我恋歌、君へ。(わがこいうた、きみへ。)

郁一

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第二章

我恋歌、君へ。第二部 8:変化

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 結局朝まで眠れなかった。
 寝不足の重たいまぶたをどうにか持ち上げながら、キッチンへ向かうとアレクが朝食を用意して待っていた。
 俺の顔をちらっと見るなり、意地の悪い笑顔を浮かべる。
「眠れなかったって顔をしているね。どうしたんだい?」
「何もないよ」
 アレクが言ったことのせいだと思われたくてなくて、精一杯虚勢を張る。
 もちろんお見通しのアレクは口元を隠しながら、くすくす笑ってる。
 まったく、面白くないな。
 テーブルに向かい合って座り、朝食を食べながら仕返しにアレクのすねを蹴り飛ばしたけど、読んでいたアレクにすんなりかわされた。
 いつもの通り練習場についたとたん、ロベルトに手を掴まれて別室に連れて行かれた。
「衣装合わせをお願いしますよ」
 体型補正用ボディスーツをにこやかに広げるロベルトを見て、あぁとため息をつきつつ、本番が近付いてきたんだって悟る。
「響さんのドレスは、東洋の花精をイメージしたデザインです。響さんは首筋や鎖骨が男性とは思えないほどきれいですから、ノド仏さえ目立たないようにすれば、十分に美しい女性となりましょう」
 聞けばロベルトの知人さんが別の人に使ったドレスを、俺のためにリメイクしてくれたのだと言う。
ボディスーツの上から着用したドレスのあちこちをつまんでは、最終調節のためにあれこれ細工をしながら説明してくれた。
 その隣ではエレナさんが目を輝かせながら待っている。
「キョウくんにぴったりの化粧品を、依頼されてから探し回ってたの。これなら絶対似合うと思うわ。色味もぴったりのはず」
 仮止めのピンがあちこちについたドレスを着たまま、エレナさんに化粧をしてもらい、本番さながらにウィッグまでつけてもらった。
 完成した俺をロベルト、衣装を提供してくれた知人さん、エレナさんが少し遠い場所からじっと見つめてくる。
(や、やっぱりおかしいよな……)
 手のひらに変な汗が浮かんでくる。
 とにかく早く脱ぎたい、としか考えられない。
「ん~、とりあえず今日はこのメイクで練習してね。明日また改善させるから」
 エレナさんの一言でこの日は解散となり、ドレスを脱ぐことは許された。
「本番までに慣れておかれるとよいですよ」
 ロベルトの悪魔の囁きによって、ボディスーツはそのまま。化粧とウィッグもそのままで、アレクの待つ練習場に戻った。
 体を解して軽く筋トレしていたらしいアレクが、何気なく俺を振り返って、凍りついた。
「……変、だよな」
「いや……」
 目を丸くして言葉を失ってるアレクに、不貞腐れながら声をかけた。なぜか咳払いをして目を反らしたアレクの顔が、少し赤くなっている気がした。
「いっそ笑い話にできる仕上がりだったら、もっと気が楽だったのに、と思うよ」
「……何か言った?」
「いいや、何も」
 聞き返したけど、はぐらかされた。
 言いたいことがあるなら、隠さず言ってくれよ。言われないほうが精神的ダメージが大きいって。
 屈辱に耐えながら女装してダンス練習を開始する。
 アレクと出場する予定のダンス大会はもう間もなくだ。俺たちは二曲だけ踊る予定になっている。
 審査員がいて順位もつけられるけど、公式な試合ではないらしく、気軽に参加してくださいとロベルトは言うけど。
 大会が近づいてきたんだって、女装アイテムの仕上げが進むたびに実感して、しくしくと胃が痛むようになってきた。
(いよいよ、俺の暗黒史に悪夢の一日が追加される時が来た)
 唯一の救いは、知り合いがほとんどいない異国での女装と言う点だろう。
 その日から三日後に、もう一度女装アイテムの総チェックが行われた。
 花精をイメージしたドレスは淡いグリーンからピンクへ穏やかにグラデーションを描く、瑞々しいカラーのドレスだった。
「蓮の花の蕾を見て、このドレスを発案したそうですよ。響さんは蓮の花のように凛々しく、清々しい色気をお持ちですから、あつらえたようにお似合いですよ」
 満足そうな笑顔を顔一面に浮かべ、ロベルトが何度も頷いて言った。
 ドレスはアコーディオンのような細かいプリーツが腰の部分から裾へ施されていて、少しの動きでも軽やかに波打つ。
 想像してたよりは動きやすいからありがたいんだけど、ひらひら波打つ優雅さと色合いの美しさに、男の俺が着てすみませんと謝りたくなる。
 さらに両肩から手首にかけて、ドレスと同じ素材の布が垂れている。これは蕾を守る葉をイメージしているのだとか。
 腕を動かすたびに布がひらめいて、散りばめられた水滴をモチーフにしたラメが光を弾く。
(すごい……派手じゃない?)
