27 / 31
第二十七話 逃亡先は菓子工房。メイドが全部仕組んでました
甘いバターとバニラの香りが漂う、王都の一角にある小さなお店。 『お菓子工房シュクレ』。 ここは私が元聖女ミレイユ様のために出資し、メイドのニナが店長代理を務める予定の、私たちの隠れ家だ。
その厨房で、私はひたすら無心になってクッキー生地を練っていた。 こねて、伸ばして、型で抜く。 単純作業を繰り返すことで、昨日の「空中庭園でのプロポーズ事件」によってオーバーヒートした脳を冷却しようという作戦だ。
「……お嬢様。そろそろ生地が悲鳴を上げていますよ。それ以上こねると、クッキーじゃなくてレンガになります」
呆れたような声がして、私はハッと手を止めた。 目の前には、小麦粉まみれになった生地の残骸。 横では、ニナが焼きたてのマドレーヌを並べながら、ジト目で私を見ていた。
「あら、ごめんなさい。つい、アシュ様の石頭を思い出して力が……」
「旦那様の石頭を砕くつもりで生地を練らないでください。……で、どうなんですか? 一晩経ちましたけど、覚悟は決まりました?」
ニナは容赦がない。 私は粉だらけの手をエプロンで拭い、ため息をついて椅子に座り込んだ。
「……無理よ。まだ決まらないわ」
昨夜、私は宰相府ではなく、この工房の二階にある仮眠室に逃げ込んだ。 アシュ様からは一時間おきに魔導通信が入っていたけれど、全部無視した。 だって、出たら最後、「契約交渉の続きだ」と言いくるめられて、あの重すぎる愛の誓約書にサインさせられるに決まっているもの。
「リディア様。紅茶が入りましたよ」
奥からミレイユ様が、湯気の立つティーポットを持って現れた。 彼女はもう聖女の衣装ではなく、可愛らしいパティシエールの制服を着ている。 憑き物が落ちたように表情が明るく、本来の年相応の少女に戻っていた。
「ありがとうございます、ミレイユ。……はぁ、あなたたちの顔を見ると落ち着くわ」
「ふふ。それは光栄ですけど……でも、外の様子を見ると、そうも言っていられませんよ?」
ミレイユ様が窓の外を指差した。 私はそっとカーテンの隙間から通りを見下ろした。
そこには。
工房の向かいにある街路樹の陰に、見覚えのある銀髪の男が立っていた。 腕組みをして、仁王立ちで、工房の入り口をじっと凝視している。 その周りには、宰相府の護衛騎士たちが「またか……」という顔で遠巻きに待機している。
アシュ・ヴァレンシュタイン宰相閣下だ。
「……なんで、いるのよ」
私は悲鳴を上げそうになった。 ここは極秘の隠れ家のはずなのに!
「私が教えました」
ニナがしれっと言った。
「はぁ!? ニナ、あなた裏切ったの!?」
「人聞きが悪いですね。これは『適切な情報開示』です。旦那様が昨夜、あまりにも必死な形相で『妻が消えた。誘拐か? それとも次元の裂け目に落ちたか? 世界中を捜索する』とか言い出したので、国がパニックになる前に『ここにおります』と伝えただけです」
ニナはマドレーヌをかじりながら続けた。
「ただし、『お嬢様は心の整理が必要なので、絶対に入ってこないでください。もし無理やり入ったら、お嬢様は一生口を利かないそうです』と脅しておきました」
「……それで、あんな忠犬みたいに待っているわけ?」
窓の外のアシュ様は、微動だにしない。 通行人が驚いて振り返ろうが、野良猫が足元に擦り寄ろうが、ただひたすらに工房のドアを見つめている。 その目は、獲物を狙う猛獣というよりは、ご主人様の帰りを待つ捨て犬のように切ない。
「リディア様」
ミレイユ様が私の隣に座り、優しく手を握った。
「私、思うんです。愛されるって、怖いことかもしれません」
「え?」
「だって、相手の心を受け取るということは、自分の心も差し出すということですから。……傷つくかもしれないし、変わってしまうかもしれない。レオンハルト殿下とのことで、私はそれが怖くなりました」
ミレイユ様の言葉には実感がこもっていた。 偽りの愛に振り回され、利用された彼女だからこそわかる恐怖。
