『五年後、私を捨てたはずの「氷の公爵様」と再会しました。 ~隣にいるこの幼い娘が「貴方の娘です」とは、今更とても言えません~』

放浪人

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第四話「懐かしい香り」

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 カシウス様たちが店を出た後、私は椅子に座り込んだ。

 足が震えて、立っていられなかった。

「ママ、どうしたの?顔が真っ白だよ」

 ルナが心配そうに私の顔を覗き込む。

「大丈夫よ、ルナ。ちょっと疲れただけ」

 嘘だった。

 大丈夫なんかじゃない。

 カシウス様が記憶を失っている?

 五年前の大怪我?

 何があったの。

 私が追放された後、彼に何が起きたの。

 頭の中で、様々な疑問が渦巻く。

 でも――調べるわけにはいかない。

 関わってはいけない。

 私とルナの平和な生活を守るためには、カシウス様から離れていなければ。

「ママ、あのおじちゃん、ルナに似てるね」

 ルナの言葉に、私の心臓が跳ね上がった。

「え?」

「髪の色と目の色。ルナと同じ銀色と青色だよ」

 ルナは無邪気に笑っている。

「そう...ね。たまたま似てるのね」

 私は何とか笑顔を作った。

「でも不思議だね。ママは髪も目も茶色なのに、どうしてルナは銀色と青なのかな?」

 ルナは前から時々、そのことを不思議がっていた。

 私はいつも「おばあちゃんに似たのよ」と誤魔化していた。

 母は確かに明るい色の髪だったから、完全な嘘ではない。

「ルナのパパはね、きっとあのおじちゃんみたいに素敵な人だったのよ」

 私は思わず、そんな言葉を口にしていた。

「パパ...」

 ルナが寂しそうに呟く。

 この子はパパのことを一度も聞いたことがない。

 私も、積極的に話したことはなかった。

「ルナのパパは、今どこにいるの?」

 来た。

 いつか聞かれると思っていた質問。

「パパは...遠いところにいるの。とても大事なお仕事をしていて、こっちには来られないの」

「そっか。でも、いつか会えるかな?」

 ルナの純粋な瞳が、私を見つめる。

 会えない。

 会わせられない。

「どうかしらね。でも、パパはきっとルナのことを愛してくれているわ」

 また嘘をついた。

 カシウス様はルナの存在すら知らない。

 愛してくれているなんて、根拠のない希望。

 でも、ルナにはそう信じていてほしかった。

 自分は愛されている子供なのだと。

「うん!ルナもパパのこと、好きだよ!」

 ルナが笑顔で答える。

 その笑顔を見て、私は改めて決意した。

 絶対に、カシウス様には近づかない。

 ルナの父親だと告げることもしない。

 それが、この子を守る唯一の方法なのだから。

 しかし――翌日、カシウス様はまた店に現れた。

「すまない、また来てしまった」

 彼は少し申し訳なさそうに言った。

「昨日の傷薬が素晴らしい効果でな。他の者の分も頂けないだろうか」

 仕事の依頼なら、断る理由はない。

 私は平静を装って、薬を用意した。

「ありがとう。助かる」

 カシウス様が代金を支払おうとした時、ルナがまた店に入ってきた。

「あ、おじちゃんだ!」

 ルナは嬉しそうに駆け寄る。

「またルナに会いに来てくれたの?」

 子供特有の無邪気さで、ルナはカシウス様に懐いていた。

「ああ...まあ、薬を買いに来たのだが」

 カシウス様は困ったように笑う。

 笑った。

 また、彼が笑った。

 五年前、あの冷たかったカシウス様が、こんなに柔らかい表情を見せるなんて。

「おじちゃん、お名前は?」

 ルナが尋ねる。

 私は慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。

「カシウスだ」

「カシウス...おじちゃん!」

 ルナが嬉しそうに名前を呼ぶ。

「ルナもお名前教えるね。ルナっていうの!」

「ルナか。月の光のような名前だな」

 カシウス様が優しく言う。

「この子の名前は私が――」

 私が口を挟もうとすると、カシウス様はこちらを向いた。

「良い名前だ。君が名付けたのか?」

「...はい」

 ルナという名前には、特別な意味がある。

 月明かりのような銀髪を持つこの子に。

 そして――カシウス様の「月光のような銀髪」を受け継いだこの子に。

「君の名前は?」

 カシウス様が私に尋ねた。

 名前。

 私の名前を、彼は知らない。

「アリア...です」

「アリア...」

 彼が私の名前を口にする。

 胸が痛かった。

 五年前、何度もこの名前を呼ばれた。

 最初は冷たく。

 次第に少しだけ柔らかく。

 そして最後には、嫌悪を込めて。

「不思議だ」

 カシウス様が呟いた。

「君に会うと、なぜか懐かしい気持ちになる」

 私の心臓が高鳴る。

「この店の香りもだ。薬草の香りが、どこか遠い記憶を呼び覚ますような...」

 彼の青い瞳が、私を見つめている。

 (思い出して)

 心の中で叫びそうになった。

 (私のことを思い出して。私たちのことを)

 でも――

 (いや、ダメ)

 すぐに自分を否定する。

 思い出してほしくない。

 思い出されたら、全てが終わる。

「きっと...たまたまですよ」

 私は笑顔を作って答えた。

「そうか...」

 カシウス様は少し残念そうに頷いた。

 その日から、カシウス様は頻繁に店を訪れるようになった。

 理由はいつも「薬の補充」だったが、明らかにそれだけではなかった。

 彼はルナと遊び、私と他愛もない話をした。

 そしてその度に、私の心は引き裂かれそうになった。

 これは――あまりにも残酷だ。

 失った幸せの幻を、目の前に突きつけられているようで。
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