に貢献し、目立たないように影での仕事に徹していた。
その忠勤を評価され、再び、叙爵の名誉に預かることになる。
それでも子爵に叙任されるのが関の山であり、それ以上は望まないというのが家訓でもあった。
そして、時は流れ、奸賊がはびこり、皇帝が蔑ろにされる乱世において、家祖ベルトランの風格を有する者が生まれた。
その名はアデライド・ティボー。
「はぁ、馬鹿らしい。淑女教育なんて、こんな時代に何の役に立つのよ」
チュニックとパンツに身を包み、瞳と同じ色のエメラルドがあしらわれた長剣を腰に佩いた少年が既に慣れ親しんだ山道を目的の場所を目指して、進んでいた。
良く見れば、そのチュニックが高級なベルベット生地であることに気付くだろう。
不満も露わに山道を行くアデライドだが、意外なことにその足取りは軽い。
その場所に行けば、そんな思いは消える。
だから、もう少しだけ我慢すればいいと思っているからだ。
「何だか、静かすぎるわ。おかしい」
風に吹かれた木々がザワザワと騒めく様子はまるで何かに怯えているように聞こえてくる。
アデライドは思わず、身を竦めた。
「気のせいよね?」
疑心暗鬼を生ずとはこういうことだろうと一人、勝手に納得したアデライドは言い知れぬ不安に押し潰されそうになりながらも山頂を目指す。
お気に入りの場所は山頂付近にある見晴らしがいいところなのだ。
そこから、眼下の景色を目にすれば、こんな不安は吹き飛ぶに違いないと信じて、彼女は歩みを進める。
妙な胸騒ぎと言い知れぬ不安はこれだったのだ。
あの時、変に意地を張って、来なければ良かった。
そう後悔しても既に時が戻らないことくらい、アデライドも分かっている。
「キラーベアが何でこんなところにいるのよ」
低い唸り声で威嚇しながら、ジリジリと近寄ってくる巨大な獣は赤味がかった茶色の被毛に全身を覆われており、強靭な前足には鋭く長い爪が備わっていた。
その爪や口の周りには生々しい血痕がこびりついていた。
血生臭いことに不慣れなアデライドはそれだけでも心が折れ、今にも走って逃げだしたくなるのをどうにか、我慢していた。
知識として、獣は逃げるものを追う習性にあると知っていたからだ。
では戦うのか?
それも無理だと分かっていた。
男装して、少年に化けているものの正式に剣術を習ったことがなかったのだ。
もし、習っていたとしても化け物のような殺人熊を目にしたら、勝てると思わなかっただろう。
「どうしよう……このまま、無抵抗でやられるのは性に合わないんだけど」
無駄であろうとも少しくらいは抵抗してやろうと剣に手を伸ばそうとしたが、震えて、言うことを聞いてくれないようだ。
「もう逃げだしたりしないから、誰か助けて」
アデライドは幼い頃から、負けん気が強く、勝気な性格の少女だった。
決して、泣かない。
泣き言を言わない。
あまりにもしっかりし過ぎて、同い年の子から、気味悪がられてしまうほどに……。
そんな彼女が初めて、助けを求めたのを神様が聞き届けてくれたのだろうか。
「何、今の? 熊が二匹に増えたの?」
今まさにアデライドに襲い掛からんと二本足でのっそりと立ちあがり、その太い右腕を彼女の頭上に振り下ろそうとしたキラーベアが突然、茂みの中から、現れた何かによって、体当たりを喰らい、吹き飛ばされていた。
「熊……じゃない?」
アデライドが一瞬、熊と見間違えたのは大柄な男の姿だった。
大きなキラーベアを相手にその横っ腹に体当たりを喰らわしたというのに平然とした顔をしている。
「やっぱり、熊?」
熊男は片手で持つのには大きすぎると思われる剣を軽々と片手で扱い、吹き飛ばしたキラーベアに向けて、駆け出して行った。
既に体勢を立て直していたキラーベアは迎え撃とうと左のベアクローを繰り出す。
熊男は見た目に似合わない俊敏さを見せると、身を捩ってそれを躱し、カウンターで剣を一閃し、左腕を肘の辺りで切断した。
「す、すごい……あの熊さん」
アデライドはいつしか、男の一挙手一投足に見入っていた。
熊男は左腕を切り落とすとそれ以上、深追いはせず、逆に熊の胴体に蹴りを入れた反動で後方に飛び退るという曲芸のような真似までしていた。
そこからは一方的なワンサイドゲームだった。
右腕も斬り飛ばされ、足まで失ったキラーベアは身動きが出来なくなったところを首を飛ばされ、止めを刺された。
鮮血が飛び散る凄惨な場面であるのにアデライドはそれを熱にでもうなされたようにじっと見つめていた。
アデライドが我に返ると熊男が自分の頭に手を置いて、撫でていた。
どことなく、不慣れな感じだが自分を元気づけようとして、そうしてくれているのだろう。
アデライドはそうされているとなぜか、嬉しいと感じている。
なぜ、そう感じるのかは分からない。
自分のことなのに自分のことが分からなくて、アデライドは不思議に思っていた。
「坊主、怖かったろ? ありゃ、はぐれ熊でな」
熊男は仲間とともに近隣の村を襲ったキラーベアを追っていたらしい。
この山で見失い、途方に暮れていたところ、助けを求める声が聞こえたので駆け付けたのだとぶっきらぼうな言い方で説明した。
「おじ……いえ、お兄さんはどちらの方なのですか? いずれ、お礼をしたいのですが……」
「あ? お礼とかいらんぞ。元はと言えば、俺がもっと早くにあいつを退治してれば、よかっただけだからな。むしろ、怖がらせて、すまん」
心底、申し訳なさそうに大きな体でペコペコと謝る熊男の姿が何だか、かわいく見えてきたアデライドは何とか、男の素性を知りたいと尋ねるのに全て、はぐらかされてしまった。
「坊主、家まで送らんでもいいのか? 遠慮はいらんぞ」
「ありがとうございます。いえ、大丈夫です。ここまででもう、家に帰れますから」
「そうか? 気を付けて、帰れよ」
「ごきげんよう、熊さん」
「あ? ああ、じゃあな」
のそのそと山に帰っていく様子が本当に熊みたい。
それすらもかわいく見えてくるなんて、私はおかしくなったんだろうか? とアデライドはひとりごちた。
「そう。そういうことね」
ティボー家には呪われたように受け継がれる性質があった。
求めよ、さらば奪わん。
好きになったら、とことん執着する。
絶対に自分の物にするまで諦めないほどの狂おしい執着。
アデライドはそれを見つけてしまったのだ。
それまで逃げてばかりいた淑女教育に熱心に取り組むようになったアデライドは二年後、デビュタントを迎え、社交界に現れた華麗なる令嬢として知られるようになるが、それはまた、別の話である。
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