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第四話 甘やかし屋敷、仕様が過剰
翌朝。 私は小鳥のさえずりではなく、包み込まれるような幸福感の中で目を覚ました。
「……んぅ」
目を開けると、そこは見慣れない天井――ではなく、昨日案内された私の「城」だった。 窓からは柔らかな朝陽が差し込み、ペールブルーの壁紙を優しく照らしている。
体を起こして、私は驚愕した。 体が、軽い。 まるで羽が生えたかのように軽いのだ。
「おはようございます、お嬢様。素晴らしいお目覚めのようですね」
タイミングよく、エマが洗面器を持って入ってきた。
「おはよう、エマ。……何だか、怖いくらい体調がいいのだけれど」
「無理もありません。このベッドには、最高級の『安眠魔法』と『疲労回復の術式』が多重に掛けられているそうですよ」
「……へ?」
私は慌ててシーツをめくった。 見た目は普通の高級な羽毛布団だが、よく見ると生地の織り目に微細な魔法陣が刺繍されている。
「クロード様が仰っていました。『睡眠は人生の三分の一を占める。その質を最大化することは、起きている時間の幸福度に直結する』と」
「な、なるほど……?」
言っていることは正しいけれど、寝具に国家機密レベルの術式を組み込むのはどうなのだろう。 おかげで、十二年分の「社畜疲労」が嘘のように消え去っている。 肩こりも、目の奥の痛みも、何もない。
「さあ、お着替えを。朝食の準備が整っております」
エマがクローゼットを開けると、そこには私のサイズに仕立てられたドレスがずらりと並んでいた。 しかも、どれも王宮で着させられていた窮屈なコルセット付きのものではなく、肌触りの良いシルクやモスリンを使った、動きやすく可愛らしいデザインのものばかりだ。
「これも……クロード様が?」
「はい。『家の中ではリラックスできるように』とのことです」
私は淡いラベンダー色のドレスを選び、袖を通した。 締め付けがない。呼吸が楽だ。 鏡に映った自分は、いつもより顔色が良く、表情も柔らかく見えた。
◇
一階の食堂へ降りると、すでにクロード様が席に着いて新聞を読んでいた。 朝の光の中、コーヒーカップを片手に持つ姿は、一枚の絵画のように美しい。
「おはよう、レティシア。よく眠れたか?」
私の足音に気づき、彼が新聞を畳んで微笑む。 その笑顔の破壊力に、朝から心臓が変な音を立てた。
「おはようございます、クロード様。おかげさまで、こんなにぐっすり眠れたのは生まれて初めてかもしれません。……その、ベッドの魔法には驚きましたが」
「効果があったなら何よりだ。開発に三ヶ月かけた甲斐があった」
「開発!? あのベッド、特注なんですか?」
「当然だ。市販品では君の疲労回復には不十分だと判断した」
さらりと言ってのけるこの公爵様は、私のためにどれだけのリソースを割いているのだろう。
席に着くと、テーブルの上には彩り豊かな朝食が並べられた。 焼き立てのパン、ふわふわのスクランブルエッグ、新鮮な果物、そして私の大好物であるハーブソーセージ。
「君の好みは、実家の料理人から聞き出したデータに基づいている。味はどうだ?」
「……美味しいです。すごく」
一口食べて、私は感動に震えた。 実家でも食べたことのないような、洗練された味だ。 私の好みを知り尽くした上で、さらに一段階上の美味しさに昇華されている。
「そうか。では、食べながら今日の予定を確認しよう」
クロード様が指を鳴らすと、控えていた執事のセバスが恭しく一枚の紙を差し出した。 スケジュール表だ。 私は反射的に背筋を伸ばした。 王太子妃候補だった頃は、朝食の席でその日の分刻みの公務スケジュールを確認するのが日課だったからだ。 「午前中は予算会議、午後は慈善事業の視察、夜は舞踏会……」といった地獄の予定表を覚悟して、私は紙を受け取った。
しかし。
そこに書かれていたのは、予想の斜め上を行く内容だった。
【本日のレティシア嬢のスケジュール】 09:00 - 10:30 朝食および食後のティータイム(厳守) 10:30 - 12:00 庭園散策、または読書(自由選択) 12:00 - 13:30 昼食(専属シェフによる新作試食会) 13:30 - 15:00 お昼寝(推奨)、または入浴 15:00 - 16:30 アフタヌーンティー(市内の人気店のケーキを用意) 16:30 - 18:00 クロードとの歓談(希望があれば) 18:00 - 夕食および自由時間
