上 下
29 / 132
〈お菓子の魔女〉と呪いの少女

〈分散〉せよ、その魂!守り抜け、その想い!

しおりを挟む
 開かれたドアから現れる存在、舞台に上がるように優雅に歩く栗色の髪の美少女は白と黒で彩られたドレスを身に纏って歩いて来る。黒い皮のブーツは一歩を踏み出す度に心地好い音を立てて黒い星を散らす。月の光を背に目元までもが闇に隠れて見えない少女は恐らくはその美貌を台無しにする程であろう、口を鋭く横に広げるあの醜い笑みを浮かべた。
「それが〈お菓子の魔女〉小城 羊子だよ。存在から既に魔女に染まり切って穢れた身を……〈分散〉する」
 勇人は右腕を後ろへと引いた。かつて右腕のあった空間に漂う紫色の稲妻はこれから魔女に喰い付こうと待ち構えている。闇の中妖しく煌めき暴れ狂う稲妻を放出すべく、右腕を素早く突き出す。
【させない!】
 勇人が突き出した手の先で、稲妻は不規則に暴れ回り勇人は慌てて後ろへと飛び退く。
「邪魔しないで欲しいな」
 そんな言葉を投げられた那雪は言葉を聴く耳も持たず心も持たず、膝まづいて片目を閉じて汗を流しながら心底苦しそうに胸を押さえていた。
「魔法封じを受けて無理やり魔法を使うからそうなるんだよ、さあ、今度こそ」
 しかし、その言葉は半ばで途切れる。勇人の意識は羊子にも向いていたのだ。羊子はゆっくりと歩き出し、一歩一歩少しずつ那雪の元へと近付いて行く。勇人は短い言葉と共に静観する事に決めたのだった。
「放っておこう、邪魔者も消せるし丁度いい」
 那雪は涙と苦しみで掠れた視界の中に洋子を見た。
「洋子ちゃん……お願いだから。お願い……だから」
 羊子は那雪を見てさぞかし嬉しそうな表情で口を大きく開く。
「やめて、洋子ちゃん」
 洋子に叫ぶ那雪、しかし目の前の羊子は那雪の首元に白く硬いものを当て、力を入れる。
「洋子ちゃん、洋子ちゃん!」
 痛みは那雪の意識を明瞭にしていく。那雪の首に感じる湿りは血なのか汗なのか、生き血と想いの汗は那雪の頭に痛みを必要以上に激しく伝えていく。
「痛いよ、酷いよ! 楽しかった、嬉しかった、これからもそうして行きたいのに、一緒に笑って生きたいのに! 痛いよ、洋子ちゃん。優しいあの洋子ちゃんに戻ってよ」
「無駄だよ、ソイツは飢えてる。俺が与えた傷を癒した『お菓子』もそこまで空腹を満たせなかったようだから」
「嫌だ! 洋子ちゃんは良い子なの! 私の……初めての友だちなの! 心の底からの……初めての」
 羊子は歯にますます力を加えて行く。那雪の首へと、『お菓子』の中へと深くめり込んでいく。
 そんな『お菓子』の那雪はただ強く、洋子を抱き締める。
「お願い! お願いだから! 洋子ちゃん、【戻って来て】」
 それはこれまでの呪いとは違う、薄い青の優しいオーラと共に現れた那雪の本来の魔法。神聖なる暖かな光は羊子の身体を強く抱き締める那雪の力と同じ暖かさで包み込んでいく。やがて、白と黒のドレスは消えて寝巻き姿の美少女へと姿は戻って行く。羊子は沈み洋子が浮いてくるような感覚、那雪はそれをしっかりと心に浴びていた。
「なんだ! これが唐津家の娘の本来の力の使い方、呪いの修行を受けていないからこそ使える力。やはりきみは最初から『呪い』を使っていたわけじゃあなかった」
 そう語りかける勇人を息も絶え絶えに睨み付ける那雪。その意識は今にも遠い何処かへ、果てしない闇の果てへと飛んで行きそうであった。
「瀕死の那雪さんと眠る魔女の洋子さん、纏めて闇の中へと〈分散〉する」
【戦いは終わり】
 勇人は手を後ろへと引く。そうしてかつてあったそこへと集まる稲妻はその場に留まらずに勇人の右手に集まり、そして暴発した。勇人は言葉にすらならない叫びで夜の静寂を引き裂き、右手を押さえて足をふらつかせながら逃げて行った。
 そうしてその場に残されたのは月の輝く空の下にて死んだように眠る洋子を抱き締めたまま力尽きて意識を失い眠る那雪。世界に残るのはこの2人だけのようにも思えた。
しおりを挟む

処理中です...