「魔力がない」と婚約破棄されましたが、私を拾ったのは剣聖と呼ばれる傭兵王でした〜金で地位を買った元婚約者様、私の夫に勝てると思いましたか?〜

放浪人

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第十六話:沈黙の塔の崩壊〜物理無効の最強ゴーレム? でしたら『王水』でドロドロに溶かして差し上げます〜

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 王城の裏手にひっそりと、しかし異様な存在感を放ってそびえ立つ石造りの塔。  『沈黙の塔』。  窓は一つもなく、入り口は堅牢な鉄の扉で閉ざされている。かつては王家の宝物庫として使われていたそうですが、今では政治犯や、存在を公にできない「不都合な者たち」を幽閉する監獄として恐れられています。

 月明かりが雲に遮られ、辺りが漆黒の闇に包まれた刻限。  私とヴォルフガングは、塔の裏門の前に立っていました。

「……静かだな。本当に手引き通りか?」

 ヴォルフガングが小声で囁きながら、周囲の気配を探っています。  彼が背負っている大剣『黒牙』は、闇に溶け込むように光を吸い込んでいます。

「ええ。近衛騎士団長ガイウス様は、武人としての誇りをお持ちの方です。一度約束した以上、裏切るような真似はされません」

 私は確信を持って答えました。  見張り台に立っている兵士たちは、不自然なほどこちらを見ていません。巡回のルートも、私たちが通る時間に合わせて空白が作られています。  ガイウス様は、無言で道を開けてくれているのです。

 私は扉の前に進み出ました。  そこには、複雑な紋様が刻まれた魔法陣が浮かび上がっています。物理的な鍵穴はありません。魔力認証によってのみ開く、魔導ロックです。

「さて、ここからはメルヴィン魔導師団長から『いただいた』コードの出番ですね」

 私は懐からメモを取り出し、そこに書かれた古代語の詠唱文を読み上げました。  もちろん、私には魔力がないので、そのまま読んでも何も起きません。  ですが、メルヴィンから巻き上げた魔石のブローチ――魔力を蓄積し、放出する機能を持つ高級品――を魔法陣にかざすことで、疑似的に魔力を干渉させるのです。

 ブォン……。

 低い音と共に、魔法陣が青白く発光し、そして霧散しました。  続いて、重厚な石の扉が、地響きを立ててゆっくりと開いていきます。

「……開いたぞ。やっぱりお前、何でもありだな」 「準備と交渉の結果ですよ。さあ、行きましょう。時間はあまりありません」

 私たちは塔の中へと足を踏み入れました。  中はひんやりとした冷気に満ちており、カビと埃の匂いが鼻をつきます。  螺旋階段が、地下へと続いています。  足音を忍ばせ、私たちは闇の底へと降りていきました。

          ◇

 地下三階。  そこは、石壁に囲まれた広大な空間になっていました。  最奥には、鉄格子のはまった牢獄が見えます。あの中に、第二王子の母君、ソフィア妃が幽閉されているはずです。

 ですが、そこへ辿り着くには、最後の難関を突破しなければなりません。

 ズズズッ……ゴゴゴ……。

 私たちが広間に足を踏み入れた瞬間、床に敷き詰められていた石材が震え始めました。  そして、瓦礫が集まり、一つの巨大な人型を形成していきます。  身長三メートル。全身が硬質な岩石と金属で構成された、無機質の巨人。

「……出やがったな。『ガーディアン・ゴーレム』か」

 ヴォルフガングが大剣を構え、前に出ました。  ゴーレムの頭部にある二つの宝石が、赤く怪しく光ります。侵入者を排除するための、自動防衛システムです。

「グオォォォォ……!」

 言葉にならない咆哮と共に、ゴーレムが丸太のような腕を振り上げました。  速い。  巨体に似合わぬ敏捷性で、ヴォルフガングに襲いかかります。

「フンッ!」

 ヴォルフガングは一歩も引かず、正面から大剣を叩きつけました。  剣聖の渾身の一撃。岩をも砕く破壊力が、ゴーレムの腕を直撃します。

 ガキンッ!!