「でもね、リディア様。あの方の愛は、きっと違います」
彼女は窓の外のアシュ様を見つめ、微笑んだ。
「あの方は、リディア様が『嫌だ』と言えば、こうして外で待ち続ける方です。……あなたの意志を尊重して、あなたの言葉を待ってくれる。それって、すごく素敵なことだと思いませんか?」
……そうだった。 アシュ様は、いつだって私の言葉を聞いてくれた。 「愛さない」という契約も、最初は私の心を守るための提案だった。 そして今も、私が「重い」と言って逃げ出したから、無理に踏み込んでこないで、ただ待っている。
不器用で、合理的で、でも誰よりも誠実な人。
「……ニナ。これ、届いているんでしょう?」
私はテーブルの上に置かれた、分厚い封筒を指差した。 今朝、ニナが「旦那様からの差し入れです(書類ですが)」と言って持ってきたものだ。
「ええ。読んであげてください。徹夜で書いたみたいですよ」
私は封筒を開けた。 中に入っていたのは、数枚の羊皮紙。 そこには、震えるような筆跡で、びっしりと文字が書かれていた。
『契約書改定案(第五稿・修正版)』
また契約書か、と思って読み進めると、そこには昨日のような行政用語はほとんどなかった。
『第五条の撤廃について。 私は君を愛さないことを誓ったが、その誓いを守ることが物理的かつ精神的に不可能となった。 理由は単純だ。 君が朝、おはようと言う声。 君が紅茶を飲む時の仕草。 君が敵を論破する時の、誇り高い表情。 それら全てが、私の思考を占拠し、君以外のことを考える容量(メモリ)を圧迫しているからだ』
……なにこれ。 これ、反省文? それともポエム?
『君が「重い」と言ったことについて、深く反省し、分析した。 確かに、独占権や全生涯の譲渡は、君の自由を阻害する恐れがある。 よって、条件を緩和する。 一生でなくていい。明日一日だけでもいい。 いや、今、この瞬間だけでもいい。 君が私の隣にいてくれるなら、私はそれだけで満足するよう努力する』
文字が、ところどころ滲んでいる。 インクの染みだろうか。それとも……?
『追伸。 君が作ったクッキーが食べたい。 君がいないと、コーヒーが泥水のように不味い。 ……早く帰ってきてくれ、リディア』
読み終えた私は、手紙を胸に抱きしめて、大きく息を吐いた。
「……馬鹿な人」
こんな手紙、最強の宰相が書いたなんて誰が信じるだろう。 まるで迷子になった子供みたいじゃない。 「合理的」なんて仮面はもうボロボロで、そこにあるのは、ただ私を求めてやまない一人の男の素顔だ。
私の薬指にある『真実の誓約印』が、温かく脈打った。 私も、会いたい。 今すぐドアを開けて、あの不器用な胸に飛び込みたい。
でも。 それだけじゃダメだ。
「……ニナ、ミレイユ。私、決めたわ」
私は顔を上げた。 もう迷いはない。
「私、契約更新しに行くわ。……ただし、彼(アシュ)の条件をそのまま飲むつもりはない。私の方からも、特大の条件を突きつけてやるわ!」
「おおっ! さすがはお嬢様!」 「その意気です、リディア様!」
二人が拍手喝采する。 私はエプロンを外し、鏡の前で髪を整えた。 小麦粉で汚れた頬を拭き、深紅のルージュを引く。 『鉄薔薇』の戦闘準備完了だ。
「ニナ、ドアを開けて。……私の『夫』を迎えに行くわよ」
「はいっ!」
ニナが勢いよく工房のドアを開け放った。 カランカラン、とベルが鳴る。
外の空気が流れ込んでくる。 そして、街路樹の下で石像になっていたアシュ様が、弾かれたようにこちらを向いた。
「……リディア!」
彼の顔が、パァッと輝いた。 目の下にクマがあるし、髪も少し乱れているけれど、私を見る瞳だけは宝石のように澄んでいる。
彼は駆け寄ろうとして、ハッと足を止めた。 ニナとの約束(勝手に入らない)を守ろうとしているのだ。 その健気さに、胸がキュンとする。
私は一歩、外へ踏み出した。 そして、彼に向かって両手を広げた。
「お待たせしました、アシュ様。……随分と長い待ち時間でしたわね?」
「リディア……! ああ、君は……!」
