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魔王様の食卓と、迷子の聖女
第90話 将軍の選択、そしてティーカップの停戦協定
老将軍は、差し出されたティーカップと、エレノアの穏やかな(しかし、有無を言わさぬ)微笑みの間で、完全に板挟みになっていた。その額には、脂汗が滲んでいる。彼の背後では、数万の兵士たちが、固唾を飲んで自軍の最高指揮官の決断を見守っていた。ここで魔王の茶を受け取れば、それは軍の規律と、セラフィーナ様への忠誠を揺るがす行為。しかし、拒絶すれば、この奇妙な均衡が崩れ、再び戦闘が始まるかもしれない…それも、士気が著しく低下した状態で。
「…将軍閣下?」 エレノアが、わずかに首を傾げる。その無邪気さすら感じさせる仕草が、逆に将軍への無言の圧力となっていた。
「ぐ…ぬ…」 将軍は、唸り声を上げると、意を決して叫んだ! 「ええい! 魔女の甘言に乗るものか! だが…!」 彼は、エレノアのカップではなく、俺が持っていたポットに視線を移した。 「…兵士たちの、喉も渇いているであろう! その…茶とやらを、全員に振る舞うことは可能か!?」
その、あまりにも予想外すぎる要求! 俺は、思わずポットを落としそうになった。エレノアも、さすがに少しだけ目を丸くしている。 「…え? 全員に…ですか?」 「そうだ! 我らは、神聖なる戦いのために、遠路はるばる馳せ参じた軍隊である! 多少の休息と、水分補給は当然の権利であろう!」 将軍は、苦し紛れに、しかし大声で言い放った。それは、最高指揮官として、兵士たちの疲労を慮るという、ギリギリの体裁を保ちつつ、この場での即時戦闘を回避するための、彼なりの苦肉の策だった。
「…ふふ」エレノアが、最初に笑みをこぼした。「ええ、もちろんですとも。わたくしの魔法(と、カイトの働き)があれば、数万杯の紅茶など、お安い御用ですわ」 「おお…! さすがは我が君!」「紅茶…飲み放題…」ザラキアスとゴウガが、感嘆の声を上げる。
「ただし」エレノアは、悪戯っぽく付け加えた。「お茶菓子は、スコーンしかありませんけれど。それでも、よろしいかしら?」 「…む、むぅ…致し方あるまい!」将軍は、顔を赤くしながらも、それを了承した。
こうして、世界史上、最も奇妙な休戦協定…いや、「ティータイム協定」が、半ばなし崩し的に結ばれることになったのだ。 俺とエレノアは、急遽、魔法で大量のティーカップと、追加のお湯、そして予備で持ってきていた茶葉(さすがエレノア、用意周到だ)を準備し始めた。ザラキアスとゴウガは、なぜか率先して「我が君の紅茶を、愚民どもに配ってやる!」と、配給係を買って出る。
リリアは、その光景を、まだ少し戸惑いながらも、どこか呆れたような、それでいて少しだけ嬉しそうな、複雑な表情で見つめていた。 「…母様。本当に、これでいいの?」 「いいのよ」エレノアは、リリアのカップにもう一度紅茶を注ぎながら、優しく微笑んだ。「戦場で剣を交えるより、こうして同じテーブルでお茶を飲む方が、ずっと多くのことが分かることもあるのだから」
広場は、先ほどまでの殺伐とした空気が嘘のように、和やかな(そして若干、シュールな)雰囲気に包まれ始めた。兵士たちは、最初は戸惑いながらも、温かい紅茶と甘いスコーンを手に取り、安堵の表情を浮かべている。 武器を置いた彼らは、神聖なる騎士である前に、ただの疲れた若者たちだったのだ。
「…将軍閣下」 俺は、エレノアが淹れた、とびきりの一杯を、老将軍の前に差し出した。 「どうぞ。冷めないうちに」 「…………」 将軍は、しばらく無言でカップを見つめていたが、やがて、諦めたように、しかしどこか威厳を保とうとしながら、それを受け取った。 「…礼を、言う…」 その小さな声は、兵士たちの喧騒にかき消されそうだったが、確かに俺たちの耳に届いた。
セラフィーナの不在。 それは、この奇妙な平和を、一時的に可能にした。 だが、彼女が、そして彼女の背後にいる〝それ〟が、このまま黙っているはずがない。
俺は、温かい紅茶の湯気の向こうで、兵士たちと談笑する(主に自慢話をしている)ザラキアスの姿を見ながら、ふと思う。 (…もしかしたら、俺の力って…こういうことのために、あるのかもしれないな)
