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49 宝石の秘密
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藤田を横目で睨んでから伊藤が言った。
「斉藤さんはなぜ山本さんを切らなかったのですか?」
「なんでも最初の奥さんがとてもお世話になったのだそうですよ。亡くなる時も親身になってくれたのだと言ってました。そのことを恩義にも友誼にも感じておられたのもありますし、小夜子さんを守るためにも、あの男を自分が管理できる範疇に置いた方が良いと判断されたのだと思います。小夜子さんとあの男の両方を抱え込むことで、守ることもできますし、牽制することもできますからね」
暫しの沈黙が流れ、ものすごい勢いでメモを取る藤田のボールペンの音だけがしていた。
千代がお茶を一口飲んで喉を潤す。
「斉藤さんは本当に詳しく調べておいででした。そして小百合は呪い返しにあったのだと考えたようです。小百合の母親である……名前は忘れましたが、インドネシアの王女様が酷い目に遭ったのと同じ事をさせられているのだと。私は信じてはいませんが、斉藤さんは真剣にそう言ってましたね。あの宝石を小百合が手放したからだって」
伊藤は自分の顎に手を当てた。
呪い返しという言葉など、迷信の極みだと思う半面、なるほどとも思ってしまう。
母親が無理やりやらされていたことを、その娘が喜んでやるなんて考えるだけでも悍ましいことだ。
その原因が『女神の涙』を手放したことだとすると、斉藤が小夜子を側から離さず、日々宝石を確認していた理由も説明がつく。
「私は自分の死期を悟った斉藤さんが、一芝居打ったのだと思っています」
「一芝居?」
「ええ、山本はあの宝石の存在も、呪いのことも知っていました。これは山本本人から聞いたので間違いないです。おそらく寝物語に小百合が喋ったのでしょう。小夜子さんとあの宝石は離してはいけないのだからと何度も言っていましたよ。宝石が無くなると小夜子さんに呪い返しが来る。そんな小夜子さんには執着しないんじゃないかと考えたのじゃないかしら」
「なるほど。だから宝石を隠すのではなく盗まれる必要があったとお考えなのですね?」
「はい、違ってるかもしれませんが私はそう信じています」
「わかりました。お辛い話だったでしょう。ありがとうございました」
「いいえ……もう遠い昔のことですから」
藤田が慌てて口を挟んだ。
「なぜ今まで黙っていたのですか?」
千代が不思議そうな顔を藤田に向けた。
「なぜって? そりゃ聞かれなかったからですよ。それに今お話しした山本の事は確証の無いことです。だってそうでしょう? 山本は小百合と懇ろになって、その後小夜子さんに目をつけたってだけで、何も盗んじゃいないし誰も殺してないですもの」
「仰る通りです。罪は犯していないですね。ただの非常識な執着男だ」
千代が楽しそうにコロコロと笑った。
「でも呪いが本当ならもうすぐ決着がつきますよ」
伊藤が座りなおした。
「どういうことです?」
「詳しいことは知りませんが、インドネシアの王家の末裔にあの宝石と対になっているものがあるのだそうです。元の形って言ったかな? よく覚えてないのですが……要するにその二つを合わせればいろいろなことが解決すると言っていましたから」
「呪いも解ける?」
「ええ、斉藤さんが小夜子さんに話している時に、横でお茶を淹れながら聞くともなく聞いていた程度なのですが。うろ覚えでも良いですか?」
「勿論です」
「あの宝石はインドネシアから東小路のご当主様が連れてきた王女様が持ってきたそうです。王家の証らしいのですが、なんでも怨呪を吸い込む力があるとかでで、その王女様が酷い目に遭って、その恨みつらみを宝石に吸い込ませたのだそうですよ」
千代が冷たくなったお茶をグイっと飲んだ。
「それを小百合が受け継いで、大事にしろって何度も何度も言われていたのに、あっさり信也に渡してしまって手放したでしょう? あれは一也さんが生まれる前の年だったと思います。本当にあれからおかしくなりましたからね、小百合は。もともと我儘なお嬢さんでしたが、貞操観念だけは持っていたのに……」
