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4話「母の線引き」
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リディアはレオンの背中を優しく撫でながら、彼の耳元で静かに、けれど強い決意を込めて囁いた。
「レオン、よく聞いて。あなたは下じゃないの」
レオンがリディアの胸元から顔を上げ、潤んだ翡翠色の瞳で彼女を見つめる。
「あなたはルクレール伯爵家の正当な血を引く、誇り高き子供よ。誰かの下になるために生まれてきたんじゃない。絶対に、そんなふうに自分を貶めないで」
「でも……お父様が……」
「お父様が間違っているのよ」
リディアの言葉に、レオンは目を丸くした。
親の言うことは絶対だと教えられてきた彼にとって、それは衝撃的な言葉だったのだろう。
リディアはレオンの頬を包み込み、微かに微笑んでみせた。
「お母様が、あなたを絶対に守るから。だから、もう二度と『下でいい』なんて言わないと約束して?」
「……うん、約束する」
レオンが小さく頷くと、リディアは彼をもう一度強く抱きしめた。
息子の温かい体温が、リディアの冷え切った心に確かな熱を与えてくれる。
♦︎♦︎♦︎
レオンを自室に帰した後、リディアは執事のノーマンと侍女長のマーサを執務室に呼んだ。
二人は長年この家で働き、リディアがどれほどの苦労をして赤字領地を立て直してきたかを間近で見てきた者たちだ。
「お呼びでしょうか、奥様」
ノーマンが深く一礼する。マーサもその隣で恭しく頭を下げた。
「単刀直入に言います。私は近いうちに、この家を出ます」
二人の顔に、隠しきれない驚愕が走る。
しかし、すぐにそれは納得の色へと変わった。昨晩の晩餐会での一件を知らない者は、この屋敷にはいない。
「旦那様は、あの女と子供を伯爵家の中心に据えるおつもりです。私とレオンの居場所は、もうここにはありません」
「奥様……」
マーサの声が微かに震えていた。彼女の目には、悔し涙が浮かんでいる。
「あなたたちには、今まで本当に助けられました。私が去った後、この家がどうなるかは……大体想像がつくでしょう」
リディアが残していったシステムで、なんとか数ヶ月は回るかもしれない。
しかし、帳簿も読めないオスヴァルドと、浪費家のセレナの組み合わせだ。破綻するのは時間の問題だった。
「もし、新しい勤め先を探すのであれば、私の実家である侯爵家に紹介状を書きます。どうするかは、あなたたちの自由よ」
リディアの言葉に、ノーマンとマーサは顔を見合わせた。
そして、二人は同時に深く頭を下げた。
「私共の主は、リディア様ただ一人でございます」
ノーマンの力強い言葉に、リディアは少しだけ目を伏せ、小さく「ありがとう」と呟いた。
♦︎♦︎♦︎
その日の夜。
リディアが自室で荷物の整理を進めていると、廊下からヒールの足音が近づいてきた。
コツ、コツ、という響きが、扉の前で止まる。
ノックの音。
リディアが応える前に、扉がゆっくりと開いた。
隙間から顔を出したのは、セレナだった。
彼女は甘ったるい香水の匂いを漂わせながら、遠慮がちに、しかし確かな計算を感じさせる足取りで部屋の中へと足を踏み入れた。
「夜分遅くに、ごめんなさい」
セレナは弱々しく微笑みながら、リディアの前に立つ。
その瞳の奥には、隠しきれない優越感が揺らめいていた。
「オスヴァルド様が、南側の部屋を使えって……。でも、私なんかが奥様を差し置いて、あんな立派な部屋を使うなんて申し訳なくて」
セレナは言いながら、わざとらしく目を伏せる。
被害者を演じながら、自分が夫からどれだけ愛されているかを誇示する。それが彼女の生存戦略なのだろう。
リディアは表情を変えず、ただ冷ややかにセレナを観察した。
「気にすることはないわ。旦那様がお決めになったことなのだから」
「本当ですか? ああ、よかった……」
セレナは安堵したように胸をなでおろすと、リディアの寝室の豪奢な調度品をぐるりと見回した。
