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第三話「記憶のない公爵」
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頭が真っ白になった。
今、彼は何と言った?
「薬師の店はどこか」?
私の顔を見て?
私を見て、そんなことを?
「あの...」
声を出そうとしたけれど、喉がカラカラに乾いている。
カシウス様は馬から降りて、私の前に立った。
五年ぶりの、至近距離。
変わらない。
何も変わっていない。
銀髪は相変わらず月光のように美しく、青い瞳は相変わらず冷たい。
背が高くて、凛とした佇まい。
「どうかしたか?体調が悪いなら、薬師の店に案内してもらえると助かるのだが」
彼の声には、優しささえ感じられた。
これは夢?
それとも何かの罠?
「あ、あの...薬師なら、私が...」
私は震える声で答えた。
「そうか、君が薬師なのか。助かった」
カシウス様は、何の疑いもなく微笑んだ。
微笑んだ。
あのカシウス様が。
「部下の一人が魔獣に傷を負ってしまってな。診てもらえるだろうか」
「は、はい...店にどうぞ...」
私は混乱したまま、店への道を案内した。
後ろからついてくるカシウス様の気配を感じながら、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
(なぜ?なぜ私のことを覚えていないの?)
五年前、あんなにも冷たく私を追放したのに。
「二度と姿を見せるな」と言ったのに。
まさか演技?
でも、カシウス様はそんな器用な人ではなかった。
感情を隠すことはできても、演技をするような人では――
「ここです」
店の前で立ち止まる。
小さな木造の建物。
軒先には薬草が吊るしてある。
「ママー!」
ルナの声が聞こえて、私の心臓が止まりそうになった。
(ダメ、ルナ、出てこないで!)
でも遅かった。
ルナが店から飛び出してきた。
そして――カシウス様と目が合う。
時が止まる。
銀髪の少女と、銀髪の男。
同じ青い瞳が、互いを見つめ合う。
「...」
カシウス様の表情が、わずかに変わった。
驚き?困惑?
「おじちゃん、だあれ?」
ルナが無邪気に首を傾げる。
私は咄嗟にルナの肩を抱いた。
「ルナ、お客様よ。ご挨拶して」
「はーい。こんにちは、おじちゃん!」
ルナが元気に挨拶する。
カシウス様は、しばらくルナを見つめていた。
何かを考えているような、不思議な表情。
「...こんにちは」
やがて彼は、ぎこちなく言葉を返した。
そしてまた、ルナの銀髪と青い瞳を見つめる。
(気づかないで。お願い、気づかないで)
私の心の中の祈りが、声になりそうだった。
「傷を負った者は?」
私は意識的に話題を変えた。
「ああ、すまない。こちらだ」
カシウス様が合図すると、騎士が一人、腕を押さえて近づいてきた。
「では中へどうぞ」
仕事に集中しよう。
そうすれば、この混乱した頭も少しは落ち着くはず。
店の中で、私は騎士の傷を診た。
魔獣の爪による裂傷。
幸い深くはない。
薬草を調合し、傷口を洗浄して、包帯を巻く。
その間、カシウス様は店の中を興味深そうに見回していた。
「薬草の知識がおありなのだな」
彼が言った。
「少しだけ。独学ですが」
「いや、見事なものだ。この調合は...」
カシウス様が、棚に並んだ薬草を見ている。
「これは珍しい。よくこの組み合わせに気づいたな」
彼の声には、純粋な感嘆が含まれていた。
私は胸が締め付けられる思いがした。
これは――五年前に私が公爵邸で調合していたものと同じ。
カシウス様の頭痛を和らげるために、密かに作っていた薬。
「その香り...」
カシウス様が突然、額を押さえた。
「どこかで嗅いだことがあるような...」
彼の表情に、初めて苦しげな色が浮かぶ。
「大丈夫ですか?」
私が近づくと、カシウス様は首を振った。
「すまない。時々、こうして頭痛が...」
「頭痛?」
何かがおかしい。
カシウス様は昔から頭痛持ちだったけれど、こんな風に苦しそうにすることは――
「五年前に大怪我をしてな。それ以来、時々記憶が...」
カシウス様の言葉に、私は息を呑んだ。
記憶。
記憶が――?
「おじちゃん、だいじょうぶ?」
ルナが心配そうにカシウス様を見上げる。
カシウス様は、ルナの頭にそっと手を置いた。
大きな手が、小さな銀髪を優しく撫でる。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、お嬢さん」
その光景を見て、私の目に涙が浮かびそうになった。
(ずるい)
こんな優しい顔で、娘を撫でないでほしい。
まるで本当の父親みたいに。
でも――カシウス様は知らない。
この子が自分の娘だということを。
そして私は、今更それを告げることなんてできない。
今、彼は何と言った?
