銀河戦国記ノヴァルナ 第2章:運命の星、掴む者

潮崎 晶

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第1話:大義の名のもとに

#10

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 ノアも見送りに加わって、ノヴァルナ達はシャトルポートへ出た。今日は曇天の下、春の雨がやや強めに降っている。昇降ハッチを開けて待つシャトルまでは、三十メートルほどの距離があり、ノヴァルナと三人の『ホロウシュ』は足早にシャトルに向かった。離陸したシャトルは、機体が放出する反転重力子でリング状に雨を弾き、ナグヤ城の眼下に広がるダクラワン湖へ向かう。

 すると湖の水面が盛り上がり、爆発的な水飛沫が起きた。その中から飛び出してくるのはノヴァルナの専用戦艦、ナグヤ軍宇宙艦隊総旗艦『ヒテン』だ。ナグヤ家は城の間近にあるダクラワン湖の底に、大型戦艦まで収容出来る非常用のドックを整備しており、最優先で修理と補給を完了する必要があった『ヒテン』を、そこへ収めていたのである。

 滝のように流れ落ちる水を幾本も下げながら浮かび上がった『ヒテン』を、ノヴァルナを乗せたシャトルは加速をかけて追い越し、正確なUターンを行って艦の上部ドッキングベイに着陸する。

 その直後、『ヒテン』は圧縮した反転重力子を斜め下方へ放出した。湖面に六本の巨大な水柱が起こり、大きな波が立ち上ると、『ヒテン』は一気に上昇を始めてみるみるうちに、灰色の空を突き抜けていく。その後ろ姿をマイアとメイアと共に見送ったノアは、先ほどのノヴァルナへの強気な態度とは打って変わり、戦場へ向かって飛び立った婚約者を案じて表情を曇らせた………

 同じ頃、モルザン星系第三惑星モルゼナ―――

 ノヴァルナの叔父、ウォーダ家きっての猛将と名高いヴァルツ=ウォーダの居城、モルゼナ城は、赤茶色の外壁ががっしりと大地に根を下ろしたような城だった。それが秋の夕映えを纏えば、ヴァルツの質実剛健さを体現したかの如き印象を与える。

 黒いシルエットとなった山の稜線の、向こう側へ沈む夕陽を横顔に受けて、美しい女性がモルゼナ城の窓辺に置かれた椅子に座っていた。グラスに注がれた赤いワインを、そのワインの赤より鮮やかなルージュで彩られた唇で受け止めている。年の頃は三十代前半。淡いミントグリーンのドレスを着て、豊かなウエーブの栗毛が特徴的だ。

 女性の名はカルティラ。ヴァルツ=ウォーダの妻であった。四十歳のヴァルツとは八つ違いの三十二歳。モルザン星系経済界の重鎮の家系で、ウォーダ宗家から星系の支配権を与えられたヴァルツと、二十歳の若さで政略結婚した。

 まだ宵の口だというのに夕食を摂るでもなく、私室でワインを口にするカルティラの元へ、ドアをノックする音が響く。ウェーブのかかった長い栗毛を指で掻き撫で、少し整え直したカルティラは、「どうぞ」と落ち着いた口調で告げた。それに反応してドアが開かれ、一部の隙も無く軍装を着込んだ色白の青年が入って来る。年齢は二十代半ばといったところだ。艶のある黒髪を真ん中から分けており、軍人というよりも軍装のモデルといった表現の方が似つかわしい。カルティラが青年の名を呼ぶ。

「ハテュス…」

 青年はマドゴット・ハテュス=サーガイ。昨年初め頃からヴァルツの配下となった、政務秘書官の一人である。サーガイといえばナグヤ家の宿敵、キオ・スー家の筆頭家老のダイ・ゼン=サーガイと同じ姓であり、事実両者は同じサーガイの一族であった。ただサーガイ一族は、銀河皇国からの初期移民を祖とするオ・ワーリ宙域でも古い一族の一つで、各ウォーダ家に広く仕えているため、現在の両者の間に何か繋がりがある事はない。

 このような例は珍しくはなく、ノヴァルナの『ホロウシュ』の一人、ヨヴェ=カージェスなどは、一族のチェイロ=カージェスがキオ・スー家のBSI部隊総監を務めており、互いに刃を交える可能性すらある状況だ。

 少し上目遣いでこちらを見つめるカルティラに、マドゴットは事務的な口調で告げる。

「ご出陣中のヴァルツ様より、先ほど定時連絡がございました」

 その言葉を聞いたカルティラは愁いを含んだ目で、まだ幾分か夕陽の残る窓の外を見遣り、ぼそりと言った。

「そう…」

 そしてマドゴットを振り返り、「聞かせて頂戴」と言うと、傍らに控える二人の侍女に“お下がりなさい”と目配せで命じる。二人きりになるとカルティラの表情は俄然、妖艶さを帯びて来た。椅子からゆっくりと立ち上がり、自分からマドゴットに歩み寄る。そんなカルティラに対し、マドゴットは微笑みながら告げようとした。

