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第17話 焼き菓子の甘い匂い
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厨房(ちゅうぼう)に入ると、鼻孔をくすぐる香ばしい匂いがした。
焼けた小麦と、焦げた砂糖の甘い香り。
けれど、その奥には常に煤(すす)の匂いが混じっている。
古い石窯(いしがま)は火加減が難しく、少し油断するとすぐに黒煙を吐くからだ。
「……リディア様、ここは煤で汚れます。お部屋にお戻りください」
料理長が困った顔で頭を下げる。
彼の白いエプロンには、すでに黒い煤の跡が点々とついていた。
「嫌よ。お腹が空いたの」
私はわざと不機嫌に唇を尖らせる。
厨房の棚を見回すと、小麦粉の袋は半分以上が空で、端に少しだけ残った袋が頼りなさげに置かれていた。
冬の間の保存食にするはずの黒パンも、今年は粉不足で十分に焼けていないらしい。
村人たちの顔色が悪いのは、寒さだけが原因ではなかった。カロリーが足りていないのだ。
(無能な令嬢なら、ここで何を言う?)
「甘いものが食べたいわ。今すぐ焼き菓子を持ってきて」
「し、しかし……粉がもうこれしかありません。次の補給まで、パンを焼く分もギリギリで……」
「そんなの知らないわよ! 私は今、甘くて硬いお菓子が食べたいの!」
私は近くにあった木の実が入った麻袋を指差した。
白夜領の森で採れる「雪胡桃(ゆきぐるみ)」だ。
殻が硬すぎて誰も食べたがらないが、中は油分が多くて栄養価が高い。
「その硬い実を粉にして混ぜればいいじゃない。粉が半分で済むでしょ? あと、二度焼きしてカチカチにしなさい。柔らかいお菓子なんて飽きたわ」
「はぁ……? そんなことをしたら、歯が折れるようなものが……」
「いいからやりなさい! 私の命令が聞けないの?」
金切り声を上げると、料理長は慌てて木の実を割り始めた。
これは、前世で知った「ビスコッティ」のレシピの応用だ。
小麦粉を節約しつつ、木の実の油分でカロリーを補い、二度焼きすることで水分を飛ばして長期保存を可能にする。
見た目は貧相だが、噛めば噛むほど甘みが出るし、何より腹持ちがいい。
士気の落ちた冬の村には、こういう「甘い楽しみ」が必要なのだ。
数時間後。
厨房から漂ってきたのは、驚くほど濃厚なナッツの香りだった。
「……焼けました、が」
料理長が恐る恐る差し出したのは、石のように硬い棒状の焼き菓子だった。
私はそれを一本摘み、紅茶に浸してから口に運ぶ。
ガリッ。
硬い歯ごたえの後に、木の実の香ばしさと微かな甘みが広がる。
「……ふん、まあまあね」
「これはいけます! 粉がいつもの半分で済むのに、こんなに腹にたまるとは……!」
料理長の目が輝いている。
彼はすぐに、この「失敗作のような菓子」の価値に気づいたようだ。
これなら保存食として村全体に配れる。
余った木の実を活用できる。
「勝手に配れば? 私はもう飽きたから、残りはあげるわ」
興味なさげに皿を押しやり、私は厨房を出た。
背後で料理長たちが「これなら冬を越せるぞ!」と沸き立っているのが聞こえる。
またやってしまった。
無能を演じるはずが、村の食糧事情を改善してしまった。
翌日。
私の部屋に、レージが妙な顔で入ってきた。
手には銀の盆ではなく、分厚い羊皮紙の束を持っている。
「リディア様。王都の『商会連盟』から急使が参りました」
「商会? 何の用?」
「あなたが昨日作らせた焼き菓子……『白夜焼き』と名付けられたそうですが。あれを王都で売らせてほしいと」
「……は?」
「村人が商隊に分けたところ、保存が効いて美味いと評判になりまして。……レシピの権利を買い取りたいそうです」
私はめまいを覚えて額を押さえた。
ただの保存食が、なぜか特産品として目をつけられてしまった。
甘い匂いは、蟻(あり)だけでなく、金の匂いに敏感なハイエナたちまで引き寄せてしまったらしい。
焼けた小麦と、焦げた砂糖の甘い香り。
けれど、その奥には常に煤(すす)の匂いが混じっている。
古い石窯(いしがま)は火加減が難しく、少し油断するとすぐに黒煙を吐くからだ。
「……リディア様、ここは煤で汚れます。お部屋にお戻りください」
料理長が困った顔で頭を下げる。
彼の白いエプロンには、すでに黒い煤の跡が点々とついていた。
「嫌よ。お腹が空いたの」
私はわざと不機嫌に唇を尖らせる。
厨房の棚を見回すと、小麦粉の袋は半分以上が空で、端に少しだけ残った袋が頼りなさげに置かれていた。
冬の間の保存食にするはずの黒パンも、今年は粉不足で十分に焼けていないらしい。
村人たちの顔色が悪いのは、寒さだけが原因ではなかった。カロリーが足りていないのだ。
(無能な令嬢なら、ここで何を言う?)
