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17 朝霧の中
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両軍を見下ろす山々から朝霧が立ち昇る。
月が去り朝日が稜線を縁取ると、尼子軍が敷く鶴翼が籠城する兵たちから見え始めた。
「なんじゃ、あれは……」
それぞれの隊の先頭には名も顔も知れた領主たちが騎乗している。
怪鳥が広げた翼の左端から大きな声が響き渡った。
「命を惜しむな! 名を残せ! ただの一人も逃がすでないぞ! 政久様のお命の重さを知らしめよ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
城内の兵たちが浮足立った。
「御屋形様にご報告じゃ!」
城壁の上からそれを見ていた桜井軍の兵が屋敷の中に駆けこんでいく。
それを見計らったように、今度は右翼から木々を揺らすほどの大声があがった。
「狩った首は捨ておけ! 女子供とて容赦はするな! 敵を恐れるな! 前のみに進め!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
地霧が立ち昇る。
遂に怪鳥が動きだした。
その首の部分でほら貝が吠えると、兵たちが地を踏み鳴らした。
「行くぞ! 続けぇぇぇぇぇぇ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ」
城壁の中からそれを見降ろしていた兵たちが、あまりの気迫に後退りを始めた。
「ワシは嫌じゃ! 死ぬのはごめんじゃ!」
数人の農民兵が駆けだすと、つられるように兵たちが持ち場を離れようとする。
それらを束ねていた武将が大声で制止しようとするが、一度覚えた恐怖を消すことはできなかった。
「何事か!」
屋敷の中から出てきた男がそう叫ぶと、動揺していた者たちの動きが止まった。
「何を慌てておるか! こちらの方が有利じゃということは赤子でも分かろうものを! このたわけどもが!」
大ぶりな刀を抜き身のまま担いだその男こそ、桜井宗的が反旗を翻す切っ掛けとなった毛利家家臣の大山忠勝だ。
毛利元就の密命を受け、出雲国の土台を揺さぶるためにやってきたこの男、身の丈は六尺を越え、三十貫はあろうかと言うほどの巨漢の持ち主だ。
成人男子の太もものような腕には、つい先ほどまで伽をさせていた女をぶら下げている。
真っ青な顔で抱えられた女が、まるで小鹿のように見えた。
「ほう、鶴翼の陣ときたか。わが軍を二分するのが目的じゃろうが、あまりにもわかりやすいのぉ。裏があるか? まあ来るなら迎えなばなるまいて」
そう言うなり抱えていた女を投げ捨てて忠勝が叫んだ。
「弓隊は前へ! 両端を威嚇しつつ中堅を狙え!」
鶴翼の陣という王道で来るなら、それを迎え撃つのも王道だとばかりに、忠勝の激が飛ぶ。
しかし尼子軍の参謀を自負する木村も負けてはいなかった。
自隊を鼓舞しつつ端から中へと切り込む隊形に変更したのだ。
呼応するように小松隊も陣形を変えた。
「おぅ! なかなかやるのぉ」
忠勝の視線が左右へと忙しく動く。
中堅隊がじりじりと下がり、中央から割れ始めた。
その隙間から漆黒の風が巻き起こる。
「なんじゃぁ! ワシより大きな者がおるわい!」
中央で左右に分かれた陣形となり、城壁から見下ろす忠勝たちには鶴翼が二つできたように見えた。
「連理とはなかなかやりよる。弓隊! 射れ射れ! 狙い撃ちじゃぁ」
忠勝が元就に愛される理由の一つはその勇猛さであろう。
戦場では常に陣頭に立ち、従う者たちを鼓舞して突き進むのだ。
忠勝の愛刀は元就から下賜されたもので、乱れた波紋が美しい。
厚みも身幅も通常より二回りは大きいだろうその刀を、まるで小刀のように操る忠勝の剛力は、味方に勝てるという自信を与える。
「落ち着いて狙え。一匹ずつ仕留めよ!」
忠勝が二羽の鶴翼に気を取られている間に、中央を突っ走ってきた流星の後ろから大槍を担いだ大男が姿を見せた。
流星の馬体の影を利用し駆けてくる佐次郎。
勢いよく跳ね上がる後塵が上手く巨体を隠していた。
「ん? これはいかん。城門を開けて兵を繰り出せ! 弓隊はここに残れ!」
そう言うなり屋敷に取って返した忠勝に、奥の間で怯えている桜井宗的が声をかけた。
「お前も出るのか? お前はここに残ってワシを守れ」
「ご領主殿、そう怯えなさるな。ちょっと威嚇してくるだけじゃ。すぐに戻ろうほどに、そのおなごの股座にでも隠れておられよ」
忠勝ほどの巨体を覆う鎧ともなれば、その重さはただ事ではない。
ガシャガシャと派手な音をさせながら五人がかりで忠勝の体に巻きつけていく。
「早うせぇ! 打ち取る首がなくなってしまうぞ」
奮闘している弓隊だったが、真横から狙われたように射かけられるとじりじりと後退するしかなかった。
乗り出して状況を確認するべきなのだが、兵より外に頭を出そうものなら一発で射抜かれてしまう。
勝つという意識より死にたくないという思いの方が大きいのだろう。
危険を犯さず闇雲に弓を射るだけとなっていた。
「何をしておるか! 無駄打ちをするな!」
バサッと言う音に続いてドサドサと人が倒れる音がした。
「ひぃぃぃぃ……」
庭木の影に隠れていた数人の兵が血まみれで転がった。
「逃げるなら切る」
前に出ても死ぬが後ろに下がっても死ぬ。
桜井軍の兵達は恐怖に慄いた。
ヒュンと音がして小松の放った矢が忠勝の鎧を掠める。
