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2 艱難辛苦
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(かんなんしんく=大きな困難に悩み苦しむ様子)
その日からジェラルドの苦悩が始まった。
あと半年の間に結論を出さなくてはならないのだ。
期限を過ぎると、神父が提案してくれた貴族学園への教会推薦枠での編入に間に合わなくなってしまう。
そうなってはロベルトの将来は真っ暗だ。
優秀だと言われているロベルトでも、平民となれば上級教育は望めない。
良くて商会の下働き、悪くするとガラの悪い連中の仲間として生きるしかなくなる。
「それは惨すぎる」
そう思ってもジェラルドは踏み切れない。
愛する妻と子供が出て行きかねない案件なのだ。
あの二人を失うくらいなら死んだ方がマシだ。
「絶対に手放したくない」
この二つの思いに揺れ動くジェラルドの食欲は、日に日に落ちて行った。
「どうしたの? 最近顔色が悪いわ? お医者様には診ていただいたの?」
最愛の妻リリアがジェラルドの頬に手を添えて心配顔を見せる。
「うん、ちょっと心配なことがあってね。まあもうすぐ結論が出るさ。大丈夫だからそんな顔はしなくていいよ」
「そう? 無理はしないでね」
そう言って書斎を出て行こうとする愛妻の背中に、ジェラルドは無言で言った。
(無理をしなくちゃ君を失ってしまう)
リリアに愛想を尽かされず、ロベルトの人生を明るい方へ導く道。
「僕の頭じゃ無理だ」
誰もいなくなった書斎に、ジェラルドの溜息だけが聞こえた。
「お父様!」
ノックもせずに、愛娘のマーガレットが駆け込んで来る。
「どうしたの? 僕の可愛いお姫様」
「あのね、私のお誕生日のことなんだけど」
「ああ、楽しみだね。ところで僕のお姫様は、今年でお幾つになられるのかな?」
「9歳よ」
「9歳かぁ。それならそろそろドアをノックしなくちゃいけないことは覚えないとね?」
「あっ、ごめんなさい。お父様に会いたくて焦っちゃった。いつもはきちんとできるのよ」
「ああ、知っているよ。僕のお姫様は立派な淑女だものね」
「そうよ」
「それで? 何か欲しいものが決まったのかい?」
「ええ、やっと決まったわ。ずっとずっとずう~っと考えたの」
「何が欲しいの?」
「あのね。お兄様が欲しいの」
ジェラルドは盛大に咳き込んだ。
「大丈夫? お父様、私って何か変なことを言った?」
「あっ……いや、まあ」
ジェラルドは娘の前に跪いて目線を合わせた。
「マーガレット。そのことはお母様とも相談しないといけないんだよ。それにすぐにどうこうできるような話じゃないんだ」
「お母様にはもうお願いしたわ。でも無理だって仰るの。星を買う方が簡単だって」
「うっ……そうか。そうだよね。星なら買ってあげられるかもしれないけれど、お前の次にお兄様を作るのは……簡単じゃないね」
「そうなの?どこかから買ってくるのではないの?」
「売ってないよ。それにしてもなぜマーガレットはお兄様が欲しいの?」
「だってララのところのお兄様がとても素敵なんですもの。いつもララと手を繋いで、何かと気にしておられるのよ? お菓子だって取り分けてあげているし、泣いたら抱きしめて慰めておられるわ」
「そうか……それは素敵なお兄様だね。だからマーガレットも欲しくなったのかい?」
「ええそうよ」
「妹か弟はどうだい?」
「それはダメよ」
「なぜか聞いてもいいかな?」
「だって、それでは私が優しくする方になっちゃうでしょ? 私は素敵なお兄様に愛されて守られて、優しく面倒をみてもらいたいんだもの」
「そうか……マーガレットの言い分はわかったよ。お母様とも話してみるから。でも誕生日には間に合わないな。誕生日は別のもので我慢してくれないか?」
「お兄様が来てくださるならいくらでも待つわ。じゃあ髪飾りにする!」
「わかった。髪飾りだね? マーガレットの金色の髪に良く似合うものを探しておこう」
「ありがとうお父様。愛してるわ」
「ああ、僕も愛しているよ」
手を振りながら書斎を出る愛娘の姿が滲む。
いつの間にか涙で頬を濡らしていたジェラルドだった。
「どうすればいい? どうすればいいんだ! 今まさに地に落ちようとするアドーニスを救うために、愛してやまないアフロディーテに嫌われ、命より大事なハルモニアと別れて暮らせというのか? できるわけがない」
