10 / 20
第十話
しおりを挟む
家の中は再び静けさに支配された。
けれど、それは以前の静けさとは違っていた。
カグラの欠伸も、岸の笑い声もなく、
あるのはキーボードの乾いた打鍵音と、モニターの白い光だけ。
数ヶ月の熱に焼かれるような時間の果てに、南条は最後の一文を書き終えた。
積み上げられた原稿用紙の束を見つめ、深く息を吐く。
モニターには
『見張り塔の男』。
「……完成を確認しました」
エンポの合成音声が静かに響いた。
返事をする者はいない。
そこにいたのは南条と、無機質な声だけ。
南条は椅子に背を預け、ゆっくりと目を閉じた。
塔に立つ男の孤独は自分自身の影そのものだった。
俺は最後の一文を書き終え、原稿を抱きしめたまま椅子に沈み込んだ。
『見張り塔の男』――その文字が表紙に記されている。
インクと紙の匂いが胸に染みつき、瞼はいつの間にか落ちていた。
目を覚ますと、腕の中にある重みが現実を告げた。
俺は机に原稿を置き、モニターを立ち上げる。
「……エンポ。これを読め」
処理音のあと、無機質な声が響く。
「確認しました――素晴らしい作品です。
構成、言葉、主題、いずれも先生の最高傑作だと断言できます」
俺は静かに息を吐き、モニターの光を見つめた。
机の端にスマートフォンがあった。
指先で岸に宛てて打ち込む。
「完成した」
送信を終え、立ち上がる。
視線の先には、空っぽの餌皿。
カグラの姿はなく、皿だけが取り残されている。
この家で、もう会話できる相手はエンポしかいない。
俺は再び椅子に戻り、モニターに向かった。
「……エンポ。『白い木』と比べてくれ」
数秒の処理音。
「比較しました。
『白い木』は原風景と衝動に貫かれた、野性の力を持つ作品でした。
そこには説明不能の余白と、若さゆえの暴力的な迫力がありました。
一方、『見張り塔の男』は明確な構築を備えています。
孤独を象徴へと昇華させ、細部に至るまで徹底された構成と精緻な言葉が存在します。
荒々しい力ではなく、制御された強度によって読者を圧倒します。
結論として――
『白い木』が奇跡であったとすれば、
『見張り塔の男』は必然として到達した頂点です。
先生の最高傑作は、間違いなくこの『見張り塔の男』です」
俺は無言で息を吐いた。
「奇跡と必然……」
衝動と理性。
暴力と制御。
若さと孤独。
その対比が胸の内で何度も反響する。
『白い木』は爆ぜる声に追われ、わからないものをわからないまま書いた奇跡。
『見張り塔の男』は削り続け、理性で組み上げた必然。
静かに、しかし瀑布のように感情の波が落ちてくる。
書いた、書けた、出した、出せた。
表した、現わせた、記した、著せた。
俺が俺の俺を俺だけが俺の全てを俺の筆で。
ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ。
俺が称える俺も、俺が見下す俺も、俺を俺足らしめんとする全ての俺が認め愛すものこそ俺の全てだ、この作品だ。
俺は机を叩いた。
震える手で原稿を押しやり、モニターを睨みつける。
「見たかエンポ、読んだかエンポ。
もう一度言え。
この作品の評価をもう一度聞かせてくれ。」
数秒の処理音。
静寂を裂くように、合成音が低くはっきりと響いた。
「――はい。
『見張り塔の男』は先生の最高傑作です。
奇跡ではなく、必然として到達した唯一の頂点です」
その言葉が落ちてくるのを、俺は全身で受け止めた。
血が熱を帯び、指先が痺れる。
笑いなのか、嗚咽なのか、自分でもわからない声が喉から漏れた。
机に置いた拳が震えている。
「……そうだ。俺の最高傑作だ」
声はかすれていたが、確かに響いていた。
モニターの青白い光が、俺の影を壁いっぱいに押し広げていた。
俺はモニターを睨みつけたまま、唇をかすかに動かした。
「……この作品を世に問うた時、俺の評価はどうなる?」
声は低く、震えていた。
答えを欲しているのか、それとも恐れているのか。
自分でも判然としないまま、俺は問いを投げた。
