『妹に全部あげました――婚約者も爵位も。代わりに“自由”をもらいます。』

放浪人

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1話「全部あげます」

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王城の広間に、シャンデリアの暴力的なまでの光が降り注いでいた。

むせ返るような薔薇の香水。
甘ったるいワインの匂い。
そして、私を取り囲む貴族たちの、好奇と侮蔑の視線。

「リディア・アーデルハイト! 貴様のような冷酷な女との婚約は、今日この場をもって破棄させてもらう!」

王太子エドガーの声が、静まり返った広間にびりびりと響く。
彼の腕の中には、私の愛らしい妹、セシルがすっぽりと収まっていた。
セシルの金糸のような髪が揺れ、大きな瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「お姉様、ごめんなさい……っ。でも私、エドガー様を愛してしまって……」

震える妹の肩を、エドガーが庇うように抱きしめた。
その姿を見た周囲の貴族たちが、ふうっとため息を漏らす。

真実の愛だ。
なんて美しい絆だろう。
それに比べて、あの姉は。

ひそひそとした囁き声が、波のように私の鼓膜を打つ。
冷たい大理石の床から這い上がってくる冷気が、ドレス越しの足元を凍らせていくようだった。

侯爵家の長女として、領地の管理も、乱れた帳簿の計算も、病弱だった両親の看病も、すべて私がやってきた。
セシルがただ笑って愛される裏で、私は泥をかぶり続けてきたのだ。

でも、もういい。

「……わかりました」

私の口からこぼれた声は、自分でも驚くほど平坦だった。
ざわめきがピタリと止む。
エドガーが、信じられないものを見るように目を丸くした。

「な、なんだと? 泣き喚いてすがると思っていたが……」

「婚約者も、次期当主としての爵位も。すべて妹に差し上げます」

手袋を外し、左手の薬指にはまっていた指輪を引き抜く。
王家から贈られた、重苦しい金の指輪。

チャリン!

冷たい床に投げ落とすと、高く澄んだ音が鳴った。
エドガーの顔が屈辱に赤く染まるのを見つめながら、私はスカートの裾をつまんで一礼する。

「代わりに――私は、私の“自由”をもらいます」

♦︎♦︎♦︎

ガタゴトと揺れる馬車の音が、夜の闇に吸い込まれていく。

王都を出たのは、その日の深夜だった。
トランク一つ。中身は数着の平服と、少しの路銀だけ。

「お嬢様、本当によろしいのですか」

御者台から声をかけてくれたのは、昔から私に懐いてくれていた老齢の従僕だけだ。
私は窓枠に額を預け、冷たい夜風を肺の奥深くまで吸い込んだ。
土と、雨上がりの匂いがする。

「ええ。もう十分働いたもの。これからは、私のために生きるわ」

向かっているのは、アウレリア王国の最果て。
霧深き辺境の地、「ユノの谷」。
温泉が湧き、古い薬草の知識が眠るという、小さな村だ。

昔、母が読んでくれた絵本を思い出す。
霧の森には、白銀の毛並みを持つ“守り獣”が住んでいるという。

(……もふもふに埋もれて、温泉に入って、静かに暮らすの)

胸の奥で、小さく火が灯るような温かさを感じた。
王都の重圧から解放された私の心は、風船のように軽かった。

だが、馬車が霧の濃い街道へ差し掛かったときだった。

ヒィィィン!

突如、馬がいななき、急ブレーキがかかる。
車体が大きく傾き、私はトランクと一緒に座席から転げ落ちた。

「どうしました!」

「お嬢様、森の奥で……何かが唸っています!」

窓の外を見る。
濃い霧の向こう側、漆黒の森の奥から、地鳴りのような低い獣のうなり声が聞こえてきた。

それは、ひどく苦しそうな、命の端を削るような声だった。
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