「何の取り柄もない姉より、妹をよこせ」と婚約破棄されましたが、妹を守るためなら私は「国一番の淑女」にでも這い上がってみせます

放浪人

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第19話:姉妹の再会、そして

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「ええい、離せ! わしは娘と話をしているのだぞ! 邪魔をするな氷男!」

「誰が氷男だ。私の妻に気安く触ろうとする不審者は、皇帝だろうが神だろうが凍らせて海に沈める」

「お義兄様、まあ落ち着いて。姉さんが困っているよ」

「僕はお前の義兄になった覚えはない」

公爵邸の応接室は、まさにカオスと呼ぶにふさわしい状況でした。

ガリア帝国の皇帝アレクサンデル(自称・私の父)と、皇太子レオナルド(自称・私の弟)。 そして、青筋を立てて私を背後に隠すクラウス様。

私はこめかみを指で押さえ、深く、深くため息をつきました。

「……あの。皆様、一旦落ち着いていただけますか? 紅茶が冷めてしまいますわ」

私の声に、ようやく三人の男たちが動きを止めました。

「うむ……そうだな。アリアがそう言うなら座ろう。おい、茶をくれ。砂糖は五つだ」

「五つも入れるのですか? 糖尿病になりますわよ、陛下」

「陛下ではない、パパと呼べ!」

「……却下します」

私はセバスチャンに目配せし、新しい紅茶を用意させました。 甘い香りが部屋に漂い、ようやく殺伐とした空気が少し和らぎます。

ことの経緯は、皇帝陛下――アレクサンデル氏の話によれば、こうでした。

二十年前。 帝国の皇女であった私の母・ソフィアは、宮廷内のドロドロとした後継者争いに巻き込まれ、命を狙われていました。 当時、まだ皇太子だったアレクサンデル氏は、最愛の妹であるソフィアを守るため、苦渋の決断を下しました。 彼女を亡命させ、隣国――つまりこの王国へ逃がしたのです。 そこで母は、留学中だった私の父(ベルンシュタイン伯爵)と出会い、恋に落ち、私とミラが生まれた。

「ソフィアからの手紙は、毎年届いていたのだ。『娘たちは可愛く育っています』とな。だが……十年前、突然連絡が途絶えた」

アレクサンデル氏は、沈痛な面持ちで語りました。

「心配して密偵を放ったが、ベルンシュタイン家は没落し、ソフィアも病死したと聞いた。……わしは絶望したよ。だが、最近になって『国一番の淑女』の噂を聞いた。その肖像画を見て、確信したのだ。これはソフィアの生き写しだと!」