 試しに鏡に姿を映しながら腕を動かしてみたら、ひらひらなびいて、とても目を引いた。
 喉仏を隠すためにハイネックな仕立てになっている代わりに、鎖骨や胸元は広く開いていた。
 ぺったんこな胸をばっちり補強してくれるボディスーツは違和感なく、なだらかな胸の谷間を支えてくれる。
 大きさが変化する水滴を連ねた形のシルバーのネックレスが首にかけられて、開いた胸元に燦然と輝く。
 きゅっと細められたウエストから足首にかけてのラインは、ちょうど卵を逆さにしたような形だ。たぶん蕾部分なんだと思う。
 二枚重なったスカート部分の表側は、右腰から足へ斜めにカットされ、開きかけた蕾の間から内側がちらちら見えるように考えられているようだった。
「さて、お次は私ね」
 メイクを任されたのはアパートの管理人エレナさんだ。
 頬を赤く染めて、楽しそうにメイクをしてくれた。少し長くなった髪をまとめて縛り、頭頂から背中へ長く垂れるウィッグをつける。
 すべてが終わるまで俺は目を閉じていた。
 とても変身途中をずっと見続けていられなくて。あちこち髪をひっぱられて痛いな。メイクブラシがくすぐったい、そう言えば卒業ライブでも同じ感覚があったなとか考えて、現実逃避していた。
 パン、と手を叩く音がした。
「はい、これで完成ね。これぞキョウくんだわ。渾身の出来栄えよ、どう?」
「……と、聞かれましても」
 体型を変えて、華やかなドレスを身に付けた、ポニーテール姿の女性が鏡に映っている。
 清々しい水色のアイシャドーが似合う、繊細さと優雅さ、そして強烈な磁力を併せ持った女性に見える。
「……きれいだと思いますけど、認めたくない気も、します」
 複雑すぎる心境をそのまま口に出した。
 目を輝かせるエレナさん、ドレスを貸してくれたロベルトの知人さん、ロベルトたちが、気持ちはわかるよと揃って苦笑しながらそれぞれの感想を言う。
「ここまで完璧に化けられる子も珍しいわ」
「ポートフォリオ用に撮影させて、お願い。二度とこんないい仕事は出来ないっ」
「いつまでも大会がはじまらなければいいのに、と惜しくなってしまいますよ」
 そのすべての声を背中で受け止めて、ため息をつきながら練習場へ向かう。
 ドアを開けると見慣れない後ろ姿があった。
 まるで貴族のように豪奢な衣装に身を包んだアレクだった。
 背が高く、肩幅も広いからその衣装がとてもよく似合って、いつも以上の紳士ぶりだ。
(それに比べて、俺は何なの……お願いだからいま時間よ止まってくれっ)
 そのまま振り返ってくれるなよ、と心の中で叶わぬ願いをくり返しながら、音を立てずに歩いて行く。
間もなく気配に気づいたアレクが振り返る。
 まだふたりの間に距離は長く。
 それでもお互いの表情がよく見える。
 アレクは俺の出来あがりに目を丸くして、うっと小さく呻いた。
口元を手で覆い隠して、一歩後ろに下がりながら目を反らしてしまった。
「……笑わないでよ」
 俺がアレクを睨みながら低く言うと。
「……笑ってなど、ないさ」
 もごもごとアレクが言い返してきた。
「嘘つき」
「本当さ」
 とか言いながらも、ずっと目を反らしている理由は何なんだよ。
 もう顔を上げていられなくて俯き、立ち止まった。
 耳の前にエクステンションで長く伸ばした髪が流れ落ち、視界の端に揺れる。
 慣れない感覚。まるで俺が俺でなくなったような心地がする。
 アレクまではまだ距離が残っているけど、もう歩けない。
 やっぱり引き返して脱ごう。大会も棄権してもらうんだ、と心に決めた時だった。