「薬師の店はどこか」?
私の顔を見て?
私を見て、そんなことを?
「あの...」
声を出そうとしたけれど、喉がカラカラに乾いている。
カシウス様は馬から降りて、私の前に立った。
五年ぶりの、至近距離。
変わらない。
何も変わっていない。
銀髪は相変わらず月光のように美しく、青い瞳は相変わらず冷たい。
背が高くて、凛とした佇まい。
「どうかしたか?体調が悪いなら、薬師の店に案内してもらえると助かるのだが」
彼の声には、優しささえ感じられた。
これは夢?
それとも何かの罠?
「あ、あの...薬師なら、私が...」
私は震える声で答えた。
「そうか、君が薬師なのか。助かった」
カシウス様は、何の疑いもなく微笑んだ。
微笑んだ。
あのカシウス様が。
「部下の一人が魔獣に傷を負ってしまってな。診てもらえるだろうか」
「は、はい...店にどうぞ...」
私は混乱したまま、店への道を案内した。
後ろからついてくるカシウス様の気配を感じながら、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
(なぜ?なぜ私のことを覚えていないの?)
五年前、あんなにも冷たく私を追放したのに。
「二度と姿を見せるな」と言ったのに。
まさか演技?
でも、カシウス様はそんな器用な人ではなかった。
感情を隠すことはできても、演技をするような人では――
「ここです」
店の前で立ち止まる。
小さな木造の建物。
軒先には薬草が吊るしてある。
「ママー!」
ルナの声が聞こえて、私の心臓が止まりそうになった。
(ダメ、ルナ、出てこないで!)
でも遅かった。
ルナが店から飛び出してきた。
そして――カシウス様と目が合う。
時が止まる。
銀髪の少女と、銀髪の男。
同じ青い瞳が、互いを見つめ合う。
「...」
カシウス様の表情が、わずかに変わった。
驚き?困惑?
「おじちゃん、だあれ?」
ルナが無邪気に首を傾げる。
私は咄嗟にルナの肩を抱いた。
「ルナ、お客様よ。ご挨拶して」
「はーい。こんにちは、おじちゃん!」
ルナが元気に挨拶する。
カシウス様は、しばらくルナを見つめていた。
何かを考えているような、不思議な表情。
「...こんにちは」
やがて彼は、ぎこちなく言葉を返した。
そしてまた、ルナの銀髪と青い瞳を見つめる。
(気づかないで。お願い、気づかないで)
私の心の中の祈りが、声になりそうだった。
「傷を負った者は?」
私は意識的に話題を変えた。
「ああ、すまない。こちらだ」
カシウス様が合図すると、騎士が一人、腕を押さえて近づいてきた。
「では中へどうぞ」
仕事に集中しよう。
そうすれば、この混乱した頭も少しは落ち着くはず。
店の中で、私は騎士の傷を診た。
魔獣の爪による裂傷。
幸い深くはない。
薬草を調合し、傷口を洗浄して、包帯を巻く。
その間、カシウス様は店の中を興味深そうに見回していた。
「薬草の知識がおありなのだな」
彼が言った。
「少しだけ。独学ですが」
「いや、見事なものだ。この調合は...」
カシウス様が、棚に並んだ薬草を見ている。
「これは珍しい。よくこの組み合わせに気づいたな」
彼の声には、純粋な感嘆が含まれていた。
私は胸が締め付けられる思いがした。
これは――五年前に私が公爵邸で調合していたものと同じ。
カシウス様の頭痛を和らげるために、密かに作っていた薬。
「その香り...」
カシウス様が突然、額を押さえた。
「どこかで嗅いだことがあるような...」
彼の表情に、初めて苦しげな色が浮かぶ。
「大丈夫ですか?」
私が近づくと、カシウス様は首を振った。
「すまない。時々、こうして頭痛が...」
「頭痛?」
何かがおかしい。
カシウス様は昔から頭痛持ちだったけれど、こんな風に苦しそうにすることは――
「五年前に大怪我をしてな。それ以来、時々記憶が...」
カシウス様の言葉に、私は息を呑んだ。
記憶。
記憶が――?
「おじちゃん、だいじょうぶ?」
ルナが心配そうにカシウス様を見上げる。
カシウス様は、ルナの頭にそっと手を置いた。
大きな手が、小さな銀髪を優しく撫でる。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、お嬢さん」
その光景を見て、私の目に涙が浮かびそうになった。
(ずるい)
こんな優しい顔で、娘を撫でないでほしい。
まるで本当の父親みたいに。
でも――カシウス様は知らない。
この子が自分の娘だということを。
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