『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人

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第9話:ミリアの罠(毒入りワイン事件)

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 私が「宰相閣下の溺愛婚約者」として、確固たる地位(と誤解)を築き上げてから、およそ二週間。  王都の季節は、本格的な冬へと向かっていた。

 寒さが厳しくなると同時に、貴族たちの社交シーズンも佳境を迎える。  連日のように夜会、茶会、観劇会が開かれ、そこでの振る舞いが翌年の派閥争いに影響するとあって、誰もが目の色を変えて参加している。

 当然、時の人である私、エリス・フォン・ローゼンの元にも、招待状の山が届いていた。  今までは「体調不良(精神的引きこもり)」を理由に断り続けていたのだが、今回だけは断れない招待状が届いてしまった。

『王妃陛下主催 初冬のガーデンパーティーへのご招待』

 王妃陛下。  我が国の国母であり、社交界の頂点に君臨するお方だ。  しかも、場所は王宮の離宮にある温室庭園。  欠席すれば、それは「王家への不敬」となり、即座に処刑……とまではいかなくとも、実家の公爵家と、婚約者であるクラウス様の顔に泥を塗ることになる。

「……はぁ」

 宰相執務室のソファで、私は深いため息をついた。  行きたくない。  お腹が痛い。  王妃様は厳しい方だと聞くし、何より、あのミリアも聖女候補として招待されているに違いない。  また何か仕掛けてくるのではないかという予感が、私の胃をキリキリと締め上げる。

 机の向こうで書類と格闘していたクラウス様が、私の重い空気を感じ取って顔を上げた。

「エリス。……ため息をつくなど珍しいな。何か憂いがあるのか?」

 私は無言で、手元の招待状を彼に見せた。  クラウス様はそれを見て、眉間に深い皺を刻んだ。

「王妃殿下のパーティーか。……確かに、これは断れないな」

 彼はペンを置き、立ち上がって私の隣に座った。  そして、私の冷たい手を包み込むように握る。

「心配するな。私も同行する。公務の調整はつけた」

 えっ、来てくれるんですか?  宰相ともあろうお方が、昼間のパーティーに?

「君を一人で猛獣の檻に放り込むような真似はしない。……それに、最近の君への注目度は異常だ。有象無象が君に近づかないよう、私が防波堤にならねば」

 過保護だ。  でも、正直ありがたい。  彼の「絶対零度の眼力」があれば、意地悪な貴族婦人たちも近寄ってこないだろう。

 私はホッとして、コクコクと頷いた。  クラウス様は私の頭を優しく撫でた。

「ただし、王妃殿下との挨拶の時だけは、私が口を挟むわけにはいかない。そこは君自身の力で乗り切ってもらうことになるが……君なら問題ないだろう。あの断罪の場ですら、一言も発さずに勝利した君だ。王妃殿下の威光にも動じない『鉄の心臓』を持っている」

 持ってません。  私の心臓は豆腐並みに脆いです。  でも、そんな本音は言えないまま、運命のパーティー当日はやってきた。

          ◇

 王宮の温室庭園は、外の寒気が嘘のような常春の楽園だった。  ガラス張りの天井からは柔らかな日差しが降り注ぎ、色とりどりの南国の花々が咲き乱れている。  甘い花の香りと、高価な香水の入り混じった空気が、むせ返るようだ。

 会場には、すでに多くの貴族が集まっていた。  私たちが入場すると、いつものように視線が集中する。

「見ろ、宰相閣下とローゼン公爵令嬢だ」 「なんて絵になるお二人……」 「閣下がこれほど公の場に女性を伴うなんて」 「やはり、あの『沈黙の聖女』の噂は本当なのだろうな」

