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第十八話 告白。勘違いとすれ違いの終着点
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王国と帝国の国境線。 そこには、火事場泥棒を狙う近隣諸国の連合軍――通称『ハイエナ連合』が数万の兵を展開していた。 彼らは、王国が『厄災の門』の暴走により疲弊し、防衛能力を失っていると踏んで侵攻を開始したのだ。
「ヒャッハー! 今の王国はボロボロだぜ! 宝も女も奪い放題だ!」 「王太子も魔物との戦いで消耗しているはず! 首を取れば英雄だ!」
連合軍の将軍たちが、下卑た笑みを浮かべて進軍命令を出そうとした、その時だった。
ズドォォォォォン!!
夜空を切り裂いて、一頭の巨大な真紅のドラゴンが戦場の中央に着地した。 その衝撃波だけで、前衛部隊数百名が吹き飛ぶ。
「な、なんだ!? ドラゴン!?」 「S級指定のエンシェント・レッドドラゴンだと!?」
パニックになる連合軍。 土煙が晴れると、ドラゴンの背中から二つの人影が飛び降りた。
一人は、煌びやかな(今は煤だらけだが)ドレスを纏い、冷ややかな視線で軍勢を見下ろす美女。 もう一人は、ボロボロの甲冑姿ながら、全身から太陽ごとき魔力を噴出させている金髪の男。
「……私の国で、随分と騒がしいピクニックをしているようだな」
アレクセイ殿下が、低く、地を這うような声で言った。 その手には、聖剣アロンダイト・カスタムが握られている。 刀身から溢れ出る光は、夜を昼に変えるほどの輝きを放っていた。
「あ、アレクセイ王太子!? 生きていたのか!」 「馬鹿な! 魔物との連戦で魔力は枯渇しているはず……!」
「枯渇?」
殿下は鼻で笑った。
「誰の隣にいると思っている。リゼ(充電器)がいる限り、私の魔力は無限だ」
彼は私の腰を引き寄せ(セクハラ)、魔力を循環させた。 実際、私の魔力回復ポーションと、彼自身の異常な精神力によって、今の彼は全盛期以上の出力を誇っていた。
「リゼ、どうする? こいつら全員、光の粒子にして宇宙の塵にするか?」
殿下が物騒な提案をする。 私はため息をつき、一歩前に出た。
「無駄な殺生は嫌いよ。後片付けが面倒だし」
私は連合軍に向かって、拡声魔法を使った。
「聞こえるか、ハイエナども! 私はリーゼロッテ・フォン・エーデル! この国を裏で牛耳る(予定の)女よ!」
私の声が戦場に響き渡る。
「今すぐ回れ右をして帰りなさい! さもなくば、この王子が放つ『超広範囲殲滅魔法・愛の輝き(ラブ・フラッシュ)』で、網膜を焼かれた挙句、一生私の名前を叫び続ける呪いにかかることになるわよ!」
「な、なんだその呪いは……!」 「聞いたことがあるぞ! あの王子に関わると、精神汚染されて頭がおかしくなるって!」
敵兵たちがざわめく。 物理的な恐怖よりも、精神的な恐怖の方が効果的だ。
「3つ数えるわ。3、2、1……」
「退却ぅぅぅ!! 関わるなぁぁぁ!!」
連合軍は雪崩を打って逃げ出した。 戦わずして勝利。 これが、狂人と魔女の悪評が成せる業である。
「……ふん。口ほどにもない」
殿下はつまらなそうに剣を収めた。
「リゼの脅し文句、最高だったよ。『愛の輝き』か……素晴らしいネーミングだ。今度、必殺技として採用しよう」
「絶対にやめて」
私は冷たく言い放ち、ポチに合図を送った。
「さあ、帰りましょう。おじさんのパン屋で祝勝会よ」
「待て、リゼ」
殿下が私の腕を掴んだ。 その力は優しく、しかし決して逃がさないという意思が込められていた。
「話がある」
彼の瞳は、先ほどまでの戦闘モードとは違う、静かで深い色を湛えていた。
「……ここで?」
「いや。静かな場所がいい。……二人きりで」
彼はポチとミナに向かって言った。
「君たちは先に帰っていてくれ。リゼは私が送る」
「えー、ご主人様だけズルいワン!」 「お姉さま、気をつけてくださいね! 貞操の危機ですよ!」
ポチとミナは、空気を読んで(あるいは殿下の殺気に押されて)先に飛び去っていった。 残されたのは、国境の荒野に立つ私と殿下だけ。 満天の星空の下、冷たい夜風が二人の間を吹き抜ける。
「……場所を変えよう」
殿下は私を抱き寄せると、転移魔法を発動させた。 光に包まれ、景色が一変する。
転移先は、王城の庭園にある『月のテラス』だった。 かつて、何度も二人でお茶をした(実際は殿下が一方的に喋り、私が無言で耐えていた)場所だ。 今は瓦礫が散乱しているが、見上げる月だけは変わらずに美しい。
殿下は瓦礫を魔法で片付け、即席の椅子(光で作ったベンチ)を用意してくれた。
「座ってくれ」
「……どうも」
私は警戒しながら座った。 何が始まるのか。 プロポーズの続きか? それとも、「やはり逃がさん」という監禁宣言か?
