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第15話 王太子に部屋(残骸)を包囲されました
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空を飛ぶ廃墟――もとい、私の半壊した部屋『移動式絶対領域(モバイル・サンクチュアリ)』は、夕暮れの空を王都へ向けて飛んでいた。
本来なら、窓の外には美しい夕焼けが広がり、雲海が黄金色に染まる絶景が見えるはずだった。 だが、今の私の視界を埋め尽くしているのは、無骨で、黒くて、そして少し汗臭い『鉄の壁』だった。
「ぬんっ! 風圧が上がってきたぞ! 盾を重ねろ!」 「隙間を作るな! リズ様に冷気を通すな!」 「俺の背中で、リズ様の安眠を守るのだ!」
私の部屋の、吹き飛んでなくなった右側の壁の代わりを務めているのは、アレクセイ率いる安眠守護騎士団の屈強な騎士たちだ。 彼らは穴の開いた断面にギッシリと整列し、互いの盾を組み合わせ、肩を組み、人間防風壁となって強風を防いでいる。
シュールだ。 あまりにもシュールすぎる。 リビングでお茶を飲んでいる私の目の前に、数十人の男たちの背中と尻(鎧越しだが)が並んでいるのだ。 これでは景色もへったくれもない。 おまけに、隙間風を防ぐために、時折彼らが「ムフッ」とか「んんっ」とか力む声が聞こえてくるのが、精神衛生上よろしくない。
「……早く着いて」
私は、割れていない方の窓際にあるソファに縮こまり、冷めかけた紅茶をすすった。 隣のソファでは、アークライド王子ルイスが、古代遺跡から回収した『聖杯』を興味深そうにいじり回している。
「素晴らしい構造だ。この聖杯、ただの魔力増幅装置じゃない。空間に干渉して、座標を固定する機能もある。……エリザベート嬢、君の『絶対に動きたくない』という願望と相性が良さそうだ」
「どうでもいいわ。早く直して、私を眠らせて」
私は投げやりに答えた。 疲労はピークに達していた。 風呂に入りたい。着替えたい。 そして何より、この「おっさん壁」から解放されたい。
「もうすぐ王都だ! リズ、もう少しの辛抱だぞ!」
外からフレデリックの声がする。 彼は風魔法で部屋全体を包み、空気抵抗を減らしてくれている。 そのおかげで、半壊した部屋でもなんとか空中分解せずに済んでいるのだ。 感謝はしているが、彼が時々「リズ! 僕の愛の風を感じるかい!?」と叫んでくるのは無視している。
やがて。 騎士たちの背中の隙間から、地上の明かりが見え始めた。 王都ルミナステラだ。
「……あれ?」
私は目を疑った。 いつもの王都の夜景とは、何かが違う。 光の量が多すぎる。 まるで、街全体がお祭り騒ぎのような輝きを放っている。
「……何、あれ」
私は結界のズーム機能を使って、地上の様子を拡大した。 そして、絶句した。
王都のメインストリート。 かつて私が「静音舗装」を命じたその道は、色とりどりの魔法ランタンで飾られ、パレードが行われていた。 人々は皆、なぜか『パジャマ』のようなゆったりとした服を着て、手には枕やクッションを持って練り歩いている。 そして、広場の中央には、巨大な『黄金の像』が建てられていた。 その像は、ベッドに横たわり、気だるげに片手を上げている女性の姿をしている。 どう見ても、私だ。
「……嘘でしょ」
さらに、街中に掲げられた垂れ幕には、こんなスローガンが書かれている。
『祝・聖女リズ様 北方遠征!』 『働かないことこそ正義! 今日から一週間、国民全員パジャマデー!』 『全ての労働者に二度寝の権利を!』
「……国が、狂ってる」
私が留守にしている間に、私の「快眠プロジェクト」が、変な方向へ進化して定着してしまったらしい。 国民全員パジャマデーって何だ。 経済活動はどうなっているんだ。
ルイスが面白そうに笑った。
「ハハッ! 素晴らしい! 君の影響力はウイルス以上だね。国民の意識改革(パラダイムシフト)を、ここまで短期間で成し遂げるとは」
