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第三章
我恋歌、君へ。第三部:13 闇の淵
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いつ何が起きるかわからない。
何かが起きるとも限らない。
そんな状況だから、小さな音にさえ過敏になってしまう。
俺は神音と暮らす部屋に戻り、富岡さんに言われた通りだれとも連絡を取らず、部屋に籠っていた。
神音はあれから部屋に戻ってくることはなく、どこで何をしているのかもわからない。
単調に時を刻み続ける秒針の音がいつも以上に耳へ届く。
「……ひとりだと、ずいぶん広く感じるなぁ……」
生活に必要な家具も小物も揃っているのに、人気がないだけで空虚感をひしひしと感じる。
ただひとりでいることが耐えられず、そっと呟いてみても、空虚へ声が飲みこまれてしまったように消えていく。
ひとりでじっとしていると、悪い方へ悪い方へと思考が引っ張られて、気がつくと膝を抱えて部屋の隅にいる。
だから体を動かしていたいけれど、富岡さんが提案した意図を考えれば、動き回っているのは良くないと思う。
ちらっと自室の壁掛け時計を見上げる。
富岡さんから追放された日の深夜、そっと部屋の中を探してみると、時計の裏に見慣れない装置が付けられていた。
カメラのレンズらしきものも付いていたから、盗撮されているのだろうと予想している。
見つけた時、すぐにでも取り外したい衝動にかられたけれど、これも我慢するべきなのだと思い直してぐっと堪えた。
ただどうしても気になって、時計を見上げてしまう。
(気持ち悪いな、やっぱり……)
だれが何の目的で取り付けたのか。それを考えると連れ去られた日のことを思い出し、まさかと思いつつも悪い方向へ想像を巡らせてしまうのだ。
(もういっそ、早く何か起きてくれればいいのに)
ひとりきり、膝を抱えてうずくまっていることが辛かった。
部屋の外でかたん、と物がぶつかり合うような音がして、思わずびくっと体が震えた。
心臓が突然叫びはじめ、手に汗が滲む。
(何、何が起きたの……?)
早く起きてくれと思っていたはずなのに、いざ物音が聞こえると怯えてしまう。
じっと息を潜めて待つ時間が長く感じた。
「…………」
キッチンで洗って乾かしていた食器か何かが倒れた音だったらしい。
それきり何も起きず、ほっと止めていた息を吐き出して脱力する。
本当に『i-CeL』を脱退させられていたとしたら、何をやる気にもなれず、一日中ぼうっと座り続けていただろう。
そう思うからこそ、部屋に籠っているのだけれど、すぐそばに恐怖が寄り添っているような気がして、時々叫びたくなる。
(……みんな今ごろ何をしているんだろう)
先に発売されてしまった新曲はもう使えなくなってしまった。レコーディングをし直すとしても、俺を脱退させた今、神音が歌うのだろうか。
(デビュー前からのファンは喜ぶだろうな。何だかんだ言っても神音の方が人気あるし……作詞はアレンさんの方が上手いと思う。改めて考えてみたら、俺は歌うことしか出来ないな)
笑いたいけど笑えない事実に、ふっと小さく息を吐き出す。
これが解決したら作曲の勉強をしようとか、その前に作詞の勉強かギターの練習だろうかと考えている間にうつらうつらと居眠りしていたようだ。
浅く蕩けかけていた意識の片すみで、ほんの小さな物音を拾い上げる。
ぼんやりしたまま物音へ集中しようとして、その音がだんだん近づいてきていることに気づく。
心臓がどくん、と強く鳴った。
(……来たっ)
来なければいいと思いながら、いっそ早く来て通りすぎてくれないかと望んでいたその時が、目の前まで迫っている。
ドアの向こうで音が途切れる。
コン、コンと小さくノックされた。
「キョウさん? そこにいらっしゃいますか?」
「……ま、松木さん?」
緊張で声が上擦りながら、聞こえてきた声の主を確かめると、ドアノブが回転して予想していた通りの姿が現れる。
端正な顔立ちで背の高い、俳優かモデルが出来そうな松木マネージャーが、俺を見つけて穏やかに微笑む。
「富岡プロデューサーから話を聞きました。大変な事態になっていると……心配になって駆けつけたのですが、その様子では満足に飲み食いしていないのでは?」
「……あまり、食欲がなくて……」
松木さんが指摘した通り、俺はあまり食べないようにしていた。食欲はあるのだけれど、俺の性格上悩んでいる時は食べられないはずだから。
松木さんは痛ましそうな表情になって、俺へと手を差し出した。
「それではいけません。きっと今は誤解されているだけです。時期が来たら必ず戻れますよ……その前にこのままでいては倒れてしまいます。さぁ、何か食べてください。固形物が難しいのでしたら、せめて飲むだけでも」
そう言って立ち上がろうとしない俺の腕を掴み、松木さんが引っ張って立ち上がらせる。
肩を貸して対面式キッチンの椅子まで俺を歩かせ、座らせるとキッチンへ移動して何かを準備する。
(……松木さんはどこまで聞いているんだろう?)
