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第三十話 魂なき皇帝 その2

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「私が皇帝陛下に? 何か証拠でも?」
「とぼけるつもりか!」
「私は皇帝陛下に勅命を賜った。その勅命に従うのは当然のことなのでは?」
「陛下は明らかにご病気だ! 意識が朦朧とされておる。そのような状態で正しいご判断ができるとは思えない。このような馬鹿げた命令など皇帝陛下が行うはずがない!」
「そう思うなら確かめればよろしいのでは? 皇帝陛下に直接聞いてみればよいでしょう」

 シルビアはそう言って、皇帝を見上げた。皇帝は相変わらず、虚ろな表情をしている。

「シルビア……シルビア…………我が愛しいの……我が愛しのシルビア……」

 皇帝はシルビアの名前をひたすら呼び続ける。その様子に将軍たちは絶句してしまう。あれほど、威厳のあった皇帝はいま、どこにもいないのだ。今は、老いた隠居者のようだった。シルビアは皇帝の肩に手を添える。

「皇帝陛下、どうかされましたか?」

 口をパクパクとさせるもそこに言葉などなかった。

 しかし、シルビアは笑みを浮かべて言う。

「あぁ、そうですか。わかりました。すぐにそのようにいたします。近衛兵! この席にいる全ての者を不敬罪とし、帝国から追放せよとのお言葉だ。これまでの忠義に免じて、命までは取らぬ、とのことだ」
「なっ?! ふ、不敬罪だと???!」
「早くしろ!  皇帝陛下のご命令だぞ!」

 シルビアが怒鳴ると近衛兵は慌てて、剣を抜き、槍を向けて将軍たちへ詰め寄る。

「気でも狂ったか!!」
「近衛兵隊長!! この魔女に従うのか!」

 怒鳴られた近衛兵士の隊長は明らかに目が泳いで、口籠る。

「へ、陛下の命令は絶対です……近衛兵としてその職務を全うする、それが我々の務めです」

 近衛兵の言葉を聞き、シルビアは笑う。

「お前たちもすぐにわかる。皇帝陛下が正しかったと……」

 そう言うとシルビアは面白可笑しくなり、笑い始めたのであった。

 この日、各方面軍の将軍はすべて解任され、追放処分となる。

 そして、帝国軍の全ての軍団の指揮権を得たシルビアは帝国軍の唯一の将軍として就任することになった。

 こうして、帝国の指揮系統は一つにまとまり、膠着状態が続いていた戦線がシルビアの一声で、一気に押し上げられた。迷いもなく、ただひたすらに彼女は命令を出し続ける。『蹂躙せよ』と。その言葉だけが命令書に書かれているだけだった。



♦♦♦♦♦



 シルビアが将軍の執務室を出て廊下を歩いていると一人の全身黒衣の老人が影の中から現れた。怪しい雰囲気を醸し出す謎の老人がシルビアへ恭しく頭を下げる。それに気がついたシルビアは横目で見た。

「あージルグか。どうだ、皇帝陛下のご容態は?」
「ククク。もう完全な操り人形よ」
「そうか。そうか。それは実に愉快なことだ」

 シルビアは口端を吊り上げて笑みを浮かべ、その様子を見たジルグも同じようにニタリと笑う。

「それにしてもお前が作った精神を崩壊させる毒、実に素晴らしい効果だ」

 シルビアは懐から小瓶を取り出す。その中には赤い液体が入っていた。

「まだ試作段階だったが、うまく行ったようだわい」
「ああ。まさか、ここまで効果があるとは思わなかった。これはもっと研究が必要だが、いいものができた。感謝している」
「それはよかったな」
「ククク。ところでシルビア、お主は一体何を企んでいる? 帝国を陰で支配し世界を手中に収めるつもりか?」
「いいや。もっと面白いことをする」

 それにジルグは興味深そうに目を細めた。

「神を殺し、この私が神となるのさ」

 シルビアはそう宣言すると、高らかに笑ったのだった。

「神を殺すじゃと。一体どうやるつもりじゃ?」

 それにシルビアは悪魔のように微笑み、白い歯を覗かせたのであった。

「神落としさ」


♦♦♦♦♦



―――話は数年前の過去に戻る。あれは秋の終わり、冬の始まりの頃だった。

 帝国が大陸を支配するために軍を発し各国へ宣戦を布告した年。初代皇帝ゼクス・マキューラスによる大陸統一事業の幕開けとなる。

 北の国、大きな山の麓の下に栄えた小さな国アヴァロニア。人口は約10万と少なく、帝国の一つの小さな都市程度の人口でしかない。

 北の奥地にあるこの国は他国から攻められるという心配はあまりない立地であった。そのため、国民の大半は平和ボケしていたといえよう。春は雪解け水を飲みに森の動物が集まり、夏には涼を求めて人々が遊びに来る。秋の収穫祭ではみんなが笑い合いながら食卓を囲み、冬の寒さも暖炉の前で家族と語らいながら乗り越える。みんなが家族のような存在だった。

 この年、大地は雪と氷に覆われ、辺り一面、雪化粧となっていた。吹雪が毎日のように吹き荒れ、部外者の侵入を拒んでいたようにも思えた。

 ある日のこと。吹雪は止み、久々の天候に恵まれ、太陽の光が差し込んだ。地平線がどこまでも見えた時、アヴァロニア人は恐怖する。


 遠くから鉄のすれる音と共に角笛の音が吹き鳴らされていた。地平線を覆いつくすほどの黒き竜の印が入った軍旗が風になびき、全身黒色の鎧を着た兵士が馬に乗り行軍しているのだ。

 それはまるで黒い津波のように見えただろう。まず初めに帝国軍の騎兵が土石流の如く、街中を雪崩れ込んだ。

 街の人々は悲鳴を上げ、逃げ惑う。しかし、帝国の騎馬隊は逃げる住民達を蹴散らし、蹂躙していった。占領することが目的ではなく、最初から殺害と略奪が目的だった。道端には多くの住民が血を流し、息絶えた。

 帝国兵が我が物顔で闊歩する中、一人の少女が目に涙を浮かべて必死に逃げていた。背中には矢が刺さり、左太ももには斬られた傷があった。それでも、足を止めてなるか、と足を前に出し、走る。

 目の前にいる人々の間を縫い、時には押し退け、ひたすら走り続ける。だが、ついに力尽き、その場に倒れ込んでしまった。少女は悔しさに顔を歪め、声を押し殺して泣くことしかできなかった。
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