不死身の吸血鬼〜死を選べぬ不幸な者よ〜

真冬

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第36話「烏丸京香の過去②」

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 烏丸家にいるその醜い豚は母が病気で働けなくなったにも関わらず今までと態度は全く変わらなかった。
 夜になって独り言をつぶやく母がようやく落ち着いて、私が布団で眠っている母を見てようやく眠ったことを確認すると後ろから汚らしい足音とタバコ臭い匂いが寝室に入ってきた。
 赤いタバコを咥えて煙を立ち上がらせながら父が私の隣に立ち止まって言った。
「こいつはもう使い物にならないな」と父は赤い煙を吐き出して言った。その表情は母のことをまるで金を稼ぐためのモノとしか思っていないような表情をしていた。
 そして、次に言った発言はおよそ親の発言とは思えないものだった。
「京香がこいつの代わりに働いてこいよ。若い女なんだから体でも使って稼げば需要あんだろ」
 父は母のために掛ける言葉は一つもなくゲラゲラとだらしない腹を揺らしながら笑っていた。
 父は顔に浮かべていた笑みはすぐに消して私のことを見下ろした。
「こいつが倒れたからって通報するなよ? あと、逃げても無駄だからな。どこに逃げてもお前のことはすぐに連れ戻す。わかったな」
 父がこんな事を言えるのには理由がある。それは母が倒れる少し前に母から訊いたことだけど父が夜な夜な出かけている仲間は国内のギャングの一味だそうだ。だから、その幅広いネットワークと人員を割けば私達がどこに逃げても追いかけてくると言っていた。自分の後ろのは大きな組織が味方していることからこんな大口が叩けるんだろう。
 そして、そのギャング集団とは別で付き合っている友人からは多額の借金をしていることを父は私に明かした。もちろん申し訳ないという雰囲気一つなくサラリと私にその借金を返済するようにも告げた。恐らく、母が働けなくなって借金の返済する者がいなくなったことから今度は私になすりつけるつもりなんだろう。
 私はこの時どうすることもできなかった。ただただ、悔しさだけが胸の奥底から湧き上がり目の前で眠る母が滲んで見えた。
 私はどの選択肢を選んでも身動きが取れない八方塞がりの状態だった。だから、自分の力の無さをこれほど悔やんだことはない。

 母を救わなきゃいけない。医者に見てもらうにもお金がかかる。生活するだけでお金がかかる。父の借金を返済しなければいけない。
 これらの大金を普通に働いていては到底稼ぐことはできない。
 父の言いなりになったようで悔しかったが、私はフルーラので最も栄えてる街、シュゼリエのキャバクラで働くことになった。というか、もうそれしか私に残された選択肢は見つからなかった。

 キャバクラで働く生活は正直言ってキツかった。生まれてはじめて働くということを体験したからかもしれない。しかし、私のこの気持とは裏腹に若い女性であることそして自分で言うのも気恥ずかしいけど容姿も受け入れられて私が働き始めた店舗ではすぐに獲得客数は上位に名を連ねることができた。しかし、働くということはそんな良いことばかりが続くわけではなかった。
 職業柄お客さんとは持ちたくないが肉体関係の持つことは当たり前のようにあった。頭髪が薄いヴァンパイア。太った中年のヴァンパイア。関係を持ちたくないような容姿のヴァンパイアとも関係を持ってきた。…一体何人とそんな関係を築いてきたのだろうか。もはや、記憶を掘り返してもきりがない。でも、しょうがない、全ては金のため。母のためだと思えば奥歯を噛み締めて耐えてきた。

 私が働き始めて3年が経ったある日のこと。私は母のために今まで働いてきたし、母は唯一の味方で私と同じ考えを持っているはずだ。そう思っていた。しかし、この日の出来事で私はとんでもない勘違いをしていたことに気付かされた。