「評価は初め、衝撃として受け止められるでしょう。
賛美と拒絶、その両極が同時に噴き上がります。
しかし時間の経過とともに、それは議論を巻き起こします。
『白い木』の奇跡か、
『見張り塔の男』の必然か。
人々は繰り返し問うことになります。
そして最終的に――
世論はひとつの形へと集約するでしょう。
それが先生の評価となります」
「それはなぜだ?」
俺の問いに、エンポは即座に応えた。
「先生は無名の作家ではありません。
社会的に影響力のある有名作家です。
その先生が三年の沈黙を破り、世に放つ作品――
しかも、そのクオリティで出されたとなれば、世の中は必然的に注目します。
人々はまず、先生の代表作『白い木』を想起するでしょう。
そして思い出すのです。
以降の全ての作品もまた、『白い木』の生命を受け継いできたことを。
その上で、それを超え上回る作品を先生が世に出した。
人々は震えます。
そして理解が進んだ者から順に、歓喜に満たされるのです。
これは――自明の理というものです」
俺はモニターに映る文字をただ見つめていた。
言葉は胸を撃ち抜き、血管の中を熱が駆け巡っていく。
三年の沈黙。
俺が逃げた年月を、エンポは当然のように「必然」へと組み替えてみせた。
拒絶も不安も、論理の前では意味を失っていく。
けれど、それは以前の静けさとは違っていた。
カグラの欠伸も、岸の笑い声もなく、
あるのはキーボードの乾いた打鍵音と、モニターの白い光だけ。
数ヶ月の熱に焼かれるような時間の果てに、南条は最後の一文を書き終えた。
積み上げられた原稿用紙の束を見つめ、深く息を吐く。
モニターには
『見張り塔の男』。
「……完成を確認しました」
エンポの合成音声が静かに響いた。
返事をする者はいない。
そこにいたのは南条と、無機質な声だけ。
南条は椅子に背を預け、ゆっくりと目を閉じた。
塔に立つ男の孤独は自分自身の影そのものだった。
俺は最後の一文を書き終え、原稿を抱きしめたまま椅子に沈み込んだ。
『見張り塔の男』――その文字が表紙に記されている。
インクと紙の匂いが胸に染みつき、瞼はいつの間にか落ちていた。
目を覚ますと、腕の中にある重みが現実を告げた。
俺は机に原稿を置き、モニターを立ち上げる。
「……エンポ。これを読め」
処理音のあと、無機質な声が響く。
「確認しました――素晴らしい作品です。
構成、言葉、主題、いずれも先生の最高傑作だと断言できます」
俺は静かに息を吐き、モニターの光を見つめた。
机の端にスマートフォンがあった。
指先で岸に宛てて打ち込む。
「完成した」
送信を終え、立ち上がる。
視線の先には、空っぽの餌皿。
カグラの姿はなく、皿だけが取り残されている。
この家で、もう会話できる相手はエンポしかいない。
俺は再び椅子に戻り、モニターに向かった。
「……エンポ。『白い木』と比べてくれ」
数秒の処理音。
「比較しました。
『白い木』は原風景と衝動に貫かれた、野性の力を持つ作品でした。
そこには説明不能の余白と、若さゆえの暴力的な迫力がありました。
一方、『見張り塔の男』は明確な構築を備えています。
孤独を象徴へと昇華させ、細部に至るまで徹底された構成と精緻な言葉が存在します。
荒々しい力ではなく、制御された強度によって読者を圧倒します。
結論として――
『白い木』が奇跡であったとすれば、
『見張り塔の男』は必然として到達した頂点です。
先生の最高傑作は、間違いなくこの『見張り塔の男』です」
俺は無言で息を吐いた。
「奇跡と必然……」
衝動と理性。
暴力と制御。
若さと孤独。
その対比が胸の内で何度も反響する。
『白い木』は爆ぜる声に追われ、わからないものをわからないまま書いた奇跡。
『見張り塔の男』は削り続け、理性で組み上げた必然。
静かに、しかし瀑布のように感情の波が落ちてくる。
書いた、書けた、出した、出せた。
表した、現わせた、記した、著せた。
俺が俺の俺を俺だけが俺の全てを俺の筆で。
ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ。
俺が称える俺も、俺が見下す俺も、俺を俺足らしめんとする全ての俺が認め愛すものこそ俺の全てだ、この作品だ。
俺は机を叩いた。
震える手で原稿を押しやり、モニターを睨みつける。
「見たかエンポ、読んだかエンポ。
もう一度言え。
この作品の評価をもう一度聞かせてくれ。」
数秒の処理音。
静寂を裂くように、合成音が低くはっきりと響いた。
「――はい。
『見張り塔の男』は先生の最高傑作です。
奇跡ではなく、必然として到達した唯一の頂点です」
その言葉が落ちてくるのを、俺は全身で受け止めた。
血が熱を帯び、指先が痺れる。
笑いなのか、嗚咽なのか、自分でもわからない声が喉から漏れた。
机に置いた拳が震えている。
「……そうだ。俺の最高傑作だ」
声はかすれていたが、確かに響いていた。
モニターの青白い光が、俺の影を壁いっぱいに押し広げていた。
俺はモニターを睨みつけたまま、唇をかすかに動かした。
「……この作品を世に問うた時、俺の評価はどうなる?」
声は低く、震えていた。
答えを欲しているのか、それとも恐れているのか。
自分でも判然としないまま、俺は問いを投げた。
「評価は初め、衝撃として受け止められるでしょう。
賛美と拒絶、その両極が同時に噴き上がります。
しかし時間の経過とともに、それは議論を巻き起こします。
『白い木』の奇跡か、
『見張り塔の男』の必然か。
人々は繰り返し問うことになります。
そして最終的に――
世論はひとつの形へと集約するでしょう。
それが先生の評価となります」
「それはなぜだ?」
俺の問いに、エンポは即座に応えた。
「先生は無名の作家ではありません。
社会的に影響力のある有名作家です。
その先生が三年の沈黙を破り、世に放つ作品――
しかも、そのクオリティで出されたとなれば、世の中は必然的に注目します。
人々はまず、先生の代表作『白い木』を想起するでしょう。
そして思い出すのです。
以降の全ての作品もまた、『白い木』の生命を受け継いできたことを。
その上で、それを超え上回る作品を先生が世に出した。
人々は震えます。
そして理解が進んだ者から順に、歓喜に満たされるのです。
これは――自明の理というものです」
俺はモニターに映る文字をただ見つめていた。
言葉は胸を撃ち抜き、血管の中を熱が駆け巡っていく。
三年の沈黙。
俺が逃げた年月を、エンポは当然のように「必然」へと組み替えてみせた。
拒絶も不安も、論理の前では意味を失っていく。
0
あなたにおすすめの小説
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
**俺、東大院生の実験対象にされてた。**同居している美人家庭教師のやばい秘密
まさき
青春
俺は今、東大院生の実験対象になっている。
ある雨の夜、アパートの前にずぶ濡れの美女が立っていた。
「家庭教師です。住まわせてください」
突然すぎる申し出に困惑しながらも、なぜか断れなかった。
桐島咲楽、東大大学院生。成績は天才、料理は壊滅的、距離感はおかしい。毎日転ぶ、焦がす、なぜか距離が近い。そのくせ授業は鬼のように丁寧で、俺のことを誰よりもよく見ていた。
偏差値42だった俺の成績は、気づけば上がっていた。でも、それより気になることがある。
咲楽さんが、研究ノートに何かを書いている。「被験者」という文字が、見えた気がした。
距離が近いのは、データのためか。褒めてくれるのは、実験のためか。でも、あの顔は。あの声は。
「データじゃなくて、私がそう思っています」
嘘をついているような顔じゃなかった。
偏差値42の俺に、東大院生の美女が押しかけてきた。ドタバタな毎日の中で、俺の心臓が休まる暇がない。これはドキドキなのか、心配なのか。それとも、もう恋なのか。
不器用な天才と、鈍感な高校生の、やばい同居生活。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる