だが剣が喋るはずがない

娑婆聖堂

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動地剣惑星 (どうちけんまどいぼし)

もちろん死人は噛みつかない

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 どん、どん、とドアを叩く音が響く。ノックにしては大胆な勢いである。蝶番が悲鳴をあげるのではむしろ無作法であろう。その狂暴な来賓をどう出迎えるか悩む二人、堂馬と熊鷹である。

 「つまりここはあの顔色の悪い暴徒に占領されていて、こっから半径50mくらいまでうろうろしてると。」

 堂馬が窓から観察したところ、アパートの周りは人間の肉をドブ底の泥に入れ替えたような連中が闊歩しており、それは住宅地になぜか張ってあるしめ縄の内を動き回っていた。理由は不明だがそこが境界らしい。

 「んで、ここはそのど真ん中のアパートの最上階で、あのゾンビもどきが推定百はいる。飛び降りても状況は悪くなるだけだな。地道にいかにゃならん」 

 熊鷹も覚えている限りの情報から現在のい状況を把握する。山田ハイツはそこそこ大きいアパートで、7階建てで部屋は家族で住める程度に広い。住人は200前後、留守を引いても100人以上はいるはずだ。飛び降りて一気に脱出することも考えたが、開放空間で負傷したまま逃げ切るのは厳しいと結論付けた。

 「まあ100人真正面からぶん殴り続ければいいだけだけどよ。問題は原因だな」

 「原因」

 堂馬の脳筋理論はともかく、確かに原因は知りたい。この事態は只事ではない。屍人だけを相手にしては足元を掬われる。

 「まずアパート一つが全滅して、それ以外は特にやられていないってことは、空中散布みたいなもんじゃ無い」
 
 「それに潜伏期間の長い化学物質や病原菌もないぞ。ワシの知ってる限りでどっかの誰かがああなったと聞いた覚えはない」

 「つまりこのアパートの中だけで感染して、隠れることのできる……カビとか?」

 「蚊やノミの可能性もあるな」

 「蚊ねえ」

 堂馬がまだ動いている屍を避けて風呂を覗いてみる。
 いつの間にか桶にびっしりと浮かんでいた親指大のボウフラが羽化する最中であった。例のいやらしい高音のオクターブを下げた羽音がぶうん、と聞こえる。

 「蚊だな」

 「蚊か」

 「「うおおおおおお!!」」

 全速力で廊下を走り抜けてドアにドロップキックをかます。へたってきた蝶番が合計150kg超の肉弾に白旗を上げ、外の屍鬼2匹をまとめて手摺の外まで飛ばした。
 こちらを見た左の鬼をダブルラリアットが襲い、首と胸を陥没させて空を舞う。後ろから跳びかかった鬼を斜めにしたドアで受け、諸共にアパートの外に放り投げる。ここで最初に落ちた鬼が頭から着陸した。

 「「どわああああ!」」

 ドアから霧のように湧いてきた飛蚊を尻目に鬼の顔を踏ん付けつつ通路を走る。お化け蚊は人の小走り程度の速度で飛び、進路上にある物は死人でも襲いかかる。通常の蚊を圧倒する能力と攻撃性である。
 通路の人口?密度はそう高くないので、預かっていたマスターキーで適当な部屋に入る。
 蚊の大群が出迎えてきた。

 「牛寅さん、ライター!」

 「ほらよ!」

 「よっしゃあ!」

 堂馬は迷わずその只中に突入し、黒い霧を払いながらキッチンを目指す。蚊が体に取りつき始めた時、ガスのホースを引っこ抜き、元栓を緩めると、熊鷹から受け取った百円ライターで火をつけた。
 堂馬の体が一瞬で火に巻かれる。

 「うあっちちいい!」

 と叫びつつ、玄関にあった殺虫スプレーを吹きかける。目的は毒殺ではなく焼殺である。吹き上がった炎が3cmもある蚊を飲み込んで、ばたばたと落とす。火災報知機のけたたましい音がなり響き、虫の内臓が熱によってパチパチと弾ける。熊鷹が飛び込んでガスの元栓を閉めた。
 アクロバティックな動きで鎮火した堂馬は塩素系の漂白剤を取って、スプレーで周りを燃やしながら風呂場に突入。やはりボウフラで一杯の浴槽に漂白剤を振りかける。それなりの効果はあったのか羽化が止む。
 