殿下は私の隣に座らず、正面に立った。 そして、私を真っ直ぐに見下ろした。
「リゼ。単刀直入に聞く」
彼の声が震えていた。
「なぜ、逃げた?」
その質問。 今まで何度も聞かれた気がする。 でも、今まではお互いに叫び合っていただけで、まともに会話として成立していなかった。
「……何度も言ったでしょう。『飽きた』からよ」
私は視線を逸らして答えた。
「嘘だ」
殿下は即座に否定した。
「君の目は嘘をついている。君は、そんな無責任な理由で国を捨てる女じゃない。『厄災の門』を一人で管理していた君が、ただ飽きたという理由で職務を放棄するはずがない」
痛いところを突かれた。 確かに、私の本質は真面目だ。 でも、それを認めるわけにはいかない。
「……本当に、疲れたのよ。王妃教育も、貴族の付き合いも」
「それなら、公務を減らせばいい。休養を取ればいい。だが、君は『二度と探さないでください』と言って、身分証まで捨てて姿を消した。それは、ただの疲労による逃避じゃない」
殿下が一歩近づく。
「君は、何かに怯えていた。……私に、怯えていたのか?」
ドキリとした。 彼の洞察力は、時々恐ろしいほど鋭い。 ヤンデレ特有の観察眼だ。
「……そうよ」
私は観念して、顔を上げた。
「私は、あんたが怖かったの」
「なぜ?」
殿下は心底不思議そうに首を傾げた。
「私は君を愛している。君のためなら世界を敵に回してもいい。そんな私が、なぜ怖い?」
「愛してる? 笑わせないで」
私は立ち上がった。 10回分の感情が、堰を切ったように溢れ出した。
「あんたの『愛』なんて、これまで一度も感じたことなんてなかったわ! あんたはいつも私を無視して、冷たい目で見て、他の令嬢とばかり話して! 私には『完璧であれ』と要求するだけで、労いの言葉ひとつかけなかったじゃない!」
私は叫んだ。
「断罪されると思ったのよ! 過去9回の人生みたいに! あんたに『貴様のような可愛げのない女は願い下げだ』って言われて、毒杯を飲まされたり、国外追放されたりすると思ったから、先手を打って逃げたのよ!」
「……は?」
殿下が固まった。 鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というのはこういうことを言うのだろう。
「9回? 断罪? 毒杯?」
「そうよ! 私はループしてるの! これが10回目の人生なの! 過去9回、あんたは私を殺したのよ! だから逃げたの! 殺される前に!」
言ってしまった。 ループの秘密。 誰にも信じてもらえないと思っていた妄想のような話。 でも、今の私には、これをぶつけるしか彼を納得させる術がなかった。
殿下は数秒間、口を開けたまま静止していた。 そして。
「……私が、リゼを……殺した?」
彼の手が震え出した。
「ありえない……」
「ありえるのよ! 現にそうだったんだから!」
「違う! そうじゃない!」
殿下が私の肩を掴んだ。 その力は強く、痛いほどだった。
「私がリゼを殺すわけがない! たとえ狂ったとしても、君を傷つけるくらいなら自分の首を切り落とす!」
「でも、事実は変えられないわ! あんたは冷酷だった! 私を『氷のようだ』と罵ったじゃない!」
「それは!!」
殿下が叫んだ。
「それは……君があまりにも美しくて、高潔で、私なんかじゃ釣り合わないと思ったからだ!」
「……は?」
今度は私が固まる番だった。
「なんだって?」
「だから!」
殿下は顔を真っ赤にして、まるで駄々っ子のように叫んだ。
「君が好きすぎたんだ! 初めて会った時から、君は完璧だった! 賢くて、美しくて、凛としていて……。私なんかが気安く話しかけたら、幻滅されるんじゃないかと怖かったんだ!」
「……え?」
「だから、必死で『クールで完璧な王太子』を演じた! 君に相応しい男になるために! 無口だったのは、緊張して何を話せばいいかわからなかったからだ! 他の令嬢と話していたのは、君への嫉妬を隠すためのカモフラージュだ! 『氷のようだ』と言ったのは、『氷の精霊のように神秘的で美しい』という意味の詩的表現のつもりだったんだ!」
「…………」
私は絶句した。 脳が理解を拒否している。
