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第三章
我恋歌、君へ。第三部 3:移動中
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マネージャーの松木さんが運転する車にメンバーが乗り込んで、次の仕事場へ。
その移動中に文月さんがスマフォを俺に向けてきた。
「キョウ君、こっち向いて下さい」
「え……えぇ~、何してるんですか、ツキさんっ。ダメですよ、やめてください~!」
「そんなこと言わないで。ほら、サービスだと思って手を下ろしてください」
「いやです、恥ずかしい!」
「いやがるキョウ君もそそりますね」
「何がっ……あ、ちょっと……」
「キョウ君、今日も素敵ですよ」
ハンドルを握ったまま松木さんが苦笑いをした。
「レンさん、そんなに気になるのなら後部席に移ってはいかかです?」
助手席に座っていたアレンさんが、後部座席で騒ぐ俺と文月さんを、気が気ではないと言った様子で振り向いて見ているので、松木さんが笑っているのだ。
「んんっ、オレはダイを信じてるから……」
言葉とは裏腹にアレンさんがじとっと俺たちを睨みつけてくる視線は重い。
たらり、と冷や汗が流れる俺の隣では、文月さんは涼しい顔のまま、スマフォをアレンさんに向けていた。
「はい、今日のリーダーです。寝坊したのでしょうか、無精ひげ発見」
「え、うそっ……」
「はい、冗談でした~」
「…………」
アレンさんががくっと項垂れて肩を落とす。
観客の立場で一部始終を眺めていた神音が、けらけらと笑いだした。
「相変わらず文月のテンションってよくわかんないよね。でもそれがファンの子に人気だから、不思議だよ」
「はい、こちらはオレさま何さまカノンさまです~」
文月さんが淡々とスマフォを向けると、神音は素早く指を立てて、にこっと愛想のいい笑顔になる。
(いつも思うんだけど、俺も神音みたいに笑えたらいいのになぁ)
愛嬌がありながらも女々しくはない神音の笑顔は、昔から身内はもちろん周囲の人たちに受けがとても良かった。
ところが俺は仕事で笑ってと指示されてもうまく笑えず、さんざんカメラマンを悩ませてしまった。
(こういう不器用さが母さんに嫌われた原因なんだろうな、きっと)
ちくっ、と胸の奥底が痛んだ気がしたけれど、気づかないふりをした。
さっきから文月さんが何をしているかと言うと、ファンサイトに投稿する動画を撮っている。
移動時間が長いので、その間に何をするか出発前にメンバーが考えたことのひとつだった。
ライブの翌日や前日などに隙間を見つけては文月さんが撮影してくれる。編集や投稿作業は松木さんが手配してくれた人に任せているけど。
(うぅ……ずっと撮られなかったから油断してた)
映され慣れている片割れと違って、俺はどうにも恥ずかしくてならない。
デビュー曲のプロモーションを撮影する時だって、何度だめだしをもらったことか。
一緒に撮影したメンバーたちはそれを覚えているからか、最初の頃は動画に参加したとしても、遠くからや全員がいる時、気づかない時に映される程度にしてくれていたのだ。
「響君はまちがいなく僕たち『i-CeL』の一員なのです。それに登場間もない響君を知りたいと言うファンはとても多いのですから……これからどんどん素顔を暴いていきます、覚悟して下さい」
「うぅ……素顔って……」
動画撮影を切り上げた文月さんが、普段見せない悪だくみを企てる悪役みたいな顔で笑いながら俺を脅してきた。
「いい機会だから響も何かやってみる?」
座席に足を乗せて、膝を抱えた状態で飴を舐めていた神音が会話に参加する。
「何かって、何が?」
「イマドキの芸能人ならみんなやってるSNSとかさ。文月が撮るのも面白いけど、響発信でやってみても面白くない?」
「いいですね。僕は賛成です」
「うん、オレも見てみたい」
助手席でアレンさんが手を挙げて賛同する。
神音は身を乗り出し、その手をぱしっと叩き落した。
「アレンのは私欲が絡んでるから没。アレンは閲覧禁止」
「えぇ~っ、何ソレ! ひどいよ、オレだって『i-CeL』の一員だよ? むしろリーダーだよね~?」
「リーダーだからこそメンバーのひとりを贔屓するのはよくないよね~?」
アレンさんと神音がお互いに笑顔のまま、何だか鬼気迫る雰囲気で会話してる。
(私欲って……?)
落ち着かない心地で神音たちを見ていた俺の肩に、ぽんとだれかの手が置かれた。
びくっと飛び上がりそうなほど驚いた俺と、それに気づいた文月さんが背後を振り返ると、最後部で仮眠をとっていた八代さんがむくりと起き上がるところだった。
「なんや、楽しそうやのぅ~」
「響君が何か情報発信をしてみては、と言う話題で盛り上がってます」
「ほぉ~そりゃまた、なんで。ダイがもうやってくれとるやん」
「メンバー全員の情報発信はしてきましたが、新メンバーの響君個人の情報発信をしてみてはどうかと言う流れになりました」
「なるほど……」
納得しながらも、あまり賛成してはいない様子で、八代さんは寝痕がついた頬を撫でていた。
「……あの、八代さんはこの案に反対なんですか?」
「ん? う~ん……でもないんやけどなぁ……」
呻った後でひたすら俺の顔を見つめ考えこんでいた八代さんは、膝を叩いて思考を切り上げ頷いた。
「それはまた後のお楽しみでええやん。いま響ちゃんが優先すべきことやないとおれは思う」
「……俺が優先すべきこと?」
八代さんがにかっと笑って、俺の頭をわしわしと撫でてくる。
「んな不安な顔せんでええよ。ごくごく当たり前のこと言うだけやから……まだ響ちゃんは音楽をはじめたばっかりやん。知らんことが多くて、知らず知らずのうちに神経張り詰めとるやろ? さらにやったことのないことを追加したら、響ちゃんの過負荷になってまうやん。結果的におれたち全体の損になるんやないかと思っただけや」
「八代さん……」
頭を撫でる八代さんの手の温度が、言葉と一緒に俺の中にしんしんと沁みこんでくる。
不覚にもじわっと目が潤んでしまい、慌ててまばたきをくり返して堪えた。
八代さんの目を見ていられなくて、とっさに俯いた。
なくなってはじめて、そこにあったことに気づく。そんな感じで、気を張っていたんだなとわかった。
「……そうだね、響はあちこち出歩くのもはじめてだもん。疲れてるよね」
しみじみと神音が声を落として呟く。
「いや、別に疲れては……むしろ楽しいよ。どこもはじめての場所だし、いろんな景色も見られるからうれしい」
「自覚できないことの方が、ずっと恐ろしいものだよ、響くん」
アレンさんが苦笑いしながら、俺を温かい目で見て言った。
「謝ります、響君。僕たちが焦りすぎました。すみません」
文月さんが頭を下げるので、そんなことしなくていいと押し留めた。
にやにやとその様子を見守っていた八代さんが、そうやっと両手を打ち鳴らして何かを思いついた。
「響ちゃん、楽器を覚えてみぃへん?」
「ぇ……楽器、ですか?」
頭の中で小学校の時に吹いたハーモニカやリコーダーの音が甲高く鳴り響く、
「ピアノは昔習とったんやろ? せやから他のおれがやっとるベース、ダイのギター、アレンのドラムでもええから。知っとると音楽がさらに面白うなると思うんや。どうやろ?」
バンドにヴォーカルとして参加することになったばかりの頃、基礎知識として楽譜の読み方とか最低限のことは覚えた。
でも結局は歌うこと専門で、他のパートを演奏したことはない。
(知ってることと経験したことでは違う……やってみたいかも)
言っておきながら八代さんはでもな、と困った顔になる。
「やったからって何かの役に立つとは言えへんし、時間の無駄かもしれんけどなぁ」
「それはないんじゃない? ぼくはいいと思うな。賛成に一票」
神音がまた背もたれに背中を預け、足を抱えながら片手を挙げた。
「もちろん賛成~♪ 響くんと個人レッスン、楽しそう~」
「だからさっきから、アレンの発言は私欲が絡みすぎだって!」
神音がアレンさんの手をまた叩き落としながらキャンキャン騒ぐので、一同が笑った。
肩が震えていたから、運転席で松木さんまでもが声を抑えながらも笑っているのがわかる。
笑いが収まったところで、文月さんがわずかに目を細めて微笑みながら切り出した。
「ちょうどギターがありますから、まずはギターからやってみませんか?」
八代さんの横、後部座席の最奥に安置されていたギターケースを文月さんが取り上げるのを手伝いながら、八代さんが苦笑している。
文月はどこにでもギターを持ち歩きたがるんだよ、と背後で神音が俺に耳打ちをしてきた。
そんなわけで俺は文月さんから、まずはギターを習うことになった。
「そう言えば神音は僕たちと出会った時、すんなり弾いていましたが、どこで習ったのですか?」
基礎中の基礎を習い、必死に弦を指で押さえ鳴らす俺の横で、ふと思いついた様子で文月さんが神音を振り返る。
車窓の景色を眺めていた神音が声に振り向きながら、肩を軽くすくめる。
「中学の同級生にちょっとね。でも、まぁ見てればどうすればどの音が出るのか、だいたい見当がつくじゃん」
「……出た、カノンさま発言」
ぼそっと助手席でアレンさんが呟くと、八代さんと文月さんが揃って苦笑した。
俺も痛みはじめた指先を握りしめながら苦笑する。
(わかっていたけど、やっぱり神音は天才だよな)
いまさらその点に関して妬んだり僻む気持ちにはならないけど、ちょっと羨ましいなとは思う。
俺は俺だからと気を取り直してギターを鳴らす。
移動時間をいいことに、文月さんを贅沢にも独り占めしてギターを習い覚えた。
地方ラジオ局の番組に出演したり、細かい仕事も続けながら次の公演場所へ。
陽が落ちて少し肌寒くなった車内はにぎやかさはなくなり、走行音だけが車内に響いている。
松木さんと助手席のアレンさんが時折ぼそぼそと声を交わすけれど、それもすぐにかき消されてしまう。
最後尾に座る八代さんは文月さんのギターを借りて、何か難しい顔をしながら音を出さずに指を動かしている。
車内の単調な音に眠気を誘われたらしく、文月さんの頭がこくんと垂れて、しばらくして寝息が聞こえはじめた。
文月さんの向こう側に座っていた神音は、スマフォに思いついたメロディを録音したり、メモ用紙に書きつけている。こうなるとひとりになりたがるので、俺はイヤホンをつけて音楽を聞きながら窓の外に視線を投げた。
見知らぬ景色が飛ぶように流れていく。
(各自、何が出来るのかを考え行動しろ。再びここに戻ってきた時に、その成果が現れる……)
デビュー曲の制作が終わり、ツアーへ出立する直前に富岡プロデューサーから言われた言葉が不意に思い出される。
慣れないツアーに四苦八苦していままで考える余裕がなかったけど、少し余裕が生まれて思い出すことができた。
(俺にできることで、お客さんが喜ぶことって何だろう……?)
ただでさえ神音の場所を奪った存在として、ファンからあまり良く思われていない俺が、何をしたって良く思われない気もする。
(何もしなくても反感を買ってて、何かしても反発されたりして……)
神音に口を酸っぱくして言われたじゃないか。メンバーの中でも最も目につく場所に立つのだから、自信を持って立ちなよと。
(でも自信なんて、どうしたら持てるようになるんだろう)
浮上しかけて、またすぐ沈む気持ち。
松木マネージャーと定期的に電話で連絡を取り合っている富岡プロデューサーは、具体的に現在の成績を伝えてはこない。
だけど何となく良くはないんだと、会話する声の雰囲気から察している。
そしてヒロの新曲を買った時に見た現実も背を押して、否定的な思考へ向いてしまうのだ。
窓ガラスに額をこつ……と当てて、小さくため息をつく。
(……俺のせいだよな、きっと……だって富岡さんが声をかけて、一年間待たせることができた実力と見込みがみんなにはあるんだ。だけど結果が惨敗なら……)
富岡さんの見込み違いか、でなければ当時とは違う部分のせいになる。
そんな状況の中で自信を持って立てるわけもなく。歌っている最中は忘れることもできるけれど、終わったとたんに押し潰されそうな心地になるのだ。
特にここ数回の公演ではそれが濃くなっている。
(わからない……このまま居続けてもいいのか、みんなの未来を奪ってしまわないだろうか。それに富岡さんが俺に何を求めているのか……自信を持つにはどうしたらいいのか。全部わからないよ)
ぎゅっと目を瞑って、混乱する思考を一旦止めて落ち着かせようとする。
すると脳は落ち着くどころか、いろんな光景を思い出してくれる。
交差点で見た女性たちの反応や、公演ごとに向かい合うお客さんたちの姿、出発する俺たちを見送った富岡さんの無表情。
(あの顔でおまえは用無しだ、とか言われたらたまらないな……)
つい後ろ向きな想像をしたところで、すっかり馴染んでしまった別人の冷たい顔が富岡さんの顔とすり替わる。
卒業してから一度も顔を見ていないのに、鮮明に思い描ける母の顔だ。
続けて歌いはじめたばかりの頃に受けた、非難の声や須賀原さんとの会話までもが蘇る。
(利用すればいいなんて言っておいて、このざまだ。かっこ悪い……)
喉を負傷して一度はあきらめた道を再び歩きだしているはずの、アレンさんの昔の仲間に向けて豪語した自分の台詞までもが、一緒になって思い出されて恥ずかしさに項垂れる。
(……俺はどうしたらいい?)
このまま何事もなくツアーを終えることはもちろん望んでいることなんだけど、それだけじゃいけないのだろう。
その移動中に文月さんがスマフォを俺に向けてきた。
「キョウ君、こっち向いて下さい」
「え……えぇ~、何してるんですか、ツキさんっ。ダメですよ、やめてください~!」
「そんなこと言わないで。ほら、サービスだと思って手を下ろしてください」
「いやです、恥ずかしい!」
「いやがるキョウ君もそそりますね」
「何がっ……あ、ちょっと……」
「キョウ君、今日も素敵ですよ」
ハンドルを握ったまま松木さんが苦笑いをした。
「レンさん、そんなに気になるのなら後部席に移ってはいかかです?」
助手席に座っていたアレンさんが、後部座席で騒ぐ俺と文月さんを、気が気ではないと言った様子で振り向いて見ているので、松木さんが笑っているのだ。
「んんっ、オレはダイを信じてるから……」
言葉とは裏腹にアレンさんがじとっと俺たちを睨みつけてくる視線は重い。
たらり、と冷や汗が流れる俺の隣では、文月さんは涼しい顔のまま、スマフォをアレンさんに向けていた。
「はい、今日のリーダーです。寝坊したのでしょうか、無精ひげ発見」
「え、うそっ……」
「はい、冗談でした~」
「…………」
アレンさんががくっと項垂れて肩を落とす。
観客の立場で一部始終を眺めていた神音が、けらけらと笑いだした。