「定時連絡の内容ですが―――」

 だがそのマドゴットの唇を、カルティラの立てた人差し指が軽く押さえつける。“聞かせて頂戴”という今しがたの言葉と真逆の行動だ。無論、夫の定時連絡の内容など、カルティラに端から聞く気はない。マドゴットもカルティラも、そして退出した二人の侍女もそんなことは百も承知だ。マドゴットはカルティラの手を取り、その甲に口づけする。モルザン星系独立管領ヴァルツ=ウォーダの夫人と、若き政務秘書官のただならぬ関係…それはヴァルツの妻、カルティラの心に生まれたすきま風が招いたものだった。

 猛将ヴァルツ。兄のヒディラスに従って、戦って、戦って、戦って…戦い続けた人生である。ヒディラスの率いる軍全体は敗北した事はあっても、ヴァルツの部隊だけは負けた事がないと言っても過言ではない。
 しかも内政でもヴァルツに怠りは無く、特に経済状況のチェックは時間の許す限り自ら行っている甲斐もあって、モルザン星系のGDPはウォーダ両宗家のオ・ワーリ=カーミラ星系、オ・ワーリ=シーモア星系に匹敵する高さであった。

 戦いと政治、この両輪がヴァルツの全てであり、また本人のタフさもあって、近年ではヴァルツが私人としての時間を過ごすのは、睡眠の時ぐらいのものとなっている。まさに『新封建主義』の世では、支配者の鏡とも呼べる存在だ。

 だがこの走り続ける人生が、ヴァルツの妻の心にすきま風を生み出したのである。

 元々民間人で大企業の令嬢。奔放な性格であったカルティラが、星大名ウォーダの一族の妻となったのは、二十歳になったばかりの時だった。

 当時はまだヒディラスの父、ノヴァルナの祖父のノヴァザーターがナグヤ家の当主で、キオ・スー家との関係も悪くなかった。キオ・スー家は領域内でも経済状況の良いモルザン星系への支配力を高めるために、家老であったノヴァザーターの次男を独立管領として送り込み、モルザン星系経済界の重鎮の娘と政略結婚させたのである。星系の安全保障面を強化したいモルザンの経済界との、思惑が一致した結果だ。

 それでも最初の数年は、温もりのある結婚生活だった。ヴァルツの星系統治は形だけのものであって、実際の統治はキオ・スー家が行っていたからだ。二人の間には子供も生まれ、ツヴァールと名付けられた。

 そんなささやかな結婚生活が一変したのは皇国暦1541年、ノヴァザーターが領域巡察の途中で事故死し、嫡男ヒディラスがナグヤ家の当主を継いだ時からである。

 独立心が強く、新進気鋭の若きヒディラスがナグヤ家の勢力を増大させるに従い、弟であるヴァルツも、元来秘めていた闘争心を表立て始め、兄と共に対外進出へ邁進するようになった。ヴァルツに城を空ける時間が増え、それがヴァルツの妻、カルティラの心に寒風を吹かせるようになったのだ。

 この頃すでに嫡男のツヴァールは、ヴァルツの教育方針で単身、惑星モルゼアの寄宿学校で民間人と共に育てられていた。そのような置き去りの日々に冷えたカルティラの前に現れたのが、若く美しいマドゴット・ハテュス=サーガイである。

 ヴァルツが出征している間その名代として、公式行事への出席が役目となる自分を補佐するため、政務秘書官に登用されたマドゴットに、二人で過ごす時間が必然的に長くなったカルティラが、心を寄せるようになるまでに、そう時間は掛からなかった。

 また若さに満ちたマドゴットも、妖艶で煽情的なカルティラに、次第にその身を溺れさせてゆき、二人は互いに禁断の愛欲の虜となっていったのだ。

 猛将ヴァルツも人の子であり、万能ではない。古来より勇名を轟かせた人物が、私生活では迂闊であった例は数多《あまた》ある話であった。

 そうして若い愛人の誕生を、“物分かりが良くなった妻”という偽りの仮面で隠したカルティラに対し、ヴァルツは疑う事無く、今度の戦いも艦隊を率いて旅立ったのである。

 マドゴットと体を密着させたカルティラは、その頬を胸板に預けながら、しっとりとした口調で言う。元が民間人であったため、カルティラの物言いは、それほど武家調子に染まっていない。

「不思議なものね。最初は…殿が戦いに赴く度に、どうしようもなく寂しく感じたものなのに、今では出陣の話を聞く度に、心が躍るのだから…」

「奥方様…」

「その言い方はやめてって、何度も言ってるでしょう」

 すねたように、上目遣いで訴えて来るカルティラ。

「では、カルティラ様」

「ただの、カルティラ……ね」

「カルティラ」

「ふふ…ハテュス」

 燭台型のホログラファーに灯る蝋燭の炎の立体映像が、二人の陰を妖しく揺らす。陽は沈みきり、窓の外はカルティラの夫ヴァルツが遠征中の宇宙空間と、同じ色の闇に閉ざされている。

「…もちろん、殿の身を案じていないわけではないのよ」

 そう言いながらもカルティラは愛人の手を取り、自分の肩にその手を置かせた。そして僅かに口元を歪めて言葉を続ける。

「―――だって、殿に何かあれば、今の全てが壊れるのだもの」

 言外に、今の二人の関係も終わってしまう、という事を匂わせるカルティラ。燭台の光が揺れる中、壁に映る二人の影は、背徳の唇を重ねていった………




▶#11につづく
 
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