「待って。じゃあ、目が合うたびに睨んできたのは?」
「睨んでない! 君が眩しすぎて、目を細めていただけだ! 直視すると心臓が止まりそうだったから!」
「私を避けていたのは?」
「君の近くにいると、ドキドキして変なことを口走りそうだったからだ! 『君の髪は天使の羽毛だ』とか言ったら、気持ち悪いと思われるだろう!?」
「……実際、今言ってることの方が気持ち悪いわよ」
「断罪イベントで追放したのは!?」
「あれは……君を王宮のドロドロした権力争いから遠ざけたかったからだ! 私の力が及ばず、君を守りきれないと思ったから、せめて安全な田舎で暮らせるように手配したんだ! 最高の別荘と、一生分の資金を用意して!」
「……受け取ってないわよ、そんなもの」
「え? 手紙と一緒に渡したはずだが……」
「手紙? 『貴様の顔など二度と見たくない』って書かれた、あの紙切れ?」
「違う! 『君の美しい顔が苦痛に歪むのを見るのは耐えられない(から、幸せな場所へ行ってくれ)』と書いたつもりだったが……」
殿下の顔が青ざめていく。
「もしかして……私の文章力、壊滅的だったか?」
「壊滅的どころじゃないわよ! 誤解のデパートよ!」
私は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
なんということだ。 9回の人生。 地獄のような苦しみ。 毒杯の痛み。 野垂れ死にの寒さ。
その全ての原因が、この男の『コミュ障』と『語彙力不足』と『重すぎる愛ゆえの空回り』だったなんて。
「……バカなの?」
私は心の底から、脱力した声で言った。
「……うん、バカだったかもしれない」
殿下も私の隣にしゃがみ込んだ。 小さくなっている。 あの自信満々の王太子が、今は捨てられた子犬のように背中を丸めている。
「リゼ……信じてくれとは言わない。でも、誓って言う。私は君を傷つけようなんて思ったことは一度もない。君を愛していた。1回目から、ずっと」
彼の声は震えていた。 その瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「ごめん……。私のせいで、君は9回も死んだのか……。君を守るつもりで、私が君を殺していたのか……」
彼は自分の顔を覆って泣き出した。 演技ではない。 本当の悔恨と、絶望。 自分が最愛の人を不幸にしていたという事実に、心が壊れそうになっているのだ。
私は彼を見た。 泣いているアレクセイ。 初めて見る、彼の弱さ。 かっこ悪い。 情けない。 でも……。
「……はぁ」
私はため息をつき、ポケットからハンカチを取り出した。 そして、乱暴に彼の顔を拭った。
「泣かないでよ。こっちまで惨めになるじゃない」
「リゼ……」
「わかったわ。あんたの話、一応信じてあげる」
「え?」
「だって、あんたのそのバカさ加減、嘘で演じられるレベルじゃないもの」
私は苦笑した。
「スライムの穴をトランポリンだと言ったり、悪臭ガスを香水だと言ったり……。あんたのポジティブ変換機能(バグ)が標準装備だってことは、この逃亡生活で嫌というほど思い知らされたわ」
「うっ……」
「だから、過去の冷遇も、全部あんたの脳内変換の結果だったんでしょうね。納得したわ。納得したくないけど」
私は立ち上がり、彼を見下ろした。
「でも、許したわけじゃないから」
「……ああ、当然だ。私は万死に値する」
「だから、償いなさい」
「償い? なんでもする! 首を差し出せと言うなら今すぐ!」
殿下が剣を抜こうとする。
「違う! 血なまぐさいのは禁止!」
私は彼の手を止めた。
「私の10回目の人生、まだ終わってないわ。あんたのせいで散々なスタートだったけど、これから取り戻すの」
「取り戻す……?」
「そう。私の望みは『安眠』と『自由』と『美味しいご飯』。これを叶えるために、あんたは全力を尽くしなさい」
「わかった! 王城のベッドを全て最高級品に買い換える! シェフも世界中から集める!」
「だから、そうやって極端に走るのがダメなのよ!」
私は彼のおでこを指で弾いた。 パチン。
「痛っ」