「ほう? もう下まで来ておるのか。なかなかやるおるのぉ」
忠勝がニヤッと口角を上げた。
月が去り朝日が稜線を縁取ると、尼子軍が敷く鶴翼が籠城する兵たちから見え始めた。
「なんじゃ、あれは……」
それぞれの隊の先頭には名も顔も知れた領主たちが騎乗している。
怪鳥が広げた翼の左端から大きな声が響き渡った。
「命を惜しむな! 名を残せ! ただの一人も逃がすでないぞ! 政久様のお命の重さを知らしめよ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
城内の兵たちが浮足立った。
「御屋形様にご報告じゃ!」
城壁の上からそれを見ていた桜井軍の兵が屋敷の中に駆けこんでいく。
それを見計らったように、今度は右翼から木々を揺らすほどの大声があがった。
「狩った首は捨ておけ! 女子供とて容赦はするな! 敵を恐れるな! 前のみに進め!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
地霧が立ち昇る。
遂に怪鳥が動きだした。
その首の部分でほら貝が吠えると、兵たちが地を踏み鳴らした。
「行くぞ! 続けぇぇぇぇぇぇ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ」
城壁の中からそれを見降ろしていた兵たちが、あまりの気迫に後退りを始めた。
「ワシは嫌じゃ! 死ぬのはごめんじゃ!」
数人の農民兵が駆けだすと、つられるように兵たちが持ち場を離れようとする。
それらを束ねていた武将が大声で制止しようとするが、一度覚えた恐怖を消すことはできなかった。
「何事か!」
屋敷の中から出てきた男がそう叫ぶと、動揺していた者たちの動きが止まった。
「何を慌てておるか! こちらの方が有利じゃということは赤子でも分かろうものを! このたわけどもが!」
大ぶりな刀を抜き身のまま担いだその男こそ、桜井宗的が反旗を翻す切っ掛けとなった毛利家家臣の大山忠勝だ。
毛利元就の密命を受け、出雲国の土台を揺さぶるためにやってきたこの男、身の丈は六尺を越え、三十貫はあろうかと言うほどの巨漢の持ち主だ。
成人男子の太もものような腕には、つい先ほどまで伽をさせていた女をぶら下げている。
真っ青な顔で抱えられた女が、まるで小鹿のように見えた。
「ほう、鶴翼の陣ときたか。わが軍を二分するのが目的じゃろうが、あまりにもわかりやすいのぉ。裏があるか? まあ来るなら迎えなばなるまいて」
そう言うなり抱えていた女を投げ捨てて忠勝が叫んだ。
「弓隊は前へ! 両端を威嚇しつつ中堅を狙え!」
鶴翼の陣という王道で来るなら、それを迎え撃つのも王道だとばかりに、忠勝の激が飛ぶ。
しかし尼子軍の参謀を自負する木村も負けてはいなかった。
自隊を鼓舞しつつ端から中へと切り込む隊形に変更したのだ。
呼応するように小松隊も陣形を変えた。
「おぅ! なかなかやるのぉ」
忠勝の視線が左右へと忙しく動く。
中堅隊がじりじりと下がり、中央から割れ始めた。
その隙間から漆黒の風が巻き起こる。
「なんじゃぁ! ワシより大きな者がおるわい!」
中央で左右に分かれた陣形となり、城壁から見下ろす忠勝たちには鶴翼が二つできたように見えた。
「連理とはなかなかやりよる。弓隊! 射れ射れ! 狙い撃ちじゃぁ」
忠勝が元就に愛される理由の一つはその勇猛さであろう。
戦場では常に陣頭に立ち、従う者たちを鼓舞して突き進むのだ。
忠勝の愛刀は元就から下賜されたもので、乱れた波紋が美しい。
厚みも身幅も通常より二回りは大きいだろうその刀を、まるで小刀のように操る忠勝の剛力は、味方に勝てるという自信を与える。
「落ち着いて狙え。一匹ずつ仕留めよ!」
忠勝が二羽の鶴翼に気を取られている間に、中央を突っ走ってきた流星の後ろから大槍を担いだ大男が姿を見せた。
流星の馬体の影を利用し駆けてくる佐次郎。
勢いよく跳ね上がる後塵が上手く巨体を隠していた。
「ん? これはいかん。城門を開けて兵を繰り出せ! 弓隊はここに残れ!」
そう言うなり屋敷に取って返した忠勝に、奥の間で怯えている桜井宗的が声をかけた。
「お前も出るのか? お前はここに残ってワシを守れ」
「ご領主殿、そう怯えなさるな。ちょっと威嚇してくるだけじゃ。すぐに戻ろうほどに、そのおなごの股座にでも隠れておられよ」
忠勝ほどの巨体を覆う鎧ともなれば、その重さはただ事ではない。
ガシャガシャと派手な音をさせながら五人がかりで忠勝の体に巻きつけていく。
「早うせぇ! 打ち取る首がなくなってしまうぞ」
奮闘している弓隊だったが、真横から狙われたように射かけられるとじりじりと後退するしかなかった。
乗り出して状況を確認するべきなのだが、兵より外に頭を出そうものなら一発で射抜かれてしまう。
勝つという意識より死にたくないという思いの方が大きいのだろう。
危険を犯さず闇雲に弓を射るだけとなっていた。
「何をしておるか! 無駄打ちをするな!」
バサッと言う音に続いてドサドサと人が倒れる音がした。
「ひぃぃぃぃ……」
庭木の影に隠れていた数人の兵が血まみれで転がった。
「逃げるなら切る」
前に出ても死ぬが後ろに下がっても死ぬ。
桜井軍の兵達は恐怖に慄いた。
ヒュンと音がして小松の放った矢が忠勝の鎧を掠める。
「ほう? もう下まで来ておるのか。なかなかやるおるのぉ」
忠勝がニヤッと口角を上げた。
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