「……あの、クロード様」
「何だ? 詰め込みすぎたか? ならば庭園散策を削って、二度寝の時間に充ててもいいが」
「違います! 逆です! ……仕事は? 勉強は? これではただの『怠惰な一日』ではありませんか!」
私が訴えると、クロード様は不思議そうに首を傾げた。
「怠惰? いいや、これは『必要な休息』だ。君は今まで働きすぎた。人間が正常な判断力と精神状態を保つためには、意識的な休息が不可欠だ」
「で、でも……私、何も生産していませんよ? ただ食べて寝て遊ぶだけなんて、罪悪感が……」
染み付いた社畜根性が疼く。 働かざる者食うべからず、と教育されてきたのだ。
すると、クロード様は真剣な眼差しで私を見据えた。
「レティシア。君の『仕事』は、心身を万全の状態に回復させ、笑って過ごすことだ。それが、私の婚約者としての唯一の義務だと思ってくれ」
「……義務、ですか」
「そうだ。君がやつれていたり、暗い顔をしていたりすれば、私の管理能力が疑われる。私の名誉のためにも、君には世界一幸せでいてもらわねば困る」
なんて……なんて強引で、甘い理屈なのだろう。 「名誉のため」と言いながら、その瞳はただ私の身を案じているのが伝わってくる。
「……分かりました。そこまで仰るなら、全力で休息させていただきます」
「うむ。よろしい」
クロード様は満足げに頷くと、最後のパンを口に運んだ。
◇
食後、クロード様は執務へ(彼は国の中枢を担う宰相補佐なので、当然激務だ)、私はスケジュール通りに屋敷の探検へ繰り出すことになった。
「さて、まずはあそこを確認しなくては」
私は二階のサロンへと向かった。 昨日、ちらりと見た時に気になっていた場所だ。
扉を開けると、そこはまさに「夢の空間」だった。
日当たりの良い広々とした部屋の壁一面が、ガラス張りの棚になっている。 そしてその中には、世界中から集められたと思しき、無数の紅茶缶とティーカップが飾られていたのだ。
「うわぁ……!」
思わず感嘆の声が漏れる。 王室御用達の高級ブランドから、地方の希少な茶葉まで。 カップも、繊細な絵付けが施された磁器から、温かみのある陶器まで、まるで美術館のように美しく並べられている。
「すごい……これ、全部本物よね?」
「はい、お嬢様。全てクロード様が収集させたものです」
後ろをついてきたエマも、目を輝かせている。
「『彼女は紅茶に造詣が深い。その日の気分に合わせて最適な一杯を選べる環境が必要だ』と仰って、三日前からバイヤーを走らせていました」
「三日前……あの人が求婚を決めた日ね」
行動力が早すぎる。 そして、その方向性が私の「好き」を的確に射抜いているのが怖いほどだ。
私は棚に近づき、美しい花柄のティーカップを手に取った。 指先に馴染む感触。 見ているだけで心が躍る。 乙女趣味と言われて馬鹿にされるのが怖くて、王宮では隠していた「可愛いもの好き」な私。 それを、この人は肯定するどころか、全力で叶えてくれている。
「……ねえ、エマ」
「はい」
「私……ここに来てから、まだ二十四時間も経っていないのよね?」
「はい。正確には十二時間ほどです」
「なのに、どうしてこんなに……満たされているのかしら」
安眠ベッドに、私のためのドレス、計算し尽くされた食事、そしてこの紅茶部屋。 すべてが「レティシア・ヴァルモン」という人間を大切にするために設計されている。
「それは、旦那様がお嬢様を『個』として見てくださっているからではないですか?」
エマの言葉が、すとんと胸に落ちた。 そうだ。 リオネル殿下は、私を「便利な道具」や「付属品」としてしか見ていなかった。 でもクロード様は、私の好み、私の体調、私の心を見てくれている。
それがこんなにも心地よく、同時に……少しだけ怖い。
「……私、ダメになってしまいそう」
「お嬢様?」
「こんなに甘やかされたら、もう外の世界で戦えなくなってしまうわ」
贅沢な悩みだとは思う。 けれど、この温かい沼に沈んでしまったら、二度と這い上がれない気がした。
その時。 サロンの入口に気配を感じて振り返ると、いつの間にかクロード様が立っていた。 執務へ行く前の見送りだろうか。