伊藤が続きを促す。
千代は目線で頷いて、再び口を開いた。
「宝石に詳しい山中さんに聞いたのですが、あの宝石って値段がつけられないくらい価値があるんですってね。価値がわからない信也は、それを信じられないくらい安い値段で売ったのですって。何人かの手に渡ったようですが、売買されるたびにどんどん値段も下がってしまって。それと同じように小百合も安い女になっていきました。斉藤さんが手に入れたときは、普通のダイヤモンドと同じくらいの値段だったそうですよ。信じられませんよね……あっ! ごめんなさい。脱線しましたね」
「大丈夫ですよ。続けてください。とても興味深い」
「あの宝石は直系の王女が触れると光るのですって。その光を浴びると呪いが移ってしまうらしいです。小百合にも移っていたのかどうかはわかりませんが、小夜子さんには移っていると思います」
「それはなぜですか?」
「斉藤さんが宝石を確認している時、横にいた小夜子さんがまるで吸い寄せられるように触ったことがあるのです。その時小夜子さんは気を失ってしまって、大騒ぎでした」
「それは奇妙な事ですね。それから小夜子さんの言動は変わりましたか?」
「う~ん、どうでしょう? 元々大人しい子でしたからね。私が買ってやった『ムーミン』の本をボロボロになるまで読むしかないような寂しい子供時代だったでしょう? あまり感情の起伏は表に出さないんです。昔から」
「そうですね。私の印象も『口数の少ない深窓のご令嬢』です」
「あの人品は王女の血筋かもしれませんね。その日も山本医師が駆け付けて診察してましたが、何も問題ないということでした。その日からほぼ毎日、小夜子さんは宝石に触れていました。まるで何かを確認するみたいにね」
伊藤は言葉を発しかけたが思い留まった。
「斉藤さんは宝石を盗まれたショックで亡くなったのでしたよね?」
「どうでしょう? もともと余命ひと月だったそうですので、偶然時期が重なっただけかもしれません」
千代が泣くのを我慢するように顔を顰めた。
「そうですよね。確かに偶然かもしれません。それで、先ほどの宝石の呪いが解けるっていうのは?」
千代が小さく肩を竦めた。
「ごめんなさい、また脱線しちゃいましたね。斉藤さんが山本さんと一緒に、年に一度東南アジア方面に行っていたのは、呪いを鎮める儀式のためだったのです。最初は対になる宝石を買い取って、解呪しようと考えていたみたいですけど売ってもらえなくて。通っているうちに、その王族の末裔の方と仲良くなって、それで儀式の事を教えてもらったみたいですね」
「山本医師も同行していましたよね?」
「そりゃそうです。執着男を小夜子さんのいるところに置いておくわけにはいきませんよ。山中さんや私がいくら体を張っても守り切れるものじゃありません」
「ははは、なるほど。でも山本は斉藤さんが亡くなってからも一人で行ってますよね?」
「そうらしいですね。父親面でもして儀式を継承したのかしら」
「そういえば、今年で1996年です。終戦から丸々50年だ。斉藤さんが亡くなる時に山本医師が言った『あと三年だ』という年になるわけですが、お心当たりはありますか?」
「戦後50年ですか? もうそんなになりますか……いえ、心当たりはないですね……そうか、50年か。でも50回忌に間に合うようにお骨を祖国に戻せて良かったですよ」
「お骨を戻す? あっ……」
「ええ、斉藤さんの最初の奥さんのお骨です。小百合の姉に当たる人で、例の王女様がインドネシアから連れてきた子ですね」
「さくらさん?」
「そう、さくらさん。日本に連れてこられてすぐに、親から引き剝がされた可哀そうな王女様ですよ。極楽浄土に行けていれば良いんですけどね」
「極楽浄土か……そうですね。安らかに眠ってもらいたいですね」
「ええ、本当に」
千代と伊藤と藤田がほぼ同時に小さく合掌した。
「長々と申し訳ありませんでした。またお話を伺うこともあると思いますが、よろしくお願いします。ところで小夜子さんのお宅はここから歩いていけますか?」
「歩くとかなり遠いです。私は自転車で行くのですが15分はかかりますから」
「なるほど、ではタクシーですね」