ここに来たのは純粋に心配してなのか、それとも。
ついじっと松木さんを目で追い続けていたら、気づいた松木さんに苦笑されてしまった。
「私、何か変ですか?」
「えっ……いえ、その……慣れているなと思いまして」
咄嗟の言い訳だったけれど、松木さんの動きは無駄がなく、はじめて使うキッチンとは思えなかった。
「あぁ、自宅のキッチンもここと様子が似ているので。何となくどこに何があるのか分かる気がするんです」
「……そうですか」
それきり会話の糸口を掴めず、俺も松木さんが味方なのか敵なのかを決めかねていた。
松木さんが手早く作ってくれたのはお粥だった。
「これなら胃にも優しいと思います。さぁ、食べてください」
「……いただきます」
柔らかい黄色が混ざった、たまご粥はあたたかくて美味しそうだった。
ちょうどお腹が空いていたから、すぐにでも食べたいと思ったけど、松木さんが見ている手前、がっついてはいけないだろうと思い直した。
食べる気がなさそうに、ゆっくりレンゲを手に取り、粥をかき混ぜる。
ちらっと松木さんを見上げると、じっと俺を見ていた様子で視線が交わった。
にこっと笑って、松木さんが仕草で促してくる。
「たまごはお嫌いでしたか?」
「……いいえ。大丈夫です」
漂う香りに負けて、少しだけ掬って口の中へ運ぶ。
(美味しい……)
空腹に優しく沁みわたるたまご粥に、思わず顔が綻びそうになって、慌てて渋面を作る。
(食べたいのに食べちゃいけないって、よくあることだったのに、何度経験してもやっぱり辛いなぁ)
少量しかない料理とか、神音にだけ用意された食材だった場合、どれだけそれが食欲をそそるものであっても、俺が食べると家族がいなくなった時に母親から罵られるので、じっと耐えていた。
でも今は母親がいないし、俺自身が食材を買い求めることが出来るようになったので耐性が薄れていたらしい。
つい涎が出そうになるのを堪え、食欲がない振りを続けた。
「辛くても、無理やりでも食べてください。体が弱ってしまってはやり直しも出来ませんよ」
「……はい」
本当はこれくらい軽く食べられるから、と心の中だけで言い返しながら、少しずつ粥を食べ進めた。
秒針は相変わらず単調に空気を揺らす。
松木さんは対面に立ったまま俺を見ていて、どこかへ行く気配もない。
(ちょっと気まずい……美味しいけど、味を感じなくなってきた)
少しずつぬるくなってきた粥は、最初ほど美味しさを伝えなくなっていた。
それでも懸命に食べ続ける演技をして、ようやく粥が半分以下になった時だった。
「……?」
手が痺れはじめ、レンゲを持っていることが辛くなってきた。
「あ、……」
松木さんに変だと伝えようとした時、舌も痺れて動かせず、発音できなくなっていることに気づいた。
(さっきから味がわからなくなっていたの、気のせいじゃなかった?)
まずいと思った時はすでに遅く、激しい眩暈がした直後、体が傾いて床へと落下していた。
横倒しになった視界の中、目の前に足先が映る。
「やれやれ……ようやく効いてくれたか。思っていたより時間がかかったな」
頭上から降り注ぐ低い声に、ぞっと悪寒が走った。
(あの日の、あいつの声……まさかっ)
忘れようとしたけど、何度も思い出しては恐れた暗闇の中で聞いた声と、まったく同じ声が聞こえている。
それはつまり、松木さんがあの日俺を弄んだ男だったと言うこと。
(そんな……)
声を聞き間違えただけだと思いたかった。
だけど現実は容赦がない。
「片平響。まだ終わっていない。お楽しみはここからだ」
「……っ……」
痺れは全身に回っていて、指先ですら思うように動かせない。
精一杯目を動かそうとしたけど、目の動きさえ自由にならなかった。
「ふふっ、時間が経つほどに深く沁みわたるだろう。おまえに叫ばれると厄介だからな……しばらくは大人しくしていてもらう」
松木はそう言って、動けない俺を担ぎあげた。
エレベーターや階段は使わず、非常階段を使って降りた松木は、マンション裏手に停めてあった車に俺を投げ入れ、運転席へ乗りこんだ。
「わたしは言った事は必ず成し遂げる人間でね。君に罪はないかもしれないが、わたしの目的のために犠牲となってもらうよ」
「……っ、……」
言い返してやりたいのに声がまったく出ない。口が動かせているのかも感じることができなかった。
「無理をしない方がいい。この先、君は嫌と言うほど声を出すことになる。その時掠れていては、先方に申し訳がないしね。君も楽しみが半減するだろう?」
何が楽しみだ、と心の中で言い返す。
走り出した車がどこへ向かっているのか、後部座席に転がされた身では見える範囲が限られていて、まるで予想もできない。
(うぅ……お粥食べなければよかった……でもあの場ではまったく食べないわけにもいかなかっただろうし、松木が敵だと確定できなかったけど……もう少し他にやりようがあったかも)
迂闊だったと自分でも思う。
もう少し用心するべきだったと過ぎた後で悔やんでも仕方がないけれど、全身痺れて動けない現状では考えることしか出来ることがなかった。
(神音たちは気づいているかな。マンションの非常階段があんな風に外から見えない状態になっているなんて、はじめて知った。神音は非常階段のこと知っているだろうか。知らなかったら俺がまだ部屋にいると思っていたりして……そもそもみんなは俺の様子とか、どうやって把握していたんだろう。まさか監視カメラはみんながつけた? だとしたら松木は俺が部屋にいることを知っていたのか、予想しただけなのか……)
ぐらぐら揺らされながら考え続けて、不安から目を背ける。
(それにしても痺れさせて人を浚うなんて、ただの人ならしないよな……それだけ俺が憎いのか。いや、松木は神音が憎いんだっけ……)
