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第23話 優しい声の圧
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屋敷に戻る馬車の中は、針のむしろだった。
レージは私の向かいに座り、一言も発しない。
ただ、彼が指にはめた白手袋が、微かにきしむ音だけが聞こえる。
ギュッ、ギュッ。
革と布が擦れるその音が、彼の内面で渦巻く感情の激しさを物語っていた。
(……怒ってる。すごく)
私は膝の上で手を組み、小さくなっていた。
彼が怒るのは当然だ。
私は「無能で通すから黙ってて」と命令しておきながら、自分からその設定を破り、しかも助けた相手を言葉で傷つけた。
一貫性がない。
主人として失格だ。
「……あの」
耐えきれずに声をかける。
「怒ってるなら、言ってよ。黙ってないで」
「怒ってなどおりません」
即答だった。
完璧な笑顔。けれど、目が全く笑っていない。
その仮面の精巧さが、今は恐ろしい。
「リディア様は、ご自分の命を守るために最善の判断をなさいました。民に嫌われることで、有能だという噂を消す。……論理的です。実に、賢い」
「皮肉に聞こえるわ」
「皮肉ではありません。事実です。……ですが」
レージがふっと息を吐き、体を前に乗り出した。
距離が縮まる。
彼の纏(まと)う冷気と、わずかな香油の匂いが私を包む。
「その『賢い判断』のために、あなたご自身がどれほど傷ついているか、計算に入れていますか?」
「……え?」
「あなたは、あの母親に感謝された時、泣きそうな顔をしていました。拒絶の言葉を吐くたびに、ご自分の身を切るような顔をされていた。……鏡をご覧になればわかるはずです」
彼は手を伸ばし、私の頬に触れようとして、やはり止めた。
その躊躇(ためら)いに、彼の優しさと、執事という立場の壁が見える。
「嘘は、人を傷つけます。ですが、一番傷つくのは、嘘をついている本人です」
「……でも、仕方ないじゃない」
私は唇を噛んだ。
「こうしないと、守れないのよ。自分のことも、……あなたのことも」
私の言葉に、レージの目がわずかに見開かれる。
私のことも? と問いたげに。
そうよ。
私が有能だとバレて、王都から処刑人が送られてくれば、側近である彼だって巻き添えになる。
私は彼を守るために、孤独を選んだのだ。
レージはしばらく私を見つめていたが、やがて力なく微笑んだ。
それは仮面ではない、素の表情に見えた。
「……一人で抱えないでください」
「え?」
「悪役を演じるなら、私も共犯にしてください。あなたが民に石を投げられるなら、私がその石を拾い集めて、城壁に変えてみせます」
彼は私の手を取り、そっと額を押し当てた。
手袋越しではない。
彼自身の体温が、私の冷えた指先に伝わってくる。
「どうか、ご自分を粗末になさらないでください。……それが、私の唯一の望みです」
優しい声の圧。
それは命令よりも強く、私の心を縛り付けた。
私は何も言い返せず、ただ彼のつむじを見つめていた。
この人は、どこまで私を甘やかせば気が済むのだろう。
そして、その優しさが、いつか彼自身を壊してしまうのではないかと、私は新たな恐怖を覚えていた。
レージは私の向かいに座り、一言も発しない。
ただ、彼が指にはめた白手袋が、微かにきしむ音だけが聞こえる。
ギュッ、ギュッ。
革と布が擦れるその音が、彼の内面で渦巻く感情の激しさを物語っていた。
(……怒ってる。すごく)
私は膝の上で手を組み、小さくなっていた。
彼が怒るのは当然だ。
私は「無能で通すから黙ってて」と命令しておきながら、自分からその設定を破り、しかも助けた相手を言葉で傷つけた。
一貫性がない。
主人として失格だ。
「……あの」
耐えきれずに声をかける。
「怒ってるなら、言ってよ。黙ってないで」
「怒ってなどおりません」
即答だった。
完璧な笑顔。けれど、目が全く笑っていない。
その仮面の精巧さが、今は恐ろしい。
「リディア様は、ご自分の命を守るために最善の判断をなさいました。民に嫌われることで、有能だという噂を消す。……論理的です。実に、賢い」
「皮肉に聞こえるわ」
「皮肉ではありません。事実です。……ですが」
レージがふっと息を吐き、体を前に乗り出した。
距離が縮まる。
彼の纏(まと)う冷気と、わずかな香油の匂いが私を包む。
「その『賢い判断』のために、あなたご自身がどれほど傷ついているか、計算に入れていますか?」
「……え?」
「あなたは、あの母親に感謝された時、泣きそうな顔をしていました。拒絶の言葉を吐くたびに、ご自分の身を切るような顔をされていた。……鏡をご覧になればわかるはずです」
彼は手を伸ばし、私の頬に触れようとして、やはり止めた。
その躊躇(ためら)いに、彼の優しさと、執事という立場の壁が見える。
「嘘は、人を傷つけます。ですが、一番傷つくのは、嘘をついている本人です」
「……でも、仕方ないじゃない」
私は唇を噛んだ。
「こうしないと、守れないのよ。自分のことも、……あなたのことも」
私の言葉に、レージの目がわずかに見開かれる。
私のことも? と問いたげに。
そうよ。
私が有能だとバレて、王都から処刑人が送られてくれば、側近である彼だって巻き添えになる。
私は彼を守るために、孤独を選んだのだ。
レージはしばらく私を見つめていたが、やがて力なく微笑んだ。
それは仮面ではない、素の表情に見えた。
「……一人で抱えないでください」
「え?」
「悪役を演じるなら、私も共犯にしてください。あなたが民に石を投げられるなら、私がその石を拾い集めて、城壁に変えてみせます」
彼は私の手を取り、そっと額を押し当てた。
手袋越しではない。
彼自身の体温が、私の冷えた指先に伝わってくる。
「どうか、ご自分を粗末になさらないでください。……それが、私の唯一の望みです」
優しい声の圧。
それは命令よりも強く、私の心を縛り付けた。
私は何も言い返せず、ただ彼のつむじを見つめていた。
この人は、どこまで私を甘やかせば気が済むのだろう。
そして、その優しさが、いつか彼自身を壊してしまうのではないかと、私は新たな恐怖を覚えていた。
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