「タクシーを呼びましょうか? でも、小夜子さんはいませんよ? 今はインドネシアに行っています。山本医師とその息子さん、山中さんと美奈ちゃんも一緒です」
伊藤が目を見開いた。
「斉藤さんはなぜ山本さんを切らなかったのですか?」
「なんでも最初の奥さんがとてもお世話になったのだそうですよ。亡くなる時も親身になってくれたのだと言ってました。そのことを恩義にも友誼にも感じておられたのもありますし、小夜子さんを守るためにも、あの男を自分が管理できる範疇に置いた方が良いと判断されたのだと思います。小夜子さんとあの男の両方を抱え込むことで、守ることもできますし、牽制することもできますからね」
暫しの沈黙が流れ、ものすごい勢いでメモを取る藤田のボールペンの音だけがしていた。
千代がお茶を一口飲んで喉を潤す。
「斉藤さんは本当に詳しく調べておいででした。そして小百合は呪い返しにあったのだと考えたようです。小百合の母親である……名前は忘れましたが、インドネシアの王女様が酷い目に遭ったのと同じ事をさせられているのだと。私は信じてはいませんが、斉藤さんは真剣にそう言ってましたね。あの宝石を小百合が手放したからだって」
伊藤は自分の顎に手を当てた。
呪い返しという言葉など、迷信の極みだと思う半面、なるほどとも思ってしまう。
母親が無理やりやらされていたことを、その娘が喜んでやるなんて考えるだけでも悍ましいことだ。
その原因が『女神の涙』を手放したことだとすると、斉藤が小夜子を側から離さず、日々宝石を確認していた理由も説明がつく。
「私は自分の死期を悟った斉藤さんが、一芝居打ったのだと思っています」
「一芝居?」
「ええ、山本はあの宝石の存在も、呪いのことも知っていました。これは山本本人から聞いたので間違いないです。おそらく寝物語に小百合が喋ったのでしょう。小夜子さんとあの宝石は離してはいけないのだからと何度も言っていましたよ。宝石が無くなると小夜子さんに呪い返しが来る。そんな小夜子さんには執着しないんじゃないかと考えたのじゃないかしら」
「なるほど。だから宝石を隠すのではなく盗まれる必要があったとお考えなのですね?」
「はい、違ってるかもしれませんが私はそう信じています」
「わかりました。お辛い話だったでしょう。ありがとうございました」
「いいえ……もう遠い昔のことですから」
藤田が慌てて口を挟んだ。
「なぜ今まで黙っていたのですか?」
千代が不思議そうな顔を藤田に向けた。
「なぜって? そりゃ聞かれなかったからですよ。それに今お話しした山本の事は確証の無いことです。だってそうでしょう? 山本は小百合と懇ろになって、その後小夜子さんに目をつけたってだけで、何も盗んじゃいないし誰も殺してないですもの」
「仰る通りです。罪は犯していないですね。ただの非常識な執着男だ」
千代が楽しそうにコロコロと笑った。
「でも呪いが本当ならもうすぐ決着がつきますよ」
伊藤が座りなおした。
「どういうことです?」
「詳しいことは知りませんが、インドネシアの王家の末裔にあの宝石と対になっているものがあるのだそうです。元の形って言ったかな? よく覚えてないのですが……要するにその二つを合わせればいろいろなことが解決すると言っていましたから」
「呪いも解ける?」
「ええ、斉藤さんが小夜子さんに話している時に、横でお茶を淹れながら聞くともなく聞いていた程度なのですが。うろ覚えでも良いですか?」
「勿論です」
「あの宝石はインドネシアから東小路のご当主様が連れてきた王女様が持ってきたそうです。王家の証らしいのですが、なんでも怨呪を吸い込む力があるとかでで、その王女様が酷い目に遭って、その恨みつらみを宝石に吸い込ませたのだそうですよ」
千代が冷たくなったお茶をグイっと飲んだ。
「それを小百合が受け継いで、大事にしろって何度も何度も言われていたのに、あっさり信也に渡してしまって手放したでしょう? あれは一也さんが生まれる前の年だったと思います。本当にあれからおかしくなりましたからね、小百合は。もともと我儘なお嬢さんでしたが、貞操観念だけは持っていたのに……」
伊藤が続きを促す。
千代は目線で頷いて、再び口を開いた。