「気に入ってもらえたかな?」
「……クロード様」
私はカップを置いて、彼に向き直った。 今、聞いておかなければならないことがある。
「あの、一つだけ確認させてください」
「何だ?」
私は真剣な顔で、けれど少し震える声で尋ねた。
「この屋敷……出入り口は施錠されていませんよね? 私、外出の自由はありますよね?」
「もちろんだ。君は囚人ではない」
「では……どうしてこんなに、ここから出たくなくなるような仕掛けばかりなのですか?」
私の問いに、クロード様はきょとんとして、それから苦笑した。
「仕掛け? ただ快適な環境を整えただけだが」
「快適すぎます! これではまるで……」
私は言葉を選びながら、核心を突いた。
「……私、監禁されてませんよね? 物理的な鎖はないけれど、精神的にここから離れられないように……」
あまりにも居心地が良すぎて、外に出るのが億劫になる。 これはある意味、高度な軟禁ではないだろうか。
私の懸念を聞いたクロード様は、ふっと表情を和らげ、近づいてきた。 そして、私の目の前で立ち止まると、そっと私の頬に手を添えた。 その手は大きく、温かい。
「安心しろ、レティシア。私は君を閉じ込めるつもりはない」
彼の琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。 そして、甘く、低い声で、とんでもないことを言い放った。
「ただ、君を『幸福』の中にだけ囲っているつもりだ」
「……っ!」
幸福に、囲う。 監禁よりもずっとタチが悪く、逃げ場のない言葉。
「君が外に出たいなら止めない。だが、帰ってくる場所はここだ。世界で一番、君が安らげる場所であり続けたいと思っている」
「……ずるいです、それ」
「交渉術の一つだ。……では、行ってくる。夕食は一緒に摂ろう」
クロード様は私の額に軽く口づけを落とすと、ひらひらと手を振って部屋を出て行った。
残された私は、真っ赤な顔をして、しばらくその場に立ち尽くしていた。 エマが「奥様、湯気が立っていますよ」と茶化す声も、遠くに聞こえる。
幸福に囲う、か。 そんな甘い檻なら、一生出られなくてもいいかもしれない。 ……なんて、ちょっぴり本気で思ってしまった私は、すでに彼の手のひらの上なのかもしれない。
「……んぅ」
目を開けると、そこは見慣れない天井――ではなく、昨日案内された私の「城」だった。 窓からは柔らかな朝陽が差し込み、ペールブルーの壁紙を優しく照らしている。
体を起こして、私は驚愕した。 体が、軽い。 まるで羽が生えたかのように軽いのだ。
「おはようございます、お嬢様。素晴らしいお目覚めのようですね」
タイミングよく、エマが洗面器を持って入ってきた。
「おはよう、エマ。……何だか、怖いくらい体調がいいのだけれど」
「無理もありません。このベッドには、最高級の『安眠魔法』と『疲労回復の術式』が多重に掛けられているそうですよ」
「……へ?」
私は慌ててシーツをめくった。 見た目は普通の高級な羽毛布団だが、よく見ると生地の織り目に微細な魔法陣が刺繍されている。
「クロード様が仰っていました。『睡眠は人生の三分の一を占める。その質を最大化することは、起きている時間の幸福度に直結する』と」
「な、なるほど……?」
言っていることは正しいけれど、寝具に国家機密レベルの術式を組み込むのはどうなのだろう。 おかげで、十二年分の「社畜疲労」が嘘のように消え去っている。 肩こりも、目の奥の痛みも、何もない。
「さあ、お着替えを。朝食の準備が整っております」
エマがクローゼットを開けると、そこには私のサイズに仕立てられたドレスがずらりと並んでいた。 しかも、どれも王宮で着させられていた窮屈なコルセット付きのものではなく、肌触りの良いシルクやモスリンを使った、動きやすく可愛らしいデザインのものばかりだ。
「これも……クロード様が?」
「はい。『家の中ではリラックスできるように』とのことです」
私は淡いラベンダー色のドレスを選び、袖を通した。 締め付けがない。呼吸が楽だ。 鏡に映った自分は、いつもより顔色が良く、表情も柔らかく見えた。
◇
一階の食堂へ降りると、すでにクロード様が席に着いて新聞を読んでいた。 朝の光の中、コーヒーカップを片手に持つ姿は、一枚の絵画のように美しい。