ジェラルドはソファーに座り頭を抱えた。
その日からジェラルドの苦悩が始まった。
あと半年の間に結論を出さなくてはならないのだ。
期限を過ぎると、神父が提案してくれた貴族学園への教会推薦枠での編入に間に合わなくなってしまう。
そうなってはロベルトの将来は真っ暗だ。
優秀だと言われているロベルトでも、平民となれば上級教育は望めない。
良くて商会の下働き、悪くするとガラの悪い連中の仲間として生きるしかなくなる。
「それは惨すぎる」
そう思ってもジェラルドは踏み切れない。
愛する妻と子供が出て行きかねない案件なのだ。
あの二人を失うくらいなら死んだ方がマシだ。
「絶対に手放したくない」
この二つの思いに揺れ動くジェラルドの食欲は、日に日に落ちて行った。
「どうしたの? 最近顔色が悪いわ? お医者様には診ていただいたの?」
最愛の妻リリアがジェラルドの頬に手を添えて心配顔を見せる。
「うん、ちょっと心配なことがあってね。まあもうすぐ結論が出るさ。大丈夫だからそんな顔はしなくていいよ」
「そう? 無理はしないでね」
そう言って書斎を出て行こうとする愛妻の背中に、ジェラルドは無言で言った。
(無理をしなくちゃ君を失ってしまう)
リリアに愛想を尽かされず、ロベルトの人生を明るい方へ導く道。
「僕の頭じゃ無理だ」
誰もいなくなった書斎に、ジェラルドの溜息だけが聞こえた。
「お父様!」
ノックもせずに、愛娘のマーガレットが駆け込んで来る。
「どうしたの? 僕の可愛いお姫様」
「あのね、私のお誕生日のことなんだけど」
「ああ、楽しみだね。ところで僕のお姫様は、今年でお幾つになられるのかな?」
「9歳よ」
「9歳かぁ。それならそろそろドアをノックしなくちゃいけないことは覚えないとね?」
「あっ、ごめんなさい。お父様に会いたくて焦っちゃった。いつもはきちんとできるのよ」
「ああ、知っているよ。僕のお姫様は立派な淑女だものね」
「そうよ」
「それで? 何か欲しいものが決まったのかい?」
「ええ、やっと決まったわ。ずっとずっとずう~っと考えたの」
「何が欲しいの?」
「あのね。お兄様が欲しいの」
ジェラルドは盛大に咳き込んだ。
「大丈夫? お父様、私って何か変なことを言った?」
「あっ……いや、まあ」
ジェラルドは娘の前に跪いて目線を合わせた。
「マーガレット。そのことはお母様とも相談しないといけないんだよ。それにすぐにどうこうできるような話じゃないんだ」
「お母様にはもうお願いしたわ。でも無理だって仰るの。星を買う方が簡単だって」
「うっ……そうか。そうだよね。星なら買ってあげられるかもしれないけれど、お前の次にお兄様を作るのは……簡単じゃないね」
「そうなの?どこかから買ってくるのではないの?」
「売ってないよ。それにしてもなぜマーガレットはお兄様が欲しいの?」
「だってララのところのお兄様がとても素敵なんですもの。いつもララと手を繋いで、何かと気にしておられるのよ? お菓子だって取り分けてあげているし、泣いたら抱きしめて慰めておられるわ」
「そうか……それは素敵なお兄様だね。だからマーガレットも欲しくなったのかい?」
「ええそうよ」
「妹か弟はどうだい?」
「それはダメよ」
「なぜか聞いてもいいかな?」
「だって、それでは私が優しくする方になっちゃうでしょ? 私は素敵なお兄様に愛されて守られて、優しく面倒をみてもらいたいんだもの」
「そうか……マーガレットの言い分はわかったよ。お母様とも話してみるから。でも誕生日には間に合わないな。誕生日は別のもので我慢してくれないか?」
「お兄様が来てくださるならいくらでも待つわ。じゃあ髪飾りにする!」
「わかった。髪飾りだね? マーガレットの金色の髪に良く似合うものを探しておこう」
「ありがとうお父様。愛してるわ」
「ああ、僕も愛しているよ」
手を振りながら書斎を出る愛娘の姿が滲む。
いつの間にか涙で頬を濡らしていたジェラルドだった。
「どうすればいい? どうすればいいんだ! 今まさに地に落ちようとするアドーニスを救うために、愛してやまないアフロディーテに嫌われ、命より大事なハルモニアと別れて暮らせというのか? できるわけがない」
ジェラルドはソファーに座り頭を抱えた。
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