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34 命綱
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「私の三代前のことでございます。この辺りに水害が発生しましてなぁ。我が屋敷の米蔵も流れてしもうたそうですわい。食わねばお勤めも儘なりませぬ。しかし同じように災害におうた農民から取り上げるなどできるはずもございますまい。当時はご当主様のように助けを出してくださるような方はおられませんでなぁ。道庭家も最早これまでと腹をくくったそうです」
「文献で読んだのう。あの大災害か。それは難儀じゃったのう」
「恐れ入ります。その時の当主が残っていた財を全て米に替えましてなぁ。まあいうなれば死ぬる準備ですかなぁ。住民たちに配り歩いたのだそうです。するとあくる日、住民たちが芋をたくさん持って来てくれましてなぁ。それで道庭家は生き残りましたのじゃ」
「米をくれてやったのに、持ってきたのは芋だと?」
「ええ、芋ですよ。一握りの米のお礼にと、荷車で命綱ともいえる芋を運んできてくれましたのですわい。それ以降、我が道庭家は住民たちの暮らしが成り立つように心を尽くして今日まで生きながらえました。我が米蔵に一粒でも米が残っておれば、必要とする者に与える。これが道庭家の家訓でございます」
貞光が手振りで渡した米の少なさと、貰った芋の多さを伝えている。
国久が唸った。
「しかし、そこな女は佐次郎のせいで窮しておると?」
ひれ伏す佳代の背中がビクッと揺れた。
「お許しくださいお許しくださいお許しくださいお許し……」
「黙れ!」
右京の鋭い一喝に国久が笑う。
「しかしそうなる前になんとかできなんだのか?」
「我が不徳の致すところでございます」
右京の言葉に伊十郎が声を出した。
「右京は何度も窘めておりました。しかし佐次郎が止めていたのです。義姉さまには義姉さまの都合があるのだと言いましてなぁ。だから佐次郎は芋ばかりくろうておりました」
「芋? あやつの好物は芋か。芋であれほど走れるのか。馬のような奴じゃのぉ」
国久の横でカチッと音がした。
それを目の端に捕らえた伊十郎が飛ぶように動く。
「右京! 何をする!」
小刀を抜き首に当てようとしていた右京の手首を掴んだまま、伊十郎が叫んだ。
「我が命をもって妻の罪を償いとう存ずる」
佳代が弾けるように後ろへ転んだ。
「.た……たすけて……」
それをギロッと睨んだ伊十郎が、右京へと向き直って言う。
「死ぬが忠義ではないぞ。生きてご恩に報いるのが武士の務めぞ」
「しかし!」
そう叫んだ刹那、右京の口から血が噴き出した。
「医者を連れてこい!」
国久の声にバタバタと駆けて行く従者たち。
貞光が駆け寄り、右京の背中を撫でてやった。
「右京。死んで詫びるならワシじゃ。お前ではないぞ」
伊十郎がガバッと国久の前に両手をついた。
「ここは……ここはどうか……」
国久が呆れたような声で言う。
「俺は何も言うてはおらんぞ? 夫婦ゲンカで刃傷沙汰はいかがなものかと思うが、妻は夫の意向に添うものであろう? そういう意味で言えばそこな女は悪妻じゃのう。まあ、俺の嫁であれば張り手の一つも喰らわせるところじゃが、あの佐次郎の兄嫁ともなればそうもいかん。それと右京、伊十郎の言う通りぞ。死んでもつまらん。やめとけやめとけ」
その言葉にがっくりと項垂れた右京がぽろぽろと涙を溢した。
「佐次郎……すまん。不甲斐ない兄ですまん……佐次郎……春乃……」
国久がポンと手を打った。
「おう、そういえばあやつは嫁取りをすると言うておったな。その者は? 俺を庇ってくれたあの男の娘であろう?」
貞光が答える。
「春乃と申します。実は春乃も佐次郎と共に出されてしまいましたのです」
「夫婦で一緒に?」
「はい、そのようです」
確認するように佳代を見ると、首がもげそうなほどカクカクと頷いていた。
「夫婦でならよい。しかし目も開けず、動きもせぬあの大男をどうやって連れ出したのかのぅ。もしやその娘も力自慢か?」
伊十郎が佳代に言った。
その声はどこまでも冷え冷えとしている。
「詳細を話しなさい」
佳代が真っ青な顔のまま声を出した。
「杣人衆に迎えに来てもらいました。荷車に佐次郎殿を括りつけて、山に運んで貰いました」
ボソッと貞光が言う。
「ああ、なるほど。それで初霜が山を見て立ち止まったのか……そうか、山へと行ったか」
「山かぁ。そうなると流星がはぶてる(へそを曲げる)のぉ。流星はどうやら佐次郎に会いたいようでのぉ。最近は餌も食わずにはぶてとるのじゃ。それで俺は父上にお伺いを立てて、流星を佐次郎に下げ渡そうかと思っておった」
