『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人

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第10話:宰相のデレ(心の声ダダ漏れ編)

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 王妃陛下主催のガーデンパーティーで起きた「毒入りワイン未遂事件」は、瞬く間に王都中を駆け巡る大スキャンダルとなった。

 男爵令嬢ミリア・ベルガーの逮捕。  彼女の実家であるベルガー男爵家への家宅捜索。  そして、毒を見抜いて身を守った私、エリス・フォン・ローゼンに対する称賛の嵐。

 事件の翌日から、私の元には山のような手紙が届いた。  「貴女の勇気ある沈黙に感動しました」「悪に屈しない高潔な姿勢、見習いたいと思います」といった称賛の手紙に加え、なぜか「腹痛に効くお守り」とか「解毒作用のあるハーブティー」といった贈り物も大量に送られてきた。  みんな、私のことを「予知能力者」か「神の使い」だと思っている節があるが、実態はただの「下剤トラウマ持ちのビビリ」であることは、墓場まで持っていく秘密だ。

 そして、何より大きく変わったのは――。

「……エリス。口を開けて」

 宰相執務室。  私の目の前には、スプーンを持ったクラウス・ヴァン・アイゼンベルク閣下がいた。  スプーンの上には、プルプルと震える極上のプリンが乗っている。

「あ、あの……自分で食べられます」

 私が小声で(ジェスチャーを交えて)伝えようとするが、クラウス様は頑としてスプーンを引かない。

「ダメだ。私が毒味をしたもの以外、口にしてはならない。……君を失うリスクを、0.001パーセントでも残したくはないんだ」

 真剣な眼差し。  その瞳の奥には、先日の事件で私が死にかけていた(と彼が思っている)ことへの恐怖が、未だに色濃く残っていた。

 彼は私がプリンを食べるのを見届けると、満足げに頷き、ハンカチで私の口元を拭った。  過保護だ。  過保護すぎる。  この一週間、私は食事のたびにこの「あーん」を強要されている。  最初は恥ずかしくて死ぬかと思ったが、人間とは恐ろしいもので、慣れてくると「楽でいいな」と思い始めている自分がいる。  ダメ人間への道まっしぐらだ。

「美味しいか?」  問いかけに、私はコクコクと頷く。  クラウス様はそれを見て、蕩けるような笑顔を見せた。

「そうか。君が美味しそうに食べていると、私も幸せだ。……さて、仕事に戻ろう」

 彼は瞬時に表情を引き締め、鬼の形相で書類の山に向き直った。  その切り替えの早さには舌を巻く。  周りの文官たちは、「閣下のデレタイムが終わった……」「また地獄の業務が始まる……」と戦々恐々としているが、私にとっては、彼の背中を見ているこの時間が一番落ち着くようになっていた。

          ◇

 その日の夜。  仕事を終えた私たちは、帰宅のために馬車に乗り込んだ。

 宰相家の馬車は、防音・防振に優れた最高級品だ。  扉が閉まると、外の喧騒がふっつりと途切れ、完全な二人きりの空間になる。  窓の外には、冬の夜空が広がっている。  馬車の揺れは心地よく、私は一日の疲れからか、少しうとうとしていた。

 隣にはクラウス様がいる。  いつもなら、移動中も書類に目を通したり、明日のスケジュールの確認をしたりしているのだが、今夜の彼は違っていた。  何もせず、ただじっと座っている。  そして、その視線はずっと私に向けられていた。

(……視線が熱い)

 私は気まずくなって、狸寝入りを決め込むことにした。  目を閉じ、頭を窓枠にもたせかける。  寝息を立てるふりをする。

 すると、ガタン、と馬車が小さく揺れた。  私の頭が窓枠にぶつかりそうになる。  痛っ、となるはずだったが、その前に温かい手が私の頭を支えた。

「……危ないな」

 低い声が耳元で響く。  クラウス様だ。  彼は私の頭を優しく引き寄せ、自分の肩に乗せた。  硬い肩の感触。  上質な生地の肌触り。  そして、彼の体温がじんわりと伝わってくる。

