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四重奏連続殺人事件
しおりを挟む星野遼介と小田貴子
その姿をじっと見ていた樋山が、唐突に、
「先生。全然関係ないと思いますが。遼介氏の経歴調査が行き詰まっていたとき、うちの調査員が尾行を提案したので、本題ではないけど、何かの足しになるかもと、許可したんです」
倉科が尾行と言う言葉に反応した。
「尾行? それで何か判ったの?」
樋山は頭を掻きながら、例のiPadに画像を検出した。
「あまり大したことじゃないですが……。正式の尾行調査じゃないので、GPS検索がメインですけど。遼介氏の居住地と交際していると思われる女性と彼女の実家が判明しました」
女性の画像を見て、倉科はギョッとした。ビオラ奏者の小田貴子だ。続いて見せられたのは、蔦で覆われた古い洋館だった。
「ここに住んでいます。目黒区の高級住宅街です。女が何度も泊まりに来ているようです。調査員が確認したのは二回だけですがね。周囲の人は何度も二人を見かけたと言っていますから」
やはり、遼介と小田貴子は繋がっていたのか……。倉科の頭の中で、綾乃が「貴子はじっと二人の会話を聞いていたようだった」とか「貴子はびっくりしていたわ」と語ったことが引っかかった。
ー綾乃を含む彼女達三人の話は、遼介に筒抜けだったー
彼女達は何か重大なことを話したのか……? 遼介が犯人だとしたら、殺人の動機となるようなことを……。
盛夏に向かう太陽の西日は低くなっても猛々しい。大きな引違ガラス戸のカーテンを突き破って、応接室の床に刺さっている。
倉科は思考を止めて、「彼女の実家は?」 と尋ねた。
「横浜中華街の近くで、父親は日本生まれの中国人でKOA貿易と言う会社を経営しています。先先代って言いますから、曾祖父、ひいおじいさんが、創業者で、なんでも、戦前の南満州鉄道、満鉄の理事で男爵だった人物と親交があって事業を始めたらしいです。背が高くて、彫りの深い顔だったので、本当にシナ人? と周囲が疑ったことを年配者はよく覚えているとのことです。社屋は四階建ての自社ビルです」
綾乃の言っていた「お母さんは元男爵の孫」その通りだ。
「主にどんな商品の輸出入をしているの?」
倉科はiPadを操作して、商業登記簿謄本を示しながら、ここに記載されている物品以外にバイオリン等の楽器を中国から輸入しているらしいことを近所から聞きました」
遼介が中国語に精通していることが何やら関係がありそうだ。
また、倉科は綾乃の言った、「二人が顔を見合わせて、さも意味ありげに、高い楽器を紹介しているんだから……」言葉を思い出していた。
樋山は続けて、
「二三回、短時間ですけど張り込んでいたら、同じような黒塗りのセダンが同じような位置に長時間駐車していました」
「へーっ? 何だろうね? 」
樋山が苦笑いしながら、
「調査員が運転を誤って、その車のバンパーに少し接触したんです」
「そりゃ大変だ、何か問題になった?」
「それが、ですね、体格のいい二人の男が飛び出して来て、中国語なまりの日本語で、なんとか、かんとか,捲し立ててきたので、怖くなった調査員が、『事故にしてください。警察をよんでください』って言ったら、同じようなセダンが急接近してきて……」
倉科は非常な興味を惹かれて、
「それでどうなったの?」
「ドアのガラス越しに、恰幅の良い人物が、中国語で男達を一括して、『大丈夫ですよ、どうぞ、行ってください。警察は呼ばないでください』って。男達は去って行く車に最敬礼していたそうです」
「不思議だね。金にうるさい中国人が何も要求しないなんて。それとも警察沙汰になると困ることがあったのかな?」
倉科は首を傾げた。
(変な予感がするなぁ……。小田貴子の実家を監視しているのは中国の政府筋か? それとも黒社会と呼ばれる中国マフィア?)
樋山が倉科の顔を覗き込みながら、
「先生。具体的な証拠が必要ですね」
「我々の推論を証明するためにね。だけど、探偵の調査としてはもう十分だろうよ。これ以上のことをやっても調査料金が出ないからね」
倉科は常々、探偵学校で探偵業務とは、依頼された事項を、依頼者の意思に従って、適法に調査し、決められた期間に報告することだと教えている。その段からすると、樋山の調査は依頼事項を超えていることになる。
倉科の言葉に樋山が意外な提案をした。
「被害者を探せばいいのですよ。高い紹介料、レッスン料を取られて、希望どおりにならなかった生徒を」
倉科が樋山の意気込む態度を見て、
「その調査料金は誰が出すの? まあ、依頼者に当たってみてもいいけど、大体の調査事項は判明しているから期待薄だろうよ」
「私のコネクションを総動員してやってみます。調査料金なんかは必要ないです」
倉科の心配をよそに樋山が力強く答えた。彼はこの案件に、たいそう個人的に興味を覚えたようだ。
倉科は、大林のアリバイ調査に関する報告書と夢想花に関する信用調査報告書を受取り、料金の精算を済ませて、樋山探偵社を後にした。
(早速、大林に報告だ。殺人事件の嫌疑を晴らしてやったのだから、多少ふっかけても罰は当たらないだろ)
倉科は自分勝手な理屈をつけて儲けを企んだ。友人関係でもビジネスはビジネスと割り切っている。
夕陽が眩しい。倉科は照り返しの強い舗道を歩きながら、第二の案件である夢想花、特に星野遼介について考えていた。
(しかし、遼介の実態に関しては、どこまでも推論の域を出ないなぁ……。依頼者が知りたいであろう娘の鈴木正恵と遼介の関係も然りだ。警察は我々の掴んだ証拠程度では動かないだろう。樋山が何か新しい証拠でも見付けてくれれば別だが……)
考えを巡らしながら、トボトボと渋谷駅に向かって歩き続けた。上着を脱ぎ、ハンカチで汗を拭う。長い坂道を下ると、駅前のスクランブル交差点が見えてくる。
大林の依頼案件は上首尾に完了したが、倉科は樋山から一連の報告を受ける過程で、三件の事件について、何か黒雲のようなものがモクモクと湧いてくる懸念を払拭できないでいた。
(そう言えば、三村里香殺人事件の捜査はどうなっているのだろう? 進展はあったのだろうか?)
梅雨の初め頃に発生した事件は梅雨が終わっても解決の兆しが見えて無いようだ。犯人逮捕の報道はいつになるのか。
零細自営業者のささやかな自慢は、時間に余裕があるので、満員電車を拒否できることである。倉科は常に、このように思っている。
しかし、本日は倉科の意に反してラッシュアワーの渋谷駅から満員電車へ乗る羽目になった。ギュウギュウ詰めの車内で、前後左右に押されながら、今まで判明した事項を組み合わせてみた。
(榊江利子と鈴木正恵の線は遼介に繋がっていると思うが、殺人にまでに至る強い動機が見当たらない。二人と三村里香に関しては何の接点もない。三人を結ぶ線として亀井綾乃がいるだけだ)
倉科の直感は三件が繋がっていると、訴えているが、現在のところ濃い霧の中を彷徨っているに過ぎない。
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