 私は仕事を終えて明け方に家についたときだった、いつもは眠っている母が私の帰りを待っていたように布団の上に正座して伏せていた顔を持ち上げてこちらを見た。
 体調良くなったのかな? 私はそう期待した。
 母は大きな隈のある目とは対照的なほどに白い歯を見せてニーっと微笑んでこちらを見た。
 いつもの母とは違う。何か様子がおかしい。そう思ったが私は良い結果の方を期待していた。いや、そうであってほしかった。
 母はゆっくりと立ち上がり力ない足取りでよろつきながら呆然と立ち尽くす私の元へ向かって歩を進める。
 母は私の目の前で立ち止まった。昨日も母を見てから仕事に行ったが一日しか経っていないのに母はまた痩せたような気がする。もはや肉体には骨に皮が張り付いただけのようで生命活動できるギリギリの肉体をかろうじて保っているように思える。そんな目の前で立ち尽くす母は指で突いたら崩れるように倒れてしまうような程の痩躯だった。
 母はまだ顔に笑みを浮かべている。そして、言った。
「京香、もう終わりにしようか」
 母は笑みを貼り付けたまま私の腹部をナイフで刺した。
 言葉が出なかった。何が起きたのか理解するのに数秒の時間を要した。
 そして、時間をかけてわかったことは母は私の事を殺すつもりで刺したということだった。
 そう。母は子との死を選んだのだ。私は母と生き延びる選択肢を選んでここまでやりたくもないことをやって耐えてきたのに。それでも母は死を選んだ。諦めることを選んだ。
 しかし、視力の衰えた母は私の心臓を狙って刺したナイフは心臓には刺さらず右胸に刺さった。
 母は私の血に染まった手で私の頬にそっと手を添えて滑り落ちるように私の目の前で倒れた。まるで、電池が切れた人形のように母はその場で倒れ込み僅かな呼吸で命をつないでいた。
 私は今起こった出来事をゆっくりと頭の中で噛み砕いて状況を整理してから右胸に刺さったナイフを息を止めて一気に抜く。胸からは血が勢いよく飛び出して床を赤く滲ませた。でも、そんなことはどうでも良かった。それよりも私の意識は母の布団の上に置いてある物体に向けられていた。
 私は嫌な予感を感じながらもそのプラスチックの薄膜に包まれた赤い粉を手にとった。
 それはクリエナと呼ばれるヴァンパイアの中で流通している覚醒剤だった。クリエナは人間の血液とアガルタだけに生えるキラステリュスと呼ばれる植物で作った薬。
 それを服用すれば幻覚作用や極上の快楽を得ることが出来るが服用し続ければ廃人のように体から魂が抜けたように無気力になる恐ろしい薬物だ。 
 母がそれをどこで手に入れたかなんてわからないし、誰のお金を使ったのかも言うまでもない。それよりも、母は薬に頼って現実から目を背けようとしていたことが許せなかった。その薬のせいで日に日にやせ細っていくし、終いには気が狂って私のことをナイフで刺した。
 私は今の悲痛な現実を少しでも良くしたいと願って必死に働いてきた。それなのに、母が出した結論は娘の私を殺して自分も死ぬこと。そんな、最低な選択肢を選んでいた。
 でも、これでようやくわかった。父は元より唯一の味方だと思っていた母も私のことを愛してはくれなかったんだ。ずっと、勘違いしていた。母だけは味方でいてくれると思ってた。でも、そんな期待をした私が馬鹿だったんだ。母も父もどうしようもないクズ野郎で子供のことなんかどうでもよくて結局考えてるのは自分のことだけ。自分さえ良ければそれで良い。
 子供を殺して自分も死ねばすべて解決するなんて考え方をしてる時点で私はもう彼らとは血縁関係を切ることを決めた。
 だから、目の前で虫のような息をしているヴァンパイアを自分の母親とは思えなくなった。
 私は目の前で倒れている物体を寝室の奥に敷いてある布団の上に置いた。その物体は、小さな寝息を立ててそれから目を覚ますことはなかった。

 私は、目の前に倒れるヴァンパイアを殺す気にもなれずに布団へ運んで寝かせた。その物体である母はまるで私の胸を刺したことなんて忘れてしまったかのように気持ちようさそうな寝息を立てて眠り始めた。
 
 この時からだろうか、私の心の中身は空っぽになったのは。不思議と時から何も感じなくなった。感情という物が私の体から抜け落ちたようだった。心の中に唯一残っていた母との2人でする理想の生活はあの出来事で幻と消えた。そもそも、今いる母は私が知っている母でさえないのだからただただ私が勝手に幻想を抱いていただけなのかも知れない。

 そんな鬱屈とした感情を抱えながら仕事をしていても結局身が入らずにオーナーから早く帰るように言われた日があった。正直、最近は家には帰りたくなくてお客さんとのアフターを多めに入れていたけど、この日は全く気が乗らなくてそれをオーナーはすぐに察したらしい。
 私が店を出て家に向かった時だった、遠くの方で爆発音がした後、灰色の煙が垂直に舞い上がるのが見えた。それは、ちょうど私の家がある方角だった。
 何か胸騒ぎがする。そう言えば店の先輩がロッカールームで会話してるのが聞こえてきたときにALPHAがどうのこうのって言ってたのを思い出した。ALPHAが何をするかは先輩の会話に興味がなくて訊いていなかったけど、向こうで何が起きてるのか心配になった私は駆けて家に帰った。

