雨音は鳴りやまない

ナナシマイ

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第一章

マクニオスの常識(1)

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 楽譜は、タブ譜と似ていた。
 タブ譜は奏法譜とも呼ばれ、その楽器の奏法に合わせて数字や記号を使って記譜する、弾きかたが直感的にわかりやすくなっている楽譜だ。

 イェレキは弦の数が多い。そのため、並んだ十本の線が使う指を、書き込まれた数字が鳴らす弦を表すらしい。
 たとえば「二‐四‐九」というふうに、いくつかの数字を組み合わせることによって、百本近くある弦のなかから、一本の弦を素早く正確に見つけられるようになっている。見た目には左右でしか弦が分かれていないが、西洋音楽にオクターブの概念があるように、ある一定の音階で分割し、塊として捉えているようだ。

 ちなみに、数字はこの場で教わった。
 幸運なことに十進法で、ゼロはないが、一から九にあたる数字と、「十倍」を意味する記号のようなもので成り立っている。その記号の使い方を、シルカルは足し算を繰り返す回りくどい方法で説明してくれたが、要は掛け算を使えば良いということがわかれば簡単なことだった。

 それよりも気になったのが、四の倍数のときにだけ添えられる特別な記号だ。
 マクニオスに来てから、なにかと四という数字に出会う。木が唸るのは一日に四回であるし、一週間は四日。家の中の装飾も、四を意識した模様が多いように思う。……一か月は七週間だけれど。
 重要な数字なのかもしれないが、馴染みがなくて忘れてしまいそうだ。この記号がなくても、数字としては成立しているのだから。

 記譜についての説明は続く。

「これが、旋律の区切りを示す記号だ」

 通常――わたしの認識では、歌詞を対応する音符の下に書いたり、歌詞の上にコードを書いたりするものだが、ここでは違った。

「冒頭部分は弾いていなかったので、ここからだな――このようにして、範囲を指定する」

 シルカルはそう言いながら、括弧のような記号で楽譜と歌詞の一部をそれぞれ囲み、対応する数字を添えていく。歌詞が読めないので、あっているかはわからない……が、一度聞いただけの曲をよくここまで覚えていられるな、という驚きのほうが大きくてなにも言えない。

 とにかく、範囲さえあっていれば、そのなかでどういうふうに歌をはめるかは自由だということはわかった。

「レインの歌の旋律は繰り返しが少ないですし、楽器の旋律とも大きく異なるようですから、別に記しておく必要がありそうですね」
「……トゥウの楽譜と同じ方法にするか」

 シルカルは薄めの木箱から新しく記譜用紙を一枚取り出した。すらすらと動くペンを横から見てみると、単音を書いているようだ。
 時折、左指がイェレキを弾くみたいに動く。
 その様子は啓太が頭のなかでそろばんを思い浮かべながら暗算するときと似ていて、日本が恋しくなってくる。

 と、そこでわたしは、シルカルが旋律を小さく口ずさんでいることに気がついた。

「お父様……もしかして、主旋律をすべて書いているのですか」
「ん? ……ああ、レインは初めてなのだから、まずはこれを写すところからはじめれば良い」

 ……いや、そういうことを言いたかったわけではない。

普通は・・・楽器を弾いて確認しながら楽譜に書き起こすのですけれど。シルカル様は、いつもこのようにして書いていらっしゃいますよ」
「ヒィリカ」

 ……そういうことでもなかったのだけれど、まあ、いいや。
 先ほどシルカルに「普通ではない」と言われたことに対する仕返しのつもりなのか、ヒィリカの瞳に悪戯な色が混じる。それが可愛らしく思えて、わたしはクス、と笑った。

 その一方で、不安も大きくなる。
 一度聞いただけの旋律をなぞるくらいであれば、きっと、ヒィリカにとっても造作もないことなのだ。
 わたしは、とんでもない有能夫婦のもとに来てしまったのではなかろうか。
 せめて彼らの子供たちは常識の範囲内の能力であることを祈ろう。あと一週間ほど――四の月が始まる頃には、木立の舎から帰ってくるらしい。楽しみのような、怖いような、不思議な気持ちだ。

「……こんなものか」

 まだ楽譜を見ただけでは音を想像できないが、そう言って渡された楽譜の筆跡には迷いがない。きっと、すべて合っているのだろう。

「気立子であるそなたにとって、付加価値を持つことは重要だ。作曲ができるというのは、優位性にも繋がる」

 よそ者であるわたしが頑張らなくてはいけないという理屈はわかる。そして、作曲が優位性に繋がるマクニオスは、わたしにとって都合が良い。

「文字を覚え、余裕があるのならば、他の曲も作っておくように」
「わかりました」

 曲を作れと言われるのは、大歓迎だ。
 少なくともわたしとシルカルたち夫婦の利害は一致している。目指すところが高すぎる気もするし、わたしは早く帰りたいけれど、やはり、彼らのもとに来たのは正解だったのだ。

 表情を引き締めながら頷いたわたしを見て、シルカルは筆記具を片付けはじめた。
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