彼は熱っぽい瞳で私を見つめました。

「アリア。君は帝国の血を引く、正当な皇族だ。こんな田舎の小国でくすぶっている器ではない。帝国へ来い! わしの養女となり、ゆくゆくは女帝として……」

「お断りします」

私は即答しました。 食い気味に、一秒の迷いもなく。

「な、なぜだ!? 帝国へ来れば、金も権力も思いのままだぞ! こんな男の世話にならなくても……」

「こんな男、で結構です」

私はクラウス様の腕を取り、その肩に頭を預けました。

「私はこの国で生まれ、この国で育ちました。そして何より……私が愛する人は、ここにいます。金や権力のために、愛する人を捨てるような真似はいたしません」

「アリア……」

クラウス様が、愛おしそうに私の髪を撫でてくれます。

「それに、母が国を捨ててまで父と添い遂げた理由が、今なら分かります。……幸せとは、玉座の上にあるものではなく、愛する人の隣にあるものですから」

私の言葉に、アレクサンデル氏は口をあんぐりと開け、しばらく絶句していました。 やがて、彼はガックリと項垂れました。

「……ソフィアと同じことを言う。あいつも、最後の手紙にそう書いていた。『私は今、世界で一番幸せです』と」

「姉さんは頑固だね。やっぱりベルンシュタイン家の血より、うちの家系の血が濃いみたいだ」

皇太子のレオナルド殿下が、クスクスと笑いました。 彼は私に近づき、手を差し出しました。

「残念だけど、諦めるよ。……でも、姉さん。困ったことがあったら、いつでも帝国を頼っていいからね。僕たちは家族なんだから」

「……ありがとう、レオナルド殿下」

「レオでいいよ」

「では、レオ。……お言葉に甘えて、一つだけお願いがあります」

「なんだい?」

「我が国と帝国との間に、恒久的な平和条約を結んでいただきたいのです。……ギリアードのような野心家が、二度と付け入る隙がないように」

私が言うと、レオは目を丸くし、それから皇帝陛下を見ました。 陛下はニヤリと笑い、鷹揚に頷きました。

「よかろう! 可愛い娘の頼みだ。この国を、帝国の『最重要同盟国』として扱おうではないか! ……おい、氷の公爵!」

「なんだ」

「アリアを泣かせたら、帝国軍百万が攻めてくると思え。心して愛せよ!」

「言われるまでもない。……彼女の涙を見るくらいなら、私が先に世界を滅ぼす」

二人の男は視線をぶつけ合い、そしてフッと笑い合いました。 奇妙な友情――あるいは義父と娘婿の絆が成立した瞬間でした。

          ◇

嵐のような皇帝一行が去った後。 公爵邸には、ようやく本来の静けさが戻ってきました。

数日後。 私は久しぶりに休暇をもらい、ある場所を訪れていました。

王都の郊外。 かつて私の実家、ベルンシュタイン伯爵邸があった場所です。

カミロの襲撃で荒らされ、その後、ギリアードの陰謀によって完全に廃墟と化した我が家。 今は瓦礫も撤去され、更地になっていました。 夏草が生い茂るその場所に立つと、胸の奥がキュッと痛みました。

「……何もないわね」

ポツリと呟くと、隣に立っていたミラが私の手を握りました。

「ううん。あるよ、お姉ちゃん」

「え?」

「思い出があるもん。ここでお母さんに絵本を読んでもらったこと。お父さんに肩車してもらったこと。……お姉ちゃんが、私のためにドレスを縫ってくれたこと」

ミラは更地を見渡しながら、懐かしそうに目を細めました。

「建物がなくなっても、ここは私たちの家だよ」

「……そうね」

私はミラの成長に驚かされました。 いつの間にか、彼女は私より強い心を持つようになっていたのかもしれません。

「アリア様」

後ろに控えていたセバスチャンが、一枚の図面を差し出しました。

「これは?」

「閣下が手配された、ベルンシュタイン伯爵邸の再建計画書です」

「再建……?」

図面を見ると、そこにはかつての実家よりも一回り大きく、しかし昔の面影を残した美しい屋敷が描かれていました。 広い庭園には、母が好きだった白い薔薇が植えられる予定になっています。

