四重奏連続殺人事件

エノサンサン

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四重奏連続殺人事件

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サム・ターンによる開閉錠

 翌日は昼過ぎまで寝ていた。出張の疲れだろうか……。俺もそんなに若くないからなぁ…。倉科は自問しつつ苦笑した。
 居間のテーブルの上に「お昼は、冷蔵庫の残りで済ましてください」とのメッセージが置かれており、家人は誰もいない。
 倉科はタバコに火を点け、コーヒーを沸かす準備を始めながら、ずっと気になっていた小田貴子の曾祖父である小倉高太郎のことを調べようと思ってスマホで検索を始めたが、画面の小ささと字の細かさに閉口して、事務所兼居間にあるパソコンに向かった。
 ウイキペディアによると、小倉氏は元帝国陸軍少将から満鉄理事に就任し、男爵に叙せられていたことが記載されていた。「東トルキスタン紀行」なる著書もあるとのこと。倉科はこの著書から何か判るのではないかとの思い、ネットで国会図書館の画面を開き蔵書確認をした。
(明日、行って調べるか……)
 樋山に連絡を取った。弾んだ声が返ってきた。
 「先生、施錠の謎については大体判ったのですが、少し問題があるんです」
 例によって、こちらが喋る前に、自分の伝えたいことを一方的に話し始める。
 「問題? どんなこと?」
 倉科は何か重大な見落としでもあるのかと、次の言葉を待った。
 「たいしたことじゃないのですが、謎を解明するには少し道具が必要なんです」
 少し安心した倉科が問い返した。
 「どんな道具? 特殊な装置なの?」
 樋山は倉科の問いに答えず、もったいぶった様子で、
 「いやぁ、詳しいことは事務所で話します。施錠の謎以外にも、面白いことが判りましたから。どれくらいで来られますか?」
 一時間以内に到着する旨を伝えてスマホを置き、
 (道具って何だろう? しかし、大体の見当をつけたのならたいしたものだ。それ以外の面白いこととは何だろう……)と考えながら、目覚ましのコーヒーを飲んだ、
 渋谷駅から樋山の事務所へはタクシーを使用した。
 気温三十度をはるかに超えているので、体力の温存と期間の節約を考えれば、歩くのは得策ではない。
 事務所では数名の調査員が出迎えてくれた。
 樋山は応接室のテーブルに写真を並べて倉科の到着を待っていた。
 どの写真もキャビネサイズに引き伸ばされている。ドアの全体像、鍵穴の周囲、郵便受けの外周部分にある痕跡、回転させて鍵を開ける部分にあるキズが一目で判る。それらの写真を前にして、樋山が説明を始める。
 「ピッキングで鍵の開閉が可能ですが、その技術を持っていないと仮定して、別の方法を考えてみました。一応、ピッキングされたかどうかも調べました」
 「へーっ? そんなことも判るの?」
 倉科は不思議そうに声を上げた。
 「ピッキングすると、鍵穴の周囲にキズが付くんですよ。ほら、この鍵穴の周囲には全くキズがないでしょう」
 樋山は、鍵穴周囲を拡大した写真を倉科に手渡した。倉科が目を凝らして見てもキズのようなものは見えない。
樋山はしたり顔で、
 「そうなると、考えられるのは、サム・ターンしかないことになります」
 「サム・ターン?」
 倉科の疑問に樋山が笑って答えた。
 「先生には、英語で言ったほうが理解しやすいでしょう。親指を意味するTHUMBと回転のTURNですよ」
 「THUMB・TURN? 親指回し?」
 倉科は怪訝そうに問い返した。
 「そうです。回転させて鍵を開閉させる部分のことです。そこをドアの外側から捜査して鍵を開けるテクニックをサム・ターンと言うのです」
 「それは、ピッキングより簡単なの?」
 「条件にもよりますが、ドアに郵便受けのような開口部分があると簡単です」
 「誰にでもできるの? 特別な技術は必要ないの?」
 倉科は息せき切って質問を浴びせている。