 凄まじい金属音が響き、火花が散りました。  しかし――。

「……硬ぇな! 刃が通らねぇぞ!」

 ヴォルフガングが顔をしかめました。  ゴーレムの腕には浅い傷がついただけで、砕ける様子はありません。  それどころか、傷ついた部分が瞬時に盛り上がり、修復されていきます。  自己再生能力。  魔力によって稼働するゴーレムの、もっとも厄介な特性です。

「団長、下がってください! 物理攻撃は効きません!」

 私が叫ぶと同時に、ゴーレムの拳がヴォルフガングのいた場所を粉砕しました。  石床がクレーターのように陥没します。直撃すれば、人間などひとたまりもありません。

「チッ、どうすりゃいいんだ!? 斬っても殴っても治りやがる!」 「核を壊せば止まりますが、あの装甲では剣が届きません。魔法耐性も高いはずです」

 このゴーレムは、古代文明の遺産です。  現代の魔法技術で作られたものではなく、ロストテクノロジーの塊。  純粋な物理攻撃も、生半可な魔法も通用しない、まさに鉄壁の番人。  宰相が「ネズミ一匹入り込めない」と豪語していたのも頷けます。

 ですが、私には勝算がありました。  物理がダメなら、化学です。  魔法がダメなら、科学です。

「ヴォルフ、三十秒だけ時間を稼いでください! 動きを止めるだけでいいのです!」 「三十秒だな! ……無茶言うぜ!」

 ヴォルフガングはニヤリと笑い、再びゴーレムに向かって突進しました。  正面からの打ち合いは避け、足元をすり抜け、関節を狙って斬撃を浴びせます。  決定打にはなりませんが、ゴーレムの注意を引きつけ、足止めするには十分です。

 その隙に、私は鞄からあるものを取り出しました。  厳重に梱包された、ガラス製の瓶。  中には、黄色く濁った液体が入っています。

 これは『王水』。  濃塩酸と濃硝酸を、体積比三対一で混合した液体。  前世の知識……いえ、錬金術の奥義書から再現した、最強の溶解液です。  金や白金といった、通常の酸では溶けない貴金属さえも溶かし尽くす、腐食の王。  ゴーレムの装甲に使われているミスリル合金やオリハルコンも、この液体の前では無力です。

「団長、離れて!」

 私が叫ぶと、ヴォルフガングは瞬時にバックステップで距離を取りました。  ゴーレムが彼を追おうと踏み出した、その瞬間。

 私は渾身の力で、ガラス瓶をゴーレムの足元――支軸となっている右膝の関節部分に投げつけました。

 パリンッ!

 瓶が砕け、中身が飛び散ります。  液体がゴーレムの関節にかかった瞬間、ジュワァァァッ! という激しい音と共に、白煙が上がりました。

「グ、ガァァ……!?」

 ゴーレムが動きを止めました。  王水は、金属の装甲を瞬く間に侵食し、溶かしていきます。  強固だった関節が、飴細工のようにドロドロに崩れ落ちていく。  支えを失った巨体はバランスを崩し、轟音を立ててその場に倒れ込みました。

「な、なんだありゃ!? 鉄が溶けてるぞ!?」

 ヴォルフガングが目を剥いています。

「今です! 胸の装甲も溶けかかっています! 核を破壊してください!」

 私が指差した胸部にも、飛び散った王水がかかり、穴が空いていました。  その奥に、赤く輝く魔石の核が見えます。

「おうよッ!!」

 ヴォルフガングが跳躍しました。  大剣を振りかぶり、重力と全体重を乗せた一撃を、露出した核に叩き込みます。

 ズドンッ!!

