壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連

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11 覆水不返

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 (ふくすいふへん=起こってしまったことは元には戻せない)

「もうお帰り下さい。何度来られても同じお返事しかできません」

「そう仰らず……どうかもう一度取り次いでもらえませんか」

「何度来られても同じです。奥様はお会いすることは無いと仰るのです」

「そんな……」

「どうかもう諦めてお帰りください」

「では、これを……リリアに渡してもらえませんか」

「お預かり致しかねます。何度も申しましたよね? もしまた来られるようでしたら、計部隊を呼ぶように命令されているのです」

「警備隊?」

「ええ、奥様は大変な迷惑を被っていると仰っています。もうお帰りください、パーシモン卿。そしてもう来ないでください」

 ジェラルドは力なく立ち上がり、のろのろとホテルに戻った。
 あのシーンが目に焼き付いて離れない。
 なぜ旅行に行こうなんて言ってしまったのだろう。
 何度考えても答えは無く、同じ思考がぐるぐる回り胸を締め付ける。

「リリア……」

 アネックス侯爵夫人は絶対に会ってはくれないだろうし、リリアを会わせるつもりもないことは十分に分かっていた。
 分かっていたが、じっと待つことが出来るわけもない。
 
「マーガレットは不安がっているだろうな……」

 悪夢のような出来事の翌朝、全ての予定をキャンセルして王都に戻った。
 バネッサとロベルトには旅行を続けるように言ったが、二人は首を横に振った。
 
「当たり前だ。あの状況で旅行を楽しめだなどと、どの口が言うか」

 ロベルトに楽しい思い出を持たせてやりたかったのに……。

「結局、もっと辛い思いをさせただけだ」

 帰りの馬車の中でも泣き続けるマーガレットを慰めるロベルトの顔は苦悶に歪んでいた。
 二人を家まで送り、屋敷に戻ったジェラルドは、すぐにアネックス領に引き返した。
 困惑する家令に大まかな事情を話し、数日は戻らないことを伝える。
 外務大臣には緊急事態が発生したという手紙を書いて、一週間の休暇を申請した。
 ジェラルドがアネックス領に着いたのは夕方だった。
 アネックス侯爵邸に一番近い宿をとり、暗くなりかけた道を夢中で走った。
 泣けど叫べどアネックス邸の門が開くことも無く、その日は諦めて宿に戻った。
 体は疲れ切っていたが、頭が冴えて眠れない。
 朝方浅い眠りについたような気もするが、浴室の鏡に映った自分の顔に呆然とした。

「幽霊か?」

 目の下の隈は酷く、髭は伸びかけている。
 肌はカサカサで、頬はこけていた。

「リリア……なんとしても誤解を解かないと」

 そう決心したジェラルドは、朝食も取らずに宿を出た。
 昨夜はいなかった門番が立っている。
 門番に身分を告げ、アネックス侯爵夫人に取り次いで貰った。
 ものの10分程度で戻ってきた門番は、信じられない言葉を口にした。

「奥様はジェラルド・パーシモンという方など知り合いではないと仰せです」

「えっ! そんなことは絶対にありません。偶然出会っても立ち話をしていたくらいです。リリアの夫だと言ってくれたのですか?」

「ええ、お伝えしましたよ。それでも同じ答えでしたので、これ以上は無理かと……」

 ジェラルドは門の前で呆然と立ち竦んだ。
 激しい怒りをぶつけられることは覚悟していたが、まさか知り合いでは無いとまで言われるとは思っていなかった。
 屋敷に続く石畳の両脇に、色とりどりの花が風に揺れている。
 車寄せには皇太子妃の馬車が停まっていた。

「絶対にまだこの屋敷にいる」

 ジェラルドは困り顔の門番に礼を言って、宿に戻った。
 それから昼過ぎにも行き、夕方にも行った。
 さすがに夜は遠慮したが、明日の朝も行くつもりだ。
 
「リリア……本当にごめん。黙っていてごめん。噓をついてごめん。マーガレットを巻き込んでごめん。すぐに駆け寄れなくてごめん。愛しているんだ……リリア……愛しているからその方が良いって思ったんだよ……ごめん。ごめん……許してくれ」

 ベッドに座って頭を抱えて懺悔し続けるジェラルド。
 暗く深い後悔の波に吞まれていたジェラルドを、ノックの音が現実に引き戻した。

「リリア?」

 慌てて立ち上がり、勢いよくドアを開けると、パーシモン家の家令が立っていた。

「君か……どうした?」

「若旦那様、詳しいご事情をお伺いしに参りました。マーガレット様はお食事も召し上がらず、お部屋の中でじっと沈んでおられます。どうやら若旦那様も同じような状況でございますね。まずは食事をなさってください」

「食べる気になんかならないよ。それよりマーガレットは大丈夫なのか?」

「メイド長が宥めすかして頑張ってくれています」

「そうか。みんなにも迷惑を掛けたな」

「食事を運ばせます。まずはそれからですよ」

 あのディナー以降ロクなものを口にしていなかったジェラルドだったが、スープと少しのパンしか口に入れることができない。
 咀嚼するたびに後悔が押し寄せる。

「もう少し頑張れませんか?」

「もういい。下げてくれ」

 鎮静効果のあるハーブティーを淹れながら、家令はジェラルドに話しかけた。

「緊急事態とお見受けしました。包み隠さず吐き出して下さい」
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