「甘いものが食べたいわ。今すぐ焼き菓子を持ってきて」
「し、しかし……粉がもうこれしかありません。次の補給まで、パンを焼く分もギリギリで……」
「そんなの知らないわよ! 私は今、甘くて硬いお菓子が食べたいの!」
私は近くにあった木の実が入った麻袋を指差した。
白夜領の森で採れる「雪胡桃(ゆきぐるみ)」だ。
殻が硬すぎて誰も食べたがらないが、中は油分が多くて栄養価が高い。
「その硬い実を粉にして混ぜればいいじゃない。粉が半分で済むでしょ? あと、二度焼きしてカチカチにしなさい。柔らかいお菓子なんて飽きたわ」
「はぁ……? そんなことをしたら、歯が折れるようなものが……」
「いいからやりなさい! 私の命令が聞けないの?」
金切り声を上げると、料理長は慌てて木の実を割り始めた。
これは、前世で知った「ビスコッティ」のレシピの応用だ。
小麦粉を節約しつつ、木の実の油分でカロリーを補い、二度焼きすることで水分を飛ばして長期保存を可能にする。
見た目は貧相だが、噛めば噛むほど甘みが出るし、何より腹持ちがいい。
士気の落ちた冬の村には、こういう「甘い楽しみ」が必要なのだ。
数時間後。
厨房から漂ってきたのは、驚くほど濃厚なナッツの香りだった。
「……焼けました、が」
料理長が恐る恐る差し出したのは、石のように硬い棒状の焼き菓子だった。
私はそれを一本摘み、紅茶に浸してから口に運ぶ。
ガリッ。
硬い歯ごたえの後に、木の実の香ばしさと微かな甘みが広がる。
「……ふん、まあまあね」
「これはいけます! 粉がいつもの半分で済むのに、こんなに腹にたまるとは……!」
料理長の目が輝いている。
彼はすぐに、この「失敗作のような菓子」の価値に気づいたようだ。
これなら保存食として村全体に配れる。
余った木の実を活用できる。
「勝手に配れば? 私はもう飽きたから、残りはあげるわ」
興味なさげに皿を押しやり、私は厨房を出た。
背後で料理長たちが「これなら冬を越せるぞ!」と沸き立っているのが聞こえる。
またやってしまった。
無能を演じるはずが、村の食糧事情を改善してしまった。
翌日。
私の部屋に、レージが妙な顔で入ってきた。
手には銀の盆ではなく、分厚い羊皮紙の束を持っている。
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「商会? 何の用?」
「あなたが昨日作らせた焼き菓子……『白夜焼き』と名付けられたそうですが。あれを王都で売らせてほしいと」
「……は?」
「村人が商隊に分けたところ、保存が効いて美味いと評判になりまして。……レシピの権利を買い取りたいそうです」
私はめまいを覚えて額を押さえた。
ただの保存食が、なぜか特産品として目をつけられてしまった。
甘い匂いは、蟻(あり)だけでなく、金の匂いに敏感なハイエナたちまで引き寄せてしまったらしい。
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