「いい? 私の言うことをよく聞いて、勝手な解釈をしないこと。私が『右』と言ったら右を向く。『嫌』と言ったら本当にやめる。わかった?」
「……わかった。努力する」
「努力じゃなくて、絶対よ」
私は彼の手を取った。 そして、強引に立たせた。
「さあ、帰るわよ。ミナたちが待ってる」
「ああ……」
殿下は私の手を握り返した。 今度は、痛いほど強くはなく、包み込むような優しさで。
「リゼ」
「何?」
「……愛している。今度こそ、正しく伝えるよ」
彼は真っ直ぐに私を見て言った。 その目は、もう泳いでいなかった。 コミュ障の殻を破り、ただ一人の男として、私を求めていた。
顔が熱くなるのを感じた。 9回の人生で、一度も感じたことのない種類の熱。 恐怖でも、怒りでもない。 これは……羞恥? それとも……。
「……ふん。口だけならなんとでも言えるわ」
私は顔を背けた。
「行動で示しなさいよ。まずは、週休5日の公約を守ることね」
「ああ! 約束する! 週休6日でもいい!」
「それは国が滅びるからダメ」
私たちは手を繋いで歩き出した。 月明かりの下、二つの影が並んで伸びる。
誤解は解けた。 すれ違いも、とりあえずは解消した。 でも、これで全てが解決したわけではない。 彼のヤンデレ気質が治ったわけではないし、私のスローライフへの渇望が消えたわけでもない。
「(まあ、前よりはマシになったかしら……)」
少なくとも、背後から刺される心配はなくなった。 正面から抱きつかれる心配は増えたけれど。
王城への帰り道。 私は少しだけ、本当に少しだけ、彼の手を握り返してみた。 殿下が嬉しそうに微笑んだ気配がして、私はまた少し、居心地の悪さと温かさを同時に感じたのだった。
「ヒャッハー! 今の王国はボロボロだぜ! 宝も女も奪い放題だ!」 「王太子も魔物との戦いで消耗しているはず! 首を取れば英雄だ!」
連合軍の将軍たちが、下卑た笑みを浮かべて進軍命令を出そうとした、その時だった。
ズドォォォォォン!!
夜空を切り裂いて、一頭の巨大な真紅のドラゴンが戦場の中央に着地した。 その衝撃波だけで、前衛部隊数百名が吹き飛ぶ。
「な、なんだ!? ドラゴン!?」 「S級指定のエンシェント・レッドドラゴンだと!?」
パニックになる連合軍。 土煙が晴れると、ドラゴンの背中から二つの人影が飛び降りた。
一人は、煌びやかな(今は煤だらけだが)ドレスを纏い、冷ややかな視線で軍勢を見下ろす美女。 もう一人は、ボロボロの甲冑姿ながら、全身から太陽ごとき魔力を噴出させている金髪の男。
「……私の国で、随分と騒がしいピクニックをしているようだな」
アレクセイ殿下が、低く、地を這うような声で言った。 その手には、聖剣アロンダイト・カスタムが握られている。 刀身から溢れ出る光は、夜を昼に変えるほどの輝きを放っていた。
「あ、アレクセイ王太子!? 生きていたのか!」 「馬鹿な! 魔物との連戦で魔力は枯渇しているはず……!」
「枯渇?」
殿下は鼻で笑った。
「誰の隣にいると思っている。リゼ(充電器)がいる限り、私の魔力は無限だ」
彼は私の腰を引き寄せ(セクハラ)、魔力を循環させた。 実際、私の魔力回復ポーションと、彼自身の異常な精神力によって、今の彼は全盛期以上の出力を誇っていた。
「リゼ、どうする? こいつら全員、光の粒子にして宇宙の塵にするか?」
殿下が物騒な提案をする。 私はため息をつき、一歩前に出た。
「無駄な殺生は嫌いよ。後片付けが面倒だし」
私は連合軍に向かって、拡声魔法を使った。
「聞こえるか、ハイエナども! 私はリーゼロッテ・フォン・エーデル! この国を裏で牛耳る(予定の)女よ!」
私の声が戦場に響き渡る。
「今すぐ回れ右をして帰りなさい! さもなくば、この王子が放つ『超広範囲殲滅魔法・愛の輝き(ラブ・フラッシュ)』で、網膜を焼かれた挙句、一生私の名前を叫び続ける呪いにかかることになるわよ!」
「な、なんだその呪いは……!」 「聞いたことがあるぞ! あの王子に関わると、精神汚染されて頭がおかしくなるって!」
敵兵たちがざわめく。 物理的な恐怖よりも、精神的な恐怖の方が効果的だ。
「3つ数えるわ。3、2、1……」
「退却ぅぅぅ!! 関わるなぁぁぁ!!」
