君がため、滝を昇らん

娑婆聖堂

文字の大きさ
6 / 6

第6話

しおりを挟む
村長むらおさの館は広い。普段はほとんど使われない、ほとんど広く見せるために作られたような部屋もある。寒が厳しくなると、小屋に住みづらくなったヤヒロが潜り込むこともある小部屋に、二人の男女が座り込んでいた。
 片方は当然ヤヒロ。もう片方は村長、オツチである。だいぶ日も傾いた時分に、薄暗い小部屋で互いの瞳だけが輝いていた。本来なら白湯でも出す者がいるのだが、この時ばかりは室内に入るどころか近寄ることすら禁じている。
 ヤヒロもオツチも、あぐらを組んで相手を睨み殺しそうな目つきである。それなりの時間が経つにも関わらず、言い争っているのはたった一つの行為の是非のみ。すなわちヤヒロが龍の滝に挑めるかどうか、である。

「どうしてもだめですか」

「だめだ。話にならん。女人が龍の滝に入ることを禁ず。律によって縛られていることだ。儂に何ができる」

「何もする必要など無いではありませんか。衛士が狂って滝に飛び込んだ。それだけで良いのです。たかが独り身の女一匹」

「それで龍に成れればな。いや、成れた所で律は律。裁きは免れん。そしてもし成れずに水漬く屍を晒すことになれば、あやつの覚悟に瑕が付こう。地上の未練を振り払えぬ者は龍には成れん。お前は二親より二度授けられた命を無為に散らし、挙句ホオリの禍根となるつもりか」

 ヤヒロの相貌に険が走った。ヤヒロは元は隣国の生まれである。もっとも、おぼろげな記憶の残滓が残る程度の幼いころだが。
大陸との戦で龍が堕ち、田畑は神々の猛威に打ち据えられて、飢餓と無法がはびこる地から逃れてきたのだ。鮮烈に残る情景は、山を越える時、野犬に襲われ妻と子のために我が身を盾にした父の後ろ姿。顔は覚えていない。
 流れに流れ、イナバの村にたどり着いた末に、やせ衰えた身体を酷使した母は病を得て隠れた。流石に不憫に思って、みなし児をこの年まで育てたのは他ならぬ村長である。 

「朝廷に認めて頂けないのですか?元々は女が滝に昇るなどよくあったことでしょう。竜宮の主たるヒメミコの君とて女だったはず」

「朝廷どころか国の形さえ定まらなかった頃から水底でとぐろを巻いていた方だぞ。女が滝に入ることを禁じられたのも400年は昔だ。北の国の説話は知っていよう。人は弱く、また醜い。分際をわきまえぬ時悲劇が起こるのだ。女が滝に入るなどあってはならん」

「それではホオリが龍になってもいいというのですか!」

「そんなわけがあるか!一人息子だぞ!」

売り言葉に買い言葉であったが、この時ばかりは村長に分があった。妻に先立たれて、後妻を迎えることが当たり前の立場にも関わらず、結局母無しのままで息子を育てたのである。何も思わぬはずがない。
まして村長の後継として何一つ不足無く、むしろ小さな村にもったいない程の傑物になったのだ。
村人たちとても、自分や息子が選ばれなかったことに胸を撫でおろしつつ、村の将来を考えて顔を曇らせていた。

だからこそヤヒロの直訴も特に止められもしなかったのである。村の衛士として頼りにされてはいても、やはり次期村長とでは価値が違う。
しかしそんな影からの支援も、断固たる採決を前にしてはあまりにか弱い。村長オツチの審判は悲惨なまでに公平であった。

睨み合いに飽きてか、村長は立ち上がると柱と目を合わせてしばらく黙り、やがて億劫そうに口を開いた。

「それにな、ヤヒロよ。お前では龍に成れん」

「そんなもの」

とっさに反駁はんばくしようとしたヤヒロの声にかぶせるように続ける。

「分かる。儂も似たようなものだ。下を向くと見えるものが多すぎる。あやつ、ホオリはそれが少ない。良くも悪くもな」

そういうつもりで育てたわけでは無いのだが。と、自嘲するように話す壮年の男に、言いようのない遣る瀬無さを感じてヤヒロは顔を伏せた。

見えてきたのは母の顔。最後まで何を責めるでもなく、痩せた胸にすがりつく娘を撫でていた。イヨや館の下人、村の人々。流れ者と蔑むでもなく、女のくせに剣を振る変わり者を立派な衛士と持ち上げてくれた。
そして兄弟のように育った男の顔。どちらが年長なのかと、くだらない争いをしたことも、もう随分と昔である。自分では並んで歩いていたと、勝手に自尊していたが、事実はどうだったのだろう。
とっくに置いてけぼりにされていて、ついに手の届かない場所に行かれてしまうのではないか。

しかし、だからと言って、走り出して追い抜いたとしても、後ろを振り向かずに、二度とあの顔を見ないままで飛びさって行くことは出来ない。
自分の背にホオリのような力が、下を向かず歩ける強さが無いことが、初めて恨めしく思えた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

短編 お前なんか一生結婚できないって笑ってたくせに、私が王太子妃になったら泣き出すのはどういうこと?

ヨルノソラ
恋愛
「お前なんか、一生結婚できない」 そう笑ってた幼馴染、今どんな気持ち? ――私、王太子殿下の婚約者になりましたけど? 地味で冴えない伯爵令嬢エリナは、幼い頃からずっと幼馴染のカイルに「お前に嫁の貰い手なんていない」とからかわれてきた。 けれどある日、王都で開かれた舞踏会で、偶然王太子殿下と出会い――そして、求婚された。 はじめは噂だと笑っていたカイルも、正式な婚約発表を前に動揺を隠せない。 ついには「お前に王太子妃なんて務まるわけがない」と暴言を吐くが、王太子殿下がきっぱりと言い返す。 「見る目がないのは君のほうだ」 「私の婚約者を侮辱するのなら、貴族であろうと容赦はしない」 格の違いを見せつけられ、崩れ落ちるカイル。 そんな姿を、もう私は振り返らない。 ――これは、ずっと見下されていた令嬢が、運命の人に見初められる物語。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

幼馴染の許嫁

山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

幼馴染

ざっく
恋愛
私にはすごくよくできた幼馴染がいる。格好良くて優しくて。だけど、彼らはもう一人の幼馴染の女の子に夢中なのだ。私だって、もう彼らの世話をさせられるのはうんざりした。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

皇帝の命令で、側室となった私の運命

佐藤 美奈
恋愛
フリード皇太子との密会の後、去り行くアイラ令嬢をアーノルド皇帝陛下が一目見て見初められた。そして、その日のうちに側室として召し上げられた。フリード皇太子とアイラ公爵令嬢は幼馴染で婚約をしている。 自分の婚約者を取られたフリードは、アーノルドに抗議をした。 「父上には数多くの側室がいるのに、息子の婚約者にまで手を出すつもりですか!」 「美しいアイラが気に入った。息子でも渡したくない。我が皇帝である限り、何もかもは我のものだ!」 その言葉に、フリードは言葉を失った。立ち尽くし、その無慈悲さに心を打ちひしがれた。 魔法、ファンタジー、異世界要素もあるかもしれません。

【完結】お父様に愛されなかった私を叔父様が連れ出してくれました。~お母様からお父様への最後のラブレター~

山葵
恋愛
「エリミヤ。私の所に来るかい?」 母の弟であるバンス子爵の言葉に私は泣きながら頷いた。 愛人宅に住み屋敷に帰らない父。 生前母は、そんな父と結婚出来て幸せだったと言った。 私には母の言葉が理解出来なかった。

処理中です...