 「やれやれ、これで」

 「おい!上、上!」

 風呂場の天井から這い出てきた小柄な屍鬼が牙をむく。その頭を両手で押さえて廊下に跳ぶと、今度はリビングからドアをぶち破って走ってきた大柄の屍鬼に向かって、刀を振り下ろす要領で投げつける。
 二つの腐肉が一瞬融合し、爆ぜ、終いに灰となってぱっ、と飛びちった。

 「一段落か」

 「灰になった……。てこたあやっぱりこいつら」

 「火葬にする手間を自ら省くとは感心な奴!褒めてつかわす!」

 「そういう問題か!?」

 議論の間も惜しいとばかりに部屋に乗り込む。男女が同棲していたようで、趣味の違う調度品が寄り添うように置いてあった。

 「で、ここでどうすんだ?」 

 「着替える」

 「着替え!?」

 「ツナギと長靴なんかで戦えるか。気分が乗らないだろ」

 「今燃えてんだぞ!」

 「煙さえ吸わなけりゃ大丈夫だって」

 言うが早いか宝塚ばりの早着替えでジーンズと革ジャンに装備を変更する。熊鷹も綿の長ズボンを袖を折り返して履き、Tシャツの上からコートをはおる。

 「こいつはついてる。ピッタリだ」

 「くそ、近頃の若え奴は足が長いんだよ。で、どうする」

 熊鷹が聞く。
 堂馬が答える。

 「勢いで対処する!」

 靴は適当なスニーカーを履いて、炎からまろび出る。

 「「熱っちいいいい!」」

 いつの間にか屍の数が増えていた。挟み撃ちの態勢になる。堂馬はとりあえずキッチンから持ってきた果物ナイフを投げ打ってみる。回転しながら左目に深々と突き刺さったが、一瞬怯んだだけで近づいてくる。

 「跳ぶ!」

 「応!」

 手摺の外に身を投げ出して、足で勢いを落としながら下の階の手摺に捕まる。身体を引き裂く衝撃。掴みかかってきた鬼の手を逆に捕まえて一気に体を引き上げると同時に相手を落とす。
 熊鷹の腕を掴み、気合いと一緒に持ち上げながら跳びかかってきた鬼を熊鷹で殴りとばして落とす。
 外にいる屍鬼の大部分は7階に上がっていたようで、6階の通路にはもう誰もいない。

 「よし、階段に行こう」

 「あと人を鈍器にするのは止めろ」

 だが鬼は上から降ってきた。

 「何だと!」

 「軍隊蟻みたいなやっちゃのー」

 肉の境が曖昧になって繋がった屍鬼達が一つの触手、あるいはムカデのようにこちらに向かって首をもたげる。同時にぶうん、と羽音が鳴り、蚊が降りてくる。進退極まったか。
 だが。

 「ぉぉぉりゃああああ!」

 流星のような何かが触手の背骨をぶち砕き、重みを支える手段を失った屍鬼達は腐った大木のように音をたてて崩落。

 「何!」

 熊鷹が謎の狙撃に驚く。堂馬も驚いたが、それは未知へのものでは無く、優れた動体視力が捉えた弾体が既知の物であったことに対する驚愕だ。

 「あれは親父の鉄礫!何故!」

 父芦屋光間こうまはロシアでトナカイを追うついでに仕事をしているはず。ならばあの礫の持ち主は?

 「堂馬きゅぅぅぅん!助けに来たぞーい!」

 「知り合いか!?」

 「知りたく無い!!」

 体中に刃物をぶっこみ、手には投石器、顔は包帯ぐるぐる巻きのけったいな女子。自転車を猛スピードでこぎまくっているのは当然能島風花である。

 「妖怪トンカラトンか!?」

 「妖怪なんぞいねえ!」

 四方八方から飛蝗のように屍鬼がかかるが、太刀を引き抜きひらめくや否や首が飛ぶ。胴が割れる。背骨が開く。騎乗戦闘用の武装の威力を遺憾無く発揮してばったばったとなぎ倒す。正に鬼神の如し。そこらの餓鬼共など歯牙にもかけない大立ち回りである。
 アパートの二人は身を低くして階段へ駆ける。踊り場に人間のサイズを無視した3m級の屍鬼が陣取っていた。堂馬が両手で包丁を二本投げる。一本は膝、当たりはしたが気にも留めない。もう一本は、頭上の窓ガラス。数百の短刀と化したガラス片が降り注ぐ。
 巨体が矢となった。反射的に階段すれすれまで身を低くして、スライディングの要領で踊り場に着地する。革ジャンの肩の部分が千切れていた。階段を砕いて振り向こうとして、その体が傾いた。横に避けていた熊鷹が、膝に刺さった包丁をねじ込み、関節を切断する勢いで押している。