「褒めないで。悪夢よ」
こんな国に降りたくない。 引き返したい。 でも、半壊した部屋ではどこにも行けない。
「着陸態勢に入る! 総員、衝撃に備えろ!」
アレクセイの号令がかかる。 私の部屋は、高度を下げ始めた。 目指すは、王都の中心にある公爵邸の庭――ではなく、なぜか『王宮前広場』だ。
「ちょっと! なんで王宮なの!? 私の家に帰してよ!」
「無理だ、リズ! 公爵邸の庭は今、君への貢ぎ物(主に寝具とお菓子)で埋め尽くされていて、着陸スペースがないんだ!」
フレデリックが叫ぶ。 どんだけ貢がれてるんだ。
「それに、王宮の広場なら警備も万全だ! 君の『凱旋』にふさわしい!」
凱旋なんてしたくない。 こっそり帰って風呂に入りたいだけなのに。
ズズズズズ……。 巨大な質量を持った私の部屋が、王宮前広場へと降りていく。 待ち構えていた群衆(パジャマ姿)が、歓声を上げて手を振る。
「リズ様ー!」 「おかえりなさーい!」 「空飛ぶお部屋だー! ……あれ? なんか壊れてない?」
ドスンッ!!
地響きとともに、私の部屋は着地した。 衝撃で、天井から少し埃が落ちてくる。 騎士たちが「ぐおっ」と呻きながらも、壁としての任務を全うしてくれたおかげで、部屋の中は無事だった。
「……着いた」
私は脱力してソファに沈み込んだ。 終わった。 長い旅だった。 あとは、ここからどうやって人目を避けてお風呂へ行くかだ。
しかし。 現実は非情だった。
カシャン、カシャン、カシャン! 着陸と同時に、外から大量の足音が響いてきた。 そして、包囲される気配。
「全軍、展開! 部屋を取り囲め! 蟻一匹逃がすな!」
聞き覚えのある声。 近衛騎士団の副団長だ。 え? なんで?
私が窓から覗くと、数百人の王宮騎士たちが、私の部屋を完全包囲していた。 槍を構え、盾を並べ、魔法使いが結界を張っている。 まるで、テロリストのアジトを制圧するかのような厳戒態勢だ。
「リズ! 無事か!」
フレデリックが、部屋の「元・玄関(今は壁がない)」から入ってきた。 彼は満面の笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。 狩人の目だ。 獲物を追い詰めた、肉食獣の目だ。
「お疲れ様、リズ。君の活躍、地上からモニター(魔法通信)で見ていたよ。まさか部屋を変形させてロボットにするとはね。君の才能には驚かされるばかりだ」
「……どうも」
「さて。君の部屋だが……見ての通り、半壊している。お風呂も壊れているし、壁もない。これでは、君の愛する『引きこもり生活』は不可能だ」
フレデリックが一歩近づく。
「だから、提案がある。……いや、命令だ」
彼は私の手を取ろうとした。
「城へ来い、リズ。王宮の中に、君専用の『特別居住区』を用意した。そこなら、お風呂もあるし、最高級のベッドもある。壁も鉄壁だ。さあ、今すぐ移動しよう」
甘い言葉だが、要するに「王宮に監禁する」と言っているのだ。 一度入ったら最後、二度と出られないだろう。 聖女として、王太子妃として、そして国の象徴として、一生飼い殺しにされる未来が見える。
「……お断りします」
私は即答した。
「リズ、わがままを言っている場合じゃない。ここには壁がないんだぞ? 寒くないか?」
「寒くないわ。アレクセイたちの背中があるもの」
「彼らだって、いつまでも壁役を続けられるわけじゃない! さあ、観念して僕の手を取るんだ!」
フレデリックが強引に手を伸ばしてくる。 背後では、アレクセイも申し訳なさそうに、しかし断固とした態度で頷いている。
「リズ様。今回ばかりは殿下の言う通りです。この廃墟で暮らすのは危険すぎます。王宮の地下シェルターなら、核魔法攻撃にも耐えられますから」
地下シェルターとか言ってるし。 監獄じゃん、それ。
逃げ場がない。 前には王太子。後ろには騎士団長。横には面白がっているルイス王子。 そして外は完全包囲。
詰んだ。 私の引きこもり人生、ここで終了か?