他を寄せ付けない才能に恵まれていた神音を妬む気持ちは、理解できる部分ではある。
まだ今ほど母親に疎まれていなかった幼い頃に、すでに漠然と俺の中で神音には敵わないと言う直感が芽生えていたし、成長するごとにそれは確信に変わった。
だから神音に及ばない自分自身が歯痒く、葛藤する気持ちはわかるのだ。
(でも神音を傷つけていいわけがない……俺が松木から逃げ出さないと、神音が傷つけられてしまうのなら、俺は精いっぱい逃げ道を探そう)
焦る気持ちとは裏腹に体の自由はまるで回復する前兆がない。
ビリビリと電気が走っているような痺れがひどく、動かそうとしても電流に阻まれてしまう感じがする。
走る車内から外に出るのは無謀だろう。
でももしかしたら速度を緩めた時ならば、多少怪我するだけで済むかもしれない。
(後続車がいなければ、だけど)
痺れる腕を叱咤激励しつつ、ほんのわずかずつ腕を動かす。ドアの取っ手までの距離はわずかなのに、途方もない集中力と時間を要した。
集中しすぎて額に汗が滲んでくる。
(がんばれ……動いてくれ)
のろのろと浮き上がった腕が激しく震えながら、少しずつ体から離れて伸びていく。
車の速度が緩んだ気がして、ほどなく完全に止まった。
(あぁ……間に合わなかった)
運転席のドアが開いて、松木が降りたらしく車体がわずかに揺れる。
そして開けようとしていたドアが外側から開かれる。もちろん解放されるはずもなく、松木がまるで荷物のように俺を肩に担ぎあげてしまった。
体を折り曲げられ、運ばれる。振動で吐き気がするけど、吐きだすための筋肉が痺れているから吐きだすこともできない。
逆さになった視界に映るものは松木の背中だけで、どこに着いてこれからどこへ行くのかを確かめられない。
タンタン、と軽い金属音のような音が聞こえる。音に合わせて上下するので、もしかしたら階段を上っているのかもしれない。
やがて最上部にたどり着いたらしく、視界の揺れが治まった。
「お待ちしておりました。それも今夜の供物ですか?」
「あぁ。薬が効いているから鎖は要らない。ショーまでに磨いておいてくれ」
松木とは別の声が聞こえた直後、体を投げ出される。落ちた先は浮いているような感じがするから、担架の上だろうか。
見上げる視界に青空といくつもの細い棒が映る。
「君を待つ人たちがいる。彼らは特別なお客様だ。身綺麗にしてお出迎えしなさい」
「…………っ」
顔を覗いてきた松木へ、出来る限り目に力を込めて睨んだつもりだったけど、出来たかどうか。
ただ苦笑した松木が指先で払うような仕草をすると、担架が動き出した。
移ろう視界に映る景色からここが何なのかを見極めようとする。
金属製のドアを通り抜けると、管が何本も通る天井が続く。天井までは低く、暗い。
(何だ、ここ……)
やがて貨物用エレベーターらしきものに運ばれ、下の階に移動する。
その先はまた太い管と細い管が並行して走る天井が続いて、やがて担架が左折した。
サビで変色した天井と、やたらと湿度の高い部屋に入り、担架が床へと下ろされる。
見える範囲の壁はタイルが貼られているようで、シャワーのようなものが一定間隔で取り付けられている。
(シャワー室?)
ただ見上げていることしか出来ない俺へ、運び込んだ人間が近づいてくる。
「おぉ、こいつもまた上玉だなぁ」
「上流階級サマ方の高尚な趣味とやらは、到底理解できねぇと思ってたが、こいつならおれもイケそうだ」
そばかすだらけの顔をした男と、団子鼻の男がふたり左右から俺を覗きこんで舌舐めずりしている。
ふたりの粘りつくような視線が気持ち悪く、顔を反らしたかったけど、やっぱりぴくりとも動かせなかった。
(くそっ……!)
歯噛みする俺を気にする様子もなく、男たちの手で体を起こされ、担架から下ろされる。
そしてシャワーをつかんだ団子鼻が容赦なく水流を俺に向けた。
「っ、……っ」
「馬鹿、顔に直接かける奴があるかっ。窒息させでもしたら、おれたちに何をされるかわかったもんじゃない。気をつけろっ」
「悪かったな。それにしても、こいつもしかして動けないのか? 水を避ける様子もなかった」
団子鼻がシャワーの角度を変えて、俺の胸にかけながら顔を近づけてきた。
ひどい口臭がして噎せそうになる。
あごをつかみ、くいっと上向かせた団子鼻が顔をさらに近づけてくる。
「おい、よせよ。おれたちが勝手に手出ししたことがバレたら、どんな仕返しをされることか」
「……わかってるって。されるがままな奴を目の前にしてからかわずにいられるか? しかもこんな上玉……すげぇ、いい肌してる」
あごをつかんでいた手で頬を撫でられる。
相変わらず触れそうなほど間近で見下ろされ、気持ちだけは睨み返しながら、今だけは頬を撫でる手の感触をはっきりと感じずに済んでいることを感謝した。
「下手な女より気持ちいいかもな……おまえも触ってみろよ」
「おれは止めとくよ。とにかくそいつを脱がせて、さっさと準備を終わらせようぜ。あの人が最後に運んできたってことは、こいつが今夜のメインなんだろ? 入念に磨いておかないと」
「……そうだな。ったく、たまには味見くらいさせて欲しいぜ」
そばかす男に促された団子鼻の男がぼやいた直後、服をつかまれ力任せに引き千切られる。
(っ、こいつ顔色も変えずに、あっさり破った!)
格闘家のようなたくましい体をしているわけでもないのに、涼しい顔で薄手とは言え服を簡単に破るなんて。さらにカーゴパンツもあっけなく破かれ、穿いていた下着も無残な破片に変えられる。
(な、何をする気だ……)
相変わらず体のどこも動かない。
ぐったり足を投げ出した態勢で、背後からそばかす男に支えられている俺に向けて、団子鼻がまたシャワーを向ける。
頭から水をかけられ、流れ落ちる水に泡が混じりはじめた。
(洗われてる……?)