「流星を? あの流星をでございますか?」
伊十郎がそっ頓狂な声を出す。
「うん、あの流星じゃ」
国久はどこまでも平常心だった。
「文献で読んだのう。あの大災害か。それは難儀じゃったのう」
「恐れ入ります。その時の当主が残っていた財を全て米に替えましてなぁ。まあいうなれば死ぬる準備ですかなぁ。住民たちに配り歩いたのだそうです。するとあくる日、住民たちが芋をたくさん持って来てくれましてなぁ。それで道庭家は生き残りましたのじゃ」
「米をくれてやったのに、持ってきたのは芋だと?」
「ええ、芋ですよ。一握りの米のお礼にと、荷車で命綱ともいえる芋を運んできてくれましたのですわい。それ以降、我が道庭家は住民たちの暮らしが成り立つように心を尽くして今日まで生きながらえました。我が米蔵に一粒でも米が残っておれば、必要とする者に与える。これが道庭家の家訓でございます」
貞光が手振りで渡した米の少なさと、貰った芋の多さを伝えている。
国久が唸った。
「しかし、そこな女は佐次郎のせいで窮しておると?」
ひれ伏す佳代の背中がビクッと揺れた。
「お許しくださいお許しくださいお許しくださいお許し……」
「黙れ!」
右京の鋭い一喝に国久が笑う。
「しかしそうなる前になんとかできなんだのか?」
「我が不徳の致すところでございます」
右京の言葉に伊十郎が声を出した。
「右京は何度も窘めておりました。しかし佐次郎が止めていたのです。義姉さまには義姉さまの都合があるのだと言いましてなぁ。だから佐次郎は芋ばかりくろうておりました」
「芋? あやつの好物は芋か。芋であれほど走れるのか。馬のような奴じゃのぉ」
国久の横でカチッと音がした。
それを目の端に捕らえた伊十郎が飛ぶように動く。
「右京! 何をする!」
小刀を抜き首に当てようとしていた右京の手首を掴んだまま、伊十郎が叫んだ。
「我が命をもって妻の罪を償いとう存ずる」
佳代が弾けるように後ろへ転んだ。
「.た……たすけて……」
それをギロッと睨んだ伊十郎が、右京へと向き直って言う。
「死ぬが忠義ではないぞ。生きてご恩に報いるのが武士の務めぞ」
「しかし!」
そう叫んだ刹那、右京の口から血が噴き出した。
「医者を連れてこい!」
国久の声にバタバタと駆けて行く従者たち。
貞光が駆け寄り、右京の背中を撫でてやった。
「右京。死んで詫びるならワシじゃ。お前ではないぞ」
伊十郎がガバッと国久の前に両手をついた。
「ここは……ここはどうか……」
国久が呆れたような声で言う。
「俺は何も言うてはおらんぞ? 夫婦ゲンカで刃傷沙汰はいかがなものかと思うが、妻は夫の意向に添うものであろう? そういう意味で言えばそこな女は悪妻じゃのう。まあ、俺の嫁であれば張り手の一つも喰らわせるところじゃが、あの佐次郎の兄嫁ともなればそうもいかん。それと右京、伊十郎の言う通りぞ。死んでもつまらん。やめとけやめとけ」
その言葉にがっくりと項垂れた右京がぽろぽろと涙を溢した。
「佐次郎……すまん。不甲斐ない兄ですまん……佐次郎……春乃……」
国久がポンと手を打った。
「おう、そういえばあやつは嫁取りをすると言うておったな。その者は? 俺を庇ってくれたあの男の娘であろう?」
貞光が答える。
「春乃と申します。実は春乃も佐次郎と共に出されてしまいましたのです」
「夫婦で一緒に?」
「はい、そのようです」
確認するように佳代を見ると、首がもげそうなほどカクカクと頷いていた。
「夫婦でならよい。しかし目も開けず、動きもせぬあの大男をどうやって連れ出したのかのぅ。もしやその娘も力自慢か?」
伊十郎が佳代に言った。
その声はどこまでも冷え冷えとしている。
「詳細を話しなさい」
佳代が真っ青な顔のまま声を出した。
「杣人衆に迎えに来てもらいました。荷車に佐次郎殿を括りつけて、山に運んで貰いました」
ボソッと貞光が言う。
「ああ、なるほど。それで初霜が山を見て立ち止まったのか……そうか、山へと行ったか」
「山かぁ。そうなると流星がはぶてる(へそを曲げる)のぉ。流星はどうやら佐次郎に会いたいようでのぉ。最近は餌も食わずにはぶてとるのじゃ。それで俺は父上にお伺いを立てて、流星を佐次郎に下げ渡そうかと思っておった」
「流星を? あの流星をでございますか?」
伊十郎がそっ頓狂な声を出す。
「うん、あの流星じゃ」
国久はどこまでも平常心だった。
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