……いいえ。 まだだ。 まだ場所はある。 部屋が壊れても、隠れる場所はあるはずだ。
私の視線が、部屋の隅――半壊した床の下の暗がりに吸い寄せられた。 そこには、かつて「地下食料庫」として使っていたスペースがある。 今は瓦礫に埋もれているが、隙間ならある。 あそこなら、少なくとも人目は避けられるし、狭くて暗くて落ち着くかもしれない。
プライド? そんなものは前世に捨てた。 今の私にあるのは、「絶対に王宮(職場)に行きたくない」という執念だけだ。
「……嫌よ」
私は低く呟いた。
「え?」
「絶対に、行かない!」
私は脱兎のごとく走り出した。 フレデリックの腕をすり抜け、アレクセイの股下をくぐり、瓦礫の山へとダイブする。
「リズ!? どこへ行く!?」
「ここが! 私の! 新居よぉぉぉ!!」
ズザザザッ! 私は床板の隙間から、地下の狭い空間へと滑り込んだ。 埃っぽい。カビ臭い。蜘蛛の巣がある。 だが、壁はある。天井もある。 ここなら誰にも見つからない(見つかってるけど)。
私は瓦礫をかき集めてバリケードを作り、その奥で膝を抱えて丸まった。 公爵令嬢が床下に潜伏。 もはや「引きこもり」を超えて「害獣」の域だが、背に腹は代えられない。
「リズゥゥゥッ!!」
上からフレデリックの悲鳴が聞こえる。
「なんてことだ……! 王宮の豪華な部屋よりも、床下の暗がりを選ぶというのか! そこまでして僕から逃げたいのか!」
「出てきてください、リズ様! そこはムカデが出ますぞ!」
アレクセイが床板を剥がそうとする音がする。 やめて。家を解体しないで。
「触らないで! ここが私の『絶対領域(サンクチュアリ)・アンダーグラウンド』よ! 一歩でも近づいたら、ここで自爆してやるわ!」
私は適当な脅し文句を叫んだ。 実際には自爆する気なんてないが、彼らは信じるだろう。
「じ、自爆だと!? 待て、早まるな!」 「くそっ、手が出せん!」
膠着状態。 とりあえず、時間は稼げた。 私は暗がりの中で安堵の息をついた。
しかし。 この狭い空間には、私以外にも「何か」が存在していることを、私は忘れていた。 ルイス王子が持ち帰った、古代遺跡の戦利品。 『星の聖杯』と、そして『時の揺り籠(コールドスリープ装置)』だ。 それらは、私が潜り込んだ瓦礫のすぐそばに置かれていたのだ。
「……ふむ。困ったね」
頭上からルイスの声が降ってくる。 彼は床の穴から私を見下ろしているようだ。
「エリザベート嬢。君がそこで冬眠するのは勝手だが、私はこの『棺』を修理したいんだ。ちょっとどいてくれないか?」
「嫌よ。ここから動かない」
「やれやれ。……まあいい。ここで修理しよう。幸い、工具と魔力はある」
ルイスが床下に降りてきた。 狭い。 美形の王子と二人きりで床下生活とか、シチュエーションとしてはドキドキするはずだが、現状はただ息苦しいだけだ。
ルイスは懐中電灯(魔道具)をつけ、クリスタルの棺を照らした。
「さて。まずはこの制御盤を開けて……」
彼が工具を取り出し、棺の側面にあるパネルを外そうとした、その時だった。
コン、コン。
内側から、音がした。
「……え?」
私は固まった。 ルイスの手も止まった。
コン、コン、コン。
間違いなく、棺の中からだ。 ノックの音だ。 軽快で、少し催促するようなリズム。
「……ルイス。この中って、空っぽよね?」
「……そのはずだ。古代人はとっくに塵になっているはずだし、生体反応もなかった」
じゃあ、何? 幽霊? それとも、あのゲオルグの怨念が入っちゃった?