 囁き声の中を、私たちは王妃陛下の元へと進む。  最奥のテラス席に、その人はいた。  銀色の髪を高く結い上げ、威厳に満ちた表情で座る王妃陛下。

 緊張で足が震える。  転ばないように、クラウス様の腕をギュッと掴む。  それが「慎ましやかな頼り方」に見えたのか、王妃陛下は目を細めた。

「よく来てくれましたね、アイゼンベルク侯爵、そしてローゼン公爵令嬢」

 私たちは深々と礼をする。  クラウス様が流暢な挨拶を述べた後、王妃陛下の視線が私に向けられた。

「エリス嬢。アデルとの件では、王家として苦労をかけましたね。……私の愚息が、貴女のような素晴らしい原石を手放したこと、母として恥ずかしく思います」

 なんと。  王妃様直々の謝罪だ。  これは「恐れ多いことでございます」とかなんとか、気の利いた言葉を返すべき場面だ。  しかし、緊張で喉が張り付いて声が出ない。

 私は無言のまま、ただ深く首を垂れた。  (そんな、謝らないでください。恐縮です)  そんな気持ちを込めて、最大限に小さくなった。

 すると、王妃陛下はフッと笑みをこぼした。

「……なるほど。言葉よりも態度で示す、か。噂通りの奥ゆかしさね。王家の非を責めることもなく、ただ静かに受け入れるその度量、気に入りました」

 クリアした。  無言作戦、王妃様にも通用した。  クラウス様の「沈黙最強説」は正しかったらしい。

 挨拶が終わり、私たちは一般の歓談エリアへと移動した。  クラウス様はすぐに数人の大臣に捕まり、少し離れた場所で話し込み始めた。  私は壁際で、一人「置物」になる。  手にはグラスを持っているが、口はつけない。トイレに行きたくなったら困るからだ。

 平和だ。  このまま時間が過ぎてくれればいいのに。

 そう願った矢先。  私の視界の端に、ピンク色の影が映った。

(げっ)

 ミリアだ。  彼女は今日もフリフリの可愛らしいドレスを着て、しかし目は全く笑っていない表情で、私の方へまっすぐに歩いてきた。  後ろには、いつもの取り巻きではなく、使用人を一人引き連れている。  使用人の手には、銀のお盆。  そこには、なみなみと注がれた赤ワインのグラスが二つ乗っていた。

「ごきげんよう、エリス様」

 ミリアが声をかけてきた。  周囲の貴族たちが、「おっ、直接対決か?」と興味津々で耳をそばだてる。

 私は無言で会釈した。  関わりたくない。  逃げたい。

 しかし、ミリアは逃がさなかった。  彼女は殊勝な顔を作り、涙ぐんでみせた。

「先日のダンスでは、ごめんなさい。私、転んでしまって……エリス様にもご迷惑をおかけしました。今日はそのお詫びと、仲直りのしるしに、特別なワインをお持ちしたんです」

 仲直り?  貴女と?  あり得ない。  私の人生を破滅させようとした人間と、どの面下げて仲直りするというのか。

 ミリアは使用人からグラスを一つ取り、私に差し出した。

「これ、私の実家の領地で採れた、最高級のヴィンテージワインなんです。陛下にも献上したことがあるんですよ? ぜひ、乾杯させてください」

 笑顔。  完璧な営業スマイルだ。  断りにくい空気を作っている。  周囲も「おや、和解の申し出か」「男爵令嬢も反省したようだな」「公爵令嬢として、これを受けないわけにはいかないだろう」という雰囲気になっている。

 私は差し出されたグラスを見つめた。  濃い赤色の液体。  芳醇な香り。

 その瞬間。  私の脳裏に、前世の記憶が強烈にフラッシュバックした。

 あれは、学園の卒業パーティーだった。  ミリアが同じような笑顔で、「仲直りしましょう」とジュースを持ってきた。  私は素直にそれを受け取り、飲んだ。  その三十分後。  私は地獄の腹痛に襲われ、トイレに駆け込んだ。  しかしトイレのドアは外から鍵をかけられており、私は……。  その後の惨劇は、思い出すのもおぞましい。  ドレスを汚し、皆の前で恥をかき、「だらしない女」とアデルに軽蔑されたあの日。

(……同じだ)

 シチュエーションが酷似している。  謝罪と称して飲み物を勧める手口。  周りの目を気にして断れないようにする圧力。

 このワインには、何かが入っている。  間違いなく、下剤だ。  それも、最強クラスの即効性があるやつだ。

 もしこれを飲めば、私はこの王妃主催のパーティーで、取り返しのつかない醜態を晒すことになる。  「宰相の婚約者がお漏らし」なんて、社会的な死だ。処刑されるより恥ずかしい。

(絶対に、飲むものか!)