そして、甘ったるい声で問いかけてきた。
「奥様、私……ここにいても、いいですよね?」
「レオン、よく聞いて。あなたは下じゃないの」
レオンがリディアの胸元から顔を上げ、潤んだ翡翠色の瞳で彼女を見つめる。
「あなたはルクレール伯爵家の正当な血を引く、誇り高き子供よ。誰かの下になるために生まれてきたんじゃない。絶対に、そんなふうに自分を貶めないで」
「でも……お父様が……」
「お父様が間違っているのよ」
リディアの言葉に、レオンは目を丸くした。
親の言うことは絶対だと教えられてきた彼にとって、それは衝撃的な言葉だったのだろう。
リディアはレオンの頬を包み込み、微かに微笑んでみせた。
「お母様が、あなたを絶対に守るから。だから、もう二度と『下でいい』なんて言わないと約束して?」
「……うん、約束する」
レオンが小さく頷くと、リディアは彼をもう一度強く抱きしめた。
息子の温かい体温が、リディアの冷え切った心に確かな熱を与えてくれる。
♦︎♦︎♦︎
レオンを自室に帰した後、リディアは執事のノーマンと侍女長のマーサを執務室に呼んだ。
二人は長年この家で働き、リディアがどれほどの苦労をして赤字領地を立て直してきたかを間近で見てきた者たちだ。
「お呼びでしょうか、奥様」
ノーマンが深く一礼する。マーサもその隣で恭しく頭を下げた。
「単刀直入に言います。私は近いうちに、この家を出ます」
二人の顔に、隠しきれない驚愕が走る。
しかし、すぐにそれは納得の色へと変わった。昨晩の晩餐会での一件を知らない者は、この屋敷にはいない。
「旦那様は、あの女と子供を伯爵家の中心に据えるおつもりです。私とレオンの居場所は、もうここにはありません」
「奥様……」
マーサの声が微かに震えていた。彼女の目には、悔し涙が浮かんでいる。
「あなたたちには、今まで本当に助けられました。私が去った後、この家がどうなるかは……大体想像がつくでしょう」
リディアが残していったシステムで、なんとか数ヶ月は回るかもしれない。
しかし、帳簿も読めないオスヴァルドと、浪費家のセレナの組み合わせだ。破綻するのは時間の問題だった。
「もし、新しい勤め先を探すのであれば、私の実家である侯爵家に紹介状を書きます。どうするかは、あなたたちの自由よ」
リディアの言葉に、ノーマンとマーサは顔を見合わせた。
そして、二人は同時に深く頭を下げた。
「私共の主は、リディア様ただ一人でございます」
ノーマンの力強い言葉に、リディアは少しだけ目を伏せ、小さく「ありがとう」と呟いた。
♦︎♦︎♦︎
その日の夜。
リディアが自室で荷物の整理を進めていると、廊下からヒールの足音が近づいてきた。
コツ、コツ、という響きが、扉の前で止まる。
ノックの音。
リディアが応える前に、扉がゆっくりと開いた。
隙間から顔を出したのは、セレナだった。
彼女は甘ったるい香水の匂いを漂わせながら、遠慮がちに、しかし確かな計算を感じさせる足取りで部屋の中へと足を踏み入れた。
「夜分遅くに、ごめんなさい」
セレナは弱々しく微笑みながら、リディアの前に立つ。
その瞳の奥には、隠しきれない優越感が揺らめいていた。
「オスヴァルド様が、南側の部屋を使えって……。でも、私なんかが奥様を差し置いて、あんな立派な部屋を使うなんて申し訳なくて」
セレナは言いながら、わざとらしく目を伏せる。
被害者を演じながら、自分が夫からどれだけ愛されているかを誇示する。それが彼女の生存戦略なのだろう。
リディアは表情を変えず、ただ冷ややかにセレナを観察した。
「気にすることはないわ。旦那様がお決めになったことなのだから」
「本当ですか? ああ、よかった……」
セレナは安堵したように胸をなでおろすと、リディアの寝室の豪奢な調度品をぐるりと見回した。
そして、甘ったるい声で問いかけてきた。
「奥様、私……ここにいても、いいですよね?」
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