ギィィィ……プシュッ。
私たちが呆然としている間に、棺の蓋が内側から開いた。 冷たい霧が溢れ出してくる。 床下の狭い空間が、一気に冷却される。
そして。 霧の中から、ぬっと白い手が伸びてきた。 それは棺の縁を掴み、よっこらしょ、と体を起こした。
現れたのは、一人の少年だった。
透き通るような銀の長髪。 ルイスと同じアークライド王家の血を感じさせる、整いすぎた顔立ち。 そして、なぜか『モコモコのパジャマ(羊柄)』を着ている。
少年は、大きなあくびをした。
「ふぁぁぁ……。よく寝たぁ……」
彼は眠そうな瞳をこすりながら、私たちを見た。
「ん? 誰? ルームサービスの人?」
……は?
私は言葉を失った。 ルイスも眼鏡がズレている。
少年は首を傾げた。
「今の西暦何年? 僕が寝たのが古代魔導暦500年だから……まあいいや。とりあえず、喉乾いたからコーラ持ってきて。あとポテチ」
「……ないわよ、そんなもの」
私は思わず突っ込んだ。
「えー。文明退化したの? 使えないなぁ」
少年は不満げに頬を膨らませると、再び棺の中に潜り込もうとした。
「じゃあ、二度寝するわ。起こさないでね。あと1000年は寝るから」
バタン! 蓋が閉まる。
……。 …………。
「ちょっと待ちなさいよォォォッ!!」
私は棺の蓋をこじ開けた。
「何よあんた! 誰よ! なんで私の『永遠のベッド』を占領してんのよ!」
「うっさいなぁ……。不法侵入?」
少年が面倒くさそうに顔を出す。
「僕はシオン。この時代の言葉で言うなら……『古代魔導帝国の正統後継者』にして、『元祖・引きこもり王』だよ」
シオンと名乗った少年は、ふふんと鼻を鳴らした。
「この『時の揺り籠』は、僕が公務(世界征服とか)から逃げるために開発した、至高のサボりアイテムなんだ。君みたいな一般人が触っていい代物じゃないんだよね」
同類だ。 直感した。 こいつは、私と同じ種類の人間だ。 しかも、年季(スリープ期間)が違う。1000年クラスのガチ勢だ。
「どきなさい! そこは私が使うのよ!」
「やだね。ここは僕のマイホームだ。君こそ出て行けよ、この床下女」
「床下女ですって!?」
狭い床下で、私と古代少年の取っ組み合いが始まった。 枕(私は持参、彼は棺の中にあった)で殴り合う。
「リズ!? 何事だ!?」
上からフレデリックが顔を覗き込む。 そして、パジャマ姿の美少年と、パジャマ姿の私がもみ合っている光景を目撃した。
「……お、男!?」
フレデリックが絶叫した。
「リズ! まさか……君が床下に隠れたのは、その男を匿うためだったのか!」
違う。
「隠し子か!? いや、愛人か!? パジャマがお揃い(に見える)じゃないか!」
誤解だ。 でも、説明するのも面倒だ。
「違うわよ! こいつが! 私のベッドを返さないの!」
「僕のだよ! 変態女!」
カオスだ。 王宮前広場の真ん中、半壊した空飛ぶ部屋の床下で、聖女と古代人と王太子と騎士団長と隣国王子が入り乱れる大騒動。
私の「静かな隠居生活」は、またしても遠のいてしまった。 コールドスリープ装置には先客がいた。 しかも、性格最悪の同業者(引きこもり)だ。
これから、この「シオン」というお荷物(オマケ)をどうするか。 そして、誤解しまくったフレデリックたちをどう鎮めるか。 私の頭痛は、爆発寸前だった。
「……もう、全員まとめて凍らせてやる!」
私はヤケクソで棺の「急速冷凍ボタン(まだ動く機能)」を押そうと指を伸ばした。 それが、さらなる悲劇の引き金になるとも知らずに。
本来なら、窓の外には美しい夕焼けが広がり、雲海が黄金色に染まる絶景が見えるはずだった。 だが、今の私の視界を埋め尽くしているのは、無骨で、黒くて、そして少し汗臭い『鉄の壁』だった。
