四重奏連続殺人事件

エノサンサン

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四重奏連続殺人事件

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事故車の検証

 名古屋駅の改札には竹橋が待っていた。相変わらずニコニコしている。
 「申し訳ない。大先生に御足労戴いて」
 倉科が大仰な礼を述べると竹橋は「ハッハッハッー」と体を揺すって笑い声を立てた。
 「車で来ているんだ。あそこに停めてあるから」と言って丈竹橋はスタスタと歩き出した。
  倉科は思い旅行バッグを肩にして後に従った。
 「八事まで行くんだけど、夕方だから混んでるかもな」
  竹橋は運転席に座ると、独り言のようにつぶやいた。
 「八事?」
 「そう、昭和区八事、八つの事と書いて、やごと、と読むんだ。鈴木社長のお宅がある場所だわね」
  珍しく名古屋弁が出た。竹橋は倉科の前ではめったに使わないのだが……。
  一般道と高速道路を使って、広い敷地をもつ高級邸宅街に着いた。どこをどう走行したのか名古屋の地理に疎い倉科にはまるで判らなかった。名古屋大学、南山大学、中京大学と表示があったのは覚えている。文教地区なのだろう。
  「どうだ、名古屋で一番の場所だぞ」
  竹橋が自慢するように言った。
  車は大きな門のある豪邸に近づき、門を通過して玄関に横付けした。上品な感じがする初老の夫婦が二人を出迎えに出ていた。
  「ご無理申しまして……。誠に恐縮でございます」
  車から降りた竹橋が、如才なく挨拶をし、続けて倉科を紹介した。
  「この間から、調査をいらいしている友人の倉科です」
  「鈴木です。どうぞよろしくお願い致します」
  鈴木氏の挨拶に続いて、倉科が名刺を差し出しながら、
 「倉科と申します。この度は勝手なお願いを致しまして、御迷惑をおかけ致します」
 「迷惑だなんて、とんでもない、納得のいくまで調べてください」
  鈴木氏の言葉に続いて、夫婦は顔を見合わせ、複雑な表情をしている。第三者に事故車をいじくり回されるのは気持ちの良いものじゃないだろうと、倉科は夫婦の表情から推察した。未だに処分する決心がつかず保管しているのは、事故原因の究明もさることながら、娘の魂が留まっていると感じているのかもしれない。
  倉科と竹橋は母屋から少し離れたガレージに案内された。先導したのは、何年も鈴木家でお手伝いをしているという初老の女性だった。
  「お嬢さんが亡くなったなんて、今でも信じられません」と、何度も繰り返していた。
  ガレージの扉は、人感センサーが設置されており、上へスライドする方式になっている。
  照明を点けると、黒塗りのベンツ、マイバッハとベントレー・コンチネンタルが浮かび上がった。いずれも最高級グレードだ。竹橋がヒューと声を上げた。
  「ベンツもベントレーも五千万はするぞ」
  内外の高級車が何台も並んでいるその脇には鈴木正恵のものと思われるラリー仕様の少し旧型のランサー・エヴォリューションが置かれている。頑丈に作られたバンパーとリアウイングが倉科の目を引いた。
  周囲の壁には、まるで自動車修理工場のように数多くの整備工具が収納されている。このガレージの所有者は車に相当詳しいに違いない。
  竹橋が、鈴木正恵が使用していた車を見ながら工具類を手に取り呟いた。
  「父親がカーマニアだから、娘もその影響を受けたのだろうな」
  事故車はガレージの一番奥に保管されていた。青いシートで覆われている。二人は重いシートを外し、全容を光の中に出現させた。意外にも箱形のバンだった。
  倉科はあれっ? と妙な感じがした。
 『これだけ高級車が揃っているのに、何で代わり映えのしないバンなのだろう……?』
  倉科は竹橋に向かって、
 「悪いね。弁護士先生に力仕事させて」
 「何を言うとる。昔は二人でもっときつい引っ越し屋のバイトやったろうが」