 私の背筋に悪寒が走ると同時に、強い拒絶の意志が湧き上がった。  私は手を後ろに組み、頑としてグラスを受け取らなかった。  無言で、ミリアを凝視する。  目は恐怖で見開かれているが、傍から見れば「射抜くような鋭い眼差し」に見えただろう。

 ミリアの笑顔が少し引きつった。

「ど、どうされたのですか? 受け取ってくださいよ。私の謝罪が受け入れられないのですか?」

 受け入れられません。  貴女が持ってくるものは、空気ですら吸いたくありません。

 私は首を横に振った。  ゆっくりと、しかし断固として。

 会場がざわめく。  公衆の面前で、和解の申し出を拒否したのだ。  これは「私は貴女を許さない」という強烈な意思表示となる。

「ひどい……! 私がこんなに下手にでているのに! やっぱりエリス様は、私をいじめるおつもりなんですね!」

 ミリアが大きな声を出した。  逆ギレだ。  「ほら、みんな見て! この女は冷酷よ!」とアピールしている。

 貴族たちも「少し大人げないのでは?」「形だけでも受け取ればいいのに」と囁き始める。  空気が悪い。  アウェイだ。

 でも、飲んだら社会的に死ぬ。  私は唇を噛み締め、石像のように固まったまま動かなかった。

 その時。

「――どうした、騒がしいな」

 人垣を割って、クラウス様が現れた。  救世主登場。  彼は私の青ざめた顔と、ミリアが差し出しているワイングラスを見て、瞬時に状況を分析した。

「ミリア嬢。……私の婚約者に、何を強要している?」

 冷たい声。  ミリアはビクリと震えたが、すぐに涙目で訴えた。

「強要なんて! 私はただ、お詫びのワインを勧めただけですぅ。でも、エリス様ったら、無視して受け取ってもくれないんです……」

 クラウス様は私を見た。  「なぜ受け取らないんだ?」という問いかけではない。  「何か理由があるんだな?」という信頼の眼差しだ。

 私は目で訴えた。  (これ、ヤバいです。絶対に飲みたくないです)

 クラウス様は私の瞳の奥にある「断固たる拒絶」と、微かな「恐怖」を読み取った。  そして、視線をミリアの持つグラスへと移した。

「……ほう。謝罪のワインか」

 彼はゆっくりとミリアに近づいた。  そして、彼女の手からグラスを取り上げた。

「エリスがこれほど頑なに拒むとは、珍しい。彼女は本来、寛容な女性だ。多少の無礼なら微笑んで許す。……だというのに、このワインには指一本触れようとしない」

 彼はグラスを光にかざし、液体を揺らした。

「まるで、本能的に『危険だ』と察知しているかのようだ」

 ドキッ。  ミリアの心臓の音が聞こえそうなほど、彼女の顔色が揺らいだ。

「き、危険だなんて……! 失礼な! ただのワインですよ!」

「ならば、君が飲んでみるといい」  クラウス様はグラスをミリアに差し出した。

「え?」

「君が口をつけて安全を証明すれば、エリスも安心して飲むだろう。……さあ、飲みなさい」

 ミリアが後退る。  飲めるわけがない。  これを飲んだら、数分後には自分が地獄を見ることになる。

「い、いえ、それはエリス様のために用意したもので……私が飲むわけには……」

「遠慮はいらない。乾杯とは、互いに杯を交わすものだ。君が飲まないのなら、私が毒見をしようか?」

 クラウス様がグラスを自分の口元に運ぼうとした。  あ、待って!  クラウス様が下痢になったら大変だ!  国の機能が麻痺してしまう!

 私は慌ててクラウス様の袖を引っ張った。  ブンブンと首を横に振る。  (ダメです! 飲まないで!)