アシュ様はもう我慢できなかったようだ。 「約束」の境界線を飛び越え、猛ダッシュで私のもとへ駆け寄ってきた。
そして、勢いそのままに私を抱きしめる――かと思いきや、私の手前一メートルで急ブレーキをかけ、膝をついて私の手を取った。
「無事でよかった……! 君がいなくなってからの十二時間四十三分、私の人生で最も無駄で、最も苦痛な時間だった!」
「ふふっ。相変わらず細かいですわね」
私は彼の手を握り返し、屈み込んで視線を合わせた。
「アシュ様。手紙、読みましたわ」
「! ……そ、そうか。あれは深夜のテンションで書いたもので、推敲が不十分だが……」
「条件の緩和なんて、認めません」
「えっ?」
アシュ様が絶望的な顔をする。 私はニヤリと笑った。
「『一生じゃなくていい』? 『今だけでいい』? ……そんな弱気な契約、私が承認すると思いましたか?」
私は彼の方に顔を寄せ、耳元で囁いた。
「私が欲しいのは、『一生』だけです。……それ以外の妥協なんて、許しませんわよ?」
アシュ様が目を見開き、そして――震える手で私を抱きしめた。 今度は、ためらいなく。力強く。
「……ああ。契約成立だ、リディア。……愛している」
その言葉を聞いた瞬間、私の視界が涙で滲んだ。 ああ、やっと言えた。やっと聞けた。 契約書の文字ではなく、生きた言葉としての愛。
工房の窓から、ニナとミレイユ様が拍手しているのが見える。 通りすがりの人々も、足を止めて祝福してくれている。 これで、本当に私たちは『夫婦』になれる。 でも、ここで終わらせる私じゃない。 まだ一つ、大事な儀式が残っているもの。
「アシュ様。……次、いきますわよ」
「次? どこへだ?」
「決まってるじゃないですか。……『結婚式』のやり直しです!」
その厨房で、私はひたすら無心になってクッキー生地を練っていた。 こねて、伸ばして、型で抜く。 単純作業を繰り返すことで、昨日の「空中庭園でのプロポーズ事件」によってオーバーヒートした脳を冷却しようという作戦だ。
「……お嬢様。そろそろ生地が悲鳴を上げていますよ。それ以上こねると、クッキーじゃなくてレンガになります」
呆れたような声がして、私はハッと手を止めた。 目の前には、小麦粉まみれになった生地の残骸。 横では、ニナが焼きたてのマドレーヌを並べながら、ジト目で私を見ていた。
「あら、ごめんなさい。つい、アシュ様の石頭を思い出して力が……」
「旦那様の石頭を砕くつもりで生地を練らないでください。……で、どうなんですか? 一晩経ちましたけど、覚悟は決まりました?」
ニナは容赦がない。 私は粉だらけの手をエプロンで拭い、ため息をついて椅子に座り込んだ。
「……無理よ。まだ決まらないわ」
昨夜、私は宰相府ではなく、この工房の二階にある仮眠室に逃げ込んだ。 アシュ様からは一時間おきに魔導通信が入っていたけれど、全部無視した。 だって、出たら最後、「契約交渉の続きだ」と言いくるめられて、あの重すぎる愛の誓約書にサインさせられるに決まっているもの。
「リディア様。紅茶が入りましたよ」
奥からミレイユ様が、湯気の立つティーポットを持って現れた。 彼女はもう聖女の衣装ではなく、可愛らしいパティシエールの制服を着ている。 憑き物が落ちたように表情が明るく、本来の年相応の少女に戻っていた。
「ありがとうございます、ミレイユ。……はぁ、あなたたちの顔を見ると落ち着くわ」
「ふふ。それは光栄ですけど……でも、外の様子を見ると、そうも言っていられませんよ?」
ミレイユ様が窓の外を指差した。 私はそっとカーテンの隙間から通りを見下ろした。
そこには。
工房の向かいにある街路樹の陰に、見覚えのある銀髪の男が立っていた。 腕組みをして、仁王立ちで、工房の入り口をじっと凝視している。 その周りには、宰相府の護衛騎士たちが「またか……」という顔で遠巻きに待機している。
アシュ・ヴァレンシュタイン宰相閣下だ。
「……なんで、いるのよ」
私は悲鳴を上げそうになった。 ここは極秘の隠れ家のはずなのに!