 目の前に人が立つ気配がして、条件反射で目を上げたらアレクが立っていた。
「失礼しました、レディ。どうか私めと踊っていただけませんか?」
 悪戯っぽく目を輝かせ、優雅にお辞儀をしながらダンスを申し込んできたのだ。
「……だ、だれがレディですか……いや、もうこの姿じゃ言い訳できないんだっけ。でも、何て言えば……」
 なけなしのプライドが最後の悪あがきをする。悩みはじめた俺を見下ろして、アレクがさらっと笑うと強引に俺の手を握ってしまう。
「わっ……」
 引き寄せられ、アレクの懐へ抱きこまれた。
「さぁ、いまから君は一日だけ人の姿になることを許された花の精だ。だれかと会話を交わしてしまった時、その魔法は解けてしまう。だから君は物言わず、謎深き微笑みだけで男たちを虜にするんだよ」
「……ロマンティスト」
「どうとでも言いなさいな。そして僕は花の精に一番最初に魅了され、虜になってしまった憐れな色男さ」
 自分で色男とか言うなよと呆れている間に音楽が流れはじめた。
 ちらっと練習所の隅を見ると、いつの間にか入ってきていたロベルトが機材を操作して練習曲を流してにっこり笑って頷いた。
(……腹を括れってことか)
 もう逃げられない。ここまでしてもらって、いまさらなかったことになんて出来ない。
 アレクに抱かれたまま、一度だけ目を閉じる。深く息を吐いて、吸い込んだ。
 ほのかに香りがするのはアレクからだろうか。それとも悪戯な花の香りか。
 この先にきっと俺が望む場所があるはず。
 予想もしていなかったジュノさんの思惑。
 無口無表情で事前説明を一切省いた富岡さんにも考えがあったはず。
 富岡さんの許可をとって、ダンス大会に出るのだとしたら、この経験も無駄になることはないと信じよう。
(そうでなければ恥を捨てる俺が浮かばれないって)
 最後に悔し紛れの台詞を心の中に解き放ち、けじめをつける。
顔を上げ目を開けると、まっすぐに見てくるアレクが視界いっぱいに映る。
 迷いが晴れるのを待ってくれているんだとわかる、落ち着いた雰囲気のアレクにゆっくり微笑みかける。
(一日だけ、魔法で人の姿になった花の精……微笑みだけで人を魅了する)
 女装した男が、男に微笑みかけるなんて気色が悪いだけだと思うけど。
せめて見ている人たちには、別の光景に見えていればいいな。後は化けさせてくれたみんなを信じるしかない。
 曲に合わせて一歩踊りはじめながら、アレクをじっと見上げる。
(すべて、アレクに任せるよ)
 何よりも一緒に踊るアレクを信じて、一日だけの花精を演じた。
 裾が細いドレスだから、さぞ踊りにくいだろうなと思っていたけど、踊ってみたらそんなこともなくて。
 さらさらな衣擦れが肌を撫でて、まるで波のようにひらめく裾は足に絡まることもなかった。
 ちりちり揺れる耳飾り。
 背中で揺れる長い髪にも夢心地を誘われる。
 握り合わせた手から肩へ、薄いドレープの布地が透けながら揺れて、甘い花の香りがするようで。
 いつもの練習場で、紛れもなく俺とアレクが踊っているはずなのに、まるで別人が踊っているような心地がしてきた。
 ターンをしながらフロアの中央へ。
 男性の腕の中で体を反らす女性のしなやかさ。
 スキップをするような足取りでフロアを斜めに走り抜け、片手を繋いだまま女性がターンで離れて行く。
 女性を引き寄せた男性が腰を抱いて、互いに見つめ合い、ふたり揃ってステップを踏む。
 踊りながら、いままでにないほど心が軽くなっていると思った。