「ぬんっ! 風圧が上がってきたぞ! 盾を重ねろ!」 「隙間を作るな! リズ様に冷気を通すな!」 「俺の背中で、リズ様の安眠を守るのだ!」
私の部屋の、吹き飛んでなくなった右側の壁の代わりを務めているのは、アレクセイ率いる安眠守護騎士団の屈強な騎士たちだ。 彼らは穴の開いた断面にギッシリと整列し、互いの盾を組み合わせ、肩を組み、人間防風壁となって強風を防いでいる。
シュールだ。 あまりにもシュールすぎる。 リビングでお茶を飲んでいる私の目の前に、数十人の男たちの背中と尻(鎧越しだが)が並んでいるのだ。 これでは景色もへったくれもない。 おまけに、隙間風を防ぐために、時折彼らが「ムフッ」とか「んんっ」とか力む声が聞こえてくるのが、精神衛生上よろしくない。
「……早く着いて」
私は、割れていない方の窓際にあるソファに縮こまり、冷めかけた紅茶をすすった。 隣のソファでは、アークライド王子ルイスが、古代遺跡から回収した『聖杯』を興味深そうにいじり回している。
「素晴らしい構造だ。この聖杯、ただの魔力増幅装置じゃない。空間に干渉して、座標を固定する機能もある。……エリザベート嬢、君の『絶対に動きたくない』という願望と相性が良さそうだ」
「どうでもいいわ。早く直して、私を眠らせて」
私は投げやりに答えた。 疲労はピークに達していた。 風呂に入りたい。着替えたい。 そして何より、この「おっさん壁」から解放されたい。
「もうすぐ王都だ! リズ、もう少しの辛抱だぞ!」
外からフレデリックの声がする。 彼は風魔法で部屋全体を包み、空気抵抗を減らしてくれている。 そのおかげで、半壊した部屋でもなんとか空中分解せずに済んでいるのだ。 感謝はしているが、彼が時々「リズ! 僕の愛の風を感じるかい!?」と叫んでくるのは無視している。
やがて。 騎士たちの背中の隙間から、地上の明かりが見え始めた。 王都ルミナステラだ。
「……あれ?」
私は目を疑った。 いつもの王都の夜景とは、何かが違う。 光の量が多すぎる。 まるで、街全体がお祭り騒ぎのような輝きを放っている。
「……何、あれ」
私は結界のズーム機能を使って、地上の様子を拡大した。 そして、絶句した。
王都のメインストリート。 かつて私が「静音舗装」を命じたその道は、色とりどりの魔法ランタンで飾られ、パレードが行われていた。 人々は皆、なぜか『パジャマ』のようなゆったりとした服を着て、手には枕やクッションを持って練り歩いている。 そして、広場の中央には、巨大な『黄金の像』が建てられていた。 その像は、ベッドに横たわり、気だるげに片手を上げている女性の姿をしている。 どう見ても、私だ。
「……嘘でしょ」
さらに、街中に掲げられた垂れ幕には、こんなスローガンが書かれている。
『祝・聖女リズ様 北方遠征!』 『働かないことこそ正義! 今日から一週間、国民全員パジャマデー!』 『全ての労働者に二度寝の権利を!』
「……国が、狂ってる」
私が留守にしている間に、私の「快眠プロジェクト」が、変な方向へ進化して定着してしまったらしい。 国民全員パジャマデーって何だ。 経済活動はどうなっているんだ。
ルイスが面白そうに笑った。
「ハハッ! 素晴らしい! 君の影響力はウイルス以上だね。国民の意識改革(パラダイムシフト)を、ここまで短期間で成し遂げるとは」
「褒めないで。悪夢よ」
こんな国に降りたくない。 引き返したい。 でも、半壊した部屋ではどこにも行けない。
「着陸態勢に入る! 総員、衝撃に備えろ!」
アレクセイの号令がかかる。 私の部屋は、高度を下げ始めた。 目指すは、王都の中心にある公爵邸の庭――ではなく、なぜか『王宮前広場』だ。