 しばらく走って私は家の前に到着した。私が生まれてから育った家。仮にも裕福とは言えないため大きくはない一軒家。目の前に広がるそれは、私の記憶の中にある形状は留めておらず瓦礫の山になっていた。私の家だけでなく周辺の家も同様に且つ不規則に手当り次第に潰していったという感じで所々の家々が平らにされていた。
 私はその原型を留めていない家の前に立ち尽くして持っていたバッグが手からすり抜けるように落ちた。
 そして、状況を整理するのに少々の時間を要してから私は瓦礫の山となった家の瓦礫をどかしながら家の中へ入っていった。

 まず発見したのが父の遺体だった。破壊されて跡形もなくなっていたが元々玄関があった場所に手を伸ばしたまま亡くなっていた。胸には心臓を一突きで刺したような跡が残っており即死だったように思える。その様子から察するに父は玄関から逃げようとしたところ逃げ切れず殺されてしまったのだろう。
 さらに、奥へ進んでみると瓦礫の山はより一層に量が増えてかき分けて歩くのも精一杯の状態になっていた。そして、元々寝室だった場所へ行ってみると重なる瓦礫の隙間から血の通っていない真っ白な腕が見えた。
 私はこれから見る結果が分かりきっているが慎重に一つ一つの瓦礫をどかして体全体が顕になった。
 母が頭から血を流して亡くなっていた。恐らく、すでに衰弱して亡くなっていたのか、それとも瓦礫が当たって亡くなったのかは知らないが刀などで刺された後は見つからなかった。恐らくALPHAの連中が来たときには死んでいたのかもしれない。

 私は母の遺体から2歩、3歩と下がり平になった家を見渡すと、瓦礫の中から何かが光を反射して私は思わず目を眇めた。
 その正体は私の部屋に置いていた姿見だった。
 私はその姿見を瓦礫をどけて立てた。その姿見は私の身長ほどの長さがあり鏡面には蜘蛛の巣のような柄のヒビが入っていた。私は鏡面に付いた砂埃を手で払って鏡面にもう一つの世界を写し出した。
 私はその姿見に映る自分の顔を見て初めて今の自分の感情に気がついた。
 その鏡に映る私の顔は両親を一度に失った悲しみではなく喜びだった。意識していたわけじゃない。でも、まるで抑えていた感情が溢れ出したかのように私の口角を勝手に持ち上がっていた。

 それからだろう、私は自分が孤独であることを強く感じるようになった。別に両親の死を悲嘆しているわけではないが自分が今まで積み上げてきたもの、期待していたことがすべて雪崩のように崩れ去った反動のようなものだろう。
 それ以来、眠ろうとして目を閉じると母が私にナイフを向ける姿、母が眠っているそばで父が言ったあの一言がまるで写真を切り取ったかのように脳裏に蘇って寝付くことができなくなってしまった。