「閣下は仰いました。『アリアの帰る場所は、私が守る』と。……この土地はすでに公爵家が買い戻し、アリア様の名義になっております」

「あの人は……本当に……」

サプライズにも程があります。 私は目頭が熱くなるのを感じながら、図面を抱きしめました。

「でも、お姉ちゃん。私たちが住むのは、ここじゃないよね?」

ミラが小首を傾げました。

「ええ。私たちは公爵邸で暮らすわ。……じゃあ、この新しいお屋敷はどうしましょうか」

私は少し考え、そして閃きました。

「……学校にしましょう」

「学校?」

「ええ。身寄りのない子供たちや、貧しくて学べない子供たちのための学校よ。私たちが苦労した分、これからの子供たちには希望をあげたいの」

「素敵! 私、先生のお手伝いする!」

ミラが飛び跳ねて喜びました。 ベルンシュタイン家の跡地が、未来を育む場所になる。 亡き父と母も、きっと喜んでくれるはずです。

「セバスチャン、閣下に伝えて。……『最高のプレゼントをありがとうございます。一生かけて恩返しします』と」

「かしこまりました。……もっとも、閣下は『恩返しなどいらん。今夜のデザートを一緒に食べてくれればそれでいい』と仰るでしょうが」

セバスチャンが茶目っ気たっぷりにウィンクしました。 私たちは笑い声を上げ、青空の下、未来の学校予定地を後にしました。

          ◇

その日の午後。 公爵邸の庭園にあるガゼボで、私とミラは二人きりのティータイムを楽しんでいました。

テーブルの上には、王都で一番人気のパティスリーのケーキタワー。 色とりどりのマカロン、苺のタルト、濃厚なチョコレートケーキ。 そして、最高級の茶葉で淹れた紅茶。

かつて、具のないスープと固いパンを分け合っていた日々が嘘のようです。

「美味しいね、お姉ちゃん」

ミラが口の周りにクリームをつけながら、幸せそうに頬張っています。

「ふふ、慌てないで。誰も取らないわよ」

私はナプキンで彼女の口元を拭ってあげました。

「……ねえ、お姉ちゃん」

ミラがフォークを置き、真剣な顔で私を見ました。

「ん? どうしたの?」

「私ね、考えたの」

ミラは少し言い淀み、それから意を決したように言いました。

「私、寮に入ろうと思うの」

「えっ……?」

私はカップを取り落としそうになりました。

「りョ、寮って……学校の?」

「うん。王立学園の寄宿舎。友達も誘ってくれてるし、もっと勉強に集中したいなって」

「でも……寂しくない? お姉ちゃんと離れて暮らすのよ?」

「寂しいよ。でも……」

ミラは私の手を両手で包み込みました。 その手は、昔よりも少し大きく、温かくなっていました。

「お姉ちゃんはずっと、私のために生きてくれたでしょ? 借金を返すため、私を守るため、自分の幸せを後回しにして戦ってくれた」

「それは、私がしたくてしたことよ」

「うん、知ってる。ありがとう。……でもね、もういいの」

ミラはにっこりと微笑みました。 それは、庇護されるだけの子供の笑顔ではなく、一人の自立しようとする少女の笑顔でした。

「お姉ちゃんはもう、自分のために生きていいんだよ。クラウスお兄様と、二人だけの時間を大切にしてほしいの。私がいたら、お邪魔虫でしょ?」

「邪魔なわけないじゃない!」

「ううん、邪魔なの! 新婚さんなんだから!」

ミラは悪戯っぽく舌を出しました。

「それに、私だって強くなりたいの。いつまでも『守られる妹』じゃなくて、お姉ちゃんみたいにカッコいい女性になりたい。そのためには、お姉ちゃんの背中から離れて、自分の足で歩かなきゃ」

「ミラ……」

胸がいっぱいになりました。 いつの間にか、この子はこんなに立派になっていた。 私が必死に外敵と戦っている間に、彼女は彼女自身の戦い――成長という戦いを続けていたのです。

私は涙をこらえ、ミラの頭を撫でました。

「……分かったわ。貴女がそう決めたなら、お姉ちゃんは応援する」

「本当? ダメって言わない?」

「言わないわ。……ただし! 週末は必ず帰ってくること。それから、困ったことがあったらすぐに手紙を書くこと。いいわね?」

「うん! 約束する!」

ミラは嬉しそうに頷き、再びケーキを食べ始めました。

私は空を見上げました。 空はどこまでも高く、澄み渡っていました。

肩の荷が下りたような、それでいて少し寂しいような、不思議な感覚。 「妹を守る」という私の人生の最大のミッションは、今日、一つの区切りを迎えたようです。 これからは、「私自身」の人生が始まる。 その事実に、武者震いとは違う、静かなときめきを感じていました。

