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16話「監察官」
手当て所の扉が、ゆっくりとノックされた。
外の冷気とは違う、底冷えするような静かな威圧感が、薄い木の板越しに伝わってくる。
「どうぞ」
私が答えると、扉が開き、長身の人物が足を踏み入れた。
純白の法衣に、金糸で縁取られたマント。
胸元には、白祈教会の紋章が冷たい光を放っている。
銀色の縁の眼鏡をかけたその男は、優雅な所作で一礼した。
「突然の訪問をお許しください。私は白祈教会より派遣されました、監察官のレオノールと申します」
丁寧な言葉遣い。
だが、その細められた瞳の奥には、値踏みするような冷酷な光が宿っていた。
彼の背後には、武装した護衛の騎士が二人控えている。
「手当て所の薬師、リディアです。どのようなご用件でしょうか」
私は立ち上がり、努めて平静な声で返した。
シロは人型のまま、部屋の奥の暗がりに息を潜めている。
レオノールは部屋の中をぐるりと見回し、鼻で小さく笑った。
「辺境での慎ましい生活、感服いたします。さて、単刀直入に申し上げましょう。先日、この村の近くではぐれ守り獣が目撃されたという報告を受けましてね」
彼は一歩、私の方へ近づいた。
甘ったるい香の匂いが鼻を突く。
「守り獣は、神が与え給うた尊き聖遺物。野に放っておくにはあまりに危険で、また勿体ない。我々教会が保護し、正しく管理すべきものです。……どこにいるか、ご存知ではありませんか?」
「……知りません」
私は真っ直ぐに彼を見据えて答えた。
「村の周囲で獣の遠吠えは聞きますが、私は薬草を採るだけで、深い森には入りませんので」
「ほう?」
レオノールは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、口角を吊り上げた。
「それは奇妙ですね。私の部下が、貴女が巨大な白い狼を連れて歩いているのを見たと証言しているのですが」
言い逃れはできない。
初めから、確証を持ってここへ来ているのだ。
私は小さく息を吐き、机の引き出しを開けた。
そして、一枚の羊皮紙を取り出し、レオノールの前に滑らせる。
「それは保護獣登録の誓約書です。アウレリア王国法に基づき、あの白い狼は私の完全な庇護下にあります」
レオノールは羊皮紙を一瞥し、眉をピクリと動かした。
「……なるほど。法の穴を突いたというわけですか。しかし、相手はただの獣。人との間に契約など成立しませんよ」
「成立しています。私が彼に保護と自由を約束し、彼がそれに同意したからです」
私は左手の手袋を外し、手の甲を見せた。
淡い翠色に光る、誓約の紋章。
それが紛れもなく、双方の同意によって結ばれた契約魔法の証だった。
レオノールの目が、初めて驚きに見開かれた。
しかし、すぐに元の薄ら笑いへと戻る。
「素晴らしい。まさか王都の侯爵令嬢が、ここまで立ち回るとは思っていませんでしたよ」
彼はクルリと背を向け、扉へと歩き出す。
「本日はこれで引き下がりましょう。ですが……リディア様」
肩越しに振り返ったレオノールの目は、氷のように冷たかった。
「法で守れると思わないことですよ。教会には、教会の『正義』があるのですから」
足音と共に、彼らが去っていく。
私はその場にへたり込みそうになるのを、必死に堪えていた。
奥の暗がりから、シロが音もなく近づき、震える私の肩を抱きしめた。
外の冷気とは違う、底冷えするような静かな威圧感が、薄い木の板越しに伝わってくる。
「どうぞ」
私が答えると、扉が開き、長身の人物が足を踏み入れた。
純白の法衣に、金糸で縁取られたマント。
胸元には、白祈教会の紋章が冷たい光を放っている。
銀色の縁の眼鏡をかけたその男は、優雅な所作で一礼した。
「突然の訪問をお許しください。私は白祈教会より派遣されました、監察官のレオノールと申します」
丁寧な言葉遣い。
だが、その細められた瞳の奥には、値踏みするような冷酷な光が宿っていた。
彼の背後には、武装した護衛の騎士が二人控えている。
「手当て所の薬師、リディアです。どのようなご用件でしょうか」
私は立ち上がり、努めて平静な声で返した。
シロは人型のまま、部屋の奥の暗がりに息を潜めている。
レオノールは部屋の中をぐるりと見回し、鼻で小さく笑った。
「辺境での慎ましい生活、感服いたします。さて、単刀直入に申し上げましょう。先日、この村の近くではぐれ守り獣が目撃されたという報告を受けましてね」
彼は一歩、私の方へ近づいた。
甘ったるい香の匂いが鼻を突く。
「守り獣は、神が与え給うた尊き聖遺物。野に放っておくにはあまりに危険で、また勿体ない。我々教会が保護し、正しく管理すべきものです。……どこにいるか、ご存知ではありませんか?」
「……知りません」
私は真っ直ぐに彼を見据えて答えた。
「村の周囲で獣の遠吠えは聞きますが、私は薬草を採るだけで、深い森には入りませんので」
「ほう?」
レオノールは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、口角を吊り上げた。
「それは奇妙ですね。私の部下が、貴女が巨大な白い狼を連れて歩いているのを見たと証言しているのですが」
言い逃れはできない。
初めから、確証を持ってここへ来ているのだ。
私は小さく息を吐き、机の引き出しを開けた。
そして、一枚の羊皮紙を取り出し、レオノールの前に滑らせる。
「それは保護獣登録の誓約書です。アウレリア王国法に基づき、あの白い狼は私の完全な庇護下にあります」
レオノールは羊皮紙を一瞥し、眉をピクリと動かした。
「……なるほど。法の穴を突いたというわけですか。しかし、相手はただの獣。人との間に契約など成立しませんよ」
「成立しています。私が彼に保護と自由を約束し、彼がそれに同意したからです」
私は左手の手袋を外し、手の甲を見せた。
淡い翠色に光る、誓約の紋章。
それが紛れもなく、双方の同意によって結ばれた契約魔法の証だった。
レオノールの目が、初めて驚きに見開かれた。
しかし、すぐに元の薄ら笑いへと戻る。
「素晴らしい。まさか王都の侯爵令嬢が、ここまで立ち回るとは思っていませんでしたよ」
彼はクルリと背を向け、扉へと歩き出す。
「本日はこれで引き下がりましょう。ですが……リディア様」
肩越しに振り返ったレオノールの目は、氷のように冷たかった。
「法で守れると思わないことですよ。教会には、教会の『正義』があるのですから」
足音と共に、彼らが去っていく。
私はその場にへたり込みそうになるのを、必死に堪えていた。
奥の暗がりから、シロが音もなく近づき、震える私の肩を抱きしめた。
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