連合軍は雪崩を打って逃げ出した。 戦わずして勝利。 これが、狂人と魔女の悪評が成せる業である。
「……ふん。口ほどにもない」
殿下はつまらなそうに剣を収めた。
「リゼの脅し文句、最高だったよ。『愛の輝き』か……素晴らしいネーミングだ。今度、必殺技として採用しよう」
「絶対にやめて」
私は冷たく言い放ち、ポチに合図を送った。
「さあ、帰りましょう。おじさんのパン屋で祝勝会よ」
「待て、リゼ」
殿下が私の腕を掴んだ。 その力は優しく、しかし決して逃がさないという意思が込められていた。
「話がある」
彼の瞳は、先ほどまでの戦闘モードとは違う、静かで深い色を湛えていた。
「……ここで?」
「いや。静かな場所がいい。……二人きりで」
彼はポチとミナに向かって言った。
「君たちは先に帰っていてくれ。リゼは私が送る」
「えー、ご主人様だけズルいワン!」 「お姉さま、気をつけてくださいね! 貞操の危機ですよ!」
ポチとミナは、空気を読んで(あるいは殿下の殺気に押されて)先に飛び去っていった。 残されたのは、国境の荒野に立つ私と殿下だけ。 満天の星空の下、冷たい夜風が二人の間を吹き抜ける。
「……場所を変えよう」
殿下は私を抱き寄せると、転移魔法を発動させた。 光に包まれ、景色が一変する。
転移先は、王城の庭園にある『月のテラス』だった。 かつて、何度も二人でお茶をした(実際は殿下が一方的に喋り、私が無言で耐えていた)場所だ。 今は瓦礫が散乱しているが、見上げる月だけは変わらずに美しい。
殿下は瓦礫を魔法で片付け、即席の椅子(光で作ったベンチ)を用意してくれた。
「座ってくれ」
「……どうも」
私は警戒しながら座った。 何が始まるのか。 プロポーズの続きか? それとも、「やはり逃がさん」という監禁宣言か?
殿下は私の隣に座らず、正面に立った。 そして、私を真っ直ぐに見下ろした。
「リゼ。単刀直入に聞く」
彼の声が震えていた。
「なぜ、逃げた?」
その質問。 今まで何度も聞かれた気がする。 でも、今まではお互いに叫び合っていただけで、まともに会話として成立していなかった。
「……何度も言ったでしょう。『飽きた』からよ」
私は視線を逸らして答えた。
「嘘だ」
殿下は即座に否定した。
「君の目は嘘をついている。君は、そんな無責任な理由で国を捨てる女じゃない。『厄災の門』を一人で管理していた君が、ただ飽きたという理由で職務を放棄するはずがない」
痛いところを突かれた。 確かに、私の本質は真面目だ。 でも、それを認めるわけにはいかない。
「……本当に、疲れたのよ。王妃教育も、貴族の付き合いも」
「それなら、公務を減らせばいい。休養を取ればいい。だが、君は『二度と探さないでください』と言って、身分証まで捨てて姿を消した。それは、ただの疲労による逃避じゃない」
殿下が一歩近づく。
「君は、何かに怯えていた。……私に、怯えていたのか?」
ドキリとした。 彼の洞察力は、時々恐ろしいほど鋭い。 ヤンデレ特有の観察眼だ。
「……そうよ」
私は観念して、顔を上げた。
「私は、あんたが怖かったの」
「なぜ?」
殿下は心底不思議そうに首を傾げた。
「私は君を愛している。君のためなら世界を敵に回してもいい。そんな私が、なぜ怖い?」
「愛してる? 笑わせないで」
私は立ち上がった。 10回分の感情が、堰を切ったように溢れ出した。
「あんたの『愛』なんて、これまで一度も感じたことなんてなかったわ! あんたはいつも私を無視して、冷たい目で見て、他の令嬢とばかり話して! 私には『完璧であれ』と要求するだけで、労いの言葉ひとつかけなかったじゃない!」
私は叫んだ。
「断罪されると思ったのよ! 過去9回の人生みたいに! あんたに『貴様のような可愛げのない女は願い下げだ』って言われて、毒杯を飲まされたり、国外追放されたりすると思ったから、先手を打って逃げたのよ!」
「……は?」
殿下が固まった。 鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というのはこういうことを言うのだろう。
「9回? 断罪? 毒杯?」