 「ええ、時間を掛ければ誰でもできると思いますよ。ピッキングで鍵を開閉するのに比べるとずっと簡単です」
 「もっと具体的に教えてくれよ」
 倉科は実際の方法について聞きたくてウズウズしている。声が一段と大きくなった。先生のせっかちな性格を知っている樋山は苦笑いしながら説明を始めた。
 「最初に鍵を開ける方法から説明します。ドアの開口部分、普通は郵便受けですが、そこから針金を差し込んで、サム・ターンに引っ掛けて回転させるんです。サム・ターンの位置さえ判れば簡単です。慣れれば、開錠するのに五分とかかりませんよ」
 樋山の説明に、倉科はウンウンと何度も大きく頷いている。
 「鍵を掛ける場合は、その反対ってことだな」
 樋山は右手の人差し指を倉科の眼前にピンと立てた。
 「その通り。サム・ターンの位置が最初から判っているので非常に簡単です。そこに針金を掛ければいいだけですから」
 「でも、そんなに簡単にサム・ターンとやらが回転するの?」
 樋山は疑問に答えるため、倉科を玄関ドアまで案内して、サム・ターンを指さし、
 「先生。やってみてください」と勧めた。
 倉科がサム・ターンに触れると、驚くほど簡単に回転した。全く力を要しない。普段、同じようにして鍵を開閉しているのだが……。考えたこともなかった。
 「この手口をどうやって知ったのかなぁ……」
 倉科の脳裏に博多のホテルで見たテレビの一場面ーゲリラ訓練所が浮かんだが、樋山の言によると、電波とか鍵のマニアが愛読する雑誌があり、サム・ターンについても丁寧に解説されているそうだ。
 「判った! 道具って言うのは針金のことだろう? でもどうしてそれが問題なの?」
 倉科の問いに、
 「鍵屋なら針金を持っていても変じゃないですけど、普通、針金を持ち歩く人っていますかねぇ?」
 「計画的犯行なら十分考えられるよ」
 樋山は、倉科の考えに「ウーン……?」と考え込んで。
 「先生から聞いた説明では、榊江利子なる女性は星野遼介にとってまだ利用できるんじゃなかったですか? 金の卵を産むニワトリを潰しはしないって言っていませんでしたか?」
 倉科は樋山の言葉に反応して、
 「そうだったなぁ……。そうなると、偶発的犯行か?」
 倉科の答えを聞いた樋山が、
 「殺害の後、偶然にサム・ターンを思い出して密室を偽装したと考えるのが、スッキリするんですがね……。その場合、道具である針金が問題になるんですよ。犯人が所持していなかったとすると、その部屋にあったとしか考えられませんね。でも、一人暮らしの女性の部屋に三十センチを超える針金がありますかねぇ……?」
 と、倉科に疑問を投げかけた。
 倉科の乏しい? 女性経験から回想しても、樋山の言うような長さの針金を常備していた人物には思い当たらない。
 「針金、針金ねぇ……」と倉科が考えあぐねていると、樋山が、
 「ね、先生、そうでしょう」と、自分の考えに対する同意を求めた。
 倉科は榊江利子の部屋を思い出しながら、
 (……何か針金か、針金のようなものがあるはずだが……)と考えたが、今は何も出てこない。
 倉科は別の質問に移ることにした。
 「鍵以外で面白いことが判ったらしいけど?」
 樋山は待ってました! との態度で、
 「先生のおっしゃった、ビッグコイン、シルクロード、トアはクラブの名前じゃないですよ。おそらく、ビッグコインは、ビットコインの間違いだと思います。そう考えると、三者の関連が見えてくるんですよ。ビットコインはご存知の通り仮想通貨で、シルクロードは何年か前にFBIに摘発された闇サイトで、麻薬から銃器、爆弾、偽造パスポート等ありとあらゆる違法取引がなされていたんですよ。トアは『Tor network』のことで、身元を隠ぺいすることができるネットワークで、これを使用してシルクロードにアクセス手段なんです」
 樋山の解説の殆どが、倉科にとってはチンプンカンプンに等しかったが、星野遼介が違法な取引をしていたことだけは理解できた。