「私が教えました」
ニナがしれっと言った。
「はぁ!? ニナ、あなた裏切ったの!?」
「人聞きが悪いですね。これは『適切な情報開示』です。旦那様が昨夜、あまりにも必死な形相で『妻が消えた。誘拐か? それとも次元の裂け目に落ちたか? 世界中を捜索する』とか言い出したので、国がパニックになる前に『ここにおります』と伝えただけです」
ニナはマドレーヌをかじりながら続けた。
「ただし、『お嬢様は心の整理が必要なので、絶対に入ってこないでください。もし無理やり入ったら、お嬢様は一生口を利かないそうです』と脅しておきました」
「……それで、あんな忠犬みたいに待っているわけ?」
窓の外のアシュ様は、微動だにしない。 通行人が驚いて振り返ろうが、野良猫が足元に擦り寄ろうが、ただひたすらに工房のドアを見つめている。 その目は、獲物を狙う猛獣というよりは、ご主人様の帰りを待つ捨て犬のように切ない。
「リディア様」
ミレイユ様が私の隣に座り、優しく手を握った。
「私、思うんです。愛されるって、怖いことかもしれません」
「え?」
「だって、相手の心を受け取るということは、自分の心も差し出すということですから。……傷つくかもしれないし、変わってしまうかもしれない。レオンハルト殿下とのことで、私はそれが怖くなりました」
ミレイユ様の言葉には実感がこもっていた。 偽りの愛に振り回され、利用された彼女だからこそわかる恐怖。
「でもね、リディア様。あの方の愛は、きっと違います」
彼女は窓の外のアシュ様を見つめ、微笑んだ。
「あの方は、リディア様が『嫌だ』と言えば、こうして外で待ち続ける方です。……あなたの意志を尊重して、あなたの言葉を待ってくれる。それって、すごく素敵なことだと思いませんか?」
……そうだった。 アシュ様は、いつだって私の言葉を聞いてくれた。 「愛さない」という契約も、最初は私の心を守るための提案だった。 そして今も、私が「重い」と言って逃げ出したから、無理に踏み込んでこないで、ただ待っている。
不器用で、合理的で、でも誰よりも誠実な人。
「……ニナ。これ、届いているんでしょう?」
私はテーブルの上に置かれた、分厚い封筒を指差した。 今朝、ニナが「旦那様からの差し入れです(書類ですが)」と言って持ってきたものだ。
「ええ。読んであげてください。徹夜で書いたみたいですよ」
私は封筒を開けた。 中に入っていたのは、数枚の羊皮紙。 そこには、震えるような筆跡で、びっしりと文字が書かれていた。
『契約書改定案(第五稿・修正版)』
また契約書か、と思って読み進めると、そこには昨日のような行政用語はほとんどなかった。
『第五条の撤廃について。 私は君を愛さないことを誓ったが、その誓いを守ることが物理的かつ精神的に不可能となった。 理由は単純だ。 君が朝、おはようと言う声。 君が紅茶を飲む時の仕草。 君が敵を論破する時の、誇り高い表情。 それら全てが、私の思考を占拠し、君以外のことを考える容量(メモリ)を圧迫しているからだ』
……なにこれ。 これ、反省文? それともポエム?
