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33 家訓
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「な! 何事だ! お……お前、血を吐いているじゃないか」
そう言いながら右京に駆け寄る伊十郎。
右手に握られた抜き身の長刀を見て眉を顰めた。
「それはこちらに寄こせ」
口では返事をせず首を横に振る右京。
「良いから一旦こちらに寄こすんだ。お前が何を切ろうとしていたのか聞かせてもらおう。ことと次第によっては俺が代わりに成敗してやる」
右京はやっと力を抜き、伊十郎が取り上げる刀を無表情のまま見ていた。
「伊十郎。身内の恥を見せてしもうたのぉ。右京が切ろうとしていたのは佳代じゃ。佳代が佐次郎と春乃を追い出してしもうた」
力なくそう言うと、貞光はヨロヨロと縁側に腰を降ろした。
ついてきていた従者を呼び、右京を布団に寝かせて医者を呼ぶように指示を出す。
「なぜ追い出すようなことを? 佐次郎はこの家の守り神のようなものじゃろう。あいつがおらなんだら右京が戦場に出ておったのだぞ? しかも佐次郎は俺を庇って毒矢を受けた。そして春乃の父親はご次男様を庇って命を落としたのじゃ」
佳代が地べたに突っ伏して泣き声をあげた。
「その二人を追い出すとは……尼子に弓でも引く気か? これが知れたら道庭家は……」
その時ガラッと音がして玄関が開いた。
家の者に代わり迎えに出た伊十郎の従者が転がるように駆け込んでくる。
「ご次男様が! 国久様がお出でになっとります」
「なんじゃと!」
伊十郎と貞光がほぼ同時に声をあげて、玄関に駆けて行く。
口の周りを清めてもらった右京も、なんとか上半身だけを自力で起こした。
「すまんのぉ。思い立ったらじっとできん性格でのぉ……ん? 取り込み中か?」
客間に通された国久の声が右京の部屋まで聞こえてきた。
おそらくひれ伏しているのだろう、貞光のくぐもった声がする。
「このようなボロ屋にご次男国久様をお迎えするなど、考えてもおりませんでしたので、少々慌てておるところでございます」
国久が鷹揚に答える。
「いやいや、急に来た俺が悪い。それで佐次郎は? まだ目が覚めぬのか? 今日はな、見舞い代わりに医者を連れてきたぞ」
貞光と伊十郎が顔を見合わせた。
「なんじゃ? おお、それとな。医者には言うてあるから右京も診てもらえ。あれの頭脳が無いと困ると本邸の者たちが嘆いておったわい。あっ、いやじじ様ではダメということではないぞ? じじ様はようやってくれておると褒めておったわい」
「お気遣いありがとうございまする。しかし……」
国久が眉をあげて不思議そうな顔をした。
「いったいどうしたのじゃ?」
ぐっと唇を嚙みしめた貞光の代わりに伊十郎が口を開いた。
「佐次郎が……出奔いたしましたのです」
国久が目を丸くした。
「出奔? 逃げたのか? ということは目を覚ましたということか? しかしなぜまたそのような?」
立て続けの質問に伊十郎は丁寧に答えていった。
「はい、出奔です。逃げたのかどうかはわかりません。俺の知る限りでは目は覚ましていませんでした。原因は……わかりません」
国久の眉がぴくっと動いた。
「さっぱり意味が解らん。おい、道庭。お前が分かるように説明しろ」
貞光が膝の前に両手をついた。
「伊十郎はたった今来たばかりで、状況をわかってはおりませんのです。来たら佐次郎も嫁も消えていたからそういっただけの事でございます」
「言い訳は良い。早う分かるように説明せよ」
客間の襖がからりと開いた。
三人が顔を向けると、寝間着のまま小刀だけを腰に差し、右手で佳代の襟首を掴んでいる右京が立っているではないか。
「お前……道庭の若当主か」
右京がキッチリと正座した。
「ご無沙汰いたしております。道庭右京にございます」
「うむ」
「愚弟の見舞いに来てくださったとか。心よりお礼申し上げます。そしてこの度は大変申し訳ない事をしでかしてしまい、心よりお詫び申し上げます」
「申し訳ない事? いったい何をしたのじゃ?」
伊十郎が右京を黙らせようと膝を立てた。
サッと手を伸ばして伊十郎を止める国久。
「今日は公用ではない。罰など与える心算もないわい」
伊十郎は座り直して恭順の姿勢を取った。
「ここにおりますは我妻の佳代でございます。佳代は道庭家の財政について常々不満を持っていた様子。そしてその原因を佐次郎の大飯ぐらいだと思い込んでおりました」
国久がハハハと声を出して笑った。
「少ないとはいえ尼子の碌を食む家が、一人の男の大飯で揺らぐはずなど無かろう」
「でも! それでも米蔵に米が無いなど……私はこの家を守ろうと……」
佳代が必死で言い訳を口にした。
それを最後まで聞いた国久が吐き出すように言う。
「家を守ろうとして、支えの柱を抜いたというか。バカなおなごじゃ」
泣き伏した佳代を右京が虚ろな目で見ていた。
貞光が後を引き継いだ。
「仰せの通りでございます……実際のところ我が家は困窮しております。しかしそれは頑なに守ってきた家訓が故でございます」
「家訓じゃと?」
国久が貞光に向き直った。
その視線を正面から受けた貞光が声を出す。
「我が道庭家の家訓は、農民あっての武士。我らが食むだけの米を残し、後は拙しい者たちへ下げ渡すのが習わしでございます」