「おまえは体洗っとけよ」
「わかってるって」
シャンプーする団子鼻の手つきは慣れているようで、はっきりとは感じないけど、わずかに伝わる感触は悪くはなかった。
同時にそばかす男が背後から手を回して、布で体を洗いはじめる。
体の隅々まで文字通り、全身を丹念に洗われ、男の象徴までも擦られた時は鈍くなっているはずの感覚でさえ、平気ではいられなかった。
(もぅ、やめろよ……っ)
前を擦っていたそばかす男の手が、腰を通り背後に回された。内心で罵声を上げても口からは吐息が出るばかりだ。
割れ目の奥を磨かれている間、痺れの中に混じる違和感を振り払いたくても、その方法がわからずただ耐えるしかなかった。
そばかす男の手が離れ、ほっと息を吐いた時、油断したその隙を狙ったように割れ目の奥へと何かが宛がわれ、ずるっと中に入れられた。
「っ、……っ……」
痺れているはずの体が勝手にしなり、入れられようとしているものを拒絶しようとする。
「暴れちゃだめだよ。痛いだけだから」
そばかす男が俺の体を押さえこみながら、耳元で囁く。その指先は体内へゆっくり埋め込まれていく。
投げ出していた足の指に団子鼻が触れた。
「ここも洗わないとな。しゃぶるのがお好きな方がいらっしゃるから」
指の間までそばかす男と同じように布で擦りはじめる。
痺れで分散されているはずなのに、ふたりの男が擦る部分から痺れとは違う何かが伝わってくる。
(やめろ……嫌だ、お願いだからっ)
足の先からくるぶしへ、何度も撫でるように擦られ、ゆっくりふくらはぎ、太ももへと団子鼻の手が上ってくる。
「固いなぁ……初物か、もう長いことここを使ってないかのどっちかだな、こいつ」
「にしては反応が良さそうだがな。さて、次は中をきれいにしますか」
「……、っ」
団子鼻が床に置いていたシャワーを持ち上げ、ヘッドを外す。その先をどこに向けるのかがわかって、俺は出ない声で思いっきり叫んだ。
中を洗われる感覚は衝撃的で、ふたりの男に見られながら、洗われているという状況も追い打ちをかけた。
(……もぅ、だめかも……)
何度も洗われて、心も折れかけていると、ふたりの男は仕事が終わったとばかりに、運び込んだ担架へと俺を乗せ、さっさと部屋を出て行く。
また無機質な管の天井を見上げて、さっきより疲れ切った心地で運ばれた先は、ちゃんとした部屋のようだった。
木目調の天井と壁を淡いオレンジの証明が照らす。
ベッドはスプリングが効いていて、素肌に触れるシーツの感触も心地良さそうだ。
「ご苦労だった」
担架からベッドへ俺を下ろしたふたりの男へ歩み寄り、チップのように紙幣を指先で渡す松木が辛うじて視界の端に映る。
(……こいつ……)
にやにやと満足そうに笑いながら見下ろしてくる松木は、マネージャーとして信頼していた時の面影がすっかり消えており、今ではただ憎らしく見えるばかりだ。
ベッドの端に腰かけ、松木が俺の頬に触れる。
「どうだった? あいつらは手慣れていただろう。少しは気持ちよくなれたかな」
「…………」
「そうだったね。君は今、体が痺れているから感覚も半減しているか……いや、経過時間からすると、そろそろ効果が薄れているはずだが」
楽しげに囁き、手のひらで頬から首筋、鎖骨から胸へと撫でていく松木の言う通り、最初よりも痺れは治まってきている。
ただまだ体を自由に動かすことはできなくて、せいぜい指先を動かせる程度だった。
わき腹から腰を撫でられて、言いようのないざわめきを感じながら、負け惜しみを心の中で吐き捨てる。
松木の手が何度も洗われた後ろへと触れた時、思わず息を呑む。
「ちゃんときれいにしてもらえたようだね。ついでに少し慣れさせておこうかな……」
やめろ、と心の中で叫び、わずかに動かせる指でシーツを引っかく。
そんな俺を見て、松木がさらに笑みを深めた。
「君を求めて、今夜ここに多くのお客様がやってくる。あぁ、先に言っておくよ。君が仲間たちに助けを求めたことは知っている。彼らは君を囮にしたこともね……だけどすべて無駄な足掻きだ。ここは海の上、もう間もなく船は出港する。君に逃げ場はないし、助けも来ない……そもそも君を本当に助ける意思が彼らにあったのだろうか?」
「……っ」
両膝を曲げた状態で足を開かれ、松木が双丘の谷間へ指を這わせる。その指は何かに濡れていて、冷たくはなかったけれど粘着的な感覚が屈辱を倍増させる。
本能が侵入を防ごうとするそこへ、指を捻じ込まれ、背筋に痛みに似た感覚が走る。
「息を吐きなさい。慣れてしまえば、君も気持ち良くなれるのだから」
「っー、……っ」
「強情な子だ……」
呆れたようでいて楽しそうでもある呟きの後、松木はもう一方の手を俺の口に入れ、開かせる。そこに舌を入れ、唇で蓋をするような形で口内を舐められた。
鼻から息をするしかなくなり、息苦しさに負けて、息を吐き出しても口が解放されずに体内の指もさらに奥へと入ってくる。
腕を懸命に動かして覆いかぶさる松木の体を押しのけようとする。情けなく掠っただけで、ぱたりとシーツへ腕が落ちた。
埋め込まれた指が少しずつ動きはじめる。
抜き差しされるだけだった指は、折り曲げられたり、かき回すように動きを変えていく。
(いやだっ……)
感じたくないのに、痺れでは相殺できない感覚へと、体を高められていくのがわかり、いろんな感情が溢れて涙に変わる。
「……あぁ、いけない。思わず夢中になってしまうところだった。この先は君を買ってくれた人だけが味わえる領域だ。さて、どんな方が君を手に入れるのだろう……楽しみだね」
松木の舌と指が離れて行くと、安心してしまって体から力が抜けた。
「言い忘れていた。君の母親から伝言があるんだ。二度と戻ってくるな、とね」
「…………っ」
「ふふ。よほど彼女は君が憎いらしい。本来は借金で抜き差しならなくなった者が、最後の手段として選ぶ世界なのに」
松木から聞かされる話をすべて信じていいわけがないのに、あり得ないとは思えない内容に、目じりに滲んだ涙がこぼれ落ちそうになる。
(わかっている……あの人は神音のそばに俺がいることが目障りで仕方がないんだ)
辛うじて動く指でシーツを引っかいて、悔しさと胸の鈍痛を紛らわせようとする。
松木が憐れむまなざしで俺を見下ろす。
「さて……そろそろお客様が会場へお入り
になる頃だろう。君も最後の仕上げをしなくては」
「……、……」
静かな松木の声に冷たい予感が弾け、必死に抵抗しようとするも、腕をつかむ松木の手は振りほどけない。
「君が見る夢はどんな内容だろうね……安心しなさい。夢を見ている間にすべてが終わる。もっとも夢が覚めた時、君が再び意思を取り戻せるかわからないが」
つかまれた腕に細い注射器が宛がわれる。
松木がもう一度俺に軽くキスをした。
「さよなら……片平響くん」
注射器の中に収められていた液体が、体内へゆっくり流し込まれた。
何かが起きるとも限らない。
そんな状況だから、小さな音にさえ過敏になってしまう。
俺は神音と暮らす部屋に戻り、富岡さんに言われた通りだれとも連絡を取らず、部屋に籠っていた。
神音はあれから部屋に戻ってくることはなく、どこで何をしているのかもわからない。
単調に時を刻み続ける秒針の音がいつも以上に耳へ届く。
「……ひとりだと、ずいぶん広く感じるなぁ……」
生活に必要な家具も小物も揃っているのに、人気がないだけで空虚感をひしひしと感じる。
ただひとりでいることが耐えられず、そっと呟いてみても、空虚へ声が飲みこまれてしまったように消えていく。
ひとりでじっとしていると、悪い方へ悪い方へと思考が引っ張られて、気がつくと膝を抱えて部屋の隅にいる。
だから体を動かしていたいけれど、富岡さんが提案した意図を考えれば、動き回っているのは良くないと思う。
ちらっと自室の壁掛け時計を見上げる。
富岡さんから追放された日の深夜、そっと部屋の中を探してみると、時計の裏に見慣れない装置が付けられていた。
カメラのレンズらしきものも付いていたから、盗撮されているのだろうと予想している。
見つけた時、すぐにでも取り外したい衝動にかられたけれど、これも我慢するべきなのだと思い直してぐっと堪えた。
ただどうしても気になって、時計を見上げてしまう。
(気持ち悪いな、やっぱり……)
だれが何の目的で取り付けたのか。それを考えると連れ去られた日のことを思い出し、まさかと思いつつも悪い方向へ想像を巡らせてしまうのだ。
(もういっそ、早く何か起きてくれればいいのに)
ひとりきり、膝を抱えてうずくまっていることが辛かった。
部屋の外でかたん、と物がぶつかり合うような音がして、思わずびくっと体が震えた。
心臓が突然叫びはじめ、手に汗が滲む。
(何、何が起きたの……?)
早く起きてくれと思っていたはずなのに、いざ物音が聞こえると怯えてしまう。
じっと息を潜めて待つ時間が長く感じた。
「…………」
キッチンで洗って乾かしていた食器か何かが倒れた音だったらしい。
それきり何も起きず、ほっと止めていた息を吐き出して脱力する。
本当に『i-CeL』を脱退させられていたとしたら、何をやる気にもなれず、一日中ぼうっと座り続けていただろう。
そう思うからこそ、部屋に籠っているのだけれど、すぐそばに恐怖が寄り添っているような気がして、時々叫びたくなる。
(……みんな今ごろ何をしているんだろう)
先に発売されてしまった新曲はもう使えなくなってしまった。レコーディングをし直すとしても、俺を脱退させた今、神音が歌うのだろうか。
(デビュー前からのファンは喜ぶだろうな。何だかんだ言っても神音の方が人気あるし……作詞はアレンさんの方が上手いと思う。改めて考えてみたら、俺は歌うことしか出来ないな)
笑いたいけど笑えない事実に、ふっと小さく息を吐き出す。
これが解決したら作曲の勉強をしようとか、その前に作詞の勉強かギターの練習だろうかと考えている間にうつらうつらと居眠りしていたようだ。
浅く蕩けかけていた意識の片すみで、ほんの小さな物音を拾い上げる。
ぼんやりしたまま物音へ集中しようとして、その音がだんだん近づいてきていることに気づく。
心臓がどくん、と強く鳴った。
(……来たっ)
来なければいいと思いながら、いっそ早く来て通りすぎてくれないかと望んでいたその時が、目の前まで迫っている。
ドアの向こうで音が途切れる。
コン、コンと小さくノックされた。
「キョウさん? そこにいらっしゃいますか?」
「……ま、松木さん?」
緊張で声が上擦りながら、聞こえてきた声の主を確かめると、ドアノブが回転して予想していた通りの姿が現れる。
端正な顔立ちで背の高い、俳優かモデルが出来そうな松木マネージャーが、俺を見つけて穏やかに微笑む。
「富岡プロデューサーから話を聞きました。大変な事態になっていると……心配になって駆けつけたのですが、その様子では満足に飲み食いしていないのでは?」
「……あまり、食欲がなくて……」
松木さんが指摘した通り、俺はあまり食べないようにしていた。食欲はあるのだけれど、俺の性格上悩んでいる時は食べられないはずだから。
松木さんは痛ましそうな表情になって、俺へと手を差し出した。
「それではいけません。きっと今は誤解されているだけです。時期が来たら必ず戻れますよ……その前にこのままでいては倒れてしまいます。さぁ、何か食べてください。固形物が難しいのでしたら、せめて飲むだけでも」
そう言って立ち上がろうとしない俺の腕を掴み、松木さんが引っ張って立ち上がらせる。
肩を貸して対面式キッチンの椅子まで俺を歩かせ、座らせるとキッチンへ移動して何かを準備する。
(……松木さんはどこまで聞いているんだろう?)
ここに来たのは純粋に心配してなのか、それとも。
ついじっと松木さんを目で追い続けていたら、気づいた松木さんに苦笑されてしまった。
「私、何か変ですか?」
「えっ……いえ、その……慣れているなと思いまして」
咄嗟の言い訳だったけれど、松木さんの動きは無駄がなく、はじめて使うキッチンとは思えなかった。
「あぁ、自宅のキッチンもここと様子が似ているので。何となくどこに何があるのか分かる気がするんです」
「……そうですか」
それきり会話の糸口を掴めず、俺も松木さんが味方なのか敵なのかを決めかねていた。
松木さんが手早く作ってくれたのはお粥だった。
「これなら胃にも優しいと思います。さぁ、食べてください」
「……いただきます」
柔らかい黄色が混ざった、たまご粥はあたたかくて美味しそうだった。
ちょうどお腹が空いていたから、すぐにでも食べたいと思ったけど、松木さんが見ている手前、がっついてはいけないだろうと思い直した。
食べる気がなさそうに、ゆっくりレンゲを手に取り、粥をかき混ぜる。
ちらっと松木さんを見上げると、じっと俺を見ていた様子で視線が交わった。
にこっと笑って、松木さんが仕草で促してくる。
「たまごはお嫌いでしたか?」
「……いいえ。大丈夫です」
漂う香りに負けて、少しだけ掬って口の中へ運ぶ。
(美味しい……)
空腹に優しく沁みわたるたまご粥に、思わず顔が綻びそうになって、慌てて渋面を作る。
(食べたいのに食べちゃいけないって、よくあることだったのに、何度経験してもやっぱり辛いなぁ)
少量しかない料理とか、神音にだけ用意された食材だった場合、どれだけそれが食欲をそそるものであっても、俺が食べると家族がいなくなった時に母親から罵られるので、じっと耐えていた。
でも今は母親がいないし、俺自身が食材を買い求めることが出来るようになったので耐性が薄れていたらしい。
つい涎が出そうになるのを堪え、食欲がない振りを続けた。
「辛くても、無理やりでも食べてください。体が弱ってしまってはやり直しも出来ませんよ」
「……はい」
本当はこれくらい軽く食べられるから、と心の中だけで言い返しながら、少しずつ粥を食べ進めた。
秒針は相変わらず単調に空気を揺らす。
松木さんは対面に立ったまま俺を見ていて、どこかへ行く気配もない。
(ちょっと気まずい……美味しいけど、味を感じなくなってきた)
少しずつぬるくなってきた粥は、最初ほど美味しさを伝えなくなっていた。
それでも懸命に食べ続ける演技をして、ようやく粥が半分以下になった時だった。
「……?」
手が痺れはじめ、レンゲを持っていることが辛くなってきた。
「あ、……」
松木さんに変だと伝えようとした時、舌も痺れて動かせず、発音できなくなっていることに気づいた。
(さっきから味がわからなくなっていたの、気のせいじゃなかった?)
まずいと思った時はすでに遅く、激しい眩暈がした直後、体が傾いて床へと落下していた。
横倒しになった視界の中、目の前に足先が映る。
「やれやれ……ようやく効いてくれたか。思っていたより時間がかかったな」
頭上から降り注ぐ低い声に、ぞっと悪寒が走った。
(あの日の、あいつの声……まさかっ)
忘れようとしたけど、何度も思い出しては恐れた暗闇の中で聞いた声と、まったく同じ声が聞こえている。
それはつまり、松木さんがあの日俺を弄んだ男だったと言うこと。
(そんな……)
声を聞き間違えただけだと思いたかった。
だけど現実は容赦がない。
「片平響。まだ終わっていない。お楽しみはここからだ」
「……っ……」
痺れは全身に回っていて、指先ですら思うように動かせない。
精一杯目を動かそうとしたけど、目の動きさえ自由にならなかった。
「ふふっ、時間が経つほどに深く沁みわたるだろう。おまえに叫ばれると厄介だからな……しばらくは大人しくしていてもらう」
松木はそう言って、動けない俺を担ぎあげた。
エレベーターや階段は使わず、非常階段を使って降りた松木は、マンション裏手に停めてあった車に俺を投げ入れ、運転席へ乗りこんだ。
「わたしは言った事は必ず成し遂げる人間でね。君に罪はないかもしれないが、わたしの目的のために犠牲となってもらうよ」
「……っ、……」
言い返してやりたいのに声がまったく出ない。口が動かせているのかも感じることができなかった。
「無理をしない方がいい。この先、君は嫌と言うほど声を出すことになる。その時掠れていては、先方に申し訳がないしね。君も楽しみが半減するだろう?」
何が楽しみだ、と心の中で言い返す。
走り出した車がどこへ向かっているのか、後部座席に転がされた身では見える範囲が限られていて、まるで予想もできない。
(うぅ……お粥食べなければよかった……でもあの場ではまったく食べないわけにもいかなかっただろうし、松木が敵だと確定できなかったけど……もう少し他にやりようがあったかも)
迂闊だったと自分でも思う。
もう少し用心するべきだったと過ぎた後で悔やんでも仕方がないけれど、全身痺れて動けない現状では考えることしか出来ることがなかった。
(神音たちは気づいているかな。マンションの非常階段があんな風に外から見えない状態になっているなんて、はじめて知った。神音は非常階段のこと知っているだろうか。知らなかったら俺がまだ部屋にいると思っていたりして……そもそもみんなは俺の様子とか、どうやって把握していたんだろう。まさか監視カメラはみんながつけた? だとしたら松木は俺が部屋にいることを知っていたのか、予想しただけなのか……)
ぐらぐら揺らされながら考え続けて、不安から目を背ける。
(それにしても痺れさせて人を浚うなんて、ただの人ならしないよな……それだけ俺が憎いのか。いや、松木は神音が憎いんだっけ……)
他を寄せ付けない才能に恵まれていた神音を妬む気持ちは、理解できる部分ではある。
まだ今ほど母親に疎まれていなかった幼い頃に、すでに漠然と俺の中で神音には敵わないと言う直感が芽生えていたし、成長するごとにそれは確信に変わった。
だから神音に及ばない自分自身が歯痒く、葛藤する気持ちはわかるのだ。
(でも神音を傷つけていいわけがない……俺が松木から逃げ出さないと、神音が傷つけられてしまうのなら、俺は精いっぱい逃げ道を探そう)
焦る気持ちとは裏腹に体の自由はまるで回復する前兆がない。
ビリビリと電気が走っているような痺れがひどく、動かそうとしても電流に阻まれてしまう感じがする。
走る車内から外に出るのは無謀だろう。
でももしかしたら速度を緩めた時ならば、多少怪我するだけで済むかもしれない。
(後続車がいなければ、だけど)
痺れる腕を叱咤激励しつつ、ほんのわずかずつ腕を動かす。ドアの取っ手までの距離はわずかなのに、途方もない集中力と時間を要した。
集中しすぎて額に汗が滲んでくる。
(がんばれ……動いてくれ)
のろのろと浮き上がった腕が激しく震えながら、少しずつ体から離れて伸びていく。
車の速度が緩んだ気がして、ほどなく完全に止まった。
(あぁ……間に合わなかった)
運転席のドアが開いて、松木が降りたらしく車体がわずかに揺れる。
そして開けようとしていたドアが外側から開かれる。もちろん解放されるはずもなく、松木がまるで荷物のように俺を肩に担ぎあげてしまった。
体を折り曲げられ、運ばれる。振動で吐き気がするけど、吐きだすための筋肉が痺れているから吐きだすこともできない。
逆さになった視界に映るものは松木の背中だけで、どこに着いてこれからどこへ行くのかを確かめられない。
タンタン、と軽い金属音のような音が聞こえる。音に合わせて上下するので、もしかしたら階段を上っているのかもしれない。
やがて最上部にたどり着いたらしく、視界の揺れが治まった。
「お待ちしておりました。それも今夜の供物ですか?」
「あぁ。薬が効いているから鎖は要らない。ショーまでに磨いておいてくれ」
松木とは別の声が聞こえた直後、体を投げ出される。落ちた先は浮いているような感じがするから、担架の上だろうか。
見上げる視界に青空といくつもの細い棒が映る。
「君を待つ人たちがいる。彼らは特別なお客様だ。身綺麗にしてお出迎えしなさい」
「…………っ」
顔を覗いてきた松木へ、出来る限り目に力を込めて睨んだつもりだったけど、出来たかどうか。
ただ苦笑した松木が指先で払うような仕草をすると、担架が動き出した。
移ろう視界に映る景色からここが何なのかを見極めようとする。
金属製のドアを通り抜けると、管が何本も通る天井が続く。天井までは低く、暗い。
(何だ、ここ……)
やがて貨物用エレベーターらしきものに運ばれ、下の階に移動する。
その先はまた太い管と細い管が並行して走る天井が続いて、やがて担架が左折した。
サビで変色した天井と、やたらと湿度の高い部屋に入り、担架が床へと下ろされる。
見える範囲の壁はタイルが貼られているようで、シャワーのようなものが一定間隔で取り付けられている。
(シャワー室?)
ただ見上げていることしか出来ない俺へ、運び込んだ人間が近づいてくる。
「おぉ、こいつもまた上玉だなぁ」
「上流階級サマ方の高尚な趣味とやらは、到底理解できねぇと思ってたが、こいつならおれもイケそうだ」
そばかすだらけの顔をした男と、団子鼻の男がふたり左右から俺を覗きこんで舌舐めずりしている。
ふたりの粘りつくような視線が気持ち悪く、顔を反らしたかったけど、やっぱりぴくりとも動かせなかった。
(くそっ……!)
歯噛みする俺を気にする様子もなく、男たちの手で体を起こされ、担架から下ろされる。
そしてシャワーをつかんだ団子鼻が容赦なく水流を俺に向けた。
「っ、……っ」
「馬鹿、顔に直接かける奴があるかっ。窒息させでもしたら、おれたちに何をされるかわかったもんじゃない。気をつけろっ」
「悪かったな。それにしても、こいつもしかして動けないのか? 水を避ける様子もなかった」
団子鼻がシャワーの角度を変えて、俺の胸にかけながら顔を近づけてきた。
ひどい口臭がして噎せそうになる。
あごをつかみ、くいっと上向かせた団子鼻が顔をさらに近づけてくる。
「おい、よせよ。おれたちが勝手に手出ししたことがバレたら、どんな仕返しをされることか」
「……わかってるって。されるがままな奴を目の前にしてからかわずにいられるか? しかもこんな上玉……すげぇ、いい肌してる」
あごをつかんでいた手で頬を撫でられる。
相変わらず触れそうなほど間近で見下ろされ、気持ちだけは睨み返しながら、今だけは頬を撫でる手の感触をはっきりと感じずに済んでいることを感謝した。
「下手な女より気持ちいいかもな……おまえも触ってみろよ」
「おれは止めとくよ。とにかくそいつを脱がせて、さっさと準備を終わらせようぜ。あの人が最後に運んできたってことは、こいつが今夜のメインなんだろ? 入念に磨いておかないと」
「……そうだな。ったく、たまには味見くらいさせて欲しいぜ」
そばかす男に促された団子鼻の男がぼやいた直後、服をつかまれ力任せに引き千切られる。
(っ、こいつ顔色も変えずに、あっさり破った!)
格闘家のようなたくましい体をしているわけでもないのに、涼しい顔で薄手とは言え服を簡単に破るなんて。さらにカーゴパンツもあっけなく破かれ、穿いていた下着も無残な破片に変えられる。
(な、何をする気だ……)
相変わらず体のどこも動かない。
ぐったり足を投げ出した態勢で、背後からそばかす男に支えられている俺に向けて、団子鼻がまたシャワーを向ける。
頭から水をかけられ、流れ落ちる水に泡が混じりはじめた。
(洗われてる……?)