「おはよう、レティシア。よく眠れたか?」
私の足音に気づき、彼が新聞を畳んで微笑む。 その笑顔の破壊力に、朝から心臓が変な音を立てた。
「おはようございます、クロード様。おかげさまで、こんなにぐっすり眠れたのは生まれて初めてかもしれません。……その、ベッドの魔法には驚きましたが」
「効果があったなら何よりだ。開発に三ヶ月かけた甲斐があった」
「開発!? あのベッド、特注なんですか?」
「当然だ。市販品では君の疲労回復には不十分だと判断した」
さらりと言ってのけるこの公爵様は、私のためにどれだけのリソースを割いているのだろう。
席に着くと、テーブルの上には彩り豊かな朝食が並べられた。 焼き立てのパン、ふわふわのスクランブルエッグ、新鮮な果物、そして私の大好物であるハーブソーセージ。
「君の好みは、実家の料理人から聞き出したデータに基づいている。味はどうだ?」
「……美味しいです。すごく」
一口食べて、私は感動に震えた。 実家でも食べたことのないような、洗練された味だ。 私の好みを知り尽くした上で、さらに一段階上の美味しさに昇華されている。
「そうか。では、食べながら今日の予定を確認しよう」
クロード様が指を鳴らすと、控えていた執事のセバスが恭しく一枚の紙を差し出した。 スケジュール表だ。 私は反射的に背筋を伸ばした。 王太子妃候補だった頃は、朝食の席でその日の分刻みの公務スケジュールを確認するのが日課だったからだ。 「午前中は予算会議、午後は慈善事業の視察、夜は舞踏会……」といった地獄の予定表を覚悟して、私は紙を受け取った。
しかし。
そこに書かれていたのは、予想の斜め上を行く内容だった。
【本日のレティシア嬢のスケジュール】 09:00 - 10:30 朝食および食後のティータイム(厳守) 10:30 - 12:00 庭園散策、または読書(自由選択) 12:00 - 13:30 昼食(専属シェフによる新作試食会) 13:30 - 15:00 お昼寝(推奨)、または入浴 15:00 - 16:30 アフタヌーンティー(市内の人気店のケーキを用意) 16:30 - 18:00 クロードとの歓談(希望があれば) 18:00 - 夕食および自由時間
「……あの、クロード様」
「何だ? 詰め込みすぎたか? ならば庭園散策を削って、二度寝の時間に充ててもいいが」
「違います! 逆です! ……仕事は? 勉強は? これではただの『怠惰な一日』ではありませんか!」
私が訴えると、クロード様は不思議そうに首を傾げた。
「怠惰? いいや、これは『必要な休息』だ。君は今まで働きすぎた。人間が正常な判断力と精神状態を保つためには、意識的な休息が不可欠だ」
「で、でも……私、何も生産していませんよ? ただ食べて寝て遊ぶだけなんて、罪悪感が……」
染み付いた社畜根性が疼く。 働かざる者食うべからず、と教育されてきたのだ。
すると、クロード様は真剣な眼差しで私を見据えた。
「レティシア。君の『仕事』は、心身を万全の状態に回復させ、笑って過ごすことだ。それが、私の婚約者としての唯一の義務だと思ってくれ」
「……義務、ですか」
「そうだ。君がやつれていたり、暗い顔をしていたりすれば、私の管理能力が疑われる。私の名誉のためにも、君には世界一幸せでいてもらわねば困る」
なんて……なんて強引で、甘い理屈なのだろう。 「名誉のため」と言いながら、その瞳はただ私の身を案じているのが伝わってくる。
「……分かりました。そこまで仰るなら、全力で休息させていただきます」
「うむ。よろしい」
クロード様は満足げに頷くと、最後のパンを口に運んだ。
◇
食後、クロード様は執務へ(彼は国の中枢を担う宰相補佐なので、当然激務だ)、私はスケジュール通りに屋敷の探検へ繰り出すことになった。
「さて、まずはあそこを確認しなくては」
私は二階のサロンへと向かった。 昨日、ちらりと見た時に気になっていた場所だ。
扉を開けると、そこはまさに「夢の空間」だった。
日当たりの良い広々とした部屋の壁一面が、ガラス張りの棚になっている。 そしてその中には、世界中から集められたと思しき、無数の紅茶缶とティーカップが飾られていたのだ。
「うわぁ……!」
