消された過去と消えた宝石

志波 連

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50 サムのリムジン

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 ほぼ同時刻、インドネシアに滞在している小夜子は、センターテーブルに飾られたジャスミンの香りを楽しんでいた。
 ノックの音と同時に山本医師とその息子信一郎が顔を出す。

「そろそろかと思ってね」

 山本が相好を崩して小夜子を見る。

「やあ! 小夜子さん。本当によく似合っている」

 その声には答えず、小夜子はにっこりとほほ笑んで見せた。

「なんだ、先に着いていたんだね」

「ええ、ご紹介しますね。こちらは通訳をして下さるブディさんです。大使館にお勤めなのですって」

 山本親子とブディが握手を交わしたあと、サムを無遠慮な目で見た。

「こちらはちゃんと連れてきたんだ。約束は守ってくれるのだろうね?」

「私は詳しいことは知りません。待ち合わせ場所に案内しますから勝手に交渉でもなんでもなさってください」

 フンッと鼻を鳴らす山本。
 後ろで信一郎が困惑した表情を浮かべている。

「まあどちらにしても約束の時間です。行きましょうか」

 山中が場を収めるように声を出した。

「では美奈さん、行ってくるわね。今夜は何を食べるか考えておいてちょうだいな。できれば鶏肉じゃない方が嬉しいかな? ちょっと飽きちゃった」

 美奈は大きく頷いて一行を送り出した。
 ブディとサムが先頭を並んで歩き、その後ろに山本と息子が続き、小夜子と山中はしんがりをゆっくりと歩いた。
 山中が小夜子の耳元で小さく言う。

「間に合いましたね」

「ええ、これで悪縁も切れるわ。やっと静かに暮らせそうね」

 時々山本医師が小夜子が付いてきているかを確認するように振り返る。
 そのたびに優雅な微笑みを返す小夜子には、余裕さえ感じられた。
 首からかけているペンダントにそっと指先で触れる。
 ニットの隙間から漏れ出る宝石の光りが、南国の強い太陽に反射して、小夜子の顔に光の筋を映していた。

「こちらです」

 サムが用意した車は白いリムジンで、中は広々としていてコの字型に座席が配置されていた。
 ブディが扉を開けると、当然のような顔をした山本医師が一番に乗り込んだ。
 息子は申し訳なさそうな顔で小夜子を振り返り、手を差し出した。

「親父がすみません。何を勘違いしているのだか」

「いいえ、年長者なのですもの当然ですわ。どうぞお気になさらず」

 小夜子が一番奥のシートに身を沈めると、山本がその横に移動しようと腰を浮かせた。
 スッと山中が体を滑り込ませ、小夜子の横に座る。

「小夜子さん、こちらの方が海側ですよ」

 そう言いながらブディが山中とは反対側のシートに陣取った。
 車が走り出し、ゆっくりと市街地を離れていく。
 乗り込んでいた給仕係がブディに何か言うと、ひとつ頷いてから全員に伝えてくれた。

「何か飲まれますか? なんでも揃っているそうですよ」

「そうね、すっきりするものが良いわ。炭酸のものはある?」

「檸檬スカッシュはどうかと言っています」

「それがいいわ。山中さんは?」

「私も同じものをいただきます」

 小夜子が山本親子に視線を向けると、父親はビールを注文し、息子は小夜子たちと同じものを選んだ。

「サムさんはいつもそれを飲んでいらっしゃるのね。それは何ですか?」

 ニコッと笑ったサムがブディを通して答えた。

「これはジャムゥという漢方ドリンクです。作り方は門外不出という家門もありますが、私のは比較的一般的です」

「美味しいの?」

 ブディは通訳もせず即答した。

「好き好きですが、私はお勧めしません。私は好きではないですから」

 小夜子が肩を竦めて見せた。
 車窓を流れる景色から建物が消え、南国特有の濃い緑に変わる。
 揺れをほとんど感じないが、僅かに開けた窓から森の匂いがした。

「どこに向かっているのですか?」

 山本の息子が聞く。
 サムに代わってブディが答えた。

「我が祖先の墓です。バリ三つの山に囲まれた谷にある、全ての清水を司る場所にあります」

「だから緑色にしろと言ったのに」

 山本がブツブツと文句を言っている。
 心当たりのある山中は聞こえないふりをして横を向いた。
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