 クラウス様は動きを止めた。  そして、私の必死な様子を見て、確信を深めたようだ。

「……なるほど。エリスが私を止めるということは、やはり『黒』か」

 彼はグラスを近くのテーブルにドンと置いた。  そして、近くにいた近衛騎士を呼んだ。

「このワインを調べろ。今すぐにだ」 「はっ!」

 騎士が試験紙のようなものを取り出し、ワインに浸す。  これは毒物検知用の魔法紙だ。

 ミリアの顔色が土気色になる。  「ま、待ってください! そんな大げさな!」

 数秒後。  試験紙が、どす黒い紫色に変色した。

 ざわっ……!!  会場に悲鳴が上がる。

「毒だ! 毒反応が出たぞ!」 「なんてことだ……!」 「和解の席で毒を盛ろうとしたのか!?」

 騎士が厳しい顔で報告する。  「閣下! これは『ルシファーの涙』と呼ばれる遅効性の劇薬です! 微量なら激しい腹痛と下痢を引き起こしますが、この量なら……脱水症状でショック死する恐れがあります!」

 え。  死ぬの?  ただの下剤じゃなくて、そんなヤバいものだったの?  ミリア、あんた私を殺す気だったのか、それとも分量間違えたのか。

 ミリアは腰を抜かしてへたり込んだ。

「ち、違う……! 私はただ、ちょっとお腹を壊させて、恥をかかせてやろうと……死ぬなんて……知らなかったのよぉぉ!」

 自白した。  完全に自白した。  しかも動機が「恥をかかせるため」という低俗なものだ。

 会場の空気が、ミリアに対する軽蔑と怒りで満たされる。  王妃陛下も、扇子で顔を隠しながら冷ややかに言い放った。

「……見下げた性根ですね。神聖な社交の場を、そのような悪意で汚すとは」

 クラウス様は、氷のような目でミリアを見下ろした。  怒りすら通り越して、ゴミを見る目だ。

「連行しろ。殺人未遂の容疑だ。……男爵家への沙汰も覚悟しておけ」

 衛兵たちがミリアを取り囲む。  彼女は半狂乱になって叫んだ。

「なんでよ! なんでバレたのよ! なんであんたは飲まないのよぉぉ! いっつもいっつも、黙ってすました顔して! 何がわかってるっていうのよぉぉ!!」

 ミリアの絶叫が遠ざかっていく。  彼女は最後まで、自分の愚かさに気づくことなく、破滅への道を転がり落ちていった。

 静寂が戻った会場で、クラウス様が私を抱きしめた。

「……エリス。無事でよかった」

 彼の腕が微かに震えている。  もし私が空気を読んで飲んでいたら。  今頃、私は死んでいたかもしれない。  そう思うと、私も膝の力が抜けて、彼にしがみついた。

「君の直感は、神の域だな」  クラウス様が感嘆のため息をつく。

「見ただけで毒を見抜くとは。……やはり君は、何らかの加護を受けた『本物』なのかもしれない」

 違います。  前世のトラウマです。  下剤への恐怖心が、危機回避能力を極限まで高めただけです。

 しかし、周囲の貴族たちは完全に「エリス様=予知能力者」説を信じ込んでしまった。

「毒杯を前にしても動じず、無言で拒否した……」 「言葉で騒ぎ立てず、ただ静かに悪を暴いたのだ」 「彼女の沈黙は、全てを見通す『神の沈黙』だ……」

 神格化が止まらない。  私はただ、お腹が痛くなるのが嫌だっただけなのに。

 その夜。  クラウス様の屋敷に帰った私は、彼にこれまで以上に溺愛されることになった。  食事は全て彼が毒見をしてから私の口へ運ぶ(あーん状態)という、過保護にも程があるプレイが始まったのだ。

「これからは水一滴たりとも、私の許可なく口にしてはいけない。……君を守るためだ」

 真剣な顔で言われたら、断れない。  私の「無言の聖女」ライフは、こうして「完全介護付き令嬢」ライフへと進化(退化?)しつつあった。

 そして。  ミリアという最大の敵が自爆したことで、物語は平和なラブコメへと移行する……はずだった。

 しかし、運命はそう簡単には私を休ませてくれない。  毒事件の捜査の過程で、ミリアが持っていた毒薬の出処が判明したのだ。  それは、単なる男爵令嬢が手に入れられるような代物ではなかった。

 背後に見え隠れする、闇の組織。  そして、隣国の影。

 私の「沈黙」が、国家規模の陰謀を暴く鍵となってしまうまで、あと少し。
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