「相変わらず文月のテンションってよくわかんないよね。でもそれがファンの子に人気だから、不思議だよ」
「はい、こちらはオレさま何さまカノンさまです~」
文月さんが淡々とスマフォを向けると、神音は素早く指を立てて、にこっと愛想のいい笑顔になる。
(いつも思うんだけど、俺も神音みたいに笑えたらいいのになぁ)
愛嬌がありながらも女々しくはない神音の笑顔は、昔から身内はもちろん周囲の人たちに受けがとても良かった。
ところが俺は仕事で笑ってと指示されてもうまく笑えず、さんざんカメラマンを悩ませてしまった。
(こういう不器用さが母さんに嫌われた原因なんだろうな、きっと)
ちくっ、と胸の奥底が痛んだ気がしたけれど、気づかないふりをした。
さっきから文月さんが何をしているかと言うと、ファンサイトに投稿する動画を撮っている。
移動時間が長いので、その間に何をするか出発前にメンバーが考えたことのひとつだった。
ライブの翌日や前日などに隙間を見つけては文月さんが撮影してくれる。編集や投稿作業は松木さんが手配してくれた人に任せているけど。
(うぅ……ずっと撮られなかったから油断してた)
映され慣れている片割れと違って、俺はどうにも恥ずかしくてならない。
デビュー曲のプロモーションを撮影する時だって、何度だめだしをもらったことか。
一緒に撮影したメンバーたちはそれを覚えているからか、最初の頃は動画に参加したとしても、遠くからや全員がいる時、気づかない時に映される程度にしてくれていたのだ。
「響君はまちがいなく僕たち『i-CeL』の一員なのです。それに登場間もない響君を知りたいと言うファンはとても多いのですから……これからどんどん素顔を暴いていきます、覚悟して下さい」
「うぅ……素顔って……」
動画撮影を切り上げた文月さんが、普段見せない悪だくみを企てる悪役みたいな顔で笑いながら俺を脅してきた。
「いい機会だから響も何かやってみる?」
座席に足を乗せて、膝を抱えた状態で飴を舐めていた神音が会話に参加する。
「何かって、何が?」
「イマドキの芸能人ならみんなやってるSNSとかさ。文月が撮るのも面白いけど、響発信でやってみても面白くない?」
「いいですね。僕は賛成です」
「うん、オレも見てみたい」
助手席でアレンさんが手を挙げて賛同する。
神音は身を乗り出し、その手をぱしっと叩き落した。
「アレンのは私欲が絡んでるから没。アレンは閲覧禁止」
「えぇ~っ、何ソレ! ひどいよ、オレだって『i-CeL』の一員だよ? むしろリーダーだよね~?」
「リーダーだからこそメンバーのひとりを贔屓するのはよくないよね~?」
アレンさんと神音がお互いに笑顔のまま、何だか鬼気迫る雰囲気で会話してる。
(私欲って……?)
落ち着かない心地で神音たちを見ていた俺の肩に、ぽんとだれかの手が置かれた。
びくっと飛び上がりそうなほど驚いた俺と、それに気づいた文月さんが背後を振り返ると、最後部で仮眠をとっていた八代さんがむくりと起き上がるところだった。
「なんや、楽しそうやのぅ~」
「響君が何か情報発信をしてみては、と言う話題で盛り上がってます」
「ほぉ~そりゃまた、なんで。ダイがもうやってくれとるやん」
「メンバー全員の情報発信はしてきましたが、新メンバーの響君個人の情報発信をしてみてはどうかと言う流れになりました」
「なるほど……」
納得しながらも、あまり賛成してはいない様子で、八代さんは寝痕がついた頬を撫でていた。
「……あの、八代さんはこの案に反対なんですか?」
「ん? う~ん……でもないんやけどなぁ……」
呻った後でひたすら俺の顔を見つめ考えこんでいた八代さんは、膝を叩いて思考を切り上げ頷いた。
「それはまた後のお楽しみでええやん。いま響ちゃんが優先すべきことやないとおれは思う」
「……俺が優先すべきこと?」
八代さんがにかっと笑って、俺の頭をわしわしと撫でてくる。
