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39話「触れない優しさ」
聖祭が終わり、神殿からの帰り道。
セレナとオスカーを乗せた馬車は、雪明りに照らされた静かな夜の街道を進んでいた。
車内には暖房石の柔らかな熱気が満ちていたが、外の冷え込みは厳しく、窓ガラスは白く曇っている。
車輪が雪を踏みしめる規則正しい音だけが、心地よい子守唄のように響いていた。
「……少し、顔色が悪いな。疲れたか」
向かいの席に座るオスカーが、低く静かな声で尋ねた。
「いえ、大丈夫です。ただ、少し……緊張の糸が切れたのかもしれません」
セレナは弱く微笑み、手袋越しの指先で自分のこめかみを軽く押さえた。
エリゼ誓約官から証言書の誓約印を得たことで、最も重い関門を一つ突破できた。その安堵感が、隠していた疲労を一気に表面へと引きずり出していた。
「無理もない。王都からの手紙の対処に、今日の神殿での表彰と誓約。お前は少し、背負い込みすぎだ」
オスカーの言葉に、セレナは反論できずに視線を落とした。
馬車の揺れに合わせて、まぶたがひどく重くなっていく。意識を保とうとすればするほど、暖房石の温もりが心地よく体を包み込み、深い微睡みの中へ引きずり込もうとする。
(いけない……閣下の前で、眠るなんて……)
気を張ろうとしたものの、セレナの頭はこくりと小さく揺れ、ついに静かな寝息を立て始めた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ふと、肩に重く温かいものが掛けられる感触で、セレナは微かに意識を取り戻した。
薄く目を開けると、すぐ目の前にオスカーの広い肩があった。
彼は自分の分厚い毛皮の外套を脱ぎ、向かいの席から身を乗り出して、セレナの肩をすっぽりと包み込むように掛けてくれたのだ。
獣の毛皮の匂いと、彼の微かな体温。
今まで誰も与えてくれなかった、絶対的な安心感がそこにあった。
オスカーの大きな手が、外套の襟元を直すためにセレナの頬のすぐ近くまで伸びてくる。
ゴツゴツとした、剣ダコのある指先。
その指が、もし自分の頬に触れたら。
セレナの胸が、ぎゅっと締め付けられるように高鳴った。
呼吸が浅くなり、自分の鼓動の音が馬車の車輪の音よりも大きく聞こえるような気がした。
だが、オスカーの指先は、セレナの肌に触れる数ミリ手前でピタリと止まった。
彼は眠っている(と思っている)彼女の顔を静かに見下ろした後、何かに耐えるようにゆっくりと手を引き、音もなく元の席へと戻っていった。
セレナは目を閉じたまま、外套の下で強く両手を握りしめた。
触れなかった。
それは、彼が彼女を単なる女性としてではなく、一人の対等な人間として、その尊厳を深く尊重しているからこその距離感だった。
軽薄に触れてこないその誠実さが、何よりも甘く、そしてひどくもどかしくセレナの心を揺さぶる。
(私……)
自分が彼に対して抱いている感情が、単なる恩義や信頼の枠を越えようとしていることを、セレナはもう否定できなかった。
馬車は静かに夜の雪道を進んでいく。
二人の間にある、触れられない数十センチの距離。その空白の空間には、言葉にするにはまだ早すぎる、熱を帯びた感情が確かに満ちていた。
セレナとオスカーを乗せた馬車は、雪明りに照らされた静かな夜の街道を進んでいた。
車内には暖房石の柔らかな熱気が満ちていたが、外の冷え込みは厳しく、窓ガラスは白く曇っている。
車輪が雪を踏みしめる規則正しい音だけが、心地よい子守唄のように響いていた。
「……少し、顔色が悪いな。疲れたか」
向かいの席に座るオスカーが、低く静かな声で尋ねた。
「いえ、大丈夫です。ただ、少し……緊張の糸が切れたのかもしれません」
セレナは弱く微笑み、手袋越しの指先で自分のこめかみを軽く押さえた。
エリゼ誓約官から証言書の誓約印を得たことで、最も重い関門を一つ突破できた。その安堵感が、隠していた疲労を一気に表面へと引きずり出していた。
「無理もない。王都からの手紙の対処に、今日の神殿での表彰と誓約。お前は少し、背負い込みすぎだ」
オスカーの言葉に、セレナは反論できずに視線を落とした。
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(いけない……閣下の前で、眠るなんて……)
気を張ろうとしたものの、セレナの頭はこくりと小さく揺れ、ついに静かな寝息を立て始めた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ふと、肩に重く温かいものが掛けられる感触で、セレナは微かに意識を取り戻した。
薄く目を開けると、すぐ目の前にオスカーの広い肩があった。
彼は自分の分厚い毛皮の外套を脱ぎ、向かいの席から身を乗り出して、セレナの肩をすっぽりと包み込むように掛けてくれたのだ。
獣の毛皮の匂いと、彼の微かな体温。
今まで誰も与えてくれなかった、絶対的な安心感がそこにあった。
オスカーの大きな手が、外套の襟元を直すためにセレナの頬のすぐ近くまで伸びてくる。
ゴツゴツとした、剣ダコのある指先。
その指が、もし自分の頬に触れたら。
セレナの胸が、ぎゅっと締め付けられるように高鳴った。
呼吸が浅くなり、自分の鼓動の音が馬車の車輪の音よりも大きく聞こえるような気がした。
だが、オスカーの指先は、セレナの肌に触れる数ミリ手前でピタリと止まった。
彼は眠っている(と思っている)彼女の顔を静かに見下ろした後、何かに耐えるようにゆっくりと手を引き、音もなく元の席へと戻っていった。
セレナは目を閉じたまま、外套の下で強く両手を握りしめた。
触れなかった。
それは、彼が彼女を単なる女性としてではなく、一人の対等な人間として、その尊厳を深く尊重しているからこその距離感だった。
軽薄に触れてこないその誠実さが、何よりも甘く、そしてひどくもどかしくセレナの心を揺さぶる。
(私……)
自分が彼に対して抱いている感情が、単なる恩義や信頼の枠を越えようとしていることを、セレナはもう否定できなかった。
馬車は静かに夜の雪道を進んでいく。
二人の間にある、触れられない数十センチの距離。その空白の空間には、言葉にするにはまだ早すぎる、熱を帯びた感情が確かに満ちていた。
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