雨音は鳴りやまない

ナナシマイ

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第一章

マクニオスの常識(2)

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 シルカルの「紙とペンは机の引き出しに用意してあるので、それを使うように」という言葉によって、わたしはうきうきな気分のまま、つまらない夕食を終えることができた。

 部屋に戻り、机の引き出しを確認してみると、シルカルが使っていたものと同じ、紙の入った木箱とペンが入っていた。
 ペンは琥珀色――というより、樹液で覆われた木の枝のようだ。
 ごく薄く光っているので、これも魔法具なのだろうけれど、よくわからない。普通に書けるが、インクが入っているようには見えないため、それが魔法なのかもしれない。

 そしてさっそく、他の曲を作ることに。
 新しい楽譜の書きかたにも慣れておきたいし、イェレキの音に出会ってから、「曲を作りたい」という欲が止まらないのだ。文字を覚えたら、とは言われていたが、どうせ作るのなら、今でも良いだろう。

 ――ピイィィン、ピイィィィン……。
 ――。

 わたしは久し振りに夜更かしをして、翌朝目覚めたのは、かなり陽が高くなってからだった。
 予定は午後からなので問題ないが、まだ寝足りなく、やはり子供の身体なのだということを実感する。

 昼食後は文字の勉強だ。
 基本的に、なにかを教わるときは居間か陽だまり部屋を使う。自分の部屋というのは、個人的な空間であり、家族でも他人を入れることはあまりしないらしい。確かに、ヒィリカが入ってきたのは最初の夜と、ツスギエ布の纏いかたを教わったときだけだった気がする。ということで、今日は居間である。

 文字は基本文字、特別文字、古代文字の三種類があり、通常、使うのは基本文字だけだという。

「レインは神とお話することを望んでいるのですから、そのうち特別文字も覚えることになるでしょうけれど。木立の舍でもほとんど使われませんし、今は基本文字だけで良いでしょう」
「古代文字は覚えなくても良いのですか?」

 三種類の文字に古代文字、と聞くと、どうしても古代エジプトを連想してしまう。あれは確か、石などに刻まれる神聖なものと、公的、宗教的なものを書くためのもの、一般人が使うもの、と用途が分かれていたはずだ。……名前は、神聖文字――ヒエログリフしか覚えていないけれど。
 とにかく、そのヒエログリフにあたりそうな古代文字は、神さまを呼び出すのに必要そうだな、と思ったのだ。

 しかし、ヒィリカは笑顔で首を横に振る。

「古代の文字、なのですから、今は使われていませんよ」

 それならわざわざ言う必要もなかったのでは、もしかしてヒィリカは使えるのでは、と思ったが、勿論口にはしない。

 さて、ひとまず覚えなくてはいけない基本文字は、表音文字であった。
 母音と子音で構成されるそれは、アルファベットと似ている。
 そして一つひとつ発音を聞くと、もともと発音していたものであったからか――わたし自身は日本語を話している感覚だが――、染みつくように覚えることができた。なんとなく苦労しそうな予感がしていたので、拍子抜けである。

 続いて簡単な単語を教わる。これまた不思議なことに、読みかたを覚えた文字が使われていて、かつ、知っている言葉であれば、教えてもらわずともその意味がわかるようになっていた。
 耳で聞いたマクニオスの言葉が、頭の中で勝手に翻訳されるのと同じだ。
 少し異なるのは、書かれた言葉は一度、音として認識され、それが翻訳される、という過程を経るため、若干の遅延が発生するということか。その感覚には違和感があるが、慣れてしまえば大丈夫だろう。

 書くときも同じだ。言葉の音を意識して書けば、自然に文字を書くことができる。
 意味と文字が、音を通して紐づいているのだ。

「レインは本当に飲み込みが早いですね」

 ……多分、神さまのおかげなんだけどね。そう思いながら、わたしは曖昧な笑みを返した。



 なんだかんだ言って、ここへ来てから、しっかりした勉強をしたのは初めてだ。少し疲れてしまった。
 夕食後、部屋に戻ったわたしは、茶を飲んでひと休みすることに。
 居間と同じように、窓際には低い机と椅子が置かれている。椅子はふかふかで、のんびりできるお気に入りの場所だ。

 湯のみに口をつけながら、なんとなしに部屋の中を見回すと、ふと、「神」という文字が頭に浮かんできて、ピクリとする。……いや、文字が浮かんできたというより、見えたような気がしたのだ。
 もう一度、今度は注意深く部屋の中を見てみる。

「あ、本棚か……」

 その簡単な答えに、肩に入っていた力が抜ける。文字を教わったので、背表紙の文字が読めるようになっていたのだ。いくつかある読めないものは、特別文字なのだろう。
 部屋の模様でしかなかったそれを、文字だと、意味のある言葉だと、認識した瞬間だ。

 わたしのなかにあるこの世界が、少しだけ広がった気がした。
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