 怪物が煩わしそうに腕を薙ぐ。後転してかわしたが、かすっただけで堂馬の位置まで毬のように跳ねた。今度こそ止めを刺そうとして、体が回転しないことに気づく。脊椎の間に透明な何かが挟まっていた。ガラス片である。
 踊り場に出た堂馬は、未だ落ち切っていないガラスを空中で掴み取り、すぐさま投擲。背を向けていた屍鬼の浮きでた背骨の隙間に、熊鷹が稼いだ僅かな間に十以上のガラスを打ち込んだのだ。
 天山鳶流・玻璃手裏剣はりしゅりけん
 屍鬼が完全にバランスを崩した。戦機。

 「行くぞ!」

 「よおし!」

 熊鷹を受け止めると、巨屍鬼に向かって押し出し、自らも突進する。二人で胴回りほどある足を、腐汁も気にせず抱えると、階段の下に向け上げ落とした。自らの体重と男二人の重量を、天井に頭を擦る高さから浴びせられ、巨屍鬼の頭蓋は見事に破裂した。
 首を落とされた鶏のように足掻いているうちに階段を駆け下りる。三階まで降りたところで屍鬼共が階段を埋め始めていた。低い羽音も近づいてくる。

 「不味いぞ!」

 「いや、来る!」

 堂馬は待つ。予感があった。

 距離約50m。灰のたなびく中に彼女はいた。アパートを一瞥し、ペダルに足をかける。見えなくとも位置はわかる。気合いと共に踏み込み、きしみをあげる車体が50キロまで加速。投石器に柄頭を添えて、背中が見えるほど体をひねる。

 「じゃっ!!」

 月光を受け蒼く照る鋼が一条の閃光となった。

 突然屍鬼の体が爆ぜ、灰を貫き剣が飛ぶ。己の顔目がけるそれの柄を迷わず取った。

 「破!」

 屍鬼の手が脚が首が胸が腹が乱れ飛び、次の瞬間灰と化す。熊鷹の目にも全く見えなかった。力任せの斬撃の嵐だ。灰が竜巻のように渦を巻き、蚊の羽根に付いて落とす。蚊の飛行能力はもとより弱い。
 三階に出るとまだいくらか屍鬼がいた。堂馬と熊鷹はそれぞれに襲ってくる屍鬼を待ち構えて、正面に来た時ドロップキック。
 諸共落ちると屍鬼を下にして着地。腐肉がクッションとなり、胸と頭を粉砕されて灰になる。

 「脱出完了」

 「助けて下さいー!ヘルプミーですー!」

 妖刀の魔力を失った風花が助けを求める。まずその包帯取った方がいいんじゃないかと堂馬が考えていると、風花の首がいきなり力を失い、がくりと落ちる。初めて会った時と似た感覚がする。

 「あいつ会うたびにおかしくなるな」

 「おい、あの嬢ちゃん大丈夫か?」

 "あー、あの娘っ子霊媒体質だな。どうりで取り憑き易いと思った。そこら辺の怨霊でも拾ったんだろ。無意識の霊への抵抗力がゼロなんですぐ神がかりになるんだ"

 剣は喋らないのでもちろん聞こえない。
 ふらふらと二、三回揺れ動いたかと思うと、何処かへ向けて自転車で走って行く。その自転車。

 「俺のじゃねーか!あいつ俺に損害与えるために生まれてきたのか!」

 堂馬もそこらの鍵のかかっていない自転車に乗って追いすがる。

 「窃盗だぞ堂馬!」

 熊鷹は乗ってきた中古のトヨタ車に乗り込んでエンジンをかける。三者三様の追跡は無人の住宅地を抜けて。

 どこかから経が流れてくる。人の声帯では出せそうに無い低音が響くと、まず草木が燃え、次いで金属が青白い炎を発し、コンクリートさえ燃え始めた。その炎は屍鬼と虫達を包むと、静かに鎮まっていき、夜がふける頃には灰と廃墟が残るばかりであった。
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