「ちょっと! なんで王宮なの!? 私の家に帰してよ!」
「無理だ、リズ! 公爵邸の庭は今、君への貢ぎ物(主に寝具とお菓子)で埋め尽くされていて、着陸スペースがないんだ!」
フレデリックが叫ぶ。 どんだけ貢がれてるんだ。
「それに、王宮の広場なら警備も万全だ! 君の『凱旋』にふさわしい!」
凱旋なんてしたくない。 こっそり帰って風呂に入りたいだけなのに。
ズズズズズ……。 巨大な質量を持った私の部屋が、王宮前広場へと降りていく。 待ち構えていた群衆(パジャマ姿)が、歓声を上げて手を振る。
「リズ様ー!」 「おかえりなさーい!」 「空飛ぶお部屋だー! ……あれ? なんか壊れてない?」
ドスンッ!!
地響きとともに、私の部屋は着地した。 衝撃で、天井から少し埃が落ちてくる。 騎士たちが「ぐおっ」と呻きながらも、壁としての任務を全うしてくれたおかげで、部屋の中は無事だった。
「……着いた」
私は脱力してソファに沈み込んだ。 終わった。 長い旅だった。 あとは、ここからどうやって人目を避けてお風呂へ行くかだ。
しかし。 現実は非情だった。
カシャン、カシャン、カシャン! 着陸と同時に、外から大量の足音が響いてきた。 そして、包囲される気配。
「全軍、展開! 部屋を取り囲め! 蟻一匹逃がすな!」
聞き覚えのある声。 近衛騎士団の副団長だ。 え? なんで?
私が窓から覗くと、数百人の王宮騎士たちが、私の部屋を完全包囲していた。 槍を構え、盾を並べ、魔法使いが結界を張っている。 まるで、テロリストのアジトを制圧するかのような厳戒態勢だ。
「リズ! 無事か!」
フレデリックが、部屋の「元・玄関(今は壁がない)」から入ってきた。 彼は満面の笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。 狩人の目だ。 獲物を追い詰めた、肉食獣の目だ。
「お疲れ様、リズ。君の活躍、地上からモニター(魔法通信)で見ていたよ。まさか部屋を変形させてロボットにするとはね。君の才能には驚かされるばかりだ」
「……どうも」
「さて。君の部屋だが……見ての通り、半壊している。お風呂も壊れているし、壁もない。これでは、君の愛する『引きこもり生活』は不可能だ」
フレデリックが一歩近づく。
「だから、提案がある。……いや、命令だ」
彼は私の手を取ろうとした。
「城へ来い、リズ。王宮の中に、君専用の『特別居住区』を用意した。そこなら、お風呂もあるし、最高級のベッドもある。壁も鉄壁だ。さあ、今すぐ移動しよう」
甘い言葉だが、要するに「王宮に監禁する」と言っているのだ。 一度入ったら最後、二度と出られないだろう。 聖女として、王太子妃として、そして国の象徴として、一生飼い殺しにされる未来が見える。
「……お断りします」
私は即答した。
「リズ、わがままを言っている場合じゃない。ここには壁がないんだぞ? 寒くないか?」
「寒くないわ。アレクセイたちの背中があるもの」
「彼らだって、いつまでも壁役を続けられるわけじゃない! さあ、観念して僕の手を取るんだ!」
フレデリックが強引に手を伸ばしてくる。 背後では、アレクセイも申し訳なさそうに、しかし断固とした態度で頷いている。
「リズ様。今回ばかりは殿下の言う通りです。この廃墟で暮らすのは危険すぎます。王宮の地下シェルターなら、核魔法攻撃にも耐えられますから」
地下シェルターとか言ってるし。 監獄じゃん、それ。
逃げ場がない。 前には王太子。後ろには騎士団長。横には面白がっているルイス王子。 そして外は完全包囲。
詰んだ。 私の引きこもり人生、ここで終了か?