 私は心臓が跳ねるのを必死に抑えながら、寝たふりを続けた。  ここで起きたら気まずい。  このまま、屋敷に着くまで寝たふりを貫こう。

 しかし、クラウス様は私が起きていることに気づいていないのか、あるいは寝ていると思っているからこそなのか、ポツリと独り言を漏らした。

「……本当に、無事でよかった」

 その声は、いつもの自信に満ちた宰相の声ではなかった。  弱々しく、震えるような、迷子の子供のような声だった。

「あの時、君が毒を口にしていたらと思うと……心臓が凍りつきそうになる。君を失うかもしれないという恐怖が、未だに私を苛むんだ」

 え。  そんなに?  私は薄目を開けたい衝動に駆られたが、我慢した。

 クラウス様の手が、私の髪を梳くように撫でる。  優しい手つきだ。  まるで壊れ物を扱うような慎重さで。

「私は今まで、誰も愛さずに生きてきた。言葉は嘘をつく道具であり、人は利益のために裏切る生き物だと思っていたからだ。……だが、君は違う」

 彼の独白は続く。  普段、誰にも見せない心の内を、眠っている(と思っている)私にだけ吐露するように。

「君の沈黙には、嘘がない。君の行動には、打算がない。ただ純粋に、私の安らぎとなり、私の過ちを正してくれる。……君に出会って初めて、私は『守りたい』と心から思える存在を得た」

 買いかぶりすぎです。  打算ならあります。処刑されたくないという一心です。  でも、そんな私の卑屈な心の声など届くはずもなく、クラウス様の言葉は熱を帯びていく。

「エリス。……愛している」

 ドキッ!!  心臓が爆発するかと思った。  愛している。  その言葉の響きが、あまりにも甘く、重く、私の胸に突き刺さった。

 前世でアデルに言われた「好きだよ」とは、重みが違う。  アデルの言葉は軽かった。アクセサリーを褒めるような感覚だった。  でも、クラウス様の言葉は、魂の底から絞り出されたような切実さがある。

 彼は私の肩を抱く腕に力を込めた。  ギュッ、と抱きしめられる。  苦しい。  でも、嫌じゃない。

 私は緊張で身体が強張った。  金縛りのように動けない。  それがまた彼には「無言で身を委ねている」と解釈されたようだ。

「……起きているのか?」

 ハッ。  バレた?

「いや、寝ているのか。……この身を委ねる信頼感。私の腕の中で、君はこんなにも無防備になってくれるのだな」

 セーフ。  まだ寝ている判定だ。  私はホッとして、力を抜いた。

 クラウス様は私の頭に頬を寄せ、さらに深く抱きしめた。  彼の吐息が首筋にかかる。  くすぐったい。  でも、彼の匂いに包まれていると、不思議なほど安心する。

「ずっと、こうしていたい。……国も、政治も、全てを忘れて。君と二人だけの世界に閉じこもりたい」

 あの仕事中毒(ワーカーホリック)の宰相閣下が、そんなことを言うなんて。  相当参っているらしい。  それだけ、今回の毒事件がショックだったのだろうか。

 私は彼の腕の中で、少しだけ申し訳ない気持ちになった。  私はただ、自分の身を守るために必死だっただけなのに。  彼をこんなに心配させてしまった。

(……ごめんなさい、クラウス様)

 私は心の中で謝りながら、無意識に彼の上着の裾を掴んでいた。  ギュッ。  小さく握りしめる。

 すると、クラウス様の身体がピクリと反応した。

「……!」

 彼は私の手を見た。  そして、私の顔を覗き込んだ。

「エリス?」

 私は観念して、ゆっくりと目を開けた。  至近距離に、彼の美しい顔がある。  灰色の瞳が、揺れていた。  驚きと、喜びと、そして隠しきれない情熱を湛えて。

 私は何も言えず、ただ彼を見つめ返した。  言葉が出てこない。  「起きてました」と言うのも恥ずかしいし、「聞いてました」と言うのも気まずい。  だから、いつものように無言で、少しだけ微笑んでみせた。  引きつった笑いではなく、自然な笑みが浮かんだ気がした。