「……あら、二人で内緒話か?」

不意に、庭の入り口から声がしました。 クラウス様です。 執務の合間を縫って来てくれたのでしょう。

「クラウスお兄様! あのね、私、寮に入ることになったの!」

ミラが駆け寄り、報告します。

「ほう? それは名案だ。……アリアを独り占めできる時間が増えるな」

「もう、クラウス様ったら!」

私が顔を赤くすると、クラウス様は楽しそうに笑い、私の隣に座りました。

「ですが、寂しくなりますわ」

「週末には帰ってくるのだろう? それに、部屋が空くなら……子供部屋の準備でもしておくか?」

「き、気が早すぎます!」

「そうか? 皇帝も『孫の顔を見るまでは死なん』と言っていたぞ」

「あの親バカ皇帝の話は聞かなくていいです!」

平和な午後。 愛する人たちとの、たわいない会話。 紅茶の湯気。 甘いお菓子の香り。

これが、私が命がけで手に入れた「幸福」の形でした。

          ◇

その夜。 ミラが寝静まった後、私はクラウス様の寝室――今は私たちの寝室――のバルコニーに出ていました。 星が綺麗です。 あの逃亡の日々、見上げた北の星空と同じくらい。

「……何を考えている?」

クラウス様が後ろから抱きしめてきました。 お風呂上がりで、彼の髪からは石鹸の良い香りがします。

「昔のことを、少し」

私は彼の手を握り返しました。

「あの日、雨の中で求人票を見つけなければ。……貴方が私を『ゴミ』として追い返していたら。今の私はありませんでした」

「追い返すわけがないだろう」

クラウス様は私の首筋にキスを落としました。

「あの目を見た瞬間、私は魅入られていたんだ。……泥の中でも決して折れない、その誇り高い魂に」

「……買い被りです」

「事実だ。お前が私を変えた。氷の彫像に、血を通わせた」

彼は私の体を回し、向き合わせました。 月明かりに照らされた彼の顔は、出会った頃の冷徹さは消え、蕩けるような愛情に満ちていました。

「アリア。……これからは、戦うためではなく、愛するために生きてくれ」

「はい。……でも、貴方がピンチの時は、またフライパンでも持って駆けつけますけど?」

「フッ、頼もしいな。……だが、その必要はない」

クラウス様は私の腰を引き寄せ、耳元で囁きました。

「私の残りの人生は、お前を幸せにするためだけに使うと決めたからな」

甘い言葉に、心臓が溶けてしまいそうです。 私は背伸びをして、彼の唇に口づけました。

「……覚悟してくださいね、旦那様。私は欲張りですから、普通の幸せじゃ満足できませんわよ?」

「望むところだ。世界中の幸福をかき集めて、お前の足元に敷き詰めてやろう」

私たちは笑い合い、そして長く、深い口づけを交わしました。 夜風が優しく私たちを包み込みます。

かつて「何の取り柄もない」と捨てられた少女は、今、世界で一番幸せな「国一番の淑女」となりました。 でも、これで終わりではありません。 私の人生という物語は、ここからが本当のスタートなのです。

「さあ、夜はこれからだ。……アリア」

クラウス様が私をお姫様抱っこしました。

「き、キャッ! クラウス様!」

「明日は公務がない。……朝まで離さないぞ」

「……お手柔らかにお願いします」

寝室のカーテンが引かれ、月だけが二人の愛の行方を見守っていました。

          ◇

翌朝の新聞には、一面トップでこう報じられていました。

『救国の英雄、ラインハルト大公夫妻、仲睦まじく庭園を散策。  ――国一番の淑女、その輝きは増すばかり』

記事の写真には、ミラを真ん中にして、幸せそうに微笑む私とクラウス様の姿がありました。 それは、誰もが羨む「完璧な家族」の肖像でした。

しかし、その新聞の片隅には、小さなコラムも載っていました。

『元婚約者カミロ、鉱山にて改心? 「私は愛を見誤った」と涙の懺悔』

私はその記事を見て、ふっと笑い、新聞を閉じました。 もう、過去を振り返る必要はありません。 私の目の前には、眩しいほどの未来が広がっているのですから。
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