『君が「重い」と言ったことについて、深く反省し、分析した。 確かに、独占権や全生涯の譲渡は、君の自由を阻害する恐れがある。 よって、条件を緩和する。 一生でなくていい。明日一日だけでもいい。 いや、今、この瞬間だけでもいい。 君が私の隣にいてくれるなら、私はそれだけで満足するよう努力する』
文字が、ところどころ滲んでいる。 インクの染みだろうか。それとも……?
『追伸。 君が作ったクッキーが食べたい。 君がいないと、コーヒーが泥水のように不味い。 ……早く帰ってきてくれ、リディア』
読み終えた私は、手紙を胸に抱きしめて、大きく息を吐いた。
「……馬鹿な人」
こんな手紙、最強の宰相が書いたなんて誰が信じるだろう。 まるで迷子になった子供みたいじゃない。 「合理的」なんて仮面はもうボロボロで、そこにあるのは、ただ私を求めてやまない一人の男の素顔だ。
私の薬指にある『真実の誓約印』が、温かく脈打った。 私も、会いたい。 今すぐドアを開けて、あの不器用な胸に飛び込みたい。
でも。 それだけじゃダメだ。
「……ニナ、ミレイユ。私、決めたわ」
私は顔を上げた。 もう迷いはない。
「私、契約更新しに行くわ。……ただし、彼(アシュ)の条件をそのまま飲むつもりはない。私の方からも、特大の条件を突きつけてやるわ!」
「おおっ! さすがはお嬢様!」 「その意気です、リディア様!」
二人が拍手喝采する。 私はエプロンを外し、鏡の前で髪を整えた。 小麦粉で汚れた頬を拭き、深紅のルージュを引く。 『鉄薔薇』の戦闘準備完了だ。
「ニナ、ドアを開けて。……私の『夫』を迎えに行くわよ」
「はいっ!」
ニナが勢いよく工房のドアを開け放った。 カランカラン、とベルが鳴る。
外の空気が流れ込んでくる。 そして、街路樹の下で石像になっていたアシュ様が、弾かれたようにこちらを向いた。
「……リディア!」
彼の顔が、パァッと輝いた。 目の下にクマがあるし、髪も少し乱れているけれど、私を見る瞳だけは宝石のように澄んでいる。
彼は駆け寄ろうとして、ハッと足を止めた。 ニナとの約束(勝手に入らない)を守ろうとしているのだ。 その健気さに、胸がキュンとする。
私は一歩、外へ踏み出した。 そして、彼に向かって両手を広げた。
「お待たせしました、アシュ様。……随分と長い待ち時間でしたわね?」
「リディア……! ああ、君は……!」
アシュ様はもう我慢できなかったようだ。 「約束」の境界線を飛び越え、猛ダッシュで私のもとへ駆け寄ってきた。
そして、勢いそのままに私を抱きしめる――かと思いきや、私の手前一メートルで急ブレーキをかけ、膝をついて私の手を取った。
「無事でよかった……! 君がいなくなってからの十二時間四十三分、私の人生で最も無駄で、最も苦痛な時間だった!」
「ふふっ。相変わらず細かいですわね」
私は彼の手を握り返し、屈み込んで視線を合わせた。
「アシュ様。手紙、読みましたわ」
「! ……そ、そうか。あれは深夜のテンションで書いたもので、推敲が不十分だが……」
「条件の緩和なんて、認めません」
「えっ?」
アシュ様が絶望的な顔をする。 私はニヤリと笑った。
「『一生じゃなくていい』? 『今だけでいい』? ……そんな弱気な契約、私が承認すると思いましたか?」
私は彼の方に顔を寄せ、耳元で囁いた。
「私が欲しいのは、『一生』だけです。……それ以外の妥協なんて、許しませんわよ?」
アシュ様が目を見開き、そして――震える手で私を抱きしめた。 今度は、ためらいなく。力強く。
「……ああ。契約成立だ、リディア。……愛している」
その言葉を聞いた瞬間、私の視界が涙で滲んだ。 ああ、やっと言えた。やっと聞けた。 契約書の文字ではなく、生きた言葉としての愛。
工房の窓から、ニナとミレイユ様が拍手しているのが見える。 通りすがりの人々も、足を止めて祝福してくれている。 これで、本当に私たちは『夫婦』になれる。 でも、ここで終わらせる私じゃない。 まだ一つ、大事な儀式が残っているもの。