 クラウス様は息を呑んだ。

「……聞いていたのか?」

 私は小さく頷く。  彼の顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。  あの「氷の閣下」が、耳まで真っ赤にして照れている。  可愛い。  不覚にも、そう思ってしまった。

「忘れてくれ。……いや、忘れないでくれ」

 彼は片手で顔を覆い、呻くように言った。  普段の冷静沈着な彼からは想像もできない、人間味あふれる姿。

「本音だ。……君の前だと、私は理性を保てなくなる。格好悪いところばかり見せているな」

 そんなことないです。  貴方はいつも完璧で、怖いくらい格好いいです。  たまにこうして崩れるところが、逆にズルいです。

 私は無言のまま、彼の膝の上で(いつの間にか乗せられていた)、彼の手を両手で包み込んだ。  私の手は小さいけれど、彼の大きな手を温めることはできる。  ギュッ、と握る。

 クラウス様は顔を覆っていた手を外し、私を見た。  その瞳は、もう迷っていなかった。

「エリス。……キスをしてもいいか?」

 えっ。

 直球すぎる。  ここで「はい」と言うのは恥ずかしい。  「いいえ」と言うのは嘘になる。  だから私は、黙って目を閉じた。

 沈黙は肯定。  彼はそう教えてくれたから。

 ふわり、と唇に柔らかい感触が触れた。  ほんの一瞬。  触れるだけの、優しいキス。  でも、それはどんな情熱的なキスよりも、私の心を揺さぶった。

 離れていく彼の気配に、名残惜しさを感じている自分がいた。  目を開けると、クラウス様は今までで一番優しい顔で笑っていた。

「……甘いな。君の沈黙は」

 私の心臓は、もう限界だった。  ときめき?  これが、ときめきなの?  今まで恐怖でドキドキすることはあっても、こんなふうに胸がキュンとするのは初めてだ。

(この人、本当に私のこと好きなんだ……)

 疑いようのない事実として、それが腑に落ちた。  勘違いから始まった関係だけれど。  私が「無言」を貫いているうちに、彼の中で私は理想化されてしまったけれど。  それでも、今、目の前にいる彼は、私自身を見てくれている気がした。

 馬車が止まった。  屋敷に到着したようだ。  御者が扉を開ける音がする。

 クラウス様は瞬時にいつもの「宰相の顔」に戻り、私の手を取ってエスコートしてくれた。  でも、繋いだ手のひらの汗ばんだ熱さが、先ほどの甘い時間の余韻を物語っていた。

          ◇

 事件から数日後。  王宮の地下牢。  湿った石壁に囲まれた独房に、かつて華やかなドレスを纏っていた少女がうずくまっていた。

 ミリア・ベルガー。  毒殺未遂の罪で収監された彼女は、やつれ果てていた。  自慢のピンクブロンドはボサボサになり、瞳からはかつての輝きが消えている。

「……出して。ここから出してよ」

 彼女は鉄格子を掴み、力なく揺すった。  しかし、看守たちは見向きもしない。  「宰相閣下の婚約者を狙った大罪人」として、彼女への扱いは冷徹そのものだった。

 カツ、カツ、カツ。  足音が近づいてくる。  ミリアが顔を上げると、そこには黒いフードを被った人物が立っていた。  看守ではない。  どこから入ってきたのか、音もなく現れた謎の人物。