 二人は司法試験受験時代に体験した過酷な肉体労働を思い出し苦笑した。
 事故車はフロントガラスが衝撃でクモの巣を張ったように割れており、ボンネットがV字型にへこんでいた。運転席付近にある染みは血痕だろうか? 点々と付着している。
「鼻が短いから、もろに衝撃を受けるわな」
 「鼻?」
「ボンネットのことだがや」
  倉科は竹橋の言葉で、フロントガラスの状態を再度確認して、納得した。
  車内、ボディー、車の床下まで目視したが、樋山の予想通り何も判らなかった。それでも、倉科はスマホとデジカメで手当たり次第に映像を撮り続けている。一時間以上は費やしている。しかし、事故ではない、と思わせるような発見には至らなかった。
  早々とギブアップした竹橋が、
 「専門家でも判らんのに、素人じゃアカンて」
  倉科も同感だった。最後にもう一度、車体全体を調べて終わりにしようと思い、見渡していると、後部座席に置いてあるヘルメットに目が留まった。白いフル・フェイス型だ。ラリーに使用したのだろうか。倉科は手に取って矯めつ眇めつしている。正面から見ると右側に黒く擦ったような跡がついている。
  「これも事故のときからあったのかなぁ?」
  「あったのだと思うよ。警察の検証が終わって引き渡されたときから指一本触れてないらしいから。あ、交通事故鑑定人がいたか」
  倉科は軽く頷きながら、
 「鑑定人はプロだから、検証物をむやみに触ったり、動かしたりしないだろうよ。警察から引き渡されたままだと考えて良いだろう」
  さらに、倉科は右手で顎をひねりながら、
 「警察はヘルメットのことを何か調べたのかなぁ?…。鑑定人はどうだったのだろう?」
 「何も聞いてない。鈴木さんから警察の捜査結果と鑑定人の報告は詳しく教えてもらったけど……」
  竹橋が倉科に向き直って、
 「お前、偽装事故の線を追っているんだろうけど、少しは見当がついてるのか?」
  倉科は竹橋の問いに答えず、助手席に座り込んで、身体を前後左右に動かしている。
 「衝突した時、星野遼介はどんな状態だったのかなぁ……。頸椎打撲って聞いているけど…。フロントガラスに頭をぶっつけたのかなぁ…」
   竹橋が、倉科の呟きに対して、
  「頸椎打撲、むち打ち症だよ。フロントガラスにぶつかったかどうかは判明していない。彼の証言では衝突時に寝てたらしいから」
   職業柄なのか、説明口調のときは名古屋弁が出ない。倉科は竹橋の顔を見ながら、面白い現象だと感じた。
二人は事故車にシートを掛け、電灯を消し、スライド式の扉を押し下げてガレージ閉めた。その足で母屋へ向かい鈴木夫婦に礼を告げた。
 「何か判りましたか?」
  鈴木氏は愛想程度に尋ねたが、素人にはたいして期待していない様子がありありとしていた。
  倉科は恐縮の態で、
 「なかなか、難しいですね。今のところ何もわかりません」
  この言葉を聞き、今まで笑顔を絶やさず控えめにしていた夫人が語気鋭く、
 「あの子は絶対に事故など起こしていません。倉科さんよろしくおねがいします」
  と言って倉科の目をじっと見つめた。
 「私もそう思います。何とかして調べますのでご安心ください」
倉科は反射的にそう言ってしまった。鈴木氏は妻と倉科のやり取りを聞いて何とも言えない表情をしている。
「ところで、お宅には何台も高級車があるのに、お嬢さんは何故、普通のバンで出かけたのですか? いつもあの車を使っていたのですか?」
 倉科の問いに鈴木氏は、
 「いつもはアルファロメオに乗っていました。あの日は演奏用の機材を運ぶのでバンで行くと言っていました」
 「その機材は事故車に積まれていましたか?」との倉科の質問に、鈴木氏は、
 「いいえ何も積まれていませんでした」
  倉科の脳裏に何かゾワッとしたものが走った。例によってそれが何であるかは当人自身にも判らなかったが……。
  二人は鈴木夫婦に見送られて、車に乗った。発車するとすぐに竹橋が詰問口調で、
「お前、さっきの質問に答えてないぞ。何か見当でもついているのか?」