「アシュ様。……次、いきますわよ」
「次? どこへだ?」
「決まってるじゃないですか。……『結婚式』のやり直しです!」
あなたにおすすめの小説
『姉に全部奪われた私、今度は自分の幸せを選びます ~姉の栄光を支える嘘を、私は一枚ずつ剥がす~』
六角
恋愛
復讐はしない。——ただ「嘘」を回収する。 礼儀と帳簿で宮廷の偽りを詰ませる“監査官令嬢”の華麗なる逆転劇。
王家献上宝飾の紛失事件で濡れ衣を着せられ、家族にも婚約者にも捨てられて追放された子爵家次女リリア。 数年後、彼女は王妃直属の「臨時監査官」として、再び宮廷の土を踏む。
そこで待っていたのは、「慈愛の聖女」として崇められる姉セシリアと、彼女に心酔する愚かな貴族たち。しかし、姉の栄光の裏には、横領、洗脳、そして国を揺るがす「偽造魔石」の陰謀が隠されていた。
「復讐? いいえ、これは正当な監査です」
リリアは感情に流されず、帳簿と証拠、そして真実を映す「プリズム」を武器に、姉が築き上げた嘘の城を一枚ずつ剥がしていく。 孤立無援の彼女を支えるのは、氷のように冷徹な宰相補佐レオンハルトと、豪快な近衛騎士団長カミュ。 やがてリリアは、国中を巻き込んだ姉の洗脳計画を打ち砕き、自分自身の幸せと、不器用な宰相補佐からの溺愛を手に入れる——。
悪役令嬢ですが、二度目は無能で通します……なので執事は黙っててください
放浪人
恋愛
社交界で“悪女”と呼ばれ、無実の罪で断罪された公爵令嬢リディア。
処刑の刃が落ちた瞬間、彼女は断罪される半年前の朝に時を遡っていた。
「二度目も殺されるなんて御免だわ。私は、何もできない無能な令嬢になって生き延びる!」
有能さが仇になったと悟ったリディアは、プライドも実績も捨てて「無能」を装い、北の辺境・白夜領へ引きこもる計画を立てる。
これで平和なスローライフが送れる……はずだった。
けれど、幼い頃から仕える専属執事・レージだけは誤魔化せない。
彼はリディアの嘘を最初から見抜いているくせに、涼しい顔で「無能な主人」を完璧に演じさせてくれないのだ。
「黙っててと言いましたよね?」
「ええ。ですから黙って、あなたが快適に過ごせるよう裏ですべて処理しておきました」
過保護すぎる執事に管理され、逃げ道を塞がれながらも、リディアは持ち前の正義感で領地の危機を次々と救ってしまう。
隠したいのに、有能さがダダ漏れ。
そうこうするうちに王都からは聖女と王太子の魔の手が迫り――?
「守られるだけはもう終わり。……レージ、私に力を貸しなさい」
これは、一度死んだ令嬢が「言葉」と「誇り」を取り戻し、過保護な執事の手を振りほどいて、対等なパートナーとして共に幸せを掴み取るまでの物語。
五度目の人生でも「君を愛することはない」と言われたので、私も愛を捨てました
たると
恋愛
「ルチア、私は君を愛することはない。この婚約は単なる義務だ」
冷徹な公爵、アルベルトの声が夜会会場の片隅で響く。
これで、五度目だ。
私は深く、そして軽やかに一礼した。
「承知いたしました。では、今後はそのように」
これまでは泣いて縋り、彼を振り向かせようと必死に尽くしてきた。
だが、死に戻りを五回も繰り返せば、流石に飽きる。
私は彼を愛することを、きっぱりと辞めた。
10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)
放浪人
恋愛
「もう、疲れました。貴方の顔も見たくありません」
公爵令嬢リーゼロッテは、婚約者である王太子アレクセイに処刑される人生を9回繰り返してきた。 迎えた10回目の人生。もう努力も愛想笑いも無駄だと悟った彼女は、断罪イベントの一ヶ月前に自ら姿を消すことを決意する。 王城の宝物庫から慰謝料(国宝)を頂き、書き置きを残して国外逃亡! 目指せ、安眠と自由のスローライフ!