「んな不安な顔せんでええよ。ごくごく当たり前のこと言うだけやから……まだ響ちゃんは音楽をはじめたばっかりやん。知らんことが多くて、知らず知らずのうちに神経張り詰めとるやろ? さらにやったことのないことを追加したら、響ちゃんの過負荷になってまうやん。結果的におれたち全体の損になるんやないかと思っただけや」
「八代さん……」
頭を撫でる八代さんの手の温度が、言葉と一緒に俺の中にしんしんと沁みこんでくる。
不覚にもじわっと目が潤んでしまい、慌ててまばたきをくり返して堪えた。
八代さんの目を見ていられなくて、とっさに俯いた。
なくなってはじめて、そこにあったことに気づく。そんな感じで、気を張っていたんだなとわかった。
「……そうだね、響はあちこち出歩くのもはじめてだもん。疲れてるよね」
しみじみと神音が声を落として呟く。
「いや、別に疲れては……むしろ楽しいよ。どこもはじめての場所だし、いろんな景色も見られるからうれしい」
「自覚できないことの方が、ずっと恐ろしいものだよ、響くん」
アレンさんが苦笑いしながら、俺を温かい目で見て言った。
「謝ります、響君。僕たちが焦りすぎました。すみません」
文月さんが頭を下げるので、そんなことしなくていいと押し留めた。
にやにやとその様子を見守っていた八代さんが、そうやっと両手を打ち鳴らして何かを思いついた。
「響ちゃん、楽器を覚えてみぃへん?」
「ぇ……楽器、ですか?」
頭の中で小学校の時に吹いたハーモニカやリコーダーの音が甲高く鳴り響く、
「ピアノは昔習とったんやろ? せやから他のおれがやっとるベース、ダイのギター、アレンのドラムでもええから。知っとると音楽がさらに面白うなると思うんや。どうやろ?」
バンドにヴォーカルとして参加することになったばかりの頃、基礎知識として楽譜の読み方とか最低限のことは覚えた。
でも結局は歌うこと専門で、他のパートを演奏したことはない。
(知ってることと経験したことでは違う……やってみたいかも)
言っておきながら八代さんはでもな、と困った顔になる。
「やったからって何かの役に立つとは言えへんし、時間の無駄かもしれんけどなぁ」
「それはないんじゃない? ぼくはいいと思うな。賛成に一票」
神音がまた背もたれに背中を預け、足を抱えながら片手を挙げた。
「もちろん賛成~♪ 響くんと個人レッスン、楽しそう~」
「だからさっきから、アレンの発言は私欲が絡みすぎだって!」
神音がアレンさんの手をまた叩き落としながらキャンキャン騒ぐので、一同が笑った。
肩が震えていたから、運転席で松木さんまでもが声を抑えながらも笑っているのがわかる。
笑いが収まったところで、文月さんがわずかに目を細めて微笑みながら切り出した。
「ちょうどギターがありますから、まずはギターからやってみませんか?」
八代さんの横、後部座席の最奥に安置されていたギターケースを文月さんが取り上げるのを手伝いながら、八代さんが苦笑している。
文月はどこにでもギターを持ち歩きたがるんだよ、と背後で神音が俺に耳打ちをしてきた。
そんなわけで俺は文月さんから、まずはギターを習うことになった。
「そう言えば神音は僕たちと出会った時、すんなり弾いていましたが、どこで習ったのですか?」
基礎中の基礎を習い、必死に弦を指で押さえ鳴らす俺の横で、ふと思いついた様子で文月さんが神音を振り返る。
車窓の景色を眺めていた神音が声に振り向きながら、肩を軽くすくめる。
「中学の同級生にちょっとね。でも、まぁ見てればどうすればどの音が出るのか、だいたい見当がつくじゃん」
「……出た、カノンさま発言」
ぼそっと助手席でアレンさんが呟くと、八代さんと文月さんが揃って苦笑した。
俺も痛みはじめた指先を握りしめながら苦笑する。
(わかっていたけど、やっぱり神音は天才だよな)
いまさらその点に関して妬んだり僻む気持ちにはならないけど、ちょっと羨ましいなとは思う。
俺は俺だからと気を取り直してギターを鳴らす。