「そうよ! 私はループしてるの! これが10回目の人生なの! 過去9回、あんたは私を殺したのよ! だから逃げたの! 殺される前に!」
言ってしまった。 ループの秘密。 誰にも信じてもらえないと思っていた妄想のような話。 でも、今の私には、これをぶつけるしか彼を納得させる術がなかった。
殿下は数秒間、口を開けたまま静止していた。 そして。
「……私が、リゼを……殺した?」
彼の手が震え出した。
「ありえない……」
「ありえるのよ! 現にそうだったんだから!」
「違う! そうじゃない!」
殿下が私の肩を掴んだ。 その力は強く、痛いほどだった。
「私がリゼを殺すわけがない! たとえ狂ったとしても、君を傷つけるくらいなら自分の首を切り落とす!」
「でも、事実は変えられないわ! あんたは冷酷だった! 私を『氷のようだ』と罵ったじゃない!」
「それは!!」
殿下が叫んだ。
「それは……君があまりにも美しくて、高潔で、私なんかじゃ釣り合わないと思ったからだ!」
「……は?」
今度は私が固まる番だった。
「なんだって?」
「だから!」
殿下は顔を真っ赤にして、まるで駄々っ子のように叫んだ。
「君が好きすぎたんだ! 初めて会った時から、君は完璧だった! 賢くて、美しくて、凛としていて……。私なんかが気安く話しかけたら、幻滅されるんじゃないかと怖かったんだ!」
「……え?」
「だから、必死で『クールで完璧な王太子』を演じた! 君に相応しい男になるために! 無口だったのは、緊張して何を話せばいいかわからなかったからだ! 他の令嬢と話していたのは、君への嫉妬を隠すためのカモフラージュだ! 『氷のようだ』と言ったのは、『氷の精霊のように神秘的で美しい』という意味の詩的表現のつもりだったんだ!」
「…………」
私は絶句した。 脳が理解を拒否している。
「待って。じゃあ、目が合うたびに睨んできたのは?」
「睨んでない! 君が眩しすぎて、目を細めていただけだ! 直視すると心臓が止まりそうだったから!」
「私を避けていたのは?」
「君の近くにいると、ドキドキして変なことを口走りそうだったからだ! 『君の髪は天使の羽毛だ』とか言ったら、気持ち悪いと思われるだろう!?」
「……実際、今言ってることの方が気持ち悪いわよ」
「断罪イベントで追放したのは!?」
「あれは……君を王宮のドロドロした権力争いから遠ざけたかったからだ! 私の力が及ばず、君を守りきれないと思ったから、せめて安全な田舎で暮らせるように手配したんだ! 最高の別荘と、一生分の資金を用意して!」
「……受け取ってないわよ、そんなもの」
「え? 手紙と一緒に渡したはずだが……」
「手紙? 『貴様の顔など二度と見たくない』って書かれた、あの紙切れ?」
「違う! 『君の美しい顔が苦痛に歪むのを見るのは耐えられない(から、幸せな場所へ行ってくれ)』と書いたつもりだったが……」
殿下の顔が青ざめていく。
「もしかして……私の文章力、壊滅的だったか?」
「壊滅的どころじゃないわよ! 誤解のデパートよ!」
私は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
なんということだ。 9回の人生。 地獄のような苦しみ。 毒杯の痛み。 野垂れ死にの寒さ。
その全ての原因が、この男の『コミュ障』と『語彙力不足』と『重すぎる愛ゆえの空回り』だったなんて。
「……バカなの?」
私は心の底から、脱力した声で言った。
「……うん、バカだったかもしれない」
殿下も私の隣にしゃがみ込んだ。 小さくなっている。 あの自信満々の王太子が、今は捨てられた子犬のように背中を丸めている。
「リゼ……信じてくれとは言わない。でも、誓って言う。私は君を傷つけようなんて思ったことは一度もない。君を愛していた。1回目から、ずっと」
彼の声は震えていた。 その瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「ごめん……。私のせいで、君は9回も死んだのか……。君を守るつもりで、私が君を殺していたのか……」