戦いを止めるだけでなく、いがみ合っている者同士を、なんだかよく分からないけど、仲良くさせてしまう力。 それは、世界を救うには、あまりにもささやかで、あまりにも頼りない力かもしれない。 でも、今は、このティーカップの中に満たされた温もりこそが、俺たちの唯一の希望なのだと、そう信じたかった。
休戦の紅茶は、まだ温かい。 だが、夜明けは、まだ遠い。
「…将軍閣下?」 エレノアが、わずかに首を傾げる。その無邪気さすら感じさせる仕草が、逆に将軍への無言の圧力となっていた。
「ぐ…ぬ…」 将軍は、唸り声を上げると、意を決して叫んだ! 「ええい! 魔女の甘言に乗るものか! だが…!」 彼は、エレノアのカップではなく、俺が持っていたポットに視線を移した。 「…兵士たちの、喉も渇いているであろう! その…茶とやらを、全員に振る舞うことは可能か!?」
その、あまりにも予想外すぎる要求! 俺は、思わずポットを落としそうになった。エレノアも、さすがに少しだけ目を丸くしている。 「…え? 全員に…ですか?」 「そうだ! 我らは、神聖なる戦いのために、遠路はるばる馳せ参じた軍隊である! 多少の休息と、水分補給は当然の権利であろう!」 将軍は、苦し紛れに、しかし大声で言い放った。それは、最高指揮官として、兵士たちの疲労を慮るという、ギリギリの体裁を保ちつつ、この場での即時戦闘を回避するための、彼なりの苦肉の策だった。
「…ふふ」エレノアが、最初に笑みをこぼした。「ええ、もちろんですとも。わたくしの魔法(と、カイトの働き)があれば、数万杯の紅茶など、お安い御用ですわ」 「おお…! さすがは我が君!」「紅茶…飲み放題…」ザラキアスとゴウガが、感嘆の声を上げる。
「ただし」エレノアは、悪戯っぽく付け加えた。「お茶菓子は、スコーンしかありませんけれど。それでも、よろしいかしら?」 「…む、むぅ…致し方あるまい!」将軍は、顔を赤くしながらも、それを了承した。
こうして、世界史上、最も奇妙な休戦協定…いや、「ティータイム協定」が、半ばなし崩し的に結ばれることになったのだ。 俺とエレノアは、急遽、魔法で大量のティーカップと、追加のお湯、そして予備で持ってきていた茶葉(さすがエレノア、用意周到だ)を準備し始めた。ザラキアスとゴウガは、なぜか率先して「我が君の紅茶を、愚民どもに配ってやる!」と、配給係を買って出る。
リリアは、その光景を、まだ少し戸惑いながらも、どこか呆れたような、それでいて少しだけ嬉しそうな、複雑な表情で見つめていた。 「…母様。本当に、これでいいの?」 「いいのよ」エレノアは、リリアのカップにもう一度紅茶を注ぎながら、優しく微笑んだ。「戦場で剣を交えるより、こうして同じテーブルでお茶を飲む方が、ずっと多くのことが分かることもあるのだから」
広場は、先ほどまでの殺伐とした空気が嘘のように、和やかな(そして若干、シュールな)雰囲気に包まれ始めた。兵士たちは、最初は戸惑いながらも、温かい紅茶と甘いスコーンを手に取り、安堵の表情を浮かべている。 武器を置いた彼らは、神聖なる騎士である前に、ただの疲れた若者たちだったのだ。
「…将軍閣下」 俺は、エレノアが淹れた、とびきりの一杯を、老将軍の前に差し出した。 「どうぞ。冷めないうちに」 「…………」 将軍は、しばらく無言でカップを見つめていたが、やがて、諦めたように、しかしどこか威厳を保とうとしながら、それを受け取った。 「…礼を、言う…」 その小さな声は、兵士たちの喧騒にかき消されそうだったが、確かに俺たちの耳に届いた。
セラフィーナの不在。 それは、この奇妙な平和を、一時的に可能にした。 だが、彼女が、そして彼女の背後にいる〝それ〟が、このまま黙っているはずがない。
俺は、温かい紅茶の湯気の向こうで、兵士たちと談笑する(主に自慢話をしている)ザラキアスの姿を見ながら、ふと思う。 (…もしかしたら、俺の力って…こういうことのために、あるのかもしれないな)
戦いを止めるだけでなく、いがみ合っている者同士を、なんだかよく分からないけど、仲良くさせてしまう力。 それは、世界を救うには、あまりにもささやかで、あまりにも頼りない力かもしれない。 でも、今は、このティーカップの中に満たされた温もりこそが、俺たちの唯一の希望なのだと、そう信じたかった。
休戦の紅茶は、まだ温かい。 だが、夜明けは、まだ遠い。
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