「誰……?」  ミリアが掠れた声で問う。

 フードの人物は、鉄格子の隙間から一枚の紙を差し出した。  そこには、奇妙な紋章が描かれていた。  双頭の蛇が絡み合う、不気味な紋章。

「ミリア・ベルガー。……貴様に取引を持ちかけに来た」  低く、性別すら判然としない声。

「取引……?」

「そうだ。貴様はエリス・フォン・ローゼンを憎んでいるな? 彼女を破滅させたいと願っているな?」

 ミリアの瞳に、憎悪の炎が再燃する。  「当たり前よ! あいつのせいで私は……!」

「ならば、力を貸そう。我々もまた、あの国と、あの宰相を疎ましく思っている」

 フードの人物は、小さな小瓶を取り出した。  それは以前、ミリアが使った毒とは違う。  もっと禍々しい、黒い液体が入っていた。

「これは『コキュートスの雫』。……ただの毒ではない。もっと広範囲に、もっと確実に、国を揺るがす災厄をもたらすものだ」

「それを……私にどうしろって言うの?」

「貴様にはまだ、利用価値がある。……ここから出してやる代わりに、我々の手駒になれ」

 鉄格子の鍵が、音もなく開いた。  ミリアはごくりと唾を飲み込んだ。  これは悪魔の誘いだ。  乗れば二度と戻れない。  しかし、彼女の心の中にあるエリスへの復讐心は、理性を遥かに凌駕していた。

「……やるわ。エリスを地獄に落とせるなら、なんだってやってやる」

 ミリアは黒い小瓶をひったくるように受け取った。  その顔には、狂気じみた笑みが張り付いていた。  一度は潰えたはずの悪意が、より強大で危険なものとなって蘇ろうとしていた。

          ◇

 一方、そんなこととは露知らず。  私はクラウス様の屋敷で、平和な(?)日々を送っていた。

「エリス、今日は天気がいいから街へ出かけようか。もちろん、お忍びで」 「……(コクッ)」

 休日のデート。  変装をして城下町を歩くことになった。  クラウス様は眼鏡をかけ、髪を下ろしている。それだけで雰囲気がガラリと変わり、知的な大学生のように見える。  私はフードを目深に被り、彼の腕にしっかりとしがみつく。

 街は賑わっていた。  市場には活気があり、人々の笑顔が溢れている。  平和だ。  宰相としてのクラウス様の統治が行き届いている証拠だ。

「この平和を守るのが、私の仕事だ。……そして、君の笑顔を守るのが、私の生き甲斐だ」  彼はクレープを買ってきて、またしても「あーん」をしてくれた。  街中でもやるのか。  恥ずかしいけれど、美味しいから許す。

 しかし。  ふと、路地裏から嫌な風が吹いた気がした。  生臭いような、腐ったような臭い。

 私は足を止めた。  鼻を押さえる。

「どうした、エリス?」  クラウス様が心配そうに覗き込む。

 私は無言で、路地裏の奥を指差した。  そこに何があるのかはわからない。  でも、本能が「近づくな」と警鐘を鳴らしている。  あるいは、前世の記憶――処刑前に流行った「謎の疫病」の記憶が、微かに疼いたのかもしれない。

 クラウス様は私の指差す方向を鋭い目で見つめた。

「……あそこは、スラム街に続く道だ。何か気になるのか?」

 私は首を横に振った。  ただ、臭かっただけかもしれない。  気のせいだと思いたかった。

 でも、その時、路地の奥からゴホゴホという激しい咳の音が聞こえてきた。  それは、単なる風邪の咳ではなかった。  もっと深く、肺の底から絞り出すような、不気味な音。

 クラウス様の表情が険しくなる。

「……行こう、エリス。ここは空気が悪い」

 彼は私を庇うようにして、足早にその場を離れた。  でも、私は背中に冷たいものを感じていた。

 平和な日常の裏側で、何かが始まろうとしている。  ミリアの影。  謎の病。  そして、隣国の動き。

 私の「沈黙」が、再び試される時が近づいていた。  でも、今はまだ、隣にいる彼の温もりだけを信じていたかった。
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