彼は自分の顔を覆って泣き出した。 演技ではない。 本当の悔恨と、絶望。 自分が最愛の人を不幸にしていたという事実に、心が壊れそうになっているのだ。
私は彼を見た。 泣いているアレクセイ。 初めて見る、彼の弱さ。 かっこ悪い。 情けない。 でも……。
「……はぁ」
私はため息をつき、ポケットからハンカチを取り出した。 そして、乱暴に彼の顔を拭った。
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「リゼ……」
「わかったわ。あんたの話、一応信じてあげる」
「え?」
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私は苦笑した。
「スライムの穴をトランポリンだと言ったり、悪臭ガスを香水だと言ったり……。あんたのポジティブ変換機能(バグ)が標準装備だってことは、この逃亡生活で嫌というほど思い知らされたわ」
「うっ……」
「だから、過去の冷遇も、全部あんたの脳内変換の結果だったんでしょうね。納得したわ。納得したくないけど」
私は立ち上がり、彼を見下ろした。
「でも、許したわけじゃないから」
「……ああ、当然だ。私は万死に値する」
「だから、償いなさい」
「償い? なんでもする! 首を差し出せと言うなら今すぐ!」
殿下が剣を抜こうとする。
「違う! 血なまぐさいのは禁止!」
私は彼の手を止めた。
「私の10回目の人生、まだ終わってないわ。あんたのせいで散々なスタートだったけど、これから取り戻すの」
「取り戻す……?」
「そう。私の望みは『安眠』と『自由』と『美味しいご飯』。これを叶えるために、あんたは全力を尽くしなさい」
「わかった! 王城のベッドを全て最高級品に買い換える! シェフも世界中から集める!」
「だから、そうやって極端に走るのがダメなのよ!」
私は彼のおでこを指で弾いた。 パチン。
「痛っ」
「いい? 私の言うことをよく聞いて、勝手な解釈をしないこと。私が『右』と言ったら右を向く。『嫌』と言ったら本当にやめる。わかった?」
「……わかった。努力する」
「努力じゃなくて、絶対よ」
私は彼の手を取った。 そして、強引に立たせた。
「さあ、帰るわよ。ミナたちが待ってる」
「ああ……」
殿下は私の手を握り返した。 今度は、痛いほど強くはなく、包み込むような優しさで。
「リゼ」
「何?」
「……愛している。今度こそ、正しく伝えるよ」
彼は真っ直ぐに私を見て言った。 その目は、もう泳いでいなかった。 コミュ障の殻を破り、ただ一人の男として、私を求めていた。
顔が熱くなるのを感じた。 9回の人生で、一度も感じたことのない種類の熱。 恐怖でも、怒りでもない。 これは……羞恥? それとも……。
「……ふん。口だけならなんとでも言えるわ」
私は顔を背けた。
「行動で示しなさいよ。まずは、週休5日の公約を守ることね」
「ああ! 約束する! 週休6日でもいい!」
「それは国が滅びるからダメ」
私たちは手を繋いで歩き出した。 月明かりの下、二つの影が並んで伸びる。
誤解は解けた。 すれ違いも、とりあえずは解消した。 でも、これで全てが解決したわけではない。 彼のヤンデレ気質が治ったわけではないし、私のスローライフへの渇望が消えたわけでもない。
「(まあ、前よりはマシになったかしら……)」
少なくとも、背後から刺される心配はなくなった。 正面から抱きつかれる心配は増えたけれど。
王城への帰り道。 私は少しだけ、本当に少しだけ、彼の手を握り返してみた。 殿下が嬉しそうに微笑んだ気配がして、私はまた少し、居心地の悪さと温かさを同時に感じたのだった。
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※頭からっぽで
※思いつきで書き始めたので、つたない設定等はご容赦ください。
※夫婦仲は良いです
※私がイメージするサバ女子です(笑)
※第18回恋愛小説大賞で奨励賞頂きました! 応援いただいた皆さま、お読みいただいた皆さま、ありがとうございました♪
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