「おまえは体洗っとけよ」
「わかってるって」
シャンプーする団子鼻の手つきは慣れているようで、はっきりとは感じないけど、わずかに伝わる感触は悪くはなかった。
同時にそばかす男が背後から手を回して、布で体を洗いはじめる。
体の隅々まで文字通り、全身を丹念に洗われ、男の象徴までも擦られた時は鈍くなっているはずの感覚でさえ、平気ではいられなかった。
(もぅ、やめろよ……っ)
前を擦っていたそばかす男の手が、腰を通り背後に回された。内心で罵声を上げても口からは吐息が出るばかりだ。
割れ目の奥を磨かれている間、痺れの中に混じる違和感を振り払いたくても、その方法がわからずただ耐えるしかなかった。
そばかす男の手が離れ、ほっと息を吐いた時、油断したその隙を狙ったように割れ目の奥へと何かが宛がわれ、ずるっと中に入れられた。
「っ、……っ……」
痺れているはずの体が勝手にしなり、入れられようとしているものを拒絶しようとする。
「暴れちゃだめだよ。痛いだけだから」
そばかす男が俺の体を押さえこみながら、耳元で囁く。その指先は体内へゆっくり埋め込まれていく。
投げ出していた足の指に団子鼻が触れた。
「ここも洗わないとな。しゃぶるのがお好きな方がいらっしゃるから」
指の間までそばかす男と同じように布で擦りはじめる。
痺れで分散されているはずなのに、ふたりの男が擦る部分から痺れとは違う何かが伝わってくる。
(やめろ……嫌だ、お願いだからっ)
足の先からくるぶしへ、何度も撫でるように擦られ、ゆっくりふくらはぎ、太ももへと団子鼻の手が上ってくる。
「固いなぁ……初物か、もう長いことここを使ってないかのどっちかだな、こいつ」
「にしては反応が良さそうだがな。さて、次は中をきれいにしますか」
「……、っ」
団子鼻が床に置いていたシャワーを持ち上げ、ヘッドを外す。その先をどこに向けるのかがわかって、俺は出ない声で思いっきり叫んだ。
中を洗われる感覚は衝撃的で、ふたりの男に見られながら、洗われているという状況も追い打ちをかけた。
(……もぅ、だめかも……)
何度も洗われて、心も折れかけていると、ふたりの男は仕事が終わったとばかりに、運び込んだ担架へと俺を乗せ、さっさと部屋を出て行く。
また無機質な管の天井を見上げて、さっきより疲れ切った心地で運ばれた先は、ちゃんとした部屋のようだった。
木目調の天井と壁を淡いオレンジの証明が照らす。
ベッドはスプリングが効いていて、素肌に触れるシーツの感触も心地良さそうだ。
「ご苦労だった」
担架からベッドへ俺を下ろしたふたりの男へ歩み寄り、チップのように紙幣を指先で渡す松木が辛うじて視界の端に映る。
(……こいつ……)
にやにやと満足そうに笑いながら見下ろしてくる松木は、マネージャーとして信頼していた時の面影がすっかり消えており、今ではただ憎らしく見えるばかりだ。
ベッドの端に腰かけ、松木が俺の頬に触れる。
「どうだった? あいつらは手慣れていただろう。少しは気持ちよくなれたかな」
「…………」
「そうだったね。君は今、体が痺れているから感覚も半減しているか……いや、経過時間からすると、そろそろ効果が薄れているはずだが」
楽しげに囁き、手のひらで頬から首筋、鎖骨から胸へと撫でていく松木の言う通り、最初よりも痺れは治まってきている。
ただまだ体を自由に動かすことはできなくて、せいぜい指先を動かせる程度だった。
わき腹から腰を撫でられて、言いようのないざわめきを感じながら、負け惜しみを心の中で吐き捨てる。
松木の手が何度も洗われた後ろへと触れた時、思わず息を呑む。
「ちゃんときれいにしてもらえたようだね。ついでに少し慣れさせておこうかな……」
やめろ、と心の中で叫び、わずかに動かせる指でシーツを引っかく。
そんな俺を見て、松木がさらに笑みを深めた。
「君を求めて、今夜ここに多くのお客様がやってくる。あぁ、先に言っておくよ。君が仲間たちに助けを求めたことは知っている。彼らは君を囮にしたこともね……だけどすべて無駄な足掻きだ。ここは海の上、もう間もなく船は出港する。君に逃げ場はないし、助けも来ない……そもそも君を本当に助ける意思が彼らにあったのだろうか?」
「……っ」
両膝を曲げた状態で足を開かれ、松木が双丘の谷間へ指を這わせる。その指は何かに濡れていて、冷たくはなかったけれど粘着的な感覚が屈辱を倍増させる。
本能が侵入を防ごうとするそこへ、指を捻じ込まれ、背筋に痛みに似た感覚が走る。
「息を吐きなさい。慣れてしまえば、君も気持ち良くなれるのだから」
「っー、……っ」
「強情な子だ……」
呆れたようでいて楽しそうでもある呟きの後、松木はもう一方の手を俺の口に入れ、開かせる。そこに舌を入れ、唇で蓋をするような形で口内を舐められた。
鼻から息をするしかなくなり、息苦しさに負けて、息を吐き出しても口が解放されずに体内の指もさらに奥へと入ってくる。
腕を懸命に動かして覆いかぶさる松木の体を押しのけようとする。情けなく掠っただけで、ぱたりとシーツへ腕が落ちた。
埋め込まれた指が少しずつ動きはじめる。
抜き差しされるだけだった指は、折り曲げられたり、かき回すように動きを変えていく。
(いやだっ……)
感じたくないのに、痺れでは相殺できない感覚へと、体を高められていくのがわかり、いろんな感情が溢れて涙に変わる。
「……あぁ、いけない。思わず夢中になってしまうところだった。この先は君を買ってくれた人だけが味わえる領域だ。さて、どんな方が君を手に入れるのだろう……楽しみだね」
松木の舌と指が離れて行くと、安心してしまって体から力が抜けた。
「言い忘れていた。君の母親から伝言があるんだ。二度と戻ってくるな、とね」
「…………っ」
「ふふ。よほど彼女は君が憎いらしい。本来は借金で抜き差しならなくなった者が、最後の手段として選ぶ世界なのに」
松木から聞かされる話をすべて信じていいわけがないのに、あり得ないとは思えない内容に、目じりに滲んだ涙がこぼれ落ちそうになる。
(わかっている……あの人は神音のそばに俺がいることが目障りで仕方がないんだ)
辛うじて動く指でシーツを引っかいて、悔しさと胸の鈍痛を紛らわせようとする。
松木が憐れむまなざしで俺を見下ろす。
「さて……そろそろお客様が会場へお入り
になる頃だろう。君も最後の仕上げをしなくては」
「……、……」
静かな松木の声に冷たい予感が弾け、必死に抵抗しようとするも、腕をつかむ松木の手は振りほどけない。
「君が見る夢はどんな内容だろうね……安心しなさい。夢を見ている間にすべてが終わる。もっとも夢が覚めた時、君が再び意思を取り戻せるかわからないが」
つかまれた腕に細い注射器が宛がわれる。
松木がもう一度俺に軽くキスをした。
「さよなら……片平響くん」
注射器の中に収められていた液体が、体内へゆっくり流し込まれた。
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