……いいえ。 まだだ。 まだ場所はある。 部屋が壊れても、隠れる場所はあるはずだ。
私の視線が、部屋の隅――半壊した床の下の暗がりに吸い寄せられた。 そこには、かつて「地下食料庫」として使っていたスペースがある。 今は瓦礫に埋もれているが、隙間ならある。 あそこなら、少なくとも人目は避けられるし、狭くて暗くて落ち着くかもしれない。
プライド? そんなものは前世に捨てた。 今の私にあるのは、「絶対に王宮(職場)に行きたくない」という執念だけだ。
「……嫌よ」
私は低く呟いた。
「え?」
「絶対に、行かない!」
私は脱兎のごとく走り出した。 フレデリックの腕をすり抜け、アレクセイの股下をくぐり、瓦礫の山へとダイブする。
「リズ!? どこへ行く!?」
「ここが! 私の! 新居よぉぉぉ!!」
ズザザザッ! 私は床板の隙間から、地下の狭い空間へと滑り込んだ。 埃っぽい。カビ臭い。蜘蛛の巣がある。 だが、壁はある。天井もある。 ここなら誰にも見つからない(見つかってるけど)。
私は瓦礫をかき集めてバリケードを作り、その奥で膝を抱えて丸まった。 公爵令嬢が床下に潜伏。 もはや「引きこもり」を超えて「害獣」の域だが、背に腹は代えられない。
「リズゥゥゥッ!!」
上からフレデリックの悲鳴が聞こえる。
「なんてことだ……! 王宮の豪華な部屋よりも、床下の暗がりを選ぶというのか! そこまでして僕から逃げたいのか!」
「出てきてください、リズ様! そこはムカデが出ますぞ!」
アレクセイが床板を剥がそうとする音がする。 やめて。家を解体しないで。
「触らないで! ここが私の『絶対領域(サンクチュアリ)・アンダーグラウンド』よ! 一歩でも近づいたら、ここで自爆してやるわ!」
私は適当な脅し文句を叫んだ。 実際には自爆する気なんてないが、彼らは信じるだろう。
「じ、自爆だと!? 待て、早まるな!」 「くそっ、手が出せん!」
膠着状態。 とりあえず、時間は稼げた。 私は暗がりの中で安堵の息をついた。
しかし。 この狭い空間には、私以外にも「何か」が存在していることを、私は忘れていた。 ルイス王子が持ち帰った、古代遺跡の戦利品。 『星の聖杯』と、そして『時の揺り籠(コールドスリープ装置)』だ。 それらは、私が潜り込んだ瓦礫のすぐそばに置かれていたのだ。
「……ふむ。困ったね」
頭上からルイスの声が降ってくる。 彼は床の穴から私を見下ろしているようだ。
「エリザベート嬢。君がそこで冬眠するのは勝手だが、私はこの『棺』を修理したいんだ。ちょっとどいてくれないか?」
「嫌よ。ここから動かない」
「やれやれ。……まあいい。ここで修理しよう。幸い、工具と魔力はある」
ルイスが床下に降りてきた。 狭い。 美形の王子と二人きりで床下生活とか、シチュエーションとしてはドキドキするはずだが、現状はただ息苦しいだけだ。
ルイスは懐中電灯(魔道具)をつけ、クリスタルの棺を照らした。
「さて。まずはこの制御盤を開けて……」
彼が工具を取り出し、棺の側面にあるパネルを外そうとした、その時だった。
コン、コン。
内側から、音がした。
「……え?」
私は固まった。 ルイスの手も止まった。
コン、コン、コン。
間違いなく、棺の中からだ。 ノックの音だ。 軽快で、少し催促するようなリズム。
「……ルイス。この中って、空っぽよね?」
「……そのはずだ。古代人はとっくに塵になっているはずだし、生体反応もなかった」
じゃあ、何? 幽霊? それとも、あのゲオルグの怨念が入っちゃった?