――のはずだったのだが。
「『顔も見たくない』だと? つまり、直視できないほど私が好きだという照れ隠しか!」 「『探さないで』? 地の果てまで追いかけて抱きしめてほしいというフリだな!」
実は1周目からリーゼロッテを溺愛していた(が、コミュ障すぎて伝わっていなかった)アレクセイ王子は、彼女の拒絶を「愛の試練(かくれんぼ)」と超ポジティブに誤解! 国家権力と軍隊、そしてS級ダンジョンすら踏破するチート能力を総動員して、全力で追いかけてきた!?
物理で逃げる最強令嬢VS愛が重すぎる勘違い王子。 聖女もドラゴンも帝国も巻き込んだ、史上最大規模の「国境なき痴話喧嘩」が今、始まる!
※表紙はNano Bananaで作成しています
断罪フラグをへし折った悪役令嬢は、なぜか冷徹公爵様に溺愛されています ~スローライフはどこへいった?~
放浪人
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢イザベラに転生した私。
来るべき断罪イベントを回避し、辺境の領地で悠々自適なスローライフを送る……はずだった!
卒業パーティーの舞台で、王太子から突きつけられた数々の罪状。
ヒロインを虐げた? 国を傾けようとした?
――全部、覚えがありませんけど?
前世の知識と周到な準備で断罪フラグを木っ端微塵にへし折り、婚約破棄を叩きつけてやったわ!
「さようなら、殿下。どうぞヒロインとお幸せに!」
ああ、これでやっと静かな生活が手に入る!
そう思っていたのに……。
「実に興味深い。――イザベラ、お前は俺が貰い受ける」
なぜか、ゲームではヒロインの攻略対象だったはずの『氷の公爵』アレクシス様が、私に執着し始めたんですけど!?
追いかけてこないでください! 私のスローライフが遠のいていく……!
悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?
いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー
これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。
「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」
「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」
冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。
あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。
ショックで熱をだし寝込むこと1週間。
目覚めると夫がなぜか豹変していて…!?
「君から話し掛けてくれないのか?」
「もう君が隣にいないのは考えられない」
無口不器用夫×優しい鈍感妻
すれ違いから始まる両片思いストーリー
【完結】追放された地味令嬢、実は王国唯一の“魔力翻訳者”でした 〜役立たずと言われましたが、もう契約は終了です〜
あめとおと
恋愛
王太子から「魔法が何も起こらない役立たず」と断罪され、婚約破棄された伯爵令嬢リリア。
追放された彼女の能力は――
魔法の“意味”を読み解き、術式そのものを理解する力《魔力翻訳》。
辺境の魔導研究所でその才能を見出された彼女は、
三百年解読不能だった古代魔法を次々と再生させていく。
一方、彼女を失った王都では魔法事故が連鎖。
国家結界すら崩壊寸前に――。
「戻ってきてほしい」
そう告げられても、もう遅い。
私を必要としてくれる場所は、
すでに別にあるのだから。
これは、役立たずと呼ばれた令嬢が
本当の居場所と理解者を見つける物語。
「君を抱くつもりはない」初夜に拒絶した公爵様、身代わりの後妻(私)が姉の忘れ形見を守り抜く間に、なぜか執着が始まっています?
恋せよ恋
恋愛
「私は君を愛さない。僕の妻は、亡きフィオーラだけだ」
初夜の晩、初恋の人パトリックから告げられたのは、
凍りつくような拒絶だった。
パトリックの妻・姉フィオーラの出産後の不幸な死。
その「身代わり」として公爵家に嫁いだ平凡な妹ステファニー。
姉の忘れ形見である嫡男リチャードは放置され、衰弱。
乳母ナタリーの嘲笑、主治医の裏切り、そして実家の冷遇。
不器用で健気な後妻が、真実の愛と家族の絆を取り戻す、
逆転のシンデレラストーリー。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!