思わず感嘆の声が漏れる。 王室御用達の高級ブランドから、地方の希少な茶葉まで。 カップも、繊細な絵付けが施された磁器から、温かみのある陶器まで、まるで美術館のように美しく並べられている。
「すごい……これ、全部本物よね?」
「はい、お嬢様。全てクロード様が収集させたものです」
後ろをついてきたエマも、目を輝かせている。
「『彼女は紅茶に造詣が深い。その日の気分に合わせて最適な一杯を選べる環境が必要だ』と仰って、三日前からバイヤーを走らせていました」
「三日前……あの人が求婚を決めた日ね」
行動力が早すぎる。 そして、その方向性が私の「好き」を的確に射抜いているのが怖いほどだ。
私は棚に近づき、美しい花柄のティーカップを手に取った。 指先に馴染む感触。 見ているだけで心が躍る。 乙女趣味と言われて馬鹿にされるのが怖くて、王宮では隠していた「可愛いもの好き」な私。 それを、この人は肯定するどころか、全力で叶えてくれている。
「……ねえ、エマ」
「はい」
「私……ここに来てから、まだ二十四時間も経っていないのよね?」
「はい。正確には十二時間ほどです」
「なのに、どうしてこんなに……満たされているのかしら」
安眠ベッドに、私のためのドレス、計算し尽くされた食事、そしてこの紅茶部屋。 すべてが「レティシア・ヴァルモン」という人間を大切にするために設計されている。
「それは、旦那様がお嬢様を『個』として見てくださっているからではないですか?」
エマの言葉が、すとんと胸に落ちた。 そうだ。 リオネル殿下は、私を「便利な道具」や「付属品」としてしか見ていなかった。 でもクロード様は、私の好み、私の体調、私の心を見てくれている。
それがこんなにも心地よく、同時に……少しだけ怖い。
「……私、ダメになってしまいそう」
「お嬢様?」
「こんなに甘やかされたら、もう外の世界で戦えなくなってしまうわ」
贅沢な悩みだとは思う。 けれど、この温かい沼に沈んでしまったら、二度と這い上がれない気がした。
その時。 サロンの入口に気配を感じて振り返ると、いつの間にかクロード様が立っていた。 執務へ行く前の見送りだろうか。
「気に入ってもらえたかな?」
「……クロード様」
私はカップを置いて、彼に向き直った。 今、聞いておかなければならないことがある。
「あの、一つだけ確認させてください」
「何だ?」
私は真剣な顔で、けれど少し震える声で尋ねた。
「この屋敷……出入り口は施錠されていませんよね? 私、外出の自由はありますよね?」
「もちろんだ。君は囚人ではない」
「では……どうしてこんなに、ここから出たくなくなるような仕掛けばかりなのですか?」
私の問いに、クロード様はきょとんとして、それから苦笑した。
「仕掛け? ただ快適な環境を整えただけだが」
「快適すぎます! これではまるで……」
私は言葉を選びながら、核心を突いた。
「……私、監禁されてませんよね? 物理的な鎖はないけれど、精神的にここから離れられないように……」
あまりにも居心地が良すぎて、外に出るのが億劫になる。 これはある意味、高度な軟禁ではないだろうか。
私の懸念を聞いたクロード様は、ふっと表情を和らげ、近づいてきた。 そして、私の目の前で立ち止まると、そっと私の頬に手を添えた。 その手は大きく、温かい。
「安心しろ、レティシア。私は君を閉じ込めるつもりはない」
彼の琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。 そして、甘く、低い声で、とんでもないことを言い放った。
「ただ、君を『幸福』の中にだけ囲っているつもりだ」
「……っ!」
幸福に、囲う。 監禁よりもずっとタチが悪く、逃げ場のない言葉。
「君が外に出たいなら止めない。だが、帰ってくる場所はここだ。世界で一番、君が安らげる場所であり続けたいと思っている」
「……ずるいです、それ」
「交渉術の一つだ。……では、行ってくる。夕食は一緒に摂ろう」
クロード様は私の額に軽く口づけを落とすと、ひらひらと手を振って部屋を出て行った。
残された私は、真っ赤な顔をして、しばらくその場に立ち尽くしていた。 エマが「奥様、湯気が立っていますよ」と茶化す声も、遠くに聞こえる。
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