 この時だけは俺であって、俺ではなくなっている。そしてアレクと踊ることは楽しくて、落ち着けた。
 次にどうしたらいいのか、考えるまでもなく体が勝手に動いていく。
 それだけアレクが上手くリードしてくれているんだろうけど、見えない糸で操られてでもいるようで。
「楽しいかい? とても笑顔が輝いているよ」
「…………」
 俺は花精だから声に出して答えられない。
 だから笑顔で返事に代えた。
(それにしてもアレクかっこいいな……)
 自分自身のことを棚に上げて、衣装が見る人に与える影響の深さに感心する。
 こうして踊るのが、本当の女性だったなら。
(見て、私のパートナーはとても素敵でしょ。そんな風に誇らしく思うんだろうな)
 そしてふと、かつてアレクと踊っていたパメラさんのことを思った。
 傷を負ってもアレクを恨んでいないと言ったらしい彼女も、きっと踊りながら似たような心地になったんじゃないかな。
(もしかして……)
 目の前にあるアレクの顔をあらためて見る。
 アレクのこの姿を彼女はもう一度見たかったんじゃないか。
 そう思ったら、いつまでも立ち直れなかったアレクを少しだけ情けなく感じた。
(自信を持ちなよ、アレクは本当にかっこいいから。悔しいけど男前だし)
 心の中でそっとアレクに語りかける。
 語れない花精の偽りのない気持ちを、リズムを共有しているこの時間が、代わりに伝えてくれたらいい。
 そしてアレクがまた、前を向いて歩いていけるようになれたらいい。
 その姿はきっと、多くの人に夢を与えられるだろうから。
 曲が終わるまで、ずっとそんなことを考えていた。
「おーおー。こりゃ眼福眼福」
 音が途切れたところへ、ぱちぱちと手を打ち鳴らす音と大きな声が割り込んできた。
 振り返るまでもなく、ボサボサな髪のジュノさんだとわかった。
「……また、来たんですか」
 つい呆れたような声になってしまった。
 にやにや笑ってジュノさんが楽しそうに答える。
「ずいぶんなご挨拶で。お姫様はご機嫌ななめか?」
「姫様って……俺ちゃんと化けられてます?」
 俺の質問におや、と意外そうにジュノさんが片眉を持ち上げた。
「ふふん。ちったぁ分かってきたか? まぁいまのおまえさんなら、金払ってもいいかなと思えるぜ。どうだ、今晩オレがもっときれいにしてやってもいいぜ?」
 言い終えるなり、つかつかスリッパで歩いてきて、俺のあごをつかんで顔を近づけてきた。
 何するんだ、とあごをつかむ手を振り払おうとした。その直前に横から無言のまま手が伸びてきて、ジュノさんの手を叩き落した。
 横を見ると無表情でジュノさんを見下ろしているアレクがいた。
「僕のパートナーに、失礼な真似は許さないよ」
「ヒヒッ……立ち直ったナイトは怖ぇなぁ~。姫様がそばにいれば勇気千倍ってか?」
「…………」
 肩をすくめてみせるジュノさんを、絶対零度の空気をまとうアレクが睨みつける。
 どうしてこうなった、と間に立つ俺ひとりがうろたえている状況だ。
「と、とにかくもう一度練習しよう。な、アレク」
 強引にアレクを押して、ジュノさんから引き離す。
「ナイトだけじゃ物足りなくなったら、いつでもおいでよ、お姫様~」
 またもアレクの神経を逆なでするような台詞を投げつけてくるジュノさんを振り返って、ついため息を吐き出してしまった。
 俺はあんな人に習おうとしていたのか。
(それでいいのか、俺?)
 踊っている間の明るい心地はすっかり吹き飛んでしまっていた。
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