『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人

文字の大きさ
30 / 31

第三十話「私は逃げない(そして、愛してる)」

北方の地に、遅い春が訪れようとしていた。 窓の外に降り積もっていた分厚い雪が、日差しの温もりに溶かされ、雫となって軒先から滴り落ちる。 その音は、まるで長い冬の終わりを告げる時計の針のようだった。

「……奥様。王都より、早馬が到着いたしました」

執事のギルベルトが、銀盆に載せた一通の書状を運んできた。 その封蝋には、国王陛下の紋章が押されている。 私はティーカップを置き、ゆっくりとその封を切った。

中身は、先日の騒動に対する「沙汰」を伝えるものだった。

『元王太子ルドルフを廃嫡とし、北方の修道院へ幽閉とする。  元男爵令嬢リディア・バーンズは、実家の国家反逆罪への加担により、国外追放とする』

短く、淡々とした文章。 けれど、その行間には、国を揺るがす愚行を犯した者たちへの、冷徹な断罪が込められていた。

「……そうですか」

私は書状を畳み、暖炉の火へと放り込んだ。 紙が燃え上がり、灰となって崩れ落ちる。 かつて私を「悪役令嬢」と罵り、陥れた者たちの末路。 ざまぁみろ、と笑う気にもならなかった。 彼らはもう、私の人生にとってはどうでもいい「過去」の塵に過ぎないからだ。

「これで、憂いはなくなりましたな」

ギルベルトが静かに紅茶を注ぎ足す。

「ええ。もう誰も、私たちの平穏を邪魔する者はいません」

私は窓の外、光り輝く庭を見下ろした。 あの日、腐竜との戦いで荒れ果てた庭は、領民たちと子供たちの手によって、見違えるように綺麗に修復されていた。 まだ花は咲いていないけれど、土の下では新しい命が芽吹きの時を待っている。

「……クラリス」

背後から、愛しい人の声がした。 振り返ると、執務を終えたレオンハルト様が立っていた。 いつもの軍服ではなく、柔らかなリネンのシャツ姿。 その表情は、かつての「氷の公爵」の面影はなく、春の日差しのように穏やかだ。

「お仕事は終わりましたの?」

「ああ。……君に会いたくて、早めに切り上げてきた」

レオンハルト様は躊躇なく私に歩み寄り、背後から抱きしめた。 以前なら考えられないほど、自然で、甘やかなスキンシップ。 彼の腕の中にすっぽりと包まれると、安心感で胸がいっぱいになる。