 核が砕け散る音が、地下空間に響き渡りました。  ゴーレムの目が明滅し、やがて光を失います。  巨体はただの瓦礫の山へと戻り、動かなくなりました。

「……ふぅ。とんでもねぇもん持ってたな、お前」 「科学の力ですよ。……さあ、急ぎましょう」

 私たちは瓦礫を乗り越え、最奥の牢獄へと向かいました。

          ◇

 鉄格子の向こう。  石の寝台に、一人の女性が横たわっていました。  粗末な囚人服。痩せ細り、肌は透き通るように白い。  ですが、その顔立ちは気高く、長い金髪は汚れの中でも輝きを失っていません。  ソフィア妃。  亡き第一王子の弟君、第二王子の生母であり、『白百合の君』と謳われた女性。

「……誰、ですか?」

 彼女がゆっくりと身を起こし、私たちを見ました。  その瞳は、深い悲しみを湛えていますが、決して屈してはいませんでした。

「お迎えに上がりました、ソフィア様。……ヴォルフガング辺境伯の補佐、エリスと申します」

 私は鍵束(これもガイウスから預かったものです)を使って、鉄格子の錠を開けました。  ギィィ、と錆びついた音がして、扉が開きます。

「エリス……? その名、どこかで……」

 ソフィア様は私を見て、ハッとしたように目を見開きました。  そして、震える手で私の頬に触れようとしました。

「……その目。あの人と、同じ……」

 あの人。  それは、国王陛下のことを指しているのでしょうか。  私の胸が、ドクリと高鳴りました。  私の出生の秘密。彼女は何かを知っているのかもしれません。  ですが、今はそれを問いただしている時間はありません。

「詳しいお話は後ほど。今はここから脱出することが先決です。……歩けますか?」 「ええ……なんとか」

 彼女は気丈に立ち上がろうとしましたが、足がもつれて倒れそうになりました。  長期間の幽閉で、体力が落ちているのです。

「失礼します」

 ヴォルフガングが、彼女を軽々と抱き上げました。いわゆるお姫様抱っこです。

「っ……!?」 「荒っぽい扱いで申し訳ありません、妃殿下。ですが、俺の背中よりはマシでしょう」

 ヴォルフガングがニカッと笑うと、ソフィア様は驚いたように目を丸くし、それから微かに微笑みました。

「……ありがとう、頼もしい騎士様」 「傭兵ですよ。……さあ、エリス。ずらかるぞ」

 私たちは来た道を戻り始めました。  目的は達成しました。あとは、無事に王都を脱出するだけです。  ですが、そう簡単に問屋が卸すはずがありません。

 地下から一階へと上がる階段の途中。  上から、パチパチという音と、焦げ臭い匂いが漂ってきました。

「……火だ!」

 ヴォルフガングが叫びました。  見上げると、入り口付近が猛烈な炎に包まれていました。  誰かが、外から油を撒いて火を放ったのです。

「閉じ込められたか……! 宰相の野郎、証拠隠滅を図りやがったな!」

 ヴォルフガングが毒づきます。  宰相ハルデンベルク公爵。  彼は私たちが動くことを読んでいたのでしょう。  あるいは、最初から私たちをソフィア様諸共、この塔で焼き殺すつもりだったのかもしれません。  『侵入者によって火が放たれ、ソフィア妃は焼死した』という筋書きにするために。

「逃げ場がありません! 煙が回ってきます!」

 煙が充満し始め、視界が悪くなります。  ソフィア様が咳き込みました。  このままでは、焼死する前に一酸化炭素中毒で全滅です。

「くそっ、壁をブチ破るしかねぇか!?」 「待ってください! この塔の壁は厚さ一メートルの石造りです。あなたの剣でも、穴を開けるには時間がかかりすぎます!」

 私は冷静に周囲を見回しました。  出口は炎で塞がれている。壁は壊せない。  ならば、どうするか。

 ふと、私の視線が床にある『排水溝』に止まりました。  石造りの床の隅に、鉄格子の嵌められた四角い穴があります。  この塔は古く、地下牢の汚水を処理するための水路が、王都の地下下水道へと繋がっているはずです。

「……あそこです!」

 私は排水溝を指差しました。

「あそこから地下水路へ抜けられます! 鉄格子さえ外せれば!」

 ヴォルフガングが駆け寄り、鉄格子を掴みました。  しかし、錆びついていてビクともしません。

「硬ぇ! ……どきなッ!」

 彼は大剣を逆手に持ち、柄の底で鉄格子の枠を思い切り叩きました。  ガンッ! ガンッ!  数回の打撃で、劣化した石枠が砕け、鉄格子が外れました。  中からは、ドブの臭いが漂ってきますが、今は贅沢を言っている場合ではありません。