 倉科は助手席の背もたれにグッタリと身を預けている。
「いや、現在のところ何も掴んでいないよ。それより、蕨市の事件、その後、どうなってるか聞いてる?」
「黒いセダンを追っていることは伝えたよな。それより、お前、奥さんにあんなことを言って大丈夫なのか?」
  倉科は頭を掻いた。
「いやぁ……。奥さんの真剣な顔を見ていたら、つい、安請け合いしちまったよ」
 竹橋がフンと鼻で笑っている。
「それがお前の弱点でもあり長所でもあるんだなぁ……。人が良いと言うのか」
  名古屋駅までは通勤コースと逆方向なので混雑は少ない。二十分もあれば大丈夫らしい。道すがら、倉科は自分の推理を話した。榊江利子、鈴木正恵、亀田綾乃、三村里香と星野遼介の関係についても詳説した。竹橋は運転しながら注意深く倉科の説明を聞いている。
 「まず、第一に偽装事故の件だけど、運転者の意思に反して急ブレーキを作動させて、コンクリート防御壁に追突させる必要がある。第二は、シート・ベルト不着用の理由だな。この二つがクリアされないと、お前の妄想にすぎないことになる。福岡の件は星野遼介のアリバイと鍵の細工だな。蕨の件は、ちょっと考え過ぎじゃないか、人違いなんて」
  正直な感想だと思う。さすがに職業柄か、他人の話から要点を纏める能力は凄い。だてに敏腕弁護士と呼ばれてはいないことを実感させた。
「竹橋よ、お前も考えてくれよ。俺よりずっと頭が良いんだから」
  倉科は助けを求めるように懇願した。
「だめだめ、俺はコツコツと事実を積み上げて考えるタイプだから。誰にでも理解できて、解釈が可能なことなら大丈夫だけど……」
  倉科が自嘲気味に、
 「お前のような突飛な思考方法には附いて行けないってか?」
  竹橋は愉快そうに「ハッハッハッ」と声を立てて笑った。
  倉科は憮然として、不満そうに呟いた。
 「そんなに突飛かなぁ……。俺の考えは……」
  竹橋は真剣な口調で、
「何度も刑事弁護を担当して、その方面には強い方だけど、お前の考え方は、見込み捜査の典型だ。何の証拠もないだろう。そんな捜査官がいたらどうする?強引な捜査、不法な捜査だと糾弾されるに決まってるよ」
  倉科は竹橋の指摘を受け、冷水を浴びせられたような気分になった。
 「確かにそうだよな。物証はおろか状況証拠と言えるようなものさえないからなぁ……。でも、気になることが多すぎるのも事実だし……」
  倉科は正恵が何故、保有している高級車ではなくバンを使用したかについて納得がいかない点を述べると、
「さっき、鈴木さんが言っていたじゃないか。演奏機材を運ぶためだって」
 「でも、機材のかけらもなかったし……。星野遼介がバンを指定したとしたら……」
  竹橋はその言葉を聞きながらも、
 「ブレーキとシート・ベルトの件が解決しない限り、問題にならないよ」と否定した。
  倉科は次に、「今は、あのヘルメットが気になっているんだが」と言いかけて、もう一度、偽装事故に関して考えてみた。突如、何だか滑稽な状況が目に浮かんだ。倉科が想像したイメージは、ヘルメットとシート・ベルトを着用した星野遼介が事故の起きるのを待っている?
 いや、事故を出現させた? 自分でもおかしく思ったが、その考えを竹橋に話した。
 「あのね、自動車教習所の車、知ってるだろ? あれみたいに教官用のブレーキが助手席に装備されていれは別だけどね、そんなのないだろう?」
  倉科の頭の中で何かが響いた。ブレーキを踏めばいいのか……。しかし、それから先の考えが続かない.
  名古屋駅に着き、倉科は竹橋に今夜の礼を言うとともに、これまでの調査報告書と経費精算書を手渡した。
 「調査経費は明日中に振り込んでおく。それから、九州での経費も請求しろよ。鈴木さんには俺から頼んでおくから。何だかお前の調査に期待したい気分になってきたよ」
  竹橋は笑いながら右手を挙げて「それじゃ」と踵を返した。
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