「……手紙、読んだか?」

「ええ。陛下のご決断、拝見しました」

「そうか。……あいつらも、北の寒さを知れば、少しは反省するだろう」

彼は私の肩に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。

「だが、そんなことはどうでもいい。……クラリス、君に聞きたいことがある」

「何でしょう?」

「君がこの家に来た日、言っていたな。『三人の子供からママと呼ばれるまで、私は逃げない』と」

ドキリとした。 確かに、私はそう宣言した。 あの時は、それが途方もない挑戦のように思えたけれど。

「ノアは君をママと呼び、ミレイユも泣きながら呼んだ。アルフォンスも、雪原で君を母上と呼んだ」

レオンハルト様の腕に、少しだけ力がこもる。

「……契約は、満たされた。君の目標は達成されたわけだ」

彼の声が、微かに震えていた。

「だから……君はもう、自由だ。この家を出て行くことも、王都へ戻って新たな人生を歩むこともできる。……君はどうしたい?」

不安なのだ。 私が「義務」や「意地」だけでここにいたと思い、目標を達成した今、去ってしまうのではないかと恐れているのだ。 なんて不器用で、愛おしい人だろう。

私は彼の手を解き、くるりと振り返った。 そして、彼のアイスブルーの瞳を真っ直ぐに見つめ、悪戯っぽく微笑んだ。

「自由、ですか。それは魅力的ですね」

レオンハルト様の顔色がさっと変わる。

「……っ」

「王都に戻れば、もう『悪役令嬢』ではなく『国の救世主』としてチヤホヤされるかもしれませんわ。新しいドレスも買い放題、夜会で踊り明かすのも楽しそうです」

「クラリス……」

「でも」

私は彼のアスコットタイを指で整えながら、言葉を続けた。

「私には、どうしても離れがたい場所があるのです」

「……それは、どこだ?」

「世界で一番、不器用で、優しくて、温かい旦那様がいる場所です」

私が告げると、レオンハルト様は目を見開き、それから顔をくしゃりと歪めて、私を強く抱きしめた。

「……愛している。誰にも渡さない」

「はい。私も愛しております、レオンハルト様」

私たちは、窓から差し込む陽光の中で、誓いの口づけを交わした。 甘く、長く、そして深い口づけ。

その時だった。

「あーっ!! パパとママ、またチューしてるー!!」

ドアがバーン! と開かれ、元気な声が飛び込んできた。 ノア様だ。 その後ろから、ミレイユ様とアルフォンス様も続いて入ってくる。

「もー、パパったら! ママは私たちが使うんだから、独り占めしないでよ!」

ミレイユ様が頬を膨らませて抗議する。

「父上、教育上よろしくありません。……鍵くらいかけてください」

アルフォンス様が呆れたように、でも顔を赤くして言う。

私たちは慌てて離れた。 レオンハルト様は咳払いをし、私は扇子で顔を仰ぐ。

「こ、コホン。……なんだ、お前たち。揃いも揃って」

「あのね、ママに見せたいものがあるの!」

ノア様が私の手を取り、ぐいぐいと引っ張る。

「温室! お花が咲いたの!」

「え? もう?」

私は子供たちに手を引かれ、中庭の温室へと向かった。 ガラス張りの温室に入ると、むっとするほどの湿気と、甘い香りが満ちていた。 そして、中央の水盤には。

「わあ……」

一輪の、純白の睡蓮が咲いていた。 『白睡蓮』。 私がこの屋敷に来てから、ずっと大切に育ててきた花。 夜泣きするノア様のために、香りを使い、ミレイユ様のために刺繍の図案にし、アルフォンス様のために薬にした花。

それが、見事な大輪の花を咲かせていた。

「きれい……」

「これ、ママの花だよね?」

ノア様が水盤の縁に手をかけて見上げる。

「ええ。……家族を守る、祈りの花です」

私が答えると、ミレイユ様が私のスカートの裾をちょんちょんと引っ張った。

「ねえ、クラリス様。……ううん、ママ」

彼女は少し照れくさそうに、でもはっきりと呼んだ。

「ありがとう。……来てくれて」

「……母上」

アルフォンス様も、私の隣に立った。 もう十歳だけれど、今は甘えるような顔をしている。

「僕たち、ママが来てくれて、本当に良かった。……ずっと、ずっと、ここにいてくれますか?」

三人の子供たちが、私を見上げている。 不安と、期待と、そして絶対的な信頼を込めた瞳。 「ママ」と呼ばれる日。 それはゴールではなく、ここから始まる長い日々のスタートラインだったのだ。

私はしゃがみ込み、三人をまとめて抱きしめた。 レオンハルト様も背後から、私たち全員を大きな腕で包み込む。

「ええ。約束します」

私は、かつてこの屋敷の門を叩いた日と同じ言葉を、でも全く違う意味を込めて紡いだ。

「私は逃げません。……だって、ここが私の家で、あなたたちが私の宝物なのですから」

温室の中に、温かい笑い声が響く。 ノア様が私の頬にキスをし、ミレイユ様がレオンハルト様の背中に飛び乗り、アルフォンス様が幸せそうに微笑む。

悪役令嬢と呼ばれた女は、もういない。 ここにいるのは、三人の子供たちと、一人の愛する夫に囲まれた、世界で一番幸せな「ママ」だけだ。

「さあ、今日のおやつは何にしましょうか?」

「クッキー!」 「アップルパイ!」 「ママのホットケーキ!」

「ふふ、じゃあ全部焼きましょうか」

「やったー!」

私たちは手を繋ぎ、光溢れる温室を出て、食堂へと向かった。 長い冬は終わり、グレイフ公爵家には、永遠に終わらない温かい春が訪れていた。

(――完)