「宝石に詳しい山中さんに聞いたのですが、あの宝石って値段がつけられないくらい価値があるんですってね。価値がわからない信也は、それを信じられないくらい安い値段で売ったのですって。何人かの手に渡ったようですが、売買されるたびにどんどん値段も下がってしまって。それと同じように小百合も安い女になっていきました。斉藤さんが手に入れたときは、普通のダイヤモンドと同じくらいの値段だったそうですよ。信じられませんよね……あっ! ごめんなさい。脱線しましたね」
「大丈夫ですよ。続けてください。とても興味深い」
「あの宝石は直系の王女が触れると光るのですって。その光を浴びると呪いが移ってしまうらしいです。小百合にも移っていたのかどうかはわかりませんが、小夜子さんには移っていると思います」
「それはなぜですか?」
「斉藤さんが宝石を確認している時、横にいた小夜子さんがまるで吸い寄せられるように触ったことがあるのです。その時小夜子さんは気を失ってしまって、大騒ぎでした」
「それは奇妙な事ですね。それから小夜子さんの言動は変わりましたか?」
「う~ん、どうでしょう? 元々大人しい子でしたからね。私が買ってやった『ムーミン』の本をボロボロになるまで読むしかないような寂しい子供時代だったでしょう? あまり感情の起伏は表に出さないんです。昔から」
「そうですね。私の印象も『口数の少ない深窓のご令嬢』です」
「あの人品は王女の血筋かもしれませんね。その日も山本医師が駆け付けて診察してましたが、何も問題ないということでした。その日からほぼ毎日、小夜子さんは宝石に触れていました。まるで何かを確認するみたいにね」
伊藤は言葉を発しかけたが思い留まった。
「斉藤さんは宝石を盗まれたショックで亡くなったのでしたよね?」
「どうでしょう? もともと余命ひと月だったそうですので、偶然時期が重なっただけかもしれません」
千代が泣くのを我慢するように顔を顰めた。
「そうですよね。確かに偶然かもしれません。それで、先ほどの宝石の呪いが解けるっていうのは?」
千代が小さく肩を竦めた。
「ごめんなさい、また脱線しちゃいましたね。斉藤さんが山本さんと一緒に、年に一度東南アジア方面に行っていたのは、呪いを鎮める儀式のためだったのです。最初は対になる宝石を買い取って、解呪しようと考えていたみたいですけど売ってもらえなくて。通っているうちに、その王族の末裔の方と仲良くなって、それで儀式の事を教えてもらったみたいですね」
「山本医師も同行していましたよね?」
「そりゃそうです。執着男を小夜子さんのいるところに置いておくわけにはいきませんよ。山中さんや私がいくら体を張っても守り切れるものじゃありません」
「ははは、なるほど。でも山本は斉藤さんが亡くなってからも一人で行ってますよね?」
「そうらしいですね。父親面でもして儀式を継承したのかしら」
「そういえば、今年で1996年です。終戦から丸々50年だ。斉藤さんが亡くなる時に山本医師が言った『あと三年だ』という年になるわけですが、お心当たりはありますか?」
「戦後50年ですか? もうそんなになりますか……いえ、心当たりはないですね……そうか、50年か。でも50回忌に間に合うようにお骨を祖国に戻せて良かったですよ」
「お骨を戻す? あっ……」
「ええ、斉藤さんの最初の奥さんのお骨です。小百合の姉に当たる人で、例の王女様がインドネシアから連れてきた子ですね」
「さくらさん?」
「そう、さくらさん。日本に連れてこられてすぐに、親から引き剝がされた可哀そうな王女様ですよ。極楽浄土に行けていれば良いんですけどね」
「極楽浄土か……そうですね。安らかに眠ってもらいたいですね」
「ええ、本当に」
千代と伊藤と藤田がほぼ同時に小さく合掌した。
「長々と申し訳ありませんでした。またお話を伺うこともあると思いますが、よろしくお願いします。ところで小夜子さんのお宅はここから歩いていけますか?」
「歩くとかなり遠いです。私は自転車で行くのですが15分はかかりますから」
「なるほど、ではタクシーですね」
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