 「ああ、それで、亀井綾乃が江利子と正恵が、『専務はアノ楽器だけじゃなくて、トアとかビッグコインだとかシルクロードとかの取引でも儲けているはずなのに』の意味が判った」
 しかし、このことが連続殺人の動機になりうるだろうか? 倉科は目を閉じて自問した。
 倉科の表情を伺っていた樋山が、
 「先生。何か重要な部分が判ったようですね。役に立ちましたか?」
 「役に立ったどころじゃないよ、いや、ありがとう。ところでアリバイの件は?」
 倉科に提供した情報が大当たりだったので機嫌をよくした樋山が、
 「さっき、電話で確認しました。当日は福岡で友人達とのパーティーがあったようです。『会場でお会いになられた方ですか?』って聞かれましたよ」
 「どんなパーティーだったのかも聞いた?」
 抜かりありませんよ、との表情で樋山が答えた。
「 九州地方に住んでいる昔のバンド仲間を集めて、ちょっとした音楽イベントを開いたらしいです。星野遼介氏の主催で、バンド演奏の後、来客も含めてパーティーを開催して、その後、仲間同士で明け方まで騒いでいたそうです」
 上手く聞き出したものだ。倉科は教え子の技量が上達したことを喜んだ。
 「それじゃ、アリバイについても難しいなぁ……」
 「そこまでは聞けなかったですけど……。主催者が途中で抜けるってのもおかしな話ですし……」
 樋山は少し言葉を濁したが、倉科は、刑事じゃあるまいし、そこまで尋ねることができないのは当然だろうと思った。
 しかし、星野遼介が榊江利子死亡の当日、福岡に居たことが判っただけでも大収穫だが……。
 サム・ターン手法で密室の解明はできても、アリバイが崩れない限り何にもならない。それ以前にサム・ターンに使用した針金の問題もある。
 事務所を出る前に、倉科は樋山から渡された経費精算書に目を通した。妥当な額が記載されている。倉科は樋山の目を見ながら、ニコッとして、
 「ありがとう。遅くとも明日中には振り込んでおくよ」
 倉科は玄関で、ふと、思い出したことがあり、樋山に尋ねた。
 「星野遼介氏の所有している車について調べてくれない?」
 樋山は顔に、何をいまさら聞いているの? 前に話したじゃない、との表情を浮かべて、
 「黒のBMWで、普通のセダンです」
 「あ、前に聞いたかな? いや、ありがとう」
 樋山の事務所をでた倉科は、南平台の御屋敷街縫ってブラブラと渋谷駅方向にあるいている。途中、白く高い壁で囲まれた邸宅の勝手口にクリーニング屋の軽トラックが駐車していた。
 仕上がり品を屋敷の中に運び込んでいる最中だ。
 何となく眺めている倉科の目に、洋服に付けられたハンガーが飛び込んできた。
 鉄のワイヤー製だ。
 榊江利子の部屋にあったクローゼットを思い出した。
 衣類はビニールのカバーで覆われた針金のハンガーに掛けられていた。
 針金の出何処が判った。
 倉科はその場から博多の榊怜子に電話をした。一応の挨拶と経過報告をした後、ハンガーについて尋ねた。
 「例のコートに付いていたハンガーも針金でできていましたよね?」
 「ええ、他の服のハンガーもそうですから。でもハンガーは付いていませんでしたよ。何か関係があるのですか?」
 怜子の怪訝そうな声が聞こえた。
 「いや、まだ詳しいことは判明していませんが……」
 倉科の返事に
 「ああ、そうですか……」と、がっかりしたような声が返ってくる。
 玲子を喜ばせるためにも推理の結果を語りたい気持ちに駆られたが、何事にも慎重な倉科はぐっと我慢した。
 (道具の件は解決したぞ。後はアリバイを崩せばいいだけだ。しかし、事件から三ヶ月以上経過しているから、普通の防犯ビデオでは、星野遼介の画像は消去されているだろうし……。いや待てよ、まだ殺人の動機が不明確だ。単なる金銭争いじゃ弱すぎるし……)
 倉科は汗で濡れたスマホを胸ポケットに仕舞いながら、核心に辿り着いたような、まだまだ、道半ばのような複雑な感情に襲われた。

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