あなたにおすすめの小説

愛人を連れて帰ってきた翌朝、名前すら呼ばれなかった私のもとに王太子殿下が迎えに来ました 〜三年間冷遇された妻、今は毎日名前を呼ばれています〜

まさき
恋愛
侯爵家に嫁いで三年。 夫に名前を呼ばれたことは、一度もなかった。 社交の場ではただ隣に立つだけ。 屋敷では「妻」としてすら扱われない。 それでも、いつかは振り向いてもらえると信じていた。 ――けれど、その期待はあっさりと壊れる。 夫が愛人を伴って帰宅した、その翌朝。 私は離縁状を残し、静かに屋敷を出た。 引き止める者は、誰もいない。 これで、すべて終わったはずだった―― けれどその日、私のもとに現れたのは王太子殿下。 「やっと手放してくれたか。三年も待たされました」 幼い頃から、ただ一人。 私の名前を呼び続けてくれた人。 「――アリシア」 その一言で、凍りついていた心がほどけていく。 一方、私を軽んじ続けた元夫は、 “失ってはいけないもの”を手放したことに、まだ気づいていない。 これは、三年間名前を呼ばれなかった私――アリシアが、 本当の居場所と愛を取り戻す物語。

婚約破棄された冷遇令嬢は、辺境の台所で幸せを煮込む〜無自覚な精霊の愛し子は極上スープで氷の旦那様を溶かし、激甘に溺愛される〜

黒崎隼人
恋愛
家族から冷遇され、唯一の自己表現である料理を心の拠り所として生きてきた侯爵令嬢ヴィオラ。 彼女はある日、王太子である婚約者から無実の罪を着せられ、婚約破棄と同時に極寒の北方辺境へと追放されてしまう。 嫁ぎ先は、妻を亡くして心を閉ざした「氷の辺境伯」レオンハルト。 愛のない政略結婚、厳しい自然環境。 しかしヴィオラは絶望することなく、持ち込んだ小さな包丁を手に辺境の台所に立つ。 彼女が無自覚に作る温かなスープは、精霊たちを惹きつける「大愛し子」としての奇跡の力が宿っていた。 その極上の味わいは、心を閉ざしていた幼い義娘エルナの笑顔を取り戻し、不器用で無愛想なレオンハルトの凍てついた心を静かに溶かしていく。 一方、ヴィオラの真実に気づき激しく後悔する王太子や、彼女の力を狙う王都の権力者たちが動き出す。 しかし、辺境の大地と精霊たち、そして何より彼女を愛する家族が、ヴィオラを手放すはずがなかった。 「あなたが辺境に来てから、私の止まっていた時間は動き出した」 これは、すべてを諦めていた少女が、辺境の台所から温かな居場所と真実の愛を手に入れるまでの、美味しくて心温まる奇跡の物語。

婚約破棄されたので、隠していた力を解放します

ミィタソ
恋愛
「――よって、私は君との婚約を破棄する」  豪華なシャンデリアが輝く舞踏会の会場。その中心で、王太子アレクシスが高らかに宣言した。  周囲の貴族たちは一斉にどよめき、私の顔を覗き込んでくる。興味津々な顔、驚きを隠せない顔、そして――あからさまに嘲笑する顔。  私は、この状況をただ静かに見つめていた。 「……そうですか」  あまりにも予想通りすぎて、拍子抜けするくらいだ。  婚約破棄、大いに結構。  慰謝料でも請求してやりますか。  私には隠された力がある。  これからは自由に生きるとしよう。

姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています

もちもちほっぺ
恋愛
侯爵家の地下室に住み、姉の食べかけで飢えをしのぎ、婚約者には初対面で「老婆のようだ、姉の方がよかった」と言われた令嬢リリアーナ。 ある日その婚約者に問答無用で公爵邸に連れ帰られた。 庭の恵みを口にするたびに肌が輝き、髪が艶めき、体に力が満ちていく。首に巻いたお守りの秘密、十数年続く国の不作の真実、虐げられ続けた令嬢の出生の謎。 全てが明かされる時、地下室令嬢の逆転劇が始まる。 なお婚約者は今日も庭でグルメリポートを最後まで聞いている。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。  しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。  冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!  わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?  それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

【完結】白い結婚を終えて自由に生きてまいります

なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」 公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。 忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。 「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」 冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。 彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。 一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。 これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。