「どうです? 引きましたか? 他人の過去話なんて聞くもんじゃないでしょ?」
 烏丸は自嘲するように笑みを浮かべた。
 しかし、その烏丸の表情とは反対に楓は真剣な顔つきで白い髪を揺らしてかぶりを振った。
「そんなことないよ。烏丸さんはすごい」
 烏丸は楓の反応を予想していなかったのようで楓のことを不思議なものを見るように見つめた。
 そして、楓は烏丸の今までの人生の出来事を頭の中で咀嚼して飲み込むようにしばらく考え込んでから言った。
「ごめん、語彙力がなくて。でも、本当にすごいと思った。僕は生まれてから親がいなかったけどそれでも平凡な高校生として生きてきて誰かのためにそんな一生懸命になれる烏丸さんはすごいと思う」
 烏丸はあっけにとられてしばらく楓を見つめていたが我を取り戻したてから「何回すごいって言うんですか」と口元に手を添えて小さく笑った。 
 烏丸は何か吹っ切れたように息を吸って胸を膨らませてから言った。
「私こんな性格だから誰も近づいてこないんですよ。だから、こんな話したのは初めてかもしれません。もちろん、誰かに相談するなんてこと今までしたことありませんでした」
 それから、烏丸は肩の力が抜けたように静かに息を吐いてから楓に視線を向けた。
「人に相談するとスッキリするんですね。初めて知りました。その相手が楓さんで良かったです」
 楓は強く頷いた。
「よかった。烏丸さんさっきより表情が明るくなってきた」
 楓は烏丸が向ける視線に応えるように視線を合わせて言った。
「烏丸さんは1人じゃないよ、僕らがついてるから。だから、何も無くなったとしてもまた1から作っていけばいいんだよ」
 烏丸は楓の言葉を聞いた後、その言葉を自分の中で飲み込むようにしてしばらく沈黙していた。
 不思議に思った楓は様子を伺うように尋ねる。
「烏丸さん、どうしたの?」
 烏丸は楓の目を見ることはなく地面を見つめながらポツリと呟いた。
「…ねえ楓君」
 烏丸は普段、楓の事を「さん」付で呼ぶ。というのも、仕事仲間としてそう呼んでいることもあるし、ヴァンパイアとしての見た目の年齢と楓の実際の年齢が近いからと言ってタメ口を訊くことはなく、名前を呼ぶ時も「さん」付で呼んでいた。恐らく、仕事仲間として距離を置いた上でそう呼んでいたのだろう。しかし、今は「君」付で呼んでいた。それは、あの時の夜以来だった。
 様子がおかしいと思った楓はもう一度烏丸に呼びかけた。
 烏丸は隣に座る楓の肩を両手で押し倒してベンチに楓と烏丸の体が重なる。
 楓の耳元で静かな吐息を楓に吹きかける。烏丸の長いまつげが上下にまばたきをする。
 そして、烏丸の大きな緋色の瞳が楓の視線と一致した。
 烏丸はゆっくりとしなやかな指先で楓の右手首を包み込み、自身の右胸に押し当てた。
 柔らかな胸が楓の手のひらの感触に伝わる。そして、烏丸の鼓動と体温が徐々に楓の右掌から楓の体に伝わってゆく。
「じゃあ、楓君が私の空っぽを埋めてくれますか?」
「ちょっとまって。どうしたの烏丸さん」
 楓は全く予想していなかったであろう烏丸の発言に思わず声が漏れた。当然楓は初めての展開に動揺を隠せないでいる。
 烏丸はゆっくりと楓に顔を近づける。今にも肌と肌が触れ合いそうなほどに接近して、耳元に顔をうずくめるようにして密着する。
 楓は烏丸の静かな呼吸を間近で感じる。鼓動が早い。そして、生暖かい熱が体を伝う。そして、お互いの接地する部分で生物としての体温が伝わってくる。
 楓は烏丸の顔をここまで間近で見るのは初めてだった。
 きめ細やかな肌と大きな瞳。まるで、見るものを突き刺してしまうほどに強い眼力。楓は間近に迫る女性の容姿を湧き出る感情を抑えながら見惚れる。しかし、
「ちょ、ちょっと烏丸さん? どうしたの急に。そういうことはちゃんとした相手としたほうがいいよ」
 しどろもどろとする楓を気にかけることなく烏丸は楓の耳元に顔をうずくまるようにして耳元で囁いた。
「楓君、童貞でしょ?」
「え?」
 色白い顔を真赤に染めた楓に白い歯をのぞかせた烏丸はうずくめた顔を再び上げて楓の眼を見た。
「冗談ですよ。でも、その反応はだいたい察しました」
 烏丸は楓と密着する体を離し、ベンチで横たわる楓を見下ろすように脇に立つ。
「なんか肩が軽くなった気がします。冗談抜きで」
「それはよかった。少しでも力になれてよかったよ。ははは」
 楓は顔を赤らめたまま苦笑いを浮かべて返事をし、体を起こしてベンチに座る。
「もしかして期待してましたか?」
「いやいや、そんな事無いよ」
 楓は顔の前で手を振って慌てて否定するも烏丸は訝しげな表情で楓を見る。
「私の方が生きてる年数長いんで経験でなんとなくわかりますけどね」
「…そう」と楓は図星だったのか少しうつむいてポツリと呟いた。
「ともあれ、私、楓君のこと応援してます。武闘会頑張ってくださいね」
 楓は思春期特有の衝動と妄想を懸命に振り払ったようで赤らめた顔は元の色白に戻り真剣な眼差しで強く拳を握った。
「うん。自分でもわかるんだ前よりは強くなった気がする。だから、行けるとこまで頑張ってみるよ」
 烏丸は「頑張って」と後ろ手を組んで少し跳ねるようにして言った。
 
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