ギィィィ……プシュッ。
私たちが呆然としている間に、棺の蓋が内側から開いた。 冷たい霧が溢れ出してくる。 床下の狭い空間が、一気に冷却される。
そして。 霧の中から、ぬっと白い手が伸びてきた。 それは棺の縁を掴み、よっこらしょ、と体を起こした。
現れたのは、一人の少年だった。
透き通るような銀の長髪。 ルイスと同じアークライド王家の血を感じさせる、整いすぎた顔立ち。 そして、なぜか『モコモコのパジャマ(羊柄)』を着ている。
少年は、大きなあくびをした。
「ふぁぁぁ……。よく寝たぁ……」
彼は眠そうな瞳をこすりながら、私たちを見た。
「ん? 誰? ルームサービスの人?」
……は?
私は言葉を失った。 ルイスも眼鏡がズレている。
少年は首を傾げた。
「今の西暦何年? 僕が寝たのが古代魔導暦500年だから……まあいいや。とりあえず、喉乾いたからコーラ持ってきて。あとポテチ」
「……ないわよ、そんなもの」
私は思わず突っ込んだ。
「えー。文明退化したの? 使えないなぁ」
少年は不満げに頬を膨らませると、再び棺の中に潜り込もうとした。
「じゃあ、二度寝するわ。起こさないでね。あと1000年は寝るから」
バタン! 蓋が閉まる。
……。 …………。
「ちょっと待ちなさいよォォォッ!!」
私は棺の蓋をこじ開けた。
「何よあんた! 誰よ! なんで私の『永遠のベッド』を占領してんのよ!」
「うっさいなぁ……。不法侵入?」
少年が面倒くさそうに顔を出す。
「僕はシオン。この時代の言葉で言うなら……『古代魔導帝国の正統後継者』にして、『元祖・引きこもり王』だよ」
シオンと名乗った少年は、ふふんと鼻を鳴らした。
「この『時の揺り籠』は、僕が公務(世界征服とか)から逃げるために開発した、至高のサボりアイテムなんだ。君みたいな一般人が触っていい代物じゃないんだよね」
同類だ。 直感した。 こいつは、私と同じ種類の人間だ。 しかも、年季(スリープ期間)が違う。1000年クラスのガチ勢だ。
「どきなさい! そこは私が使うのよ!」
「やだね。ここは僕のマイホームだ。君こそ出て行けよ、この床下女」
「床下女ですって!?」
狭い床下で、私と古代少年の取っ組み合いが始まった。 枕(私は持参、彼は棺の中にあった)で殴り合う。
「リズ!? 何事だ!?」
上からフレデリックが顔を覗き込む。 そして、パジャマ姿の美少年と、パジャマ姿の私がもみ合っている光景を目撃した。
「……お、男!?」
フレデリックが絶叫した。
「リズ! まさか……君が床下に隠れたのは、その男を匿うためだったのか!」
違う。
「隠し子か!? いや、愛人か!? パジャマがお揃い(に見える)じゃないか!」
誤解だ。 でも、説明するのも面倒だ。
「違うわよ! こいつが! 私のベッドを返さないの!」
「僕のだよ! 変態女!」
カオスだ。 王宮前広場の真ん中、半壊した空飛ぶ部屋の床下で、聖女と古代人と王太子と騎士団長と隣国王子が入り乱れる大騒動。
私の「静かな隠居生活」は、またしても遠のいてしまった。 コールドスリープ装置には先客がいた。 しかも、性格最悪の同業者(引きこもり)だ。
これから、この「シオン」というお荷物(オマケ)をどうするか。 そして、誤解しまくったフレデリックたちをどう鎮めるか。 私の頭痛は、爆発寸前だった。
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