国久の眉がぴくっと上がった。
そう言いながら右京に駆け寄る伊十郎。
右手に握られた抜き身の長刀を見て眉を顰めた。
「それはこちらに寄こせ」
口では返事をせず首を横に振る右京。
「良いから一旦こちらに寄こすんだ。お前が何を切ろうとしていたのか聞かせてもらおう。ことと次第によっては俺が代わりに成敗してやる」
右京はやっと力を抜き、伊十郎が取り上げる刀を無表情のまま見ていた。
「伊十郎。身内の恥を見せてしもうたのぉ。右京が切ろうとしていたのは佳代じゃ。佳代が佐次郎と春乃を追い出してしもうた」
力なくそう言うと、貞光はヨロヨロと縁側に腰を降ろした。
ついてきていた従者を呼び、右京を布団に寝かせて医者を呼ぶように指示を出す。
「なぜ追い出すようなことを? 佐次郎はこの家の守り神のようなものじゃろう。あいつがおらなんだら右京が戦場に出ておったのだぞ? しかも佐次郎は俺を庇って毒矢を受けた。そして春乃の父親はご次男様を庇って命を落としたのじゃ」
佳代が地べたに突っ伏して泣き声をあげた。
「その二人を追い出すとは……尼子に弓でも引く気か? これが知れたら道庭家は……」
その時ガラッと音がして玄関が開いた。
家の者に代わり迎えに出た伊十郎の従者が転がるように駆け込んでくる。
「ご次男様が! 国久様がお出でになっとります」
「なんじゃと!」
伊十郎と貞光がほぼ同時に声をあげて、玄関に駆けて行く。
口の周りを清めてもらった右京も、なんとか上半身だけを自力で起こした。
「すまんのぉ。思い立ったらじっとできん性格でのぉ……ん? 取り込み中か?」
客間に通された国久の声が右京の部屋まで聞こえてきた。
おそらくひれ伏しているのだろう、貞光のくぐもった声がする。
「このようなボロ屋にご次男国久様をお迎えするなど、考えてもおりませんでしたので、少々慌てておるところでございます」
国久が鷹揚に答える。
「いやいや、急に来た俺が悪い。それで佐次郎は? まだ目が覚めぬのか? 今日はな、見舞い代わりに医者を連れてきたぞ」
貞光と伊十郎が顔を見合わせた。
「なんじゃ? おお、それとな。医者には言うてあるから右京も診てもらえ。あれの頭脳が無いと困ると本邸の者たちが嘆いておったわい。あっ、いやじじ様ではダメということではないぞ? じじ様はようやってくれておると褒めておったわい」
「お気遣いありがとうございまする。しかし……」
国久が眉をあげて不思議そうな顔をした。
「いったいどうしたのじゃ?」
ぐっと唇を嚙みしめた貞光の代わりに伊十郎が口を開いた。
「佐次郎が……出奔いたしましたのです」
国久が目を丸くした。
「出奔? 逃げたのか? ということは目を覚ましたということか? しかしなぜまたそのような?」
立て続けの質問に伊十郎は丁寧に答えていった。
「はい、出奔です。逃げたのかどうかはわかりません。俺の知る限りでは目は覚ましていませんでした。原因は……わかりません」
国久の眉がぴくっと動いた。
「さっぱり意味が解らん。おい、道庭。お前が分かるように説明しろ」
貞光が膝の前に両手をついた。
「伊十郎はたった今来たばかりで、状況をわかってはおりませんのです。来たら佐次郎も嫁も消えていたからそういっただけの事でございます」
「言い訳は良い。早う分かるように説明せよ」
客間の襖がからりと開いた。
三人が顔を向けると、寝間着のまま小刀だけを腰に差し、右手で佳代の襟首を掴んでいる右京が立っているではないか。
「お前……道庭の若当主か」
右京がキッチリと正座した。
「ご無沙汰いたしております。道庭右京にございます」
「うむ」
「愚弟の見舞いに来てくださったとか。心よりお礼申し上げます。そしてこの度は大変申し訳ない事をしでかしてしまい、心よりお詫び申し上げます」
「申し訳ない事? いったい何をしたのじゃ?」
伊十郎が右京を黙らせようと膝を立てた。
サッと手を伸ばして伊十郎を止める国久。
「今日は公用ではない。罰など与える心算もないわい」
伊十郎は座り直して恭順の姿勢を取った。
「ここにおりますは我妻の佳代でございます。佳代は道庭家の財政について常々不満を持っていた様子。そしてその原因を佐次郎の大飯ぐらいだと思い込んでおりました」
国久がハハハと声を出して笑った。
「少ないとはいえ尼子の碌を食む家が、一人の男の大飯で揺らぐはずなど無かろう」
「でも! それでも米蔵に米が無いなど……私はこの家を守ろうと……」
佳代が必死で言い訳を口にした。
それを最後まで聞いた国久が吐き出すように言う。
「家を守ろうとして、支えの柱を抜いたというか。バカなおなごじゃ」
泣き伏した佳代を右京が虚ろな目で見ていた。
貞光が後を引き継いだ。
「仰せの通りでございます……実際のところ我が家は困窮しております。しかしそれは頑なに守ってきた家訓が故でございます」
「家訓じゃと?」
国久が貞光に向き直った。
その視線を正面から受けた貞光が声を出す。
「我が道庭家の家訓は、農民あっての武士。我らが食むだけの米を残し、後は拙しい者たちへ下げ渡すのが習わしでございます」
国久の眉がぴくっと上がった。
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