移動時間をいいことに、文月さんを贅沢にも独り占めしてギターを習い覚えた。
地方ラジオ局の番組に出演したり、細かい仕事も続けながら次の公演場所へ。
陽が落ちて少し肌寒くなった車内はにぎやかさはなくなり、走行音だけが車内に響いている。
松木さんと助手席のアレンさんが時折ぼそぼそと声を交わすけれど、それもすぐにかき消されてしまう。
最後尾に座る八代さんは文月さんのギターを借りて、何か難しい顔をしながら音を出さずに指を動かしている。
車内の単調な音に眠気を誘われたらしく、文月さんの頭がこくんと垂れて、しばらくして寝息が聞こえはじめた。
文月さんの向こう側に座っていた神音は、スマフォに思いついたメロディを録音したり、メモ用紙に書きつけている。こうなるとひとりになりたがるので、俺はイヤホンをつけて音楽を聞きながら窓の外に視線を投げた。
見知らぬ景色が飛ぶように流れていく。
(各自、何が出来るのかを考え行動しろ。再びここに戻ってきた時に、その成果が現れる……)
デビュー曲の制作が終わり、ツアーへ出立する直前に富岡プロデューサーから言われた言葉が不意に思い出される。
慣れないツアーに四苦八苦していままで考える余裕がなかったけど、少し余裕が生まれて思い出すことができた。
(俺にできることで、お客さんが喜ぶことって何だろう……?)
ただでさえ神音の場所を奪った存在として、ファンからあまり良く思われていない俺が、何をしたって良く思われない気もする。
(何もしなくても反感を買ってて、何かしても反発されたりして……)
神音に口を酸っぱくして言われたじゃないか。メンバーの中でも最も目につく場所に立つのだから、自信を持って立ちなよと。
(でも自信なんて、どうしたら持てるようになるんだろう)
浮上しかけて、またすぐ沈む気持ち。
松木マネージャーと定期的に電話で連絡を取り合っている富岡プロデューサーは、具体的に現在の成績を伝えてはこない。
だけど何となく良くはないんだと、会話する声の雰囲気から察している。
そしてヒロの新曲を買った時に見た現実も背を押して、否定的な思考へ向いてしまうのだ。
窓ガラスに額をこつ……と当てて、小さくため息をつく。
(……俺のせいだよな、きっと……だって富岡さんが声をかけて、一年間待たせることができた実力と見込みがみんなにはあるんだ。だけど結果が惨敗なら……)
富岡さんの見込み違いか、でなければ当時とは違う部分のせいになる。
そんな状況の中で自信を持って立てるわけもなく。歌っている最中は忘れることもできるけれど、終わったとたんに押し潰されそうな心地になるのだ。
特にここ数回の公演ではそれが濃くなっている。
(わからない……このまま居続けてもいいのか、みんなの未来を奪ってしまわないだろうか。それに富岡さんが俺に何を求めているのか……自信を持つにはどうしたらいいのか。全部わからないよ)
ぎゅっと目を瞑って、混乱する思考を一旦止めて落ち着かせようとする。
すると脳は落ち着くどころか、いろんな光景を思い出してくれる。
交差点で見た女性たちの反応や、公演ごとに向かい合うお客さんたちの姿、出発する俺たちを見送った富岡さんの無表情。
(あの顔でおまえは用無しだ、とか言われたらたまらないな……)
つい後ろ向きな想像をしたところで、すっかり馴染んでしまった別人の冷たい顔が富岡さんの顔とすり替わる。
卒業してから一度も顔を見ていないのに、鮮明に思い描ける母の顔だ。
続けて歌いはじめたばかりの頃に受けた、非難の声や須賀原さんとの会話までもが蘇る。
(利用すればいいなんて言っておいて、このざまだ。かっこ悪い……)
喉を負傷して一度はあきらめた道を再び歩きだしているはずの、アレンさんの昔の仲間に向けて豪語した自分の台詞までもが、一緒になって思い出されて恥ずかしさに項垂れる。
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