「行けます! ここなら炎も煙も来ません!」 「よし、俺が先に行く! エリス、妃殿下を頼む!」

 ヴォルフガングが先に穴に飛び込み、下で受け止める体勢を取りました。  私はソフィア様を助け起こし、穴の縁へと誘導しました。

「ソフィア様、少し汚れますが、ご辛抱ください」 「……ええ。命には代えられませんわ」

 彼女は迷うことなく、暗い穴へと身を躍らせました。  王族とは思えぬ度胸です。やはり、王の寵愛を受けた女性だけのことはあります。

 最後に、私が飛び込む番です。  背後では、炎が階段を舐め尽くし、熱波が迫っていました。  私はハンカチで口を覆い、暗闇へとダイブしました。

 ドサッ。  下で待っていたヴォルフガングの腕の中に、すっぽりと収まりました。

「ナイスキャッチだろ?」 「ええ。……ですが、まだ安心はできませんよ」

 私たちは地下水路に降りました。  膝下まである汚水の中を進みます。  上からは、塔が燃え落ちる轟音が響いていました。  間一髪でした。

「こっちです。水流の向きからして、川の方へ繋がっているはずです」

 私は頭の中に入っている王都の地図を思い出しながら、先導しました。  暗く、臭く、ネズミが走り回る地下道。  貴婦人にとっては地獄のような環境でしょうが、ソフィア様は文句一つ言わず、黙々とついてきます。

「……たくましいな、あんたの母ちゃん候補は」 「ヴォルフ、滅多なことを言うものではありませんよ」

 私は彼を小突きながらも、心の中で同意していました。  この強さがあれば、きっと大丈夫だ。  私たちは必ず、生きてここを出られる。

 数十分後。  前方に、微かな光が見えてきました。  出口です。  鉄格子の隙間から、月明かりと川のせせらぎが差し込んでいます。  王都の外れを流れる運河の排水口に出たようです。

「出られた……!」

 ヴォルフガングが鉄格子を蹴破り、私たちは外の空気を吸い込みました。  新鮮な夜気が、肺を満たします。  生きている。  その実感が、全身を駆け巡りました。

「……あそこです」

 私が指差した川岸には、手配しておいた小船が停泊していました。  乗っているのは、『鉄の牙』の部下たちです。  彼らは私たちを見つけると、小さく手を振りました。

「団長! 軍師様! ご無事ですか!」 「ああ、なんとかな。……予定通り、高飛びするぞ!」

 私たちは船に乗り込みました。  ソフィア様を船室に寝かせ、船は音もなく川を下り始めました。  振り返れば、王城の方角から、赤い炎が夜空を焦がしているのが見えます。  『沈黙の塔』の最期です。  それは、宰相の支配にひびが入った合図でもありました。

「……エリス」

 船べりで風に当たっていた私に、ヴォルフガングが声をかけてきました。

「これで、後戻りはできなくなったな。俺たちは完全に、国のお尋ね者だ」 「ええ。誘拐犯にして、放火魔の汚名を着せられるでしょうね」

 私は苦笑しました。  ですが、後悔はありません。  私たちは守るべきものを守り、成すべきことを成したのですから。

「でも、手に入れたものは大きいですよ。……ソフィア様という『正義』と、宰相の弱みを」

 私は懐を叩きました。  そこには、塔の地下で見つけた、ある『書類』が入っていました。  ソフィア様の独房の壁の裏に隠されていた、宰相の裏帳簿と、暗殺の指示書です。  これがあれば、形勢は逆転します。

「さあ、帰りましょう。私たちの街へ」 「ああ。……腹減ったな。帰ったら何食わせてくれるんだ?」 「そうですね……今日は奮発して、白パンのシチューにしましょうか」

 私たちは顔を見合わせ、笑いました。  戦いはまだ続きます。  ですが、今はただ、この勝利の余韻と、生還の喜びを噛み締めていたい。

 川面を渡る風が、新